庭球浪漫パロ「明日はくれぐれも粗相のないように。
この婚約はお前の将来だけではない、我が一族の未来がかかっているからな。」
もう耳にタコができるくらい聞き飽きた父の忠告に辟易としながら、大人しく「承知致しました。」と答える。
いつもは私の将来なんて我関せずといった顔をする父の気が、こうも確かではない。その理由は、明日の私のお見合いにある。お見合いの相手は陸軍将校の手塚国光。
おおかた父の狙いはこうだろう。まず私との婚約で、陸軍でも切れ者と名高い彼をこの一族に取り入れる。そうすることで父は軍の内政の掌握、そして一族の安泰を図るのだろう。
「軍部でそんなことしている暇があるなら、さっさと戦争なんて終わらせて欲しいなー」
そう呑気に呟いて、明日の気を紛らわすことで精一杯だ。向こうもこのお見合いが政略結婚を目的としたものだなんて、きっと分かっている。
この一族に生まれたからには予想していたことだけど、改めて考えると自ずと気が落ち込んでくる。
もらった手塚国光さんの顔写真なんか、見る気も起きないまま布団へ潜り込んだ。
翌朝。
女中にあれよあれよと準備を手伝って貰い、やけに気合いの入った両親に押し込まれるように馬車に乗せられ、気づいたらこの料亭に居た。
正座をしながら手塚国光さんとやらを待つ、この時間の妙な緊張感から早く解放されたい。
そう思う矢先に襖の奥から「失礼します。」と凛とした声が耳に入る。壮年の男性、おそらく手塚国光の父親で陸軍大佐だったと思う。それに続いて青年が顔を出す。
「おお!よくぞお越しくださいました。ささ!座って座って!」
「失礼いたします。」
「いやぁ〜陸軍も先の戦争でお忙しい中、あの手塚国光少尉殿とこのようなご縁ができたなんて〜」
「そんな!滅相もない!こちらこそあの𓏸𓏸家のご令嬢ともあろうすみれさんと〜」
ここは軍部ではないのにゴマをすりあう父親達の光景は、少し滑稽で笑えてくる。そう思いながら自分に刺さる視線に目を向けると、その先には端正な顔があった。
「はじめまして、陸軍𓏸𓏸師団少尉、手塚国光と申します。本日はお日柄も良く...」
「...」
「どうかなさいましたか。」
お見合いといえばこうなんだろうな、と分からないなりに考えてたセリフが、その端正な顔からそのまま繰り出された。なんだ、普通のお見合いじゃないか。
「ごめんなさい。私達まで父親達みたいな形式ばった会話するのかなって思ったら、少し...ふふふっ可笑しくって。」
「...そういうものなのでしょうか。」
「ええ、そういうものですね。」
政略結婚に変わりは無いけど、なんだかいい意味で拍子抜けしてしまった。何をあんなに肩肘張っていたのかと自分に刷り込みながら、なんとか今日を乗り切ろう。
そして、"なんでこの娘が笑っているのか皆目見当もつかない"といった手塚国光さんの顔が、なんだか少し可愛らしく思えてきた。
「お父様、少しあちらの池の周りを散歩してきます。」さ、行きましょっと立ち上がって部屋を抜け出す。
小石が丁寧に敷き詰められ、立派な松の木と花々に囲まれた、大きな池の周りを手塚国光さんと歩む。
普段は何をしているか、どんな食べ物が好きか、父親って跡継ぎ跡継ぎうるさいわよねと、やや私の一方的な談笑にも、手塚様は一つ一つ真面目に向き合ってお返事してくれる。
「あ!鯉が居ますよ!きれいな模様〜」
しゃがみこんで池を覗き込むと、水面に自分の顔と背後に立つ手塚様の顔が写り込む。
「裾が汚れてしまいます」
そう言いながら振袖の裾を持ってくれるこの人はやっぱり出来る男なんだなと思い知らされる。
...顔が向き合ってない今なら聞けるだろうか。
「手塚様は知っていますよね?この婚約の思惑を。」
「...ええ。」
「その、どうお思いですか。こういう婚約について。ほら!もし想い人がいたりするなら悪いじゃないですか!」
「私はこの国の安寧のために生涯を捧げる。元よりそう覚悟しているものですから。」
「ですからこういう結婚もすんなり受けいれるの?」
「...そのつもりだった。」
何か言いたげな顔が水面に映る。
「大人なんですね。」
「どうだろうか。」
「大人だと思いますよ。だって手塚様もまだお若いじゃないですか!恋の一つや二つ、この先だってあるだろうし。」
「色恋沙汰に興味は無いが...今日、貴方がそうはしゃぐ姿を幾度か見ました。」
はしゃぐ...そう見られていたのが恥ずかしくてまた視線を池の鯉に向ける。
「そういう笑顔や日々を守るために、己が軍人であるのではないか。そう考えさせられた。」
思ってもみなかった言葉を聞いて、じわじわと頬に熱を帯びるのが分かる。
水面に映る手塚様の顔に少し期待しながら、恐る恐る水面の上の方へ目線を向けたが、鯉が泳いだ波紋で見えなかった。
「そんな子供扱いみたいにされても困ります!」
照れまじりで発破をかけるように振り返って手塚様を見上げる。いつまでもしゃがんでるのもおかしいので立ち上がろうとすると、足が痺れてよろけそうになる。それを見越していたかのように手をとられたのが恥ずかしい。
「政略結婚ではあるかもしれない。しかし伴侶になる以上、貴方のことを一等に守るのが俺の役目だ。そんな当然のことにも会うまで気づけなかったのだから、"大人"とはいえないだろう。」
「は、伴侶....」
「ああ。」
「ということはこの縁談を進めるということですか...?」
「ああ。次はいつ頃会えるだろうか?官舎の近くに甘味処がある。」
まるで決定事項のように告げるその様子を見るに、"大人とはいえない"が妙な説得力を持ってくる。こうと決めたらやるんだというような子供らしさに、散歩しながら話した「甘いものが好き」という話を汲んでくれた優しさ。
正直政略結婚だの伴侶だの、未来のことは分からないけど、この人のことをもっと知りたい。ただそう思った。
「それじゃあ今度の日曜日、とびっきり甘いの!楽しみにしてますね!」
そう言いながら白い手袋に包まれた大きな手を引っ張って歩み出す。ヱスコヲトはまだまだみたい!