踊るだけ損 宴の後と呼ぶに相応しい惨状がリビングいっぱいに広がっている。
動かせる全ての物体は部屋の隅に追いやられ、いかにも見栄えのする高級なカーペットは乱雑に剥がされてキッチンに転がされ、端の方でかろうじて役目を全うしようと立つテーブルに食べかけのピザが散乱し、ぽっかりと空いた空間では酔った大人たちが好き勝手に踊っている。アルコールを摂取していない住人はレイラ以外に存在しなかった。レイラも、法が許すのなら酒のひとつも煽りたかったに違いない。
とはいえ、この惨状を楽しんでいない人間はただ一人で、それはレイラではない。テーブルも椅子も何もかもが本来の用途を果たせなくなった惨状に「親睦を深めるのも仕事のうちだ」と、この家の家主であり暴君であるシオンに引き止められたクロウだけが、この浮かれた宴に辟易していた。
最初はシオンの思いつきだった。
「ダンスパーティをしよう」
そう言ってリビングを会場に作り替えようとしたときにケイルとクロウが不在だったのが運の尽きだろう。オキタは面倒だと言ったが、レオは「俺の輝きを見せてやろう」と賛同した。レイラは口でこそ「くだらねぇ」と悪態を吐いていたが、ダンスが好きな男である。彼はレオの手助けを率先して行ったし、オキタには拒絶するほどのこだわりはない。結局、買い出しから戻ったケイルとクロウが見た光景は何もかもが片付けられたリビングで、ケイルがいったいどう食事をするのかと怒鳴りつけるとほぼ同時に、シオンが勝手に取ったピザが到着した。何もかもがお膳立てされた光景を見て、ケイルとクロウは同時に溜息を吐く。次は絶対に止めるようにと苦言を呈したのはケイルであったかクロウであったか。しかしその言葉も浮かれた曲に遮られる。レイラが適当な音楽を流し始めたからだ。
「おや、こんな曲でダンスをするのかい?」
「そりゃそうだろ。ああ、お堅いダンスしかできないか?」
見てろよ、とレイラは即席の会場に飛び出してクルリと宙返りをしてみせた。おお、とその場の全員が拍手をする。
「レイラさんが率先して踊るなんて、珍しいですね」
「こんなのくだらねーけどな。どうせシオンの思いつきには付き合うしかないんだ。楽しまなきゃ損だろ」
「たしかに」
納得した様子のオキタが一歩前に出る。不健康そうなオーラを纏い実際に病弱だと主張するこの男も、毎朝ラジオ体操に参加するだけの基礎体力がある。加えて、この中で二番目に若いのだ。宙返りは無理でも、適当に体を動かすことはできる。曲に合わせてゆらゆらと体を動かし始めたオキタの手をレイラがそっと取った。
「こうするんだよ」
彼は横に並んで、ゆっくりをステップを踏んでみせる。真似をするオキタを見て、レオもそばに近寄ってきた。「ケイル、」とレオが一声呼び掛ければ、ケイルもひとつ大きく息を吐いて参加し始める。それを年長者の二人が並びながら眺めていた。
「シオンさんは行かないのですか?」
「うーん、私が思っていたダンスパーティーとは様子が違ってね」
ああ、なるほど。クロウはゆっくりとした相槌を打った。シオンは妙な行動が多い男だが、時折育ちの良さが垣間見える時がある。口調も柔らかいし、変なところでのんびりとして見える。単純に、育ちが良いのだろう。
「クロウは行かないのかい?」
「踊らなくても親睦を深める方法を模索しているところです」
「ふふ、仕事熱心だね」
シオンはクロウとは目も合わせずレイラの足捌きをじっと見ている。シオンさんこそ、行ってくればいいのに。そう呟けば、シオンは「私が行ってしまったら」と軽く目を伏せる。そうして、艶やかな唇で「クロウは寂しいだろう?」などと宣うのだ。
「おい、言い出しっぺは来ないのかよ!」
「ほら、呼ばれていますよ」
私のことはお気になさらず。その言葉を無視してシオンはクロウの手を取った。
「っ、ちょっと」
シオンはヘラヘラと笑いながら「踊ろう、クロウ」と中心に躍り出る。そうして見たままのステップを再現してみせた。おお、とケイルが感心して、なら俺様に出来ない道理はないとレオもまた踊り出す。ケイルはまだステップが覚束無い様子だったが、それを見てレイラが笑う。
「適当でいいんだよ。楽しければ」
「だってさ、クロウ?」
こうして六人でしばらくは踊っていた。出来上がったのが冒頭で触れた惨状というわけだ。
肩を触れ合わせ、手を取り合い、視線があえば微笑んで。どれほど踊った後だろうか。オキタがふと口にした。
「なんか、学校でありましたよね。ペアを組んで踊るやつ」
「へぇ、どんな踊りなんだ?」
「覚えてはいないんですが……こんな感じの」
オキタがレイラの手を取って肩に手を回す。シオンが一言「男女で踊るダンスかい?」と問いかけた。
「なんか昔はそうだったみたいですね。でも、もう男だとか女だとかって流行らないじゃないですか」
だから学校では身長順に半分に組を分けていたとオキタは言う。シオンは「時代だねぇ」と言い、へらりと笑った。
「社交ダンスなんかは未だに男女で踊るけどね」
そう言って、オキタと反対側からレイラの手を取る。レイラはその動きにはピンときたらしい。「踊れるんだな」と感心した様子で呟いて、そちらに体を委ねてみせた。
くるくると、空間を目一杯に使ってシオンとレイラは踊る。レオはその動きには似合わないクラスミュージックをそっと消して、検索で一番上にきたワルツを流し始めた。
「優雅なものだな」
ケイルの感嘆に皆が同意してみせる。しかし見てるだけではつまらなかったのだろうか。レオが動きを真似るように体を揺らしたのを目敏く見つけ、シオンが回転の勢いのままレイラをそっとそちらに放り出した。
「他に誰か踊れる人は?」
「俺だな。数分後には完璧に踊れるだろう」
「なっ、誰がそいつらとくっついて踊るかよ!」
咄嗟にと言った様子で、耳まで真っ赤になりながらレイラが叫ぶ。なぜ当事者たちが気が付かないのかが謎なのだが、レイラにとって同じ配信者である三人は『推し』なのだ。先程とは違い、一対一の社交ダンスは身が持たないのだろう。
「レイラさん……シオンさんとは踊るのに、僕たちとはダメなんです?」
「うっ……」
「僕たちじゃ、ダメなんです……?」
「それは……その……」
「そんなにシオンが好きか」
「それはありえねぇ」
ケイルに返された言葉の即答の手本のような速度に、シオンが「傷つくなぁ」と笑う。レイラはどうしても誤解されたくなかったのだろう。レオの手を取って「ほら」と引き寄せた。
「オキタはシオンと組めよ」
「えっ、なんでです? レイラさん僕とやるの嫌なんですか?」
「いや、違くて。パートが違うから、身長的に……」
「やっぱりレイラさんは僕のこと面倒だと思ってるんですねレオさんはよくても僕の事は面倒なんだそうやってシオンさんに僕を押し付けて自分はのうのうと羽を伸ばしながらレオさんとダンスしてそのあとは僕の手を取ることなくケイルさんとクロウさんと踊るんだ面倒くさい僕とは目もあわさないで」
「だーかーらー! 社交ダンスってのは男性パートと女性パートがあるんだよ」
オキタはこの中では身長の低い方だから、女性パートを練習した方がペアとしてやりやすいのではないか。そういった趣旨の説明をしたら、オキタはにこやかになった後、じっとレオの方を見た。
「改めて見ると、大きいですよね……」
「俺様の存在がか?」
「身長で割り振りをするなら、俺とレオとシオンが男役か」
レオの言葉をまるっと無視してケイルが呟く。そういうこったなと呟いて、レイラはレオとケイルを引き寄せた。
「あ、」
事情を知るクロウはレイラが推しの過剰摂取に耐えられるかを心配したが、得意分野のダンスということもあり落ち着いているように見えた。レイラも配信者として活躍しているが、まだ子供だ。年上で尊敬している彼らに自分が何かを教えられることが嬉しいのかもしれない。
「なら、オキタ君とクロウは私の方へ」
そうしてダンスの練習が始まる。クロウはシオンの足を三十回は踏んだ。
「私たちが片付けておくから」
シオンはにこやかに微笑んだ。その笑みに、頼むから自分を勘定に入れていないようにと願うクロウの肩をシオンがガッチリと掴む。
「いいのか? 俺たちは助かるが」
「いいんだよ。クロウはね、追試だから」
「……は?」
あのあと一通り練習をして、踊れるようにならなかったのはクロウだけだった。ある程度踊ったら社交ダンスに飽きた様子のシオンが勝手にディスコチューンを流し始めたものだから、社交ダンスの流れは完全に終わったと思っていた。のに。
「なんだか、悪いですね」
そう口にしたオキタが一番先に立ち去る支度を終えている。お風呂はどうします? 順番に入るしかないだろう。そんなことを口にしながら、クロウ以外の全員がぞろぞろとリビングを出ていった。
「……仕事は踊れるようになることではなく、親睦を深めることだったはずですが」
「うん。だからね、私とも親睦を深めようじゃないか」
そう言ってシオンは慣れた様子でクロウの手を取った。音楽も流さずに、すっとクロウの腰に手を添える。そっと体を引き寄せられたクロウが、またシオンの足を踏んだ。
「……わざとじゃないよね?」
「わざとだと思うなら、こんなことはやめたらいいじゃないですか」
誓ってわざとではない。ただ、何回やってもシオンとの体の動きやタイミングが合わないのだ。もっともレオやケイルともうまく踊れた自信はないが、シオンとの相性は最悪と言える。
「私以外の二人とは、もっとマシに踊れていたのに」
「……なら、シオンさんが悪いのでは?」
「私はオキタ君やレイラ君とはうまく踊れたよ」
つまり、相性が悪いと言うことだ。追試もなにもないだろう。
その気持ちをオブラートに三重くらいに包んで投げかければ、シオンは軽く首を振る。
「クロウが悪い」
「はぁ」
フィルターのような色を一枚隔ててシオンは優雅に笑って見せる。そうして、子供のように、世紀の大発見だと言うように涼やかな声を出した。
「クロウが、私に心を委ねてくれないから」
「……はぁ」
何を言うのかと思えば。見抜いていたのは流石と言えるのか。見抜かれたことはスパイとして恥ずべき事なのか。一度だけくるりと思考が回ったが瑣末事だと切り捨てる。シオンはすっと顔を近づけて、鮮やかな色彩の瞳に微笑みかけた。
「ダンスはね、お互いを委ねないと踊れない」
きっとレイラですら、踊っている時は何もかもを委ねていたはずだよ。そう言いながら手を引いて、エスコートするように体を動かす。何もかもがバレているのかと、少しだけ嫌になる。そんなはずはないと思い直す。ただ、シオンの哲学が妙なところに引っかかってしまっただけだろう。
「クロウは踊るのが下手だね。レオ君とも、ケイル君とも、うまく踊れない」
中でも私と踊るのはとりわけ下手なんだねと、悲しみを浮かべることもなく、楽しそうに笑う吐息が目障りだった。
「シオンさんは」
「ん?」
「私に何もかも委ねることができるんですか?」
すっと、クロウも一歩前に出た。それに気を良くしたように、シオンはへらりと笑う。
「……できると言ったら、クロウはどうするの?」
それは期待に満ちた瞳だった。そして、その奥に本当につまらなさそうな色が見える。彼を喜ばせる手札を切るか迷ってしまう。喜ばせたくはないが、向こうの感情を前提に振る舞うというのも癪だった。
「っ、うわ」
シオンの手を思い切り引いて、反動でくるりと回る。そしてそのまま片手だけを繋いで、逆にシオンの腰に手を添えた。そのまま何もかもを放るようにシオンを押して、少し空いた距離を詰めて、適当でめちゃくちゃなステップを踏む。
「決まり事も、美辞麗句も、退屈でしょう」
もう一度その手を引いた。キョトンとした瞳が、みるみるうちに喜色に染まっていく。
「あなたはルールだとか、調和だとか、そういうものが嫌いだと思っていました。だから、」
めちゃくちゃなダンスをしましょうよ。セオリーなんて、全部無視して。そう言ってクロウは体を離す。さっきまでされるがままになっていたシオンがその熱を追う。
「委ねなくても、認めなくても、愛さなくても」
まるで恋人のように二人の手が触れ合った。高揚して赤くなった耳元に、クロウはそっと囁く。
「そういうのが全部なくても踊れる……私たちに似合いのダンスを踊りましょう」
「……いいね。そういうの、すごく好きだよ」
そうして、くるくると、二人は飽きるまで踊り続けた。クロウはシオンの足を十回は踏んだし、シオンだって何度かクロウの足を踏んだ。そのたびにシオンは笑ったし、クロウは怒ることをしなかった。
疲れるまで踊り続けて、日付もじきに変わる頃。シオンが突然全てに飽きた。
「じゃあ、私も寝るから。後片付けをよろしく」
「……は?」
誰もがいなくなったリビングは何一つ回復などしないまま、惨状の名を欲しいがままにしている。数秒ほど途方に暮れていたクロウは、とりあえず手がつけられていないピザをラップに包み始めた。