サカ0️⃣ 腹刺されネタ別ルート 供養「よお。配信見てる奴ら、音量バランスは大丈夫か?」
「お、零の配信始まっとる!」
パソコンから聞こえた仲間の声に、風呂上がりの簓は慌ててリビングへ駆け込んだ。待機画面のまま放置していたのだが、どうやらもう始まったようだ。
雑談配信──前々からやって欲しいと零に頼んでいたのだ。どついたれ本舗のアカウントで始まった配信画面には、天谷奴零その人が映っていた。自分の家から配信をしているらしい。ひらひら、と画面の前で手が振られる。
「おいちゃんのいい声は聞こえるか? ……そりゃ良かった。投げ銭は遠慮しないでどんどん投げてくれよな?」
調子のいい発言に、相変わらずだと笑いそうになる。
それに反応するように投げ銭も増えていくが、零は値段にかかわらず律儀にひとつひとつ読み上げていく。本当に、客を扱うのが上手い男だ。反応があるのが嬉しくて視聴者もコメントをするのだ。
丁寧に答えていくそのトークスキルは、詐欺の賜物なのか、生頼のものなのか。全く聴衆を飽きさせず、前のめりになって聞いてしまう。どついたれ本舗での思い出、好きなこと、ほんの少しプライベートに踏み込むもの。適度なラインを引いて話していくその様は、芸人である簓も学べるところがあった。
どれほど時間が経ったことだろう。またひとつ増えた質問に、零が視線をやった。
「『最近なにか面白いことありましたか?』──んー、面白いこと、ねえ。……ああ、あるぜ?」
なんやろ。このヌルサラさんの超絶爆笑ギャグでも話すんかな。ああ、それとも盧笙が酒盛り中にツボりすぎて吐きかけたこと?
簓はわくわくしながら言葉の続きを待つ。微笑んだ零は、なんてことないように口を開いた。
「最近、腹刺されてなあ」
「…………は?」
掠れた声が漏れた。
今、なんて言うた?
食い入るように画面を見つめる。画面の中の零は依然として、まるで今日の天気の話でもするように笑いながら話を続けている。コメントは高速で流れていく。そこは疑問符で埋まり、簓と同様に混乱しているようであった。
「いやー、二日酔いでダウンしてるところだったから上手く反応できなくてよ。参っちまうよなあ」
『なに?』
『なんて?』
『今刺されたって言った?』
「おう。普通に腹をナイフで刺されてな」
『普通ってなんだよ』
本当にどういうことだ。腹を刺されただって? いつ。どこで。そんなこと、全く聞いていない。
解消されない疑問だけがただ募り、思考回路はショートしそうだ。
『傷口見ないと信じられない』
「んん? ……んー、傷口な。タダで見せるのも、なあ」
皆まで言わず、零は言葉を切る。間を置かずに高額の投げ銭がコメント欄で投げられた。
『傷口見せてください¥50000』
「へっへー、毎度あり。じゃあ見せてやるよ」
不敵に笑ってウインクをした零が半ば立ち上がり、服の裾をめくる。その腹筋には、確かに傷があったのだと窺える跡がくっきりと残っていた。ざわ、と胸が不快感に襲われる。刺されていたことが事実だとわかったから? それとも、その身体が大多数の前に晒されているから? ……答えは両方だった。
「やめえや!!」
パソコンに掴みかかって叫べど、画面の向こうへ届くはずもなく。投げ銭が怒涛の勢いでされていく。療養代と称して投げられているものはともかく、腹筋ありがとうという言葉とともに金が投げられているのはなんなのだ。
どんどん増えていく投げ銭に気分を良くしたのだろうか。笑いながら、零は居住まいを正して話を続けた。
「いやー、二日くらい意識が戻らなかったみたいでなあ。目が覚めたら管だらけでよ。笑えるよな」
『怖い』
『なんでこの人笑ってるの?』
『これを面白い話として話してるのがいちばん怖い』
その言葉で、思い出す。確か──二日ほど、連絡が返ってこない日が確かにあったのだ。
ならば、まさか。そのときこの男は、病院にいたのか? 愕然としたまま見つめていると、零がなにかに気づいたように声をあげる。
「……ん? 悪いな。携帯に着信が──盧笙かよ。配信中だから後で折り返すな」
怒涛の展開に、コメントは勢いを増していく。
『なんか出た方が良さそうな気がする』
『配信切って今すぐ電話出ろや』
『え? ウィズダムコメしてる?』
『さすがに草』
盧笙らしいアカウントは、続けてコメントを送信していて。埋もれそうなそれを、簓はなんとか見つけた。
『刺されたってなんや、聞いてへんぞ』
『え、話してないの?』
「あ? あー……そういや盧笙にも簓にも話してねえな」
思い出したように、平然と口にしている。簓は頭の奥底が冷えていくような感覚を覚えた。きっと、盧笙も同じだ。別の場所にいても、わかるのだ。
『やば』
『修羅場でしぬ』
『そら(刺されたこと仲間に話してなかったら)そう(ブチギレられる)よ』
この、男は。
スマホを取りだし、電話をかける。少し経ってから零はまた訝しげに配信画面を見つめて、眉をひそめた。
「……今度は簓かよ。配信中だっての」
『流石に電話出た方がいい』
同じようなコメントが多くなっていく。とうとう看過できなくなったのか、零は苦笑いを浮かべて口を開いた。
「……電話とメッセージがめちゃくちゃ来てるから今回はここまでにしとくわ。バタバタしてて悪い、来てくれてありがとな」
『ヌルサラとウィズダムに許してもらえるように応援してるね』
『また配信してくれ』
『乙』
零が手を振ったのを最後に、ぷつん、と配信が切れる。『この配信は終了しました』の文字を確認するやいなや、簓はすぐにまた零へ電話をかけた。コールが2回鳴ったあと、電話が繋がる。相手が言葉を発するのを待たずに口を開いた。
「盧笙の家来いや。今すぐな」
「……飲みの誘い、なら歓迎したいんだがなあ」
この後に起きるだろう面倒事を察した声色で、零は言う。簓は乾いた笑いを落とした。
「はは、オモロいなあ。……なわけないやろ」
「……あー、わかったよ」
諦念の滲んだ声。「じゃ、待っとるから」と淡白に言い残し、簓は電話を切った。簡単な身支度を済ませながら盧笙へ電話をかける。
「盧笙、今からそっち行くわ。零も呼んだで」
「……おん。わかった、待っとるわ」
言わずとも、大体の話は察したらしい。電話を切り、盧笙宅へと向かいながら──零をどう問い詰めてやろうか、と真剣な顔で足を進めるのだった。
***
「……おお、こりゃ……怖ぇな」
玄関を開き、リビングへ入った零を出迎えたのは、腕を組んで仁王立ちするふたりだった。
簓は無表情を保ったまま、薄い唇を開く。
「なんで俺らに刺されたこと言わへんねん」
単刀直入に疑問をぶつければ──零は気まずさの浮かぶ軽薄な笑みを作って口を開いた。
「そのうち話そうとは思ってたんだぜ? ただ、あー……タイミングを逃してよ」
「すぐ言えや!!」
吠えるように言えば、少しだけバツが悪そうな表情を作った。続けざまに簓はまた言葉を紡ぐ。
「ちゅーかなんや。刺されたあと誰に助けてもろたん」
「ん? んー……刺されて少し経って──たまたま通りがかった通行人、だな」
ぴくり、とふたりの眉根が寄る。
「……刺された後、意識なくしたん?」
「いや? 意識はあったぜ」
「なら救急車になんで連絡せえへんかったん」
「……まあ、いろいろあったんだよ」
「……なんや、それ」
盧笙が信じられないというように声を発した。腹の奥で、ふつふつと怒りが湧く。この男は、死ぬつもりだったのか?
自分たちを置いて。勝手に?
更に下がったように思える部屋の温度に──零は、自分が返答を間違えたことを静かに悟った。