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    そふぁ

    @sohuxa_mg

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    そふぁ

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    ヘクマン♀
    捏造設定あり。
    第一話

    朝三暮四の成れの果て 一頭の馬が野を駆ける。
     丈の低い草が地面を覆い、天と地の境界は誰かが区切ったようにまっすぐ横へ引かれている。雲がたなびき、陽は傾いていた。夕星が輝き始めている。雲と星、落ちかけた太陽。それ以外、何もなかった。
     そんな場所でどこかへ向かう馬を見た。荷はなく、鞍もなく、傍を歩む人もない。何を気にするというのだ、と言わんばかりに馬は全速力で走っているようだった。あの馬も母がおり、父がいたのだろうけれど、なんだか想像が付かなかった。どんな声で甘えたのか。
     考えているうち、馬は遠く離れていた。いくつかの押し潰された茎といくらかの剥き出しになった土だけが、存在していた証だった。それすらもやがて風にさらわれていく。
     歩き出そうと背を向けた時、馬が嘶いた。母を呼ぶ声だった。父に縋る叫びだった。
     愚かな、お前。全てを持っていながら、全てに捨てられた、愚かなお前。
     その嘶きに、ただ心を奪われたのだ。

     金属が擦れ合う音が断続して響く。
     人間の女の上半身と蛇の下半身を持つ異形──ラミアが金切り声をあげた。体を左右にしならせ、勢いそのままに自前の鱗鎧で覆った尾を眼前の敵へ鋭く叩きつける。
     眼前の敵──マンドリカルドは尾を自身の丸盾で凌ぐ。
     また金属同士が擦れる音が辺りに鳴り渡った。
     この攻撃で彼の体に傷こそない。しかし、ラミアによる体重の乗った重い一撃は盾持つ手を痺れさせ、彼のブーツ靴を数センチほど地面へ埋もれさせる。その体は後方へ引きずられ、靴が土を掘り返して並行する足跡を戦場に残した。
     女怪の背後にヘクトールが回り込む。槍を鱗と鱗の隙間めがけて突き、深く抉った。
     ラミアの喉は叫喚に震える。上体を捻り、腕は怒りにて切り裂かんと振り下ろされた。
     ヘクトールは女怪を見据えたまま跳んで後方に退き、誘うように槍を構えて次の機会を窺う。
    「余所見とはいい度胸だな。栄光の剣、不毀の絶世。この一時だけでも──『不帯剣の誓い』!」
     その隙を突き、手筈通りにマンドリカルドが宝具を放った。
     衝撃でラミアの尾が大きく、たわむ。両腕から力が抜けていき、胴体は緩やかに後ろへ崩れ落ちた。
     最後の一体、他に敵影はなかった。
     マンドリカルドが木刀を握り、にじり寄る。
     ラミアの赤い目は空を写していた。蛇体からは黄金の杯が浮き上がりつつある。
     左腕を伸ばして杯を掴んだ。埋もれていた聖杯を引きずり出そうと、力を込める。周辺の肉が盛り上がり、聖杯の輝きが少しずつ露になっていく。
     その手を女怪の咆哮が咎めた。
     マンドリカルドが手を引く。後進して木刀を振りかぶり、臨戦体勢を整えて、ラミアを見た。
     眼がある。思考を固め、体を弛緩させる眼だった。
     今、女怪の双眸はマンドリカルドの魂を捉えている。
     瞳の奥に、その放心した顔が焼き付く。
     呆けた表情で、マンドリカルドは顔先の目を見いる。
     いやだ、みないでくれ。
     みつめていて、そばにきて、どうか。
     心臓の裏まで覗き込まれているような不快さ、それがどうでも良くなる、脳が溶けていってすら感じる酩酊。
     手から金属片が付いた木刀が滑る。
     次の瞬間、マンドリカルドの体はラミアの尾に吹き飛ばされた。
     上手く言う事を聞かない痩身が宙を舞う。ぼんやりとした脳は目だけで着地点を確認しようとして、灰色の瞳は水で作られた鏡面を写す。
     そして、彼の身は水面に叩きつけられた。
     マンドリカルドの姿ごと鏡面反射されていた風景はその体がぶつかることで粉々に砕ける。

     マンドリカルドが投げ捨てられた方角には背の高い樹が生い茂り、彼の状況を把握することは難しい。
     そこへ質量のある物体が水へ投げ入れられる音が聞こえた。
    「マスター、マンドリカルドが戦線離脱!」
     ヘクトールが後方に指示を仰ぐ。
     マスターの合図で後衛から一人、ラミアの前に立った。
    「よぉーし、マンドリカルドの弔い合戦だー!」
     桃色の長髪を三つ編みにまとめ、剣を持った騎兵、アストルフォが明るく笑う。
    「いっくぞー!」
     掛け声と共に、その剣はラミアの鱗と激突した。

     巨体が地面へ倒れ、土埃が視界を遮った。
    「やれやれ、頑丈な鎧をお持ちのようで」
     ラミアの体に今一度槍を刺して、ヘクトールはぼやく。蛇の女怪は仰向けに倒れ、ぴくりとも動かなかった。今度こそ起き上がることはない。放出された聖杯が体をつたって地面に転がり、甲高い音を立てた。
    「聖杯の出現を確認。簡易保管庫に格納します」
     後衛にいた術兵が聖杯を確保し、微小特異点での目的は果たされる。
    「マンドリカルド、戻ってこないね」
     人類最後のマスターである少女、藤丸立香が不安な表情を隠さずにヘクトールへ話しかけた。
    「私、ちょっと見に行ってくる」
     勇んで歩を進めるマスターをヘクトールは止める。微小特異点の聖杯が回収され、崩壊が始まっているとはいえ、生身の人間にとって危険地帯であることに変わりはなかった。
    「いやいや、オジサンが見てくるよ。マンドリカルドのことだ、顔向けできないとかで姿を隠してるだけさ」
     マスターを安心させるために軽口を叩き、林へ向かう。
     抜けた先に湖があった。
     水面は太陽光を乱反射して輝き、その眩しさはヘクトールの目を細めさせる。
     細めてなお刺激する光に、湖から目を逸らし、そして、畔に人が横たわっているのを見つけた。よく知る白銀の鎧と、黄色の長い腰布が遠目からでも確認できる。マンドリカルドだ。湖に背を向け、体の胸部側を地面につけて力なく倒れていた。
     槍を持ちかえ、マンドリカルドへ駆け寄る。
     全身がずぶ濡れになっており、周囲には水溜まりができていた。
     まず、マンドリカルドの髪に違和を感じた。毛先が乱れてはっきりとした長さは分からないが、後ろ髪は腰に届かんばかりに長く、体に張り付いていた。
     そして、その体を仰向けに起こして、ただ髪が伸びただけではないことに気づく。掴んだ肩幅が細かった。そして何より、布地が肌に張り付いてなお普段よりも大きく膨らんだ女性の胸のシルエットがヘクトールの眼前に現れた。

     マンドリカルドが揺すり起こされた時、寒さは感じなかった。
     ぼやける視界に、青空を後景にしたヘクトールの顔の輪郭が、ぶれながら瞬きにより調整されていく。
    「ヘクトールさま?」
     高い声がヘクトールの名を呼ぶ。
     マンドリカルドは一瞬、その声が誰のものか分からなかった。遠くどこかで耳にした、誰かの声によく似ているかもしれない。誰の、声だっただろうか。
    「マンドリカルド、自分がどういう状況か分かるか?」
     マンドリカルドが上体を起こす。体にはヘクトールのマントが掛けられていた。これのお陰で寒さを感じないでいられたようだ。
     マンドリカルドは慌ててマントを体から剥ぎ取り、返そうとした。
     ずれた布の中から、見知った衣服に包まれた豊かな胸が現れ、マンドリカルドは思わず声を漏らす。
    「は、俺、胸が、え?」
     その反応を見て、ヘクトールは目を伏せた。
    「ラミアの呪いか、特異点による霊基異常か、ともかく、お前さんも災難だな」
     声が聞こえていないのか、マンドリカルドは何も言わぬまま自身の両手を握りこんでは開き、胸や脚、身体中を手のひらでぺたぺたと触っている。
     ヘクトールはそれ以上何も言わず、マンドリカルドが状況を把握するのを待った。特異点は既に修復されつつある。
     やがて、マンドリカルドが口を開いた。意図せず零した様子だった。
    「忘れてた、こっちが元の体だったな」
     その言葉に耳を疑ったのはヘクトールの方だ。彼女は納得したのかすっかり口を閉ざしている。それよりもヘクトールのマントが所々濡れているのが気になるらしく、丁寧に水気を絞り始めていた。
    「待て、マンドリカルド。てことはつまり、女だったのを魔術か何かで隠してたのか?」
     困惑するヘクトールを置いて、マンドリカルドは平然と答える。
    「そうっす。魔術を掛けたのは俺じゃねぇっすけど。いつからだろ、グラダッソと旅してた時にはもう、そうだったような。まあ、ともかく、俺が男になる術だとは覚えてる、というか、さっき思い出したんすけ、ど」
     生地を柔らかく絞っていた手はその言葉と共に止まった。
     自身のマントを見ていたヘクトールは、視線を上げ、彼女の顔を見る。
     目覚めた時は色艶の良かった肌から血の気が引いていた。濡れたままでいるからではない、とヘクトールは察する。
    「そうだ、マンドリカルドは男じゃないと」
     その思考はマンドリカルドの平坦な声で肯定される。何の感情も読み取れなかった。過去の声を繰り返しているようだった。
    「もう術が馴染んでるから、魔力があれば自分の意思で切り替えられるだろうって言われて……誰にだ?」
     その記憶には多くの抜けがあるらしい。
     マンドリカルドが申し訳なさそうに眉を下げた。
    「ヘクトール様、失礼ながらマスターを呼んできてもらえないっすか。このままでいるわけにはいかないんすけど、ガス欠で」
     彼女は力なく笑う。マントを握る手が震えていた。
     ひとまず、マンドリカルドをこのような状態にした犯人の意図は彼女の口を介して伝えられた。下手に口を挟んで、彼女の精神に傷がつかないとも限らない。魔力供給ができるのは、彼女と契約しているマスター以外にいなかった。
    「分かった、オジサンがマスターを呼んでくる。お前さんはそのまま大人しくしてろよ」
     マンドリカルドの手からマントを取って、包むように彼女の体に掛け直した。
     林を戻るとマスターがそわついた様子でヘクトールの帰りを待っていた。マンドリカルドの姿がないことに怪訝な面持ちをしている。
    「マスター、悪いが少しオジサンに付き合ってくれ」
     マスターは首を傾げ、それでも何も言わずに頷いた。

     ストームボーダーの管制室前廊下で、特異点を修復したメンバーは解散した。ヘクトールは率先して喫煙室方面へ足を向ける。それを皮切りに皆、思い思いの場所へ散っていった。
     そして、ヘクトールは医務室の扉の前に立っていた。喫煙室とは方角が大いに違っていたが、それを指摘する者はいなかった。
     自動扉が左右に開き、ヘクトールを迎え入れる。
    「おや、随分と早かったね。一服ぐらいしてくるものかと。立香ちゃんの検査はさっき終わって、今は結果待ちさ。それで、詳しい状況を教えてもらえるかな、ヘクトール」
     既に人払いはされているらしい。レオナルド・ダ・ヴィンチは胸の前でメモを掲げていた。ストームボーダーへ帰還した後、ヘクトールが走り書きをして他の誰にも知られないように手渡したものだった。
     ダ・ヴィンチの後ろから検査着に着替えたマスターが顔を出す。
     医務室は一つの部屋が目隠し目的のカーテンで二つに仕切られている。手前は待合室のような役割を担い、部屋の奥は診察室になっていた。診察室には防音魔術が施されている。
     マスターには特異点で、ダ・ヴィンチにはメモを使って、待合室で落ち合う算段をつけていた。
    「大方、それの通りですよ、付け加えるとしたら、オジサンの感想しかないさ」
     ダ・ヴィンチは困ったように笑う。
    「その感想が、君の場合は馬鹿にできないんだけどね」
     仕切りで隔てられていた医務室の奥、診察室からネモナースが歩いてくる。
    「皆さん、奥へどうぞ」
     ダ・ヴィンチがヘクトールに視線を寄越した。目が合ったのを確認して、カーテンに手を掛ける。
     診察室には白い机とその上に置かれたパソコン、革張りの椅子と患者用の丸椅子、簡易ベッドと大型の機械がいくつか、置かれていた。
    「マンドリカルド、話を聞かせてもらえるかい」
     診察室の丸椅子に座り、女性の姿に戻ったマンドリカルドは居心地悪そうに身を縮めている。
     彼女の正面にダ・ヴィンチが立ち、診察室の入口近くにヘクトールとマスターが佇んだ。

    「つまり、君も自分が女性だったことすら今まで忘れていた、と。マンドリカルド、二つ確認したいことがある。一つめ、精神の性別は女性のもの?二つめ、ヘクトールからも話は聞いているが直接聞きたい、肉体が変化するのは生前から?」
     ダ・ヴィンチの疑問にマンドリカルドは応えた。
    「おそらく、両方とも、そうっす。女になった、というより元に戻ったって感じる。ただ、男の身体だと自分が女だって認識できないというか、今まで性別の違和感はなかったっす。記憶では生前、変わった後はずっと男の身体だったのに」
     質問の内容に嫌悪を示す素振りはなく、淡々と答えていく。今は女性の体であるというのに、マンドリカルドは落ち着いていた。
     ダ・ヴィンチはネモナースを見る。ネモナースが頷いて手元の紙に何かを書き加えた。
     ダ・ヴィンチが顎に手を当てる。
    「うーん、王族には切っても切れない跡継ぎ問題かなあ」
     マスターは難しい顔をして、それでも黙っている。
     パソコンから単調な電子音が響いた。
     ネモナースが歩み寄り、キーボードを叩く。
    「マスターさんの精密検査の結果が出ました」
    「立香ちゃんの脳へのダメージや後遺症は?」
     ダ・ヴィンチの言葉に、声を暗くした。
    「今のところ、脳波に大幅な乱れはありませんが、今回のようなことが続くとなれば、いずれは。マスターさんの記憶と観測されていた戦闘状況に一部齟齬が見受けられました。言われるまで特異点での戦闘や手に入れた聖杯について思い出せなかった、と」

     特異点にて、マスターは女性になったマンドリカルドを見ても、元の性別が女性であったと聞いてもさほど驚かなかった。その反応にマンドリカルドの方が動転したほどである。
    「まあ、慣れたというか」
     マスターは、あっけらかんと言った。
    「それで頼みたいんすけど」
     マンドリカルドの説明に、マスターは頷いて魔力を渡す。
    「いいよ。君がそっちの方がいいなら」
     ただ、魔力を渡した後に聞いた、彼女が誰かに掛けられた呪いの言葉には顔を顰めた。
    「マンドリカルド。私はどっちの姿の君も好きだよ。男じゃないと駄目な理由は私にも言えない?」
     マスターの言葉に彼女は唖然としている。
    「女でも?」
     再び、マスターは頷いた。マンドリカルドはじっとマスターを見つめている。
    「けどな、マスター。それじゃ守れないんすよ」
     静かな声だった。
     いつの間にか、マンドリカルドは瞼を閉じていた。魔力が高まり、その後すぐ減退していく。姿が揺らぎ、男性に変わっていくのをヘクトールは横目で見ていた。
     問題はその後だった。
     姿を変えてから、マンドリカルドはマスターに向き直る。まだ体は濡れていたが、気にしていないようだった。
    「マスター、ありがとうございます」
     その言葉に、マスターは微笑んだ。
    「良かった。魔力不足だって聞いてびっくりしたよ。今回の特異点、戦闘なんて無かったのに、」
    「待った」
     マスターの言葉をヘクトールは遮った。
     背中へ刃を突きつけられているように粟立つ肌があった。 
     マスターが驚いた顔で振り向く。ヘクトールが話を遮ることなど緊急時以外になかったからだ。
    「どうしたの?急に」
     マスターはヘクトールの意図が掴めなかった。
    「今、俺達はマンドリカルドの話をしていたよな」
     ヘクトールの問いにマスターは首肯した。
    「そうだよ。マンドリカルドが魔力不足になってるから、どうしたんだろうって」
    「マンドリカルドが女だったって話だよな」
     ヘクトールの言葉に、マスターは目を瞬かせ、続けて、叫ぶ。
    「あー、そうだった!なんで忘れていたんだろう、目の前にいるのに!でも、なんとなくしか思い出せない。いつの間にか性別も変わってるし」
     ヘクトールが目尻を上げる。
     マンドリカルドはすっかり青ざめていた。
    「おいおい、雲行きが怪しくなってきたな」
    「ヘクトールは覚えているの?」
     マスターがヘクトールに尋ねる。
    「ああ、一言一句な」

    「考察をするにしても情報が少なすぎますね。カルテでは今までもマンドリカルドさんが魔力不足になった記録があります。では何故、今まで肉体の変化がなかったのでしょう?」
     ネモナースがダ・ヴィンチの疑問を更に付け足していく。
    「まあ、魔術が絡んでいるのなら方法はいくらでもあるし、現状ではなんとも」
     ダ・ヴィンチとネモナースは頭を悩ませた。
     検査着を着たマスターを見て、マンドリカルドの手に力がこもる。
     その様をヘクトールは見ていた。

     ダ・ヴィンチが肩を落とす。
    「うーん、駄目だ。まるで術式が分からない。解析する度に違う結果が出てくるんだけど」
     今しがた、マンドリカルドに掛けられている術式の解析を試みたが、結果は芳しくなかった。
    「そんなことってできるの?」
     マスターがネモナースの袖を引く。
     大型の機械の側でダ・ヴィンチが天を仰いだ。
    「マンドリカルドに掛けられた魔術によるもの?だとしたら複数の魔術が組み合わさったものか、そもそも肉体を変化させることが主ではない?」
     マスターはヘクトールへ問いを投げかける。
    「マンドリカルドはともかく、なんでヘクトールに効かなかったんだろうね」
    「さあ、オジサンも門外漢だからな、こういうのは専門家に聞いた方が早いさ」
     ダ・ヴィンチが頬を丸めて、ふてくされた。
    「もったいぶらずに教えてくれたっていいじゃないか。どうせ分かっているんだろう」
     マスターもヘクトールから視線を逸らさない。
     ヘクトールが頭を搔いた。
    「あの時、対象になってたのはオジサンとマスターだけだ。ただ、こういうのは種が割れたら掛かりにくいもんさ」
     ダ・ヴィンチが呟く。
    「対魔力のクラススキルか」
     マスターが再び頭に疑問符を浮かべた。
    「じゃあ、私に効いたのはどうして?」
    「起点になる人物に術を掛けた方がコストがかからないし、術者の手を離れても長持ちする」
     視線を巡らせ、ヘクトールは続ける。
    「隠し通したままが良かった、ってな。違うかい?」
     マンドリカルドに目が集まる。彼女は押し黙り、否定しなかった。
    「マンドリカルドに隠したい、と思わせるだけ、術は効力を増して、周りに及ぼす影響も大きくなる。マスターに魔力耐性はないから余計にな。すぐに思い出したが、対症療法に過ぎない。繰り返す度にマスターに影響が出てくるとオジサンは考えている」
     ヘクトールの言葉をマスターは繰り返す。
    「つまり、マンドリカルドが男の人の方が都合が良いって思う限り、周りはマンドリカルドが女の子だって忘れちゃうってこと?」
     ヘクトールが頷いた。
    「でも、それが私にどう悪影響なの?」
     マスターが首を傾げる。
    「慣れると脳が誤作動を起こす。すぐにどうこうなるわけじゃないが、マンドリカルドの存在だっていずれブレていくだろうさ」
     マスターがマンドリカルドを見る。
    「いずれ、俺が記憶からも消えるってことっすか」
     マンドリカルドは真剣な顔で訊ねた。
    「仮説だが、いい線は行ってると思うよ」
     ダ・ヴィンチは苦い顔をした。
    「立香ちゃんの記憶からマンドリカルドがいなくなるのは大問題だ。後遺症の可能性だってゼロじゃない。ただ、非常にデリケートなものでもある。今回、マンドリカルドは自身の事情について覚えている。なら、今までマンドリカルドが忘れてたのは別の原因があるはずだ。記憶を消すほどの辛い出来事だとか」
     ダ・ヴィンチがマンドリカルドを見る。
    「俺は、」
     一度、言葉に詰まったが、マンドリカルドはそれでもマスターを見つめてから口を開いた。
    「特異点にいた時より、ましっすけど、男でいなければ、と今でも思うっす。だけど、それでマスターの記憶を失わせるなら、今の自分が従者としてあるべき姿だと思えない。これからも俺がマスターのサーヴァントとしてあるために、力を貸してほしい」
     マンドリカルドが頭を下げた。長い髪が肩を流れていく。
    「ならば、抜本的な処置にはマンドリカルドさんの精神治療が不可欠でしょう。話を聞く限り、マンドリカルドさんの気の持ちようによって作用する魔術ですから」
     ネモナースがカルテから顔を上げて微笑んだ。
    「つまり、褒めまくって、女性でいてもいいんだって思わせたらいい?」
    「まあ、だいたい、そういうことになる、のかな?」
     マスターの言葉にダ・ヴィンチが是を唱える。
     それを聞くやいなやマスターはマンドリカルドの前に立った。
    「マンドリカルド、君がどんな姿でも私にとって頼りになる騎士に違いないよ」
     マスターは彼女の手を柔く握ったまま引き寄せる。マンドリカルドの白くなった手に少しづつ色が戻っていく。
     その言葉を聞いて、心を決めたようだった。
     マンドリカルドはマスターの手を握り返す。
    「マスター、貴女の騎士として、俺は、いや、私は自分自身に向き合おう」
     その声にもう怯えはなかった。
    「もう少し取り乱すと思ったんだけど。彼女、落ち着いているね」
    「特異点では平身低頭だったがな」
     ダ・ヴィンチとヘクトールは声を落としてやり取りを交わす。
     主人たる少女がはしゃぎながら医務室のベッドに腰を掛けた。
     二人の少女は顔を合わせて笑う。
     内緒話をするようにマスターはマンドリカルドの耳元に口を近づけてぽそぽそと喋った。
     それにマンドリカルドが頷く。それを見たマスターは大きな声で宣言した。
    「私、マンドリカルドが女の子でいてもいいんだって思えるように頑張るから!」
     マスターはヘクトールに呼びかける。
    「ヘクトールも協力してね!」
     少女のきらきらとした視線にヘクトールは白旗を上げた。

    「あの魔術についてかなり理解があるようだったけど」
     ダ・ヴィンチが医務室のパソコンに向かいながら口にした言葉にヘクトールは肩を竦めた。
     少し前に、マンドリカルドは姿を変えてマスターと共に部屋を出ている。
    「いやいや、生前からって話だっただろう。オジサンは何もしてませんよ。ただ、」
     ヘクトールは右手を懐に入れた。煙草を取り出し、がさごそと暫くの間、自身のポケットを漁る。ズボンの右ポケットからライターを探り当てると、火を灯した。
    「火気厳禁ですよ」
     すぐさまネモナースの鋭い声が飛んでくる。
    「おっと、すまん」
     煙草とライターを一緒くたに仕舞うと、ヘクトールは診察室の壁にもたれかかった。
    「機械でも解析できなかった、って事で確信した。似た魔術を見たことがある」
     ダ・ヴィンチが振り向いた。
    「それは、トロイアで?」
     ヘクトールは首を横に振る。
    「カルデアで、な」
                           つづく
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