カフェで髪触った時から思ってたけど、明智の髪って柔らかくて肌触り良いな
言いながら、蓮は何度もブラシで髪を流していく。『僕の髪を切る』という決意は彼の中ではもう変わらないようだ。
渡された手鏡越しで見る蓮の顔はすっかり美容師面である。どうせ前髪を自分で切る程度の経験しかないはずなのにどうしてそんなに自信に満ちた顔ができるのだろうかこの男は。
……言っておくけど君が目指してるであろうものはそれなりの金を払ってベテランの美容師に整えてもらってるものだからね
大丈夫。俺、器用さは超魔術レベルだから
何がどう大丈夫なんだ。それを聞いて『それなら安心ですね』なんて言えるバカは居ない。
そんな不安をよそに、ブラシから鋏に持ち替えた蓮は躊躇なく髪をザクザクと切っていく。モルガナは佐倉の家で避暑しているらしく、屋根裏部屋には僕と蓮の二人しかいない。鋏が髪を断ち切る音だけが続いた。
明智は、獅童に会いに行くのか?
カット用の鋏と梳き鋏を交互に使いながら、蓮が尋ねる。
鏡に映る蓮の視線は髪に向いている。その姿はそれこそカット中に話しかけてくるタイプの美容師のようだった。
……君はどう思う?
俺に委ねるのか?
委ねてない。意見の一つとして聞くだけだよ
ん~。なら行くべきだと思う
それはどうして?
鏡の中の蓮の顔を見た。
そして鏡に映る蓮も、視線を鏡に映る僕の顔に向けた。
祐介が言ったこと、本当にその通りなんだ。皆、腐った大人達に苛まれてきて苦しんでた。改心させた後も、過去の自分と向き合うために悩んで、時には挫けそうになってた。祐介もあれで斑目を改心させた後もスランプとか他にも色々あって、結構大変だったんだ。でも祐介も、他の皆も、自分なりに過去と折り合いをつけて前を向いて、今の皆になった
…でもそれは君が居たからだろ。君が、彼らに寄り添ったから
きっかけは俺だとしても、決めたのは皆の中にある自分の意思だ。だから、明智にとっての『それ』が獅童と会うことなら…俺は獅童の所に行くべきだと思う
鋏の音が耳のすぐ横で聞こえたと同時に、耳を覆っていた髪がバッサリと切られた。
見慣れた色の髪の束が肩を伝って落ちていく。交互に鋏を持ち換えながら、蓮が使う鋏の音は止まらない。
それに今の獅童はお前のこと自分の息子として見てる。明智が求めてた言葉だって今なら言うはずだ。だからお前はそれを聞くべきなんだ
……求めてた言葉?
俺はお前のことはお前の口から聞いたことしか分からないから野暮なこと言えないけど。アイツに言いたいことと、言ってもらいたい言葉の一つくらいはあるんだろ。それを言って、聞いて来いって話だよ
……………
そういうわけで、完成
鋏を床に置いた蓮の手が、ポンと左右の肩に乗った。
随分頭は軽くなった気はする。鏡を見てみれば、完璧に同じとは言えずともこちらの記憶にも馴染んだ髪型の明智吾郎がそこに居た。
やっと見慣れた明智になった
細かいところを言及すれば挙げる点は腐るほどある。切られた部分は雑で跳ねてるし、基本的に不揃いだ。どう考えても美容院に行けばよかったと思うし、本人がドヤ顔するのはお門違いだ。
………………
だけど、まぁ。
思ってたよりかは悪くなかった。
〇 〇
明智吾郎の、獅童への復讐心の始まりは何処だったのだろう。獅童の何が憎くて、この道に進んだのだろう。
何が憎いかと言われれば全てが憎いとは思う。だけど、蓮の言う通り、獅童に何かを求めていたのだとすれば。
だったら、それはどういう言葉だったのだろう。
入れ
アクリルガラスで隔たれた小部屋の、ガラスの向こう側の扉がゆっくりと開いた。それを置かれたパイプ椅子に座りながら眺める。
看守と共にノロノロとした動きで入って来た男に、かつての威厳は無い。高級スーツに身を包んでいた頃など夢だったのかと思うほど、みすぼらしいスエット姿。両手に手錠を繋がれたその男の、下に向いていた視線と目が合う。サングラスが無いことで露になっているその素顔は、たった半年で随分と窶れて、老けたように見えた。
…お久しぶりです、獅童さん
僕という存在を認識した男――獅童正義は、虚ろな目を見開かせた。
特に何か目的があってここに来たわけではない。喜多川や蓮の言うことに従ったつもりもない。ただただ何も考えずに、冴さんに面会の手続きをしてもらうよう頼んで、そして今に至っている。
明智…。本当に…明智、なのか…?
そうですよ。御覧の通り、明智です
震える声で歩み寄って来た獅童はアクリルガラスに貼りついて食い入るように見つめてくる。
その瞳は今にも泣きだしそうな表情で揺れていた。
…酷い怪我を負ったと聞いた。ここに居るということは傷は癒えたのだろうとは思うが、大事は無いのか…?
ええ。おかげさまで
その傷は一体誰に……いや……
誰だと思います?
尋ねてみればバツの悪そうな顔が俯いて、逸れた。
心当たりしかないのだろう。まあ当たり前か。
貴方のパレスで、貴方が認知していた僕にやられたんですよ。貴方が自身の息子と知りながら人形扱いしていた『明智吾郎』にね
……っ…
ストレートに言ってやればこの世の終わりのような顔で絶句された。かつての獅童ならこちらの身を案じることなど夢のまた夢で、皮肉を言ったところで鼻で笑われるだけだったろうに。テレビで散々見てきたはずなのに怪盗団に改心された者達はここまで人格が変わるのだな、なんて場違いなことを考えてしまう。
僕は怪盗団に負けました。そして貴方のシャドウも怪盗団に敗れて改心された。斑目や金城達と同じようにこれまでの罪を告白して、そして今ここに居る
ああ…その通りだ
……何故、廃人化の件も自分がやったと言ったんです。教唆の罪はあれ、実際に手を下したのは全て僕だ。あれは僕が背負うべきものだった
僕も、お前と同じそちら側に行くべき人間だったはずなのに。
…これ以上、私のせいで、お前の人生を潰す訳にはいかないと思った………
俯いた獅童は肩を震わせながらそう言った。
…耳を疑った。人生?人生と言ったのか?自分の私利私欲のために人の人生を踏み躙り続けたくせに、どの面下げて僕の人生を案じているんだコイツは。
平静を装う代わりに握り締めた拳は、どんどんと爪がくい込んで行く。
……僕の人生は、もうとっくのとうにぐちゃぐちゃに潰れてますよ。母が死んだ、あの日から
分かっている……っ…!だからこそだ…!!
弾かれるように顔を上げた獅童は、泣いていた。
大の大人が、それはもう大粒の涙を流している。あの獅童が。
私はこれまで、幾度となく傷つけた…!お前のことも、そして…彼女のことも…!!今まで苦しめてしまった代わりに、これからは健やかに生きてほしい…っ!その一心で私は…!!
……ッ!!
勢いよく立ち上がると、パイプ椅子が後ろに倒れた。
そんな音も構わず、机に両手を叩きつけてガラスの向こうに居る男を睨みつけた。
今更父親面するな!!もう遅いんだよ、何もかもが!!今までも、これからも!お前と言う男を恨みぬく人生しか、僕はもう歩めない!!お前が母さんを捨てたあの瞬間から、ずっと!!
だが、それでも…っ…今からでも償わせてくれ…!許してくれとは言わない…!謝らせてほしい…!!
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、獅童は地面に膝をつけたかと思えば、そのまま床に頭を擦り付けた。
…土下座だ。あの獅童正義が、土下座をしているのだ。たった一人の子供に対して。
その異様な光景に後ずさりしてしまう。立っているせいで高くなった視界が、薄汚れた個室の床で無様に土下座する男の姿をハッキリ映してしまった。
本当に…本当に…!すまなかった…!!…すまない……!私が…愚かだった…!悪かった…!!
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