指環 鷹見会長の手に、指輪が光っている。というのが最近の職員の間での専らの話題だった。
公安の休憩所で、飽きるほど飲んだ缶コーヒーを啜りながら、目良は目の前の男を見る。年端もいかないころから知っている鷹見会長……ホークスは、確かに先日突如として左手の薬指に指輪を付け、出勤してきた。あの日は流石の自分も、思わず振り返ってもう一度見た。
「目良さん、何か聞きたいことでも?」
ニヤニヤとした笑いを口元に浮かべて、彼が聞いてくる。そんな風に育てたのは誰だっただろうか。
「そうですね、あなたも解っているでしょうが、それのことですね」
彼の膝に置かれた左手を指差す。ですよね、と呟いて、彼は左手をひらりと陽に翳した。
これまでにも不躾な職員が聞いているのを何度か目撃した。だが、その度にこの若い会長は、人好きのする目を細めて微笑み、「もらったんですよね」と嬉しそうに言うだけだった。それ以上は問いかけても、この猛禽の目が制すように見つめて笑うだけなので、普通の人間には踏み込めない。
「私の記憶では、あの政治家にお見合いを持ちかけられた翌週からですね」
「わぁお、さすが目良さん、よく見てる」
楽しそうに笑う彼の表情は、子供の頃と変わらない気がした。まぁそんなに笑いに溢れた子供時代ではなかったが。
「あなたが、大切に思う人と思い合えるようになったのなら、僕もささやかながら祝わせて貰いたいものです」
口元に笑みを浮かべたまま、ホークスはシンプルな銀の指環を見た。
「……まぁこれは、虫除けっていうか……何かを誓った訳ではないんです。別に俺もそれを求めてはいないし」
そう、言いながらも彼の顔には嬉しそうな色が滲んでいる。
「相手はあの方、ですよね」
名前を出さず、だがどう考えても目良に思い当たる人物は一人しかいなかった。彼が幼い頃から憧れ、追いかけ、遂には支えられるようになった太陽。
「……知ってたんですか?」
「だってあなた、休日申請の時、大体あの方のところにいるって書いてるじゃないですか」
会長の所在が不明なのは防犯上の理由で問題があるため、要職者には休日の所在を示してもらっている。限られた人間しか見れないが、目良はそれを管理していた。
ホークスを見ると、彼はいつもの人の食えない顔を崩して、顔を赤くしていた。
「俺も目良さんには多少匂わせるようにしてた節はあるんですけど、改めて言われると、気恥ずかしいですね……」
「他の人には知られはしないです。もうこの組織も古い人間が少なくなりましたからねえ」
相手があの人であるのが、世間的にどうかは別にして。個人的には、ほぼ初恋を実らせたようなものだと知っているので、それ以上に相応しい相手はいないように思えた。
仕事上も、出自がわからない人間と付き合われるよりはずいぶん安心である。それに恐らく逢瀬をしたのであろう翌日の彼は、見るからに色ツヤがいい顔をしている。
まあしかし、公表する類のものではないのだろうことは、目良とて理解していた。
「まぁ、本当に、何か約束とか契約をしたわけではないので。何も変わらないんです、よ」
彼は未だに好んでいる極甘い缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に缶を投げ入れた。音を立てて缶が落ちる。
「でも、俺には過ぎた幸せです」
目良に向き合って、彼は金の目を緩めた。目良も見たことがないほど、本当に満ち足りた顔に見える。かつては誰にもその内面を見せようとせず、甘えることもしなかった彼は、今、それが叶っているのだろうか。
「……あなたが幸せなのを、嬉しいと思う人間がいること、忘れないで欲しいですね」
そう言うと、ホークスは目良に笑いかけ、肩を叩いた。
「いつもありがとうございます、感謝してますよ」