ひたむきなる人生の主役 大寿は、けたたましく鳴る目覚まし時計を止めようと手を伸ばす。しかし、いくら力を込めても動かない手に、違和感を覚え目を開いた。昨夜閉めたはずのカーテンが開いており、朝日が鋭く彼の目を射した。
一先ず、耳障りな目覚ましを止めようと大寿は再度試みるが、やはり腕が上がらない。未だに痛みを訴えている目を向けると、両手に手錠がかけられていた。
手錠は大寿が力を込めれば砕け散りそうなほど稚拙な作りをしている。動かすたびに軽快な音を立てるそれは、ジョークグッズの棚に並んでいそうだ。
こんなふざけた真似をする人物を、大寿は一人しか知らない。
勢い良く扉が開き、破裂音と共に紙吹雪が舞う。色が舞う景色の向こうで、大寿が思い浮かべていた人物が、自慢げな顔をして立っていた。
「サプラーイズッ」
頭に水玉の三角帽子を被り、ケーキを象った眼鏡を掛けた大層愉快な姿をしている武道に、大寿は静かに溜息を吐く。笑顔を浮かべ自分の手を引く武道に従い、体を起こしてベッドの縁に腰を掛けた。
「誕生日おめでとう、大寿くん!」
「あぁ……。祝われる姿じゃねぇんだが、花垣家では祝うとき手錠をかけたりすんのか?」
「まさか!そんな訳ないじゃん。大寿くんだけ特別っスよ?」
大寿の横に座りながら意図せず上目遣いで言ってくる武道に、大寿はグッと眉間に皴を寄せ湧き上がる衝動を抑える。計算で行っているのならまだしも、天然物なのが恐ろしい所だ。
「怒ってる?でも、最近の大寿くん休みの日でもなんだかんだ言って仕事してる日が多いし、折角の誕生日くらいゆっくり過ごしてもらいたいなって……」
大寿が怒っていると勘違いしたのか、武道はしょんぼりと自分の手指を弄る。大寿は平静を保とうと天を仰ぎ、深呼吸をした後武道の頭を撫でた。同居当初の石鹸で洗われ鳥の巣になっていた髪が、今では大寿の指を滑らかに通っていく。
「怒ってねぇ。最近忙しかったのは仕事詰めてただけだ。今日を完全にオフにするためにな」
大寿の手を甘受していた武道は、その言葉に勢いよく顔を上げる。先ほどまでの落ち込みようが嘘のように、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「だから、これ外せ」
「嫌です!」
手錠を外すよう促す大寿に対して、武道は満面の笑みで拒否する。一考もする様子がないことにイラっとした大寿は、武道の頬を引っ張った。二十代後半とは思えない肌の張りに、一つ年を取ったばかりの大寿は更にイラっとした。
同じ物を食って、同じ洗顔を使ってんのにどうしてこうも違うんだと頬をこねくり回す。武道が、潰れた口から文句を言っているようだが知らんぷりを決め込んだ。
頬は、武道の皮膚が限界を訴え出したころやっと解放された。赤く染まったひりつく頬を両手で守ると、大寿を睨み付ける。
「ひどい!暴力反対」
「人を拘束するのは酷くないと?」
「う……っ。大寿くんの揚げ足取り!」
動じる様子もない大寿にせめて一矢報いようと、武道は大寿の恵まれた体躯を力一杯押す。跳ね返されて終わりだろうと思っていたが、予想に反して大寿の体はされるがままに倒れていった。
ベッドのスプリングで跳ねる大寿の上に、武道は向かい合わせで乗り上げる。武道の鳩が豆鉄砲を食ったような表情に、大寿はたまらずにクッと笑い声を上げた。
しばらく呆然と揺られていた武道は、腹部にあたる硬質な感触に気付いて体を持ち上げて覗き見る。こんな朝から⁉と心臓を高鳴らせながら問題のモノを確認すると、当たっていたのは手錠だった。男性一人分の体重を掛けられ、大寿の腹部に痛々しく食い込んでいる。
慌てて大寿の上から退こうとした武道は、大寿の腕の中に捕らわれ元の位置に戻る。背中に回った両腕から逃れるすべはなく、息を一つ溢すと、武道は諦めたように大寿の胸に顔を預けた。
「も~大寿くん、今日は殊更イジワル~」
「今日は俺の誕生日だからな。何しても許してくれるだろう?」
「くそ~許す~」
カラカラと笑う大寿に、武道は勝てね~と頭をこすりつける。感じる弾力のある筋肉に、自分の体脂肪のほうが多いだろう体を思い浮かべ、少し切なくなった。
大寿の豊満な肉体を堪能していた武道の頭に、突然有名アニメ映画のとある場面が通り過ぎる。顔を上げ大寿の瞳を見つめると、心持ち普段より高い声を出した。
「あなたはだぁれ?」
「唐突になんだ」
「いいから!ほら、言ってください」
急かす武道に、大寿は渋々口を開いた。
「……大寿」
「大寿!あなた大寿って言うのね!」
「だから、なんだそれは」
「トト〇ごっこ。大寿くん知らないの?」
「トト〇……名前は聞いたことあるな」
「え⁉本当に⁉小さいころ何見て過ごしたんスか」
「ディ〇ニー。柚葉がプリンセスに憧れててな」
「ディ〇ニー派かぁ」
厳つい男の口から飛び出す、ディ〇ニーやらプリンセスやらメルヘンな単語に武道は愉快な気持ちになったが、笑いをかみ殺す。しかし、ジ〇リ派の自分としては看過できない事態だ。
「トト〇見てないのは人生の半分くらい損してますよ」
「そんなにではないだろう」
「いいえ!今度柚葉ちゃんと八戒呼んでジ〇リ映画観賞会やるっスよ」
俺のお薦め全部見るまで寝かせませんからね!ポップコーンとコーラ用意して、朝ごはんはジ〇リ飯で……と武道は鑑賞会の計画を立てる。四人で笑いながら映画を見て、寝不足で朝を迎えて。大寿は、きっと楽しくなるだろうことに確信を持つ。家族団欒なんて、前までは考えられなかったことだ。
湧き上がる気持ちのままに、大寿は腕に力を込め武道ごと体を横に倒した。不意を突かれ悲鳴を上げる武道を、包み込むように抱き締める。
「……どうしたんスか、大寿」
様子のおかしい大寿に、武道は覗き込むように彼の顔を伺う。
大寿は今にも泣きだしそうに、顔を歪めていた。武道は思わず、大寿を抱きしめる。
「武道」
「はい、大寿くん」
「……幸せだなぁ」
「幸せですね」
愛しくて、嬉しくて、温かで。
孤独のまま過ごす人生を、変えてくれたのは君だから。
「これから先も幸せを二人で作っていきましょうね」