他人の匂い(前/後編)「若の命です。ご自宅までお送り致します」
「え…」
ホテルから出ると、青年の元へ"高橋"と呼ばれたヤクザが近寄って来た。
戸惑いながらも頷いた青年は、地下駐車場の扉を開いてギョッとする。コンクリートに囲まれた地下へ集まる、黒塗りの車と人の数の多さ…しかも、皆スーツを着ている上に厳つい顔ぶれ。見るからに堅気ではないのは、さすがの青年でも理解した。
「ホンマにヤクザなんや…」
「申し訳ありません。ご迷惑にならぬよう送らせて頂きます」
「え…あ、いや…っ」
ただ、高橋と言う男も大和のように穏やかで優しい面持ち。街で会ったら、ヤクザだなんて思う人は少ないだろうと思った。
「あの…"組"て…」
「それは、知らない方が宜しいかと」
「す、すみません」
勇気を出して聞いてみた事は、やんわりと線を引かれた。
でも、強面な男達の統制の取れた動き、誰もが仕立ての良いスーツを纏う姿はとてもじゃないが安っぽくは見えなかった。
結構大きな組なのか…?
「俺、なんて事を…」
今になって、自分のやった行為に肝を冷やす。間違えた相手が、あの"若"で良かった。
「若やなかったら、危なかったですね。あの方はお優しいですから」
「はい…本当に優しかったです」
また会いたいなんて思ったら、バチが当たるな…。
いい香りのした格好良いヤクザ…青年は少し名残惜しそうに大和を目で追った。
泣きじゃくる自分の話を、戸惑いながらも聞いてくれていた大和。正直、本気でときめいたのは嘘じゃない。一目惚れ、こんな人が彼氏だったら幸せだろうなと勝手に想像してた。
「ありがとう、若頭」
多くの組員に囲まれ歩く大和へ小さく会釈をし、青年は高橋の車に消えてった。
が、事はこれで終わりでは無い。
自宅に戻った大和を待ち受けたのは、ヤクザより恐いもう一人の親父。
「帰ったんか、大和」
「…!?…京之介っ」
自分をウリと勘違いしていた青年から別れた数十分後、大和はリビングに座る京之介の姿に声を上げる。
「なんや、俺がおったらあかんのか」
「い、いえ…」
笑顔の一つもなくこちらを見る、京之介。
やべぇ、明らかに怒ってる…。
竜童会組長の自宅へ家主がいなくとも自由に出入り出来る唯一の存在、有無も言わさず組員達が竜也以上に扱いに気を遣う京之介は、大和でも時に身を縮める。
ヘタしたら、竜也より恐い。
「ごめん、京之介…あの…すみませんでした!!」
大和は叱られる覚悟で先手を打った。
京之介の前に立つと、深々頭を下げ許しを乞う。いつも大和の矢面に立つ高橋は、青年の見送りでいない。
詰んでるのだ。
「あ?」
だが、京之介がその程度で惑わされる訳もなく。
ヒッ…親父と同じ反応…。
大和の渾身の謝罪も微動だにしない。しかも数秒続く沈黙…思わず大和はその場に正座して、腹を決めた。もう、今日は終わった…。
「お前、若頭になって何年や。いまだに親父に手ぇ焼かすて、どアホか」
「はい」
「下らねぇ事で組動かして、血眼になってお前を捜した組員らにしっかり頭下げたんやろの」
「……はぃ」
いや、まだ出来てない…などと言えば輪をかけてヤバいので、とてもじゃないが言えなかった。
結局のところ、大和もあの青年に巻き込みを食らってしまったのもあるが、泣き崩れる姿に強く出られないままズルズル相手をした事は弁解の余地もない。
そして、京之介の言葉は大和を一層と追い込む。
「大和、言い訳なんざ聞かへん。お前はヤクザや…何時どうなるかわからん我が身を、もっと気ィ張って守らんかい。てめぇの身すら守られへんような野郎が上じゃ、組員もなんぼ命あっても足りひんで。お前は、自らの失態のせいで組員殺すんか」
ぐうの音も出ない。
竜也に叱られる前に、大和は京之介からガッツリと説教を食らう。
27歳にもなって、正座で叱られる若頭。他の組からすれば滑稽な姿かもしれない。でもそれが、大和を生かす為に妥協しない竜也や京之介の育て方だった。
「すみません」
わかってる。
そう言う京之介も、バカ息子を捜す事に沢山尽力してくれたことを。
この後、錦戸が竜也が酒を用意したと声をかけに来て、京之介のお説教は一先ず終わりを迎えた。そう、京之介の方は。
「はぁぁ…てか、親父口きいてくれへんのよな…」
そうだ、解決してない親父がまだいる。
ホテルからずっと、話しかけても無視され続けている竜也の存在。
「どないしよ…こんなん初めてや」
京之介の去ったリビングで正座のまま床へ頭を埋める、若頭。
辛い…竜也に無視されるのが、一番辛い。
「どんなに叱られても、親父と喋りたぃ」
大和の受難は続く。
ーーーーーーーーーー後編ーーーーーーーーーー
「安道さん…っ」
家の外で高橋が京之介を呼ぶ声がした。
京之介に叱られてからずっと二階にある居間で夜風に当たっていた大和は、広いバルコニーから声のする方へ顔を出す。
「高橋、帰って来たんや…あいつ、えらい遠い家やったんやな」
自分の命令で高橋があの青年を送りに行き、2時間近くは経っていただろうか…。青年に捕まった時も随分心配をかけたのに、嫌な顔一つせず車を出した高橋。
丁度この部屋から見える裏駐車場でその姿を目にした大和は、どんな状況でも自分の為に動いてくれる右腕に頭が下がる思いでいた。
「安道さん、申し訳ありませんでした」
しかも、高橋はたまたま帰ろうとした京之介を見つけ、自ら詫びを伝えに向かってる。
京之介の事だ、高橋とて甘い言葉はかけはしない。何を言われているかまではわからなかったが、高橋がしばらく真摯に受け止めているのだけは見て取れた。
「高橋…」
多分、この後父親へも謝罪に行く。若頭がヘマをすると、周りがどれだけ火消しに回るか…本当なら自分が若頭になってもおかしくない実力でありながら、高橋は大和の失態のせいで何度も謝罪をせざる得なくなる。
「…ごめん、高橋」
冷たいバルコニーへしゃがみ込み、大和は深いため息と共に頭を掻きむしった。
突き放せなかった。
自分がもし大好きな父親にフラれたと思ったら、きっとあの青年以上に立ち直れない…そう考えたら、泣いてる姿を突っぱねて出て行くなんて出来なかった…。
「わかってます」
「え…」
しばらくして大和の元を訪れた高橋は、笑顔でそう言った。
「今回の事は確かに足りひん部分も多いですが、私は傷ついたあの子に強く出られへんかった若の優しい部分を責める気にはなれません。これから気ィつけましょう」
「高橋…」
京之介と竜也から厳しい言葉を言われたろうに、全くそれを感じさせないいつもの高橋がそこにいた。
「俺を怒らんのか」
「安道さんに叱られ、これから親父にもしっかり叱られる若にまだ要りますか?私より、そちらのお二人の方が効果はありますゆえ」
「う…」
確かに。
自分を育てて来てくれた二人の説教ほど、恐くこたえるものはない。
「ただ」
「た、ただ?」
「親父へ一番に行かへんかったんは、あきませんね。親父は実の親です…我々以上にその心労は計り知れへんかと。毎日、若のご無事を何より願っとんは、親父です…組長としても、親としても真っ先に謝らなあかんのは、あの方にですよ」
「……っ」
高橋の強い眼差しが、逃げるなと言ってるよう。
話しかけても口もきいてくれない父親に、半ば諦め気味だった大和。
それでも、行くべきだった。
何故行けずにいたのか…一番見られたくない人に、他の男と誤解される姿を見られてしまったからだ。
あの時の父親の目、とても辛かった。
「ごめ…俺…」
「はい」
はい。高橋のそれが、大和の背中を押してくれた。
竜也の部屋は、屋敷の一番奥にある。
離れに近い部屋。その部屋専用の庭に囲まれ、他の者が容易く近づけないようになっている。警備システムは、京之介が全て用意した。
寝る時くらいはゆっくり出来るよう、名が大きくなる度に敵も増えていく竜也を想っての事だ。
コンコン…
「親父?あの…俺やけど、入ってええ?」
「……」
シ…ン。
返事はない。でも、きっと起きてる。
家にいる時は、必ず夜この部屋に来ているから待ってくれてる…大和は、そこだけは自信があった。
自分は、父親に愛されてる。
ガチャ…
「すみません、入ります」
深々と一礼し、大和は部屋のドアを開けた。
顔を上げると、竜也はタバコを咥え何やら書類を見ていた。
「親父…申し訳ありませんでした。皆に迷惑をかけて、俺…」
「お前、どないな思いで若頭なったんや」
「はい…」
「下らねぇ真似さすな」
決して荒らげることもなく、こちらを見ることもなく発せられた低い声。口数は少ないが、何とも言えない張りつめた空気が大和の全身を包み込む。
重い…これが、とにかく刺さる。
「お、親父…」
大和はチラチラと竜也の様子を伺いながら、とりあえず解きたい誤解を口にしてみた。
「あの…さっきの子とは、何も…」
わかっていると思うが、自分からも伝えたい。
変な気持ちは、一ミリもなかったと。
「匂い」
「へ…」
「俺以外の匂いつけて来(く)な。吐き気がする」
「親…」
ヤキモチ?
そう思った瞬間、大和の身体はベッドへ突き倒されてしまう。
「ぅわ…っ」
「服脱げ。着てたモン、全部捨てろ」
「あ…は……ぃ」
自分を見下ろす竜也にゾクゾクと身震いがした。大好きな綺麗な顔立ちと、一度見たら離せない美しい瞳。
ああ…ヤバい、もう下半身が疼いてく…。
大和は言われるがままに着ているスーツを脱ぎ、全裸になってベッドに座った。
変態やな…自分でも思ったが、既に興奮したアソコは見事におっ勃ってる。
「お前は俺に触れんな」
「えっ…!!!」
しまった…思わず口を塞ぎ、大和は竜也を見上げる。
無理、辛い。お父ちゃんに触りたい…。
でも、相変わらず竜也は少しも表情を緩めてはくれない…相当怒ってる。
それから竜也の足が、大和の股間を滑りグリグリと押してきて、そのおっ勃ってるソレへと触れてきた。
「ぁ…待っ…あぁ」
「は?何て」
たまらず声を上げベッドへ転がる大和と、ピクリとも動じない竜也。
これが親子だと思うと、世も末だ。
だが、二人だけの世界ではソレが成立している。
「ふぁ…無理…そこ、嫌…ゃ」
「ガキに抱きつかれて、ここも興奮したんちゃうんか」
「して…へんしっ…親父だけ…やし…ハァ…ぁ」
竜也の足先で股間を弄られる大和は、涙を浮かべながら先っぽから蜜を垂らし始める。
「親父ィ…触りたぃ…」
無意識に浮き上がる腰。
竜也に突かれた事を浮かべ、大和はその姿へすがりたい衝動にかられる。
気持ちいい。自分の弱さも敏感な部分も知り尽くした竜也との夜は、たまらなく気持ちいい。
「抱いてや……俺、何でもするさかい…」
「聞こえへんな」
それでも竜也は許してはくれない。
しかも、ベッドへ手を突いたかと思うと、今度は大和の身体へ唇を滑らせてくる。
「ひゃ…ぁ…親……っ」
「ああ…他人の匂いは虫唾が走る」
筋肉の筋から硬くなった乳首…流れるようなキスが、大和の全身を襲ってゆく。
でもそれはもっと欲しいと感じる時にはピタリと止め、快楽へ陥る寸前でいやらしい程ストップがかかる。
「ズルぃ…意地悪ゃ…いっぱい謝るから許して…」
気づいた時には、大和はポロポロ涙を流し竜也へ懇願していた。
「抱かへん。今日はこれで終いや」
「親父…っ」
キスもしてもらえない。
引き締まった大和の肉体が、竜也欲しさに震えてる。
「出て行け」
酷な事を言う。
大和は涙を拭きながら、自分を突き放す竜也へ抱きついた。
「嫌や!出て行かへん…俺はあんたから離れへん。親父は俺が好きなんやっ!」
「大和…」
愛されていると言うのは強みである。
突き放されても離れない息子。
「親父、大好き」
「どアホ」
いい根性してる。