・歴史は幻想で物語、刀は歴史を人の想いを乗せ流れる船。ミュ原作含めた根底にあるテーマだろうけどそこに人々が投影してきた死体の無い信長像のあやふやさを信長に笑わせる。この舞台の物語でさえひとつの幻想。
ステの感情を揺さぶる盛り上げ方は本当にエンターテイメント。
・歴史を辿る旅が未来へ進み現代で本体が展示されている場面。わしはここで涙腺崩壊してしまった。
まんばちゃんは「ただそこにある」と言ったけれど、私たちにとってはそれだけじゃない「物語」があるのだ。
とうらぶブームから注目されて個人所有だったこの刀が地域活性の切り札としての「価値」を持ち、刀文化、歴史を繋ぐためにしかるべき場所へ託すべきだと言う論争が起きる。結果現在クラウドファンディングが行われている。
・刀とその主。わしらがうちの本丸と擬人化された刀剣男士を呼ぶように、かの方と刀の間にはその人にとって比較になら無い価値が、愛があるはずなのだ。
それを私たちの熱狂が巻き起こした事象に巻き込んでしまったのではないだろうか?
この議論が起こり、渦中にいる持ち主のコメントを読んだ時、罪悪感に戦いた。
私たちだって「私の刀」と男士達をとても大事に胸の中にしまいこんでいる
そんなおもちゃと日本の代表的な文化財である刀と比べるなと思われるかもしれない
けれど愛として変わることはない。
だからこそ、かの方の気持ちに想いを馳せるのだ。
この現象も山姥切国広が持つ「物語」となった。
乗せていってくれるのだこの刀が私たちの物語も。
その事に涙が止まらなかった。。。
・物語に登場する沢山の信長「像」
様々な創作娯楽小説やアニメ、女体化して美少女になったりやたらイケメンになったり
そうしたもの含めて信長は肯定した。原作でご隠居がそれも人々からの愛と言ったのと同じ。
そして、刀剣乱舞のキャラクター達を愛するわしらも含め、うちの本丸にいる刀もひとつの「山姥切国広」としてあってよいと、認めてくれているのかもしれない。
・ひょっとしたら一過性ブームで場を荒らしてしまうかもしれない危険もあるのに、それを好機と日本文化への橋渡しとなるべく受け入れ盛り上げてくださり許してくれた方々がいたと。
・三日月への一方的な焦りから想いを馳せる事によって自らの三日月への信頼を手にいれたことで完成した物語。
人の理解など所詮は曖昧で独善的なものだ。そこから始まった透明な視野。
強くなるということはどういう事か。その一つの答え。
・荒牧氏の怪演もひたすら円環する舞台装置も、なんだかんだ見ている間ずっと笑ってたなとか、とにかく面白かった。。。。