書きかけのいりちー「え、海? なんで」
「は? だってお前、今朝テレビに映ってた海のことやたら見てただろ。一瞬だったけど。すげえ行きたそうな顔してたぞ」
「……ちょっと待って、僕が行きたそうな顔してたから海に連れていこうとしてたの? 僕ドライブってそんな遠出だと思ってなかったんだけど。ここから海って、何時間かかるのさ」
「あー、二時間くらい……? 行ったことねえからわかんねえけど」
「いや遠いよ! それだけ遠出のドライブならせめて目的地を伝えなよ、僕ついに捨てられるのかと思ったんだけど!?」
「いやお前のこと捨てたりしねえだろ。犬じゃあるまいし。ていうかそんなこと犬でもやらねえよ」
「そういうことを言ってるんじゃなくて……! ……ああもう、いいよ。海はいい」
「は? ここまで来たのにかよ」
いいと言われても、こちらは海に行く気満々だったのだが。折角だし行こうぜと声をかけようとして、助手席に座るその顔がやけに真剣なのを見て口をつぐむ。
「……行きたくて見てたんじゃ、ないから。別に。ここまで連れてきてもらったのに申し訳ないけど、今日は帰ろうよ」
嘘だな、と思う。あれは絶対に、そこに行きたくて堪らない人間のまなざしだった。なんせ何かに焦がれることに関して阿城木はプロ並みなので、そんな視線は見ればわかる。
「……分かった。なら今日は帰るか」
それを分かっていてなおUターンをしたのは、七生の瞳があきらかに拒絶をしていたからだった。小さい体の周囲にバリケードを張っているような、踏み込まれることをよしとしない瞳だ。何か海に近付きたくない理由があるのだろうな、と思わせるには十分な真剣さだった。
海に近寄りたくないくせに、祈るような瞳で海を見る。矛盾した行為のなか、七生千慧という人間の謎だけがただただ深まっていく。
「何も言えなくてごめん」
黙って来た道を戻っていると、助手席の七生が小さく呟いた。所在無げにシートベルトの凸凹を撫でながら、視線は彷徨いながらもしっかり阿城木のほうに向けられている。
「海が、嫌いなわけじゃないんだ。でも、今は行けない。なんで行けないのかも話せない。……ごめん」
阿城木はどう答えるか迷って、黙ってアクセルを踏み続けた。車窓の外に見える景色が見覚えのあるものになってきて、帰ってきたのだとわかった。
車は来た道をただ戻り、海はどんどん遠ざかる。
やがて、赤信号で車が停止した。阿城木は片手をハンドルから離すと、助手席にいる七生の方に手を伸ばす。まだ俯いているせいでそれに気付いていない七生の髪を不意打ちとばかりにぐしゃぐしゃ撫で回してやった。
「わ、えっちょっと何」
いきなり触られて驚いている声が聞こえるが、とりあえず無視をしておく。水色の髪はさらさらで手触りがよかったけれど、手のひらの下の頭の小ささに驚く。こいつ頭まで小さいのかよ、チビの上に小顔だしなと思いつつ、撫でる手は止めない。
「ねえちょっと阿城木、髪ぐちゃぐちゃになるんだけど! ねえ!」
ぴよぴよと文句を言い続ける七生の髪をそのまま信号が変わるまで撫で回したのち、鳥の巣みたいになってしまった小さな頭に向けて言う。
「気にしてねえよ。いつか話してくれればそれでいい」