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    czysciec_ziemia

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    czysciec_ziemia

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    新作②︰オバヨ・カプなし全年齢・原作軸。
    オクジーが読むこと前提で手紙をやり取りするバデーニとヨレンタの話。

    かすかな星の証明大抵の文献は、一度目を通せば記憶できる。天から与えられたその才を疑いなく自負し、それでも二度確認したうえでバデーニは結論付けた。
    納屋にあるほぼすべての観測記録において、直近2年分がない。
    オクジーが資料を運びそびれた可能性もあるが、おそらくあの地下室にまだ保管されていなかったのだろう。
    ピャスト伯から受け継いだ膨大な過去の記録があるのだ、今ここに在る資料で周期の計算は可能ではある。しかし正確性を高めるためにも、確認し得る全ての記録に目を通したい。
    ふむと一考し、机に向かったバデーニはペンを手に取った。



    ◆ 1

    「バデーニさんから、こちらの手紙をヨレンタさんにお渡しするようにと言われまして」
    「え、バデーニさんから?」

    目を丸くしたヨレンタはしかし、オクジーから受け取った手紙を読み進めるうちに研究者の思考に切り替わった。口に手をあててしばし思案し、顔を上げたヨレンタはオクジーを見上げて言った。

    「今日の予定を変えてもいいですか?」
    「あ、はい。それは勿論」
    「バデーニさんがお求めの資料をすぐに準備したくて」
    「資料、ですか」
    「直近2年分の観測記録が見当たらないようで、その情報を確認したいとのことなので」

    そうなんですねとただ頷いたオクジーだったが、すぐにハッとして焦り始めた。

    「俺が運び忘れたってことですよね」
    「え!いえいえ、違いますよ」
    「ち、違いますかね?」
    「新しい記録なので、きっとまだ地下室に陳列されていなかっただけだと思います」
    「な、なるほど」
    「バデーニさんもそう推測しているので、オクジーさんのせいだとは思っていないかと」
    「よかった···あ、手紙にそう書いてあったんですか?」
    「えぇ。読めない部分がありましたか?」
    「いえ、見てはいけないかなと思って開きませんでした」
    「あっ、そうですよね!」

    短い付き合いであっても、オクジーがそういった誠実さを持っている人だとわかっているのに、つい失礼なことを言ってしまった。ここで落ち込んだら困らせるだけだと耐えて、ヨレンタはオクジーに提案した。

    「バデーニさんのお手紙、よかったら読んでみますか?」
    「え、いいんですか?」
    「今のオクジーさんなら、かなり理解できるんじゃないかと思います」

    興味はあるのだろう、ヨレンタの手にある手紙を見るオクジーの眼差しに好奇心が滲んでいる。
    同時に及び腰の雰囲気も醸し出てるのは、バデーニの手紙を見てしまっていいのだろうかと躊躇っているからだろう。
    その懸念はきっと杞憂だと、手紙の文面を読んだヨレンタは思う。
    一読しただけでわかった、バデーニにしてはかなり平易な文法で書かれている。その理由を推論したとき、辿り着く可能性はひとつだけだ。
    きっと、オクジーが読む事を想定していた。指摘したら即座に否定しそうなところまで脳裏に浮かんで、ヨレンタはふふと笑う。
    素知らぬ顔をしている想像の中のバデーニも、目の前でどうしようかと百面相をしているオクジーも。ずっと年上の大人の男性にこんなことを思うなんて失礼だとわかっているが、ちょっとかわいい。



    オクジーを図書館の一室に案内し、ここで待っていてほしいと、バデーニの手紙と辞書を渡した。オクジーがどの程度辞書を引けるようになっているか。それも学習の進捗指標となる。
    ピャスト伯は有用であればどんな者でも仕事を与える。それ故に彼が管理する施設には様々な身分の者が出入りしており、この場にオクジーがいても問題になったことがない。
    それでもヨレンタが関わっているとなれば何かしら言われそうなものではあるが、時折胡乱げな視線を向けられるだけだ。
    おそらく、ピャスト伯の特別な口利きがある。礼を伝えたいが、言葉にすべきではないとヨレンタにもわかる。敬意と感謝を胸の内で捧げ、偉大な研究者のためにも真理を追求する一役を担いたい。
    よしと気合を入れながら、ヨレンタは一度研究所に戻る。この時間ならコルベが部屋にいるはずだ、正規に依頼して観測記録を貸してもらおう。

    背中に腕に、普段はあたりが強い先輩から手助けが必要かと声をかけられるぐらいの量の本を持ってきたヨレンタに、わっと驚いたオクジーが立ち上がり慌てて駆け寄ってくれた。

    「だ、大丈夫ですか?!」
    「まだ余裕ですよ、っと」

    視界が塞がっていた量の本を机の上に置いて、背負っていた大きな箱をおろし、ヨレンタはふうと額の汗をぬぐう。ヨレンタさんすごいと尊敬のまなざしをくれるオクジーにえへへと照れて、でもこの大きな男の人はきっとヨレンタの3倍ぐらいの量を運べるんだろうなと思ったら、ちょっと羨ましい。
    すぐにでもバデーニの依頼に取り掛かりたかったが、同じぐらいオクジーの読解具合が気にかかる。わくわくしながらどうでしたかと尋ねれば、オクジーがおずおずとバデーニの手紙を指さした。

    「この単語と、ここの言い回しがわからなくて」
    「2カ所だけですか?」
    「はい。バデーニさんの字も、辞書もわかりやすかったので」
    「それだけじゃないです、オクジーさんの理解力と吸収力がすごいんです!」

    興奮のあまり、座ったばかりの椅子から立ち上がって力説するヨレンタに、オクジーは焦ったような反応を見せつつ、少しだけ照れくさそうな気配もあった。それにぐっと胸が熱くなる。
    実際、オクジーの物覚えの良さには目を見張るものがあるのだ。その驚きと称賛を惜しみなく伝えているが、最初の頃はいまいち伝わっていないようでもどかしかった。
    否定ばかりされる環境にあると、自分を信じる気持ちが揺らぎ萎む。研究所に所属してから常に味わっているその感覚が、ヨレンタにもよくわかった。
    けれど時を経るにつれて少しずつ、ヨレンタの言葉が伝わり始めたように思う。書ける文字が、読める単語が増えた。実績を伴う実感は何よりの証明であり、オクジー自身も認めることが出来始めているのだろう。
    その過程をつぶさに見ることができるなんて、その一助を担えているなんて、とても光栄で幸運なことだとヨレンタは思っている。

    本を書いてみたいと、照れくさそうに言ったオクジーをよく覚えている。
    会話をしているうちに伝わるその感性が文字で表現されるなんて、きっと素晴らしい文章になるだろう。その日が待ち遠しく、だから今日も続きを教えたかったのだが、今はバデーニからの課題に挑戦しなければならない。
    残念に思いながら、これだけはとオクジーに解読できなかった2カ所を説明した。
    先日教えた文法の応用だと気付いてからの理解力がやはりすごい。自分の力で応用することは不得手としているようだが、こつこつと積み重ねているが故に一度気づけばそれが身につく。今日も間近で見せてもらえたと、ヨレンタにも充足感を与えてくれた。

    手紙の説明を終え、ヨレンタはオクジーに一冊の本を手渡した。研究所ではなく図書館の本であり、だれでも閲覧可能なので違反はしていない。
    文体は平素、しかし単語は専門的。辞書を使いながら読んでみてくださいと、それが本日の授業となった。

    黙々と取り掛かるオクジーを見て、ヨレンタもよしと気合を入れる。
    少しでも地動説完成の手助けになるのであれば、バデーニのためにもピャスト伯のためにも、そして自分のためにも全力で応えたい。
    バデーニが求めている情報はわかる。それを効率よくまとめる手順を脳内で目まぐるしく構築しながら、ヨレンタはペンを手に取った。



    下書きから清書し、なるべく圧縮したつもりだが、十枚を超える量になってしまった。
    ヨレンタからの回答を持ち帰るとしても、手紙程度と考えていたであろうオクジーに預けるのが申し訳ないなと思いながらおずおずと手渡せば、オクジーは迷惑な顔をするどころか何故か嬉しそうに見える。

    「オクジーさん?」
    「いえ、書きたてのインクと紙の匂いがするなって」
    「あ、わかります!なんだか気分が上がりますよね」
    「ヨレンタさんもそう思うんですね」

    えへへと笑いあった。オクジーとヨレンタには共通点があまりにも無さ過ぎるけれど、こうして通じ合える部分があることが嬉しい。
    論文の他に、ヨレンタの言葉として手紙も一枚添えた。それも含めてオクジーに渡しており、よかったらと提案する。

    「今お渡ししたものはすべて、お読みいただいて結構ですよ」
    「え、いいんですか?」
    「もちろん。論文の通読はまだ難しいかもしれませんが、手紙の方であれば全文を読める筈です。もしわからない部分があったら、バデーニさんに伺ってくださいね」
    「え···こ、答えてくれますかね」
    「はい、きっと」

    そうかなぁ···と自信なさげなオクジーは、そういえばと手元の書類を確認しだした。

    「あ、バデーニさんの手紙もありますね。よかった、回収してくるようにと言われていたので」
    「はい。お手紙にも書いてありましたので、残念ですがお返しします」

    この手紙は返却するように。事務的に書かれたその一文はきっと、有事の際にヨレンタを無関係の者にするための措置だろう。
    同志からの手紙だ、手元に置いておきたい気持ちも強かったが、これはバデーニの気遣いだ。だからおとなしく従うことにする。
    それにきっと、やり取りはこの一度だけで終わらない。オクジーを見上げ、そしてその横に並ぶバデーニを思い浮かべながら、そんな予感がした。
    わくわくと心が躍る。研究者としてのヨレンタを救ってくれた人たちとの縁が続いていること、それがただ嬉しかった。



    ◆ 2

    ヨレンタさんの論説は、相変わらずわかりやすい。バデーニは何度目かの感心をする。
    情報の選択が上手く、またそれを他者に伝えようとする意志を感じる。観測記録の羅列だけであっても十分事足りるが、手を加えた相手が信用に足る研究者となれば、ありがたく使わせてもらおうという気にもなる。

    依頼した事項の解答が読み終わった。しかしそのあとにも文章が続いている。
    今回もあったなと、僅かであれ昂った気持ちを鎮めるため、バデーニは一度目を閉じた。そしてルーペを使いながら、じっくりと目を通す。
    今回も随分と過激なものだと、つい口角が上がってしまった。異教徒に端を発した軌道の計算修正など、修道院にいた頃のバデーニであってもそう易々と手に入る情報ではない。

    天文台という研究施設に勤めていたとしても、ヨレンタの置かれた立場は察しがつく。つまりこの情報は、何かしらの無茶をして仕入れている。
    それがわかるから、身を案じる気持ちは多少なりともある。しかし知識への欲は止められるものではない。身に覚えがありすぎるのだ、故に咎める気は一切なく、最新の情報を提供してくれることにただ感謝している。
    意見を聞きたい、今回もそう結ばれていた。それに応えることが彼女への礼代わりになる筈だ。

    もらった情報の反映と興味深い問いかけへの解答、そのどちらもすぐにでも取り掛かりたいところだが。
    まぁこちらを先に見てやるかと斜め後ろを振り返る。「おい」と声をかけると、でかい背中がびくっと跳ねた。

    「は、はい、なんでしょう」
    「君、うるさいぞ」
    「えっ、声出ちゃってました?す、すいません」
    「気配がうるさいと言っている」

    大いに首をひねり、懸命に頭を働かせていたのだろう。後ろにいたとしてもそれが伝わってきた。
    騒音をたてていたわけではないと理解したようだが、どちらにしても恐縮して納屋を出ていこうとするオクジーをとどめる。
    バデーニも立ち上がり、オクジーが両手で持っているヨレンタの手紙を覗き込んだ。

    「で、どこがわからない」
    「ええと、ちょっと多くて···すいません」
    「謝罪はいい。具体的な数は」
    「ご、5カ所ほど」
    「ほう、少ないな」
    「え···?」

    率直な感想だったが、オクジーは何を言っているのかわからないという顔をしている。
    難易度を把握できる段階ではないということだろう。それでもここまで読解できること、おそらくヨレンタはわかった上で記述している。

    「今回のヨレンタさんの手紙には、平易とは言い難い文法と単語が多々含まれていた」
    「そ、そうなんですね」
    「半分程度読めれば上々だと思ったが···認識を改めよう」

    バデーニの手紙をきっかけに始まったこのやり取りの中で、ヨレンタが徐々に難易度を上げていることには気づいていた。そしてそれをバデーニに促していることも。
    そう労力がかかることでもないしと付き合ってやっていたが、今回の内容は前回と比べて随分と飛躍したものだと思っていた。しかしどうやらのバデーニの杞憂であったらしい。オクジーはヨレンタの期待に及第点以上で応えている。

    バデーニとしても感心したのは事実なので端的に言えば褒めたのだ、素直に喜べばいいと思う。しかしオクジーからは伝わっていない雰囲気が醸し出されている。
    平素であればオクジーの態度に苛ついたり発破をかけるバデーニだが、この件に関してはヨレンタさんも苦労するなと他人事のように思う。
    実際バデーニは感知しない···すべきでない事項だと決めている。その恩恵に与っていたとしても、この男に文字を託す役目は彼女のものなのだ。

    黙ったバデーニをちらちらと見てくるオクジーに、まぁいいとひとつ息を吐き、台の上にヨレンタの手紙を置かせた。
    オクジーに渡す前にバデーニも一読しているのだ、見えないとしても大体の位置で書いていることを推測できる。
    どこがわからないのかとオクジーに促してやれば、これにはすぐに飛びついた。バデーニに尋ねていいのだろうかというおどおどとした当初の躊躇いはほぼなくなっており、それも成果と言えば成果と言えるかもしれない。

    少し方向を示してやれば、先日の応用だと自力で気づく。バデーニの説明を、自分の言葉で慎重に噛み砕きながら吸収するオクジーに、ヨレンタと比べたら微小であれどバデーニが伝えたことがこの男の中に確実に蓄積しているとわかる。
    そこに何も思わないと言ったら嘘になるが、己の研究に比べたら非常に些細なことなのだ。そう言い聞かせるようにしている。

    疑問点の最後の一つはオクジーにとって苦手と感じるものであったらしい。すんなりと理解した4点とは違い、腹落ちするまで時間がかかった。
    その事に、オクジーは自信を無くしたようだ。結局は習得できたくせに何を落ち込んでいるのかとなじる。
    ある程度の理解度がなければ不得手もわからない。その段階まで進んだことを素直に喜ぶべきであり、それはどんな分野を学ぶ時にも言えることだ。
    小さくなってバデーニの説教を聞いていたオクジーだったが、最後には笑ってはいと頷いた。
    励ますというより叱りつける口調であったのになんで笑みを浮かべるんだか。世俗の者は理解できんと、安堵を薄めるようにバデーニはひとつ溜息を吐いた。

    「もういいな?私は研究に戻る」
    「はい。時間をとっていただきありがとうございました」

    頭を下げ、礼をしっかりと口にした。けれどオクジーには何かを言い淀んだ気配かある。話が終わったと思ったのに続きがある素振りを見せる、相変わらずそんな悪癖がある男だとバデーニは眉を顰めた。

    「おい、まだ何かあるのか。これ以上君に時間を割くつもりはないんだが」
    「あ、いえ、お邪魔はしません!ただ、その···ヨレンタさんとバデーニさんの、前回の論文と手紙を貸していただけたらなと」
    「またか。前にも言ったが、そちらの説明はしないからな」
    「それは勿論。そこまで煩わせるつもりはないです」

    文章の難易度は把握できない、けれど自分の領分はわきまえている。その上で知への好奇心を宿した瞳でオクジーは言う。

    「俺には内容が難しすぎる、それはよくわかっています。ただ、おふたりの論文が地動説を、天と地の調和を証明する材料になっていると思えば、すごいなぁと眺めているだけでわくわくするというか」
    「わくわく、なァ···悪いとは言わんが、いつまでも純朴な事だ」
    「へへ、すいません···あと、それと」
    「それと?なんだ、他にもあるのか」
    「ええと。バデーニさんの字と、ヨレンタさんの字の違いが、見ていて楽しいというか」

    妙な照れ笑いをしているオクジーに、何を言っているんだ君はと言葉にしなかったのは、多少なりとも理解できる部分があったからかもしれない。
    しかし共感してやるつもりはないと、これ見よがしに溜息を吐きオクジーが求めているものを探し出す。
    前回やりとりしたヨレンタの論文、バデーニの解、ヨレンタの手紙と、返却されたバデーニの手紙。それを無言のまま押しつければ、オクジーはしっかりと大事そうに腕に抱えた。
    紙の束の上からオクジーをとんと指で付き、ぼんやりとした視界であってもそこにあるとわかるオクジーの瞳を睨みながら、バデーニは言った。

    「論文の内容を理解できなくても、文字を読む事は出来るはずだ。初めから諦めるな」
    「っは、はい」

    頑張ります、と弾んだオクジーの声には、知る歓びが滲んでいた。



    ◆ 3

    「お手紙でやりとりをしていたので、お久しぶりという感じはしませんね」
    「まぁ、そうですね」

    ある日のこと。珍しくバデーニも街に来ていた。
    所属する教会の用事が主らしいが、何故か不承不承という様子であった。
    副助祭様のお仕事をしてるのかな···と一度だけオクジーが心配そうに言っていたことをなんとなく思い出す。
    あの懸念は杞憂ではなかったのかもしれないと思いつつ、問い質す立場でもましてや咎める立場でもないので、久しぶりに会えて嬉しいとだけ思いながらヨレンタはにこにこと笑った。

    バデーニとオクジーに初めて会った時と同じ応接室で、今はふたりきりで待機している。
    オクジーも先ほどまでいたのだが、数刻前より席を外していた。

    「ピャスト伯からの呼び出しは頻繁なのか」
    「いえ、それほどでもないです。こう、オクジーさんがこの施設に出入りする理由を作ってくださる程度というか」
    「なるほど。あれぐらい老獪な御仁となれば、そのあたりの加減が巧みなのだろう」

    バデーニの声からは、ピャスト伯への敬いが僅かであれ滲んでいる気がする。それが嬉しくてやっぱり頬が緩んでしまう。さすがに過剰な反応である自覚はある。
    なんというか、今のヨレンタはかなり気持ちが高揚していた。だって、バデーニ本人が目の前にいるのだ。
    依頼された論文への蛇足として、最初はおそるおそる書いたヨレンタの疑問に、バデーニはいつも真剣に答えてくれていた。その視点にさすがだと何度も反芻し、ヨレンタの思考を広げ続けてくれている。
    その本人が、バデーニが目の前にいる。話したいことがあふれて仕方がない。
    うずうずとしているヨレンタなど丸わかりであろう。どうぞと鷹揚に示してくれたバデーニに、前のめりになり膝の上の手をぐっと握った。

    途中からは地球儀を挟んで話をしていた。
    遠くはなれた土地から見える星について。地下室の記録にあり、研究会での話もあり、共通に興味がある議題であった。
    同じ目線だなんて烏滸がましくて言えやしない。知識の量も、何より神の祝福により与えられたとしか思えないその明晰な頭脳に、ヨレンタは遠く及ばない。それはわかっている。
    それでもバデーニはヨレンタを侮らない。女性だからと話を取り合わないなんてこともない。ヨレンタを一人の研究者として扱ってくれている、真剣に話をしてくれる。それは、想像できないぐらいに嬉しいことなんですよと、言葉にせずとも感謝を噛み締めた。

    随分と熱のこもった論議をしてしまった。そんな中聞こえた扉をノックする音は最初空耳かと思ったが、ぎぃと開いた扉にハッとして、喋り続けそうな口を自分の手でむぐと塞ぐ。
    扉からおずおずと顔を出したオクジーは、申し訳なさそうな顔をしていた。

    「すいません、話を邪魔してしまって」
    「い、いえ。外まで聞こえてましたか?」
    「内容まではわかりませんでしたが、熱心にお話ししていることは伝わってきたというか」

    バデーニと顔を見合わせる。気まずい、というよりヨレンタとしては照れ臭かった。
    ちょっとは同じ気持ちになってくれてたらなと思うも、そんな様子を微塵も見せないバデーニはオクジーに問う。

    「ピャスト伯との話は終わったのか」
    「まだ、ですかね?」
    「は?なんだその返答は」
    「バデーニさんが来ていることをお話ししたら、なぜ顔を出さないのかとおっしゃられまして」

    確かに、とヨレンタは今更ながら思った。オクジーが呼び出された時に、ヨレンタが気を利かせバデーニも連れて行った方がよかったのかもしれない。雇用主のために頭を働かせるべきであった。
    しかし、バデーニは敢えて挨拶に行かなかったかもしれないとも思った。
    条件を達成したことにより資料の提供は受けた、けれどそれはピャスト伯が生涯をかけてきた天動説を否定するための材料として渡している。
    そこに介在する感情は複雑なものがあり、その象徴ともいえるバデーニは顔を見せない方がいいのではないかと判断した可能性がある。
    しかしピャスト伯は誰よりも理性的で、そして好奇心を否定しない方だ。バデーニを所望したということは、ただただ研究の進捗具合を知りたがっているということなのだろう。

    バデーニはどう感じるのだろう。さっきまでまっすぐ対面で議論させてもらっていたというのに、今はなんとなく顔を見るのが怖い。少しでも煩わしいという気配があったら悲しくなる気がする。
    落ちた沈黙に、あれ?とオクジーが戸惑っているのがわかる。施設の者としての立場でお願いした方がバデーニも動きやすいだろうか。そんな僭越な考えが浮かぶ。
    しかしそれを口にする前に、バデーニの声が聞こえた。

    「まぁ、呼び出されたとなれば応じないわけにもいくまい」

    あ、とヨレンタはようやくバデーニの方を向けた。
    表情はやはり読み取れず、しかし声が少しだけ愉しげであるような気がする。
    いや、そう思うことにしようとヨレンタは勢いよく立ち上がる。驚いてこちらを見る大人の男の人たちに、行きましょう!と元気よく言った。
    少し机にぶつかっていたのだろう、揺れた地球儀がからんと回った。



    ピャスト伯は、オクジーが満ちた金星を見たあのテラスで待っていた。日が傾き始めた時間だ、観測のことも考えたのかもしれない。
    外行き用の笑みではなく、バデーニは最初から素のままでピャスト伯と対面した。ピャスト伯も単刀直入に話を始めており、枕詞のない研究者たちの会話はひりひりとする。
    それでも初めは穏やかに話していたふたりだったが、途中から口論のようにも聞こえる会話になっていった。
    熱が入るがあまりのことだとわかっていたので、ヨレンタもオクジーも微笑ましく見守れた。

    「バデーニさん、楽しそうです」
    「えぇ、ピャスト様も」

    日が落ちてからは、ピャスト伯は有無を言わさずオクジーにアストロラーベを渡した。
    観測手として使えと言ったのだから、オクジーを夜に寄こすべきだろうと怒るピャスト伯に、バデーニは能弁に言葉を返しながらもオクジーを派遣するとはついぞ言わず、オクジーはふたりの間でただ困った顔をしている。

    率直に言うとヨレンタは、そんな小競り合いよりオクジーの観測が見たかった。
    ピャスト伯の言葉どおり、オクジーが夜までこの施設に残ることはない。だからヨレンタも、オクジーが観測する姿を見るのは金星の件以来なのだ。
    目がいい人の観測は絶対勉強になる。うずうずうずとして、ついそのままを口を出してしまった。

    「あの···!オクジーさんの、観測が!見たいです!」

    言ってしまった!と首を竦めたヨレンタを、しかし大人たちは咎めなかった。
    まぁ確かに時間が惜しいと、口論の痕跡を一切感じさせず切り替えるところが研究者らしい。ピャスト伯とバデーニは方向性の確認まで始めている。
    オクジーは、ヨレンタさんがお求めの観測記録も取りますと言ってくれた。気にかけてくれるオクジーを嬉しく思ったが、丁重に辞退する。
    ここにはヨレンタよりもずっと優秀な研究者がいる。その人達が指示する観測を見学させてもらう、それが勉強になると気合いを入れ直した。

    人払いをしているとはいえ、ピャスト伯とバデーニは地動説の話を直接的にしていない。しかしオクジーに指示をするバデーニが必要としている星の種類で、ある程度の推測ができる部分があるのだろう、ピャスト伯は時折短く質問を投げかけている。
    ふと、ピャスト伯がヨレンタの方を向いた。一挙一動見逃さぬよう集中していたため、思わず直立不動になってしまう。
    そんなヨレンタを気にせずこちらに来るよう指示を出したピャスト伯が、いきなりバデーニから本を取り上げた。
    オクジーの観測記録を今まさに書き取っているノートである、「は?」と険のある声を出したバデーニの反応は正常だ。

    「何をなさる」
    「君は視力が弱いな」
    「そのとおりですが、それがなにか」
    「ここには健康な目を持った研究者が他にいる。暗い中での作業だ、任せるべきだろう」

    その程度の判断が出来ないのかと言いたげなピャスト伯は彼らしく、しかしそれだけではないとわかる。
    熟した理性の宿る老獪な眼差しが、ヨレンタを射抜く。

    「君も、黙って立っているだけなど情けない。自分から食らいついてくるべきだ」

    突き付けられた言葉は厳しく、しかし咎めにしては思慮深く、それは若輩な研究者をたしなめ導く声であった。
    私なんかがという怯懦の気持ちを抑えつけ、ヨレンタは「はい!」と大きな声で返事をした。
    そして開いたまま差し出された本を、自分の意志でピャスト伯から受け取る。
    震える手を抑えようと大きく息をするヨレンタの視界に、羽ペンが現れた。その手の持ち主を追って見上げると、バデーニがそこにいた。

    「頼めるか、ヨレンタさん」
    「···よろしいんですか」
    「えぇ。あなたの優秀さはわかっているので」

    任せられますと、いつもの口調でバデーニは言う。
    腹の底から言葉にならない感情が湧き上がり、抑え込まないと叫びだしそうだ。熱くてたまらない自分の心臓に勇気をもらいながら、バデーニからペンを受け取った。
    もうひとつ息を吐き、先程までバデーニがいた場所に立った。インクを置いた机を挟んで右側にオクジーがいる。にこりと笑ってくれた。

    「伝え方がわかりにくかったら、遠慮なく言ってくださいね」
    「いえ、何も変えないでください。私がオクジーさんとバデーニさんに合わせるべきです」

    バデーニの続きから書き始めるのだ、記載方法はそのまま倣えばいい。はじめは戸惑うだろうが、絶対に煩わせたりしない。
    背筋を伸ばしたヨレンタに、オクジーが向けてくれる眼差しには労わりと敬いがあった。
    それではと、オクジーは夜空に目を向ける。その視線の先をヨレンタも追った。

    バデーニに加えてピャスト伯も指示を出すようになったが、オクジーはそれに応えて次々と観測していく。
    自分でもアストロラーベを使うからわかる、対象の星を見付けるのが物凄く早い。これがオクジーの目の良さなのかとただただ感動した。
    その結果を絶対に無駄にしないと余さず記録しながら、優秀な研究者達がその星を指定する理由を考える。手を挙げて、推論をメモしていいかと申し出た。
    構わないと許可をもらって、ヨシッと思わず両手で拳を握ってしまう。本とペンを持ったままだ、不格好なものだったが、意外にもバデーニが頷いてくれた。もしかしたら彼にもこういった衝動があるのかもしれない。



    複数ページ分の観測のち、一度指示が途切れる。
    ここまでが一連だったということかと、ヨレンタはその理由を懸命に考えてみる。次の観測がすぐに始まるはずだ、それまでに取っ掛かりだけでも見付けたい。
    けれど、間隙を縫うようにオクジーの声が聞こえた。

    「一度休憩をさせてもらえませんか」
    「は?」
    「お貸しいただいたアストロラーベ、金属製ですよね。いつもより重いので、ちょっと腕が疲れてきたというか」
    「君に限ってそんなわけがあるか。···だがまァ、雇用主として許可しよう」

    胡乱げなバデーニだったが、オクジーの要求自体は何故かすんなりと受け入れた。
    そのまま自然な誘導でピャスト伯を椅子に座らせた光景を見て、ヨレンタはようやく気付く。少し咳が出始めており、長時間の観測が負担になっていたようだ。
    オクジーが自分の疲労を理由に休憩を促し、バデーニもそれに呼応したということだろう。
    ピャスト伯の具合が芳しくないことは、彼に雇われているヨレンタが一番わかっていたはずなのに。微塵も気づけなかった自分が恥ずかしくて仕方がない。

    しかしピャスト伯はこうした気の回し方を好まない筈だ。だというのに、意外にも説教は飛んでこず、椅子に腰掛け一息ついている。
    オクジーさんとバデーニさんの誘導の仕方が上手だったのかもと感心したが、どうやら別に理由があったようだ。
    先程のようにピャスト伯に顔を向けられ、ヨレンタはまた直立した。

    「記録を見せてみろ」
    「あ···っはい!」

    ヨレンタが書き込んだ記録の出来を確認するために、観測を休止することを肯んじたらしい。
    私のためにわざわざと思ったら申し訳なくて、でも嬉しくて。緊張しながら、開いたままの本を両手で差し出した。

    一読したピャスト伯がバデーニに本を渡した。ルーペを使い確認しているバデーニの横からオクジーも覗き込んでいる。
    メモの部分は走り書きだ、先達に見せる心許なさを覚えつつ、記録手の役目を仰せつかった者としてまず気になるのは、正確に記録を取れているかどうかだ。
    意を決して、ヨレンタから尋ねた。

    「あの、ちゃんと記録できていますか」
    「観測記録は何ら問題はない」
    「私の記述方法に合わせてくれたということもわかる」

    出来て当たり前だという口調が寧ろ嬉しくて、詰めていた息を吐いて肩の力を抜いた。
    しかしピャスト伯もバデーニも時をかけて文字を追っている。つまり走り書きのメモを読まれているということで、物凄く緊張してきた。
    今は盗み聞くしかない研究会が脳裏に過ぎる。先輩達はこんなヒリヒリした状況をいつでも味わえるのか。率直に羨ましい。

    「観点は面白い。そこはまず褒めてやろう。しかし、」
    「ひとつ認識違いがあるようだ。軽微なものだが、その影響で論拠の方向に多少のずれが生じている」
    「えっ!ど、どの点ですか」
    「お、俺も気になります」

    一緒に聞いてもいいですかとおずおず申し出るオクジーに、勿論です!とヨレンタは力強く頷く。
    知りたいと願うのであれば、可能な限り制限を無くすべきだと切に思っているし···なにより、贅沢すぎるこの状況でヨレンタひとりだけが話を聞くなどあまりにも勿体無い。

    君の知識レベルに合わせるつもりは毛頭ないと言い切るバデーニに、それはもう当然ですとオクジーはこくこくと頷いている。
    おかしな返答をしたらクビにするぞと雇い主に脅され、ヨレンタもこくこくと頷いた。

    神様、こんなにツイてていいんですか。
    こんな機会、きっと二度とない。今から耳にすること全て、ヨレンタの視座を絶対に大きく広げてくれる。
    すべてを己の糧にすべく、持ち得るすべて知識を曝け出す気概で、ヨレンタは真正面から対峙した。





    「道を補修していて、回り道をしなければならないんです。案内しますね」
    「しかし、もうとっくに日が暮れている」
    「帰りは馬車で戻りますから」

    さぁ行きましょうと先導すれば、ちらりと顔を見合わせたバデーニとオクジーは、それ以上何も言わずヨレンタについてきてくれた。
    それが嬉しくて早足になると、急がなくていいと止められた。男の人の歩幅に合わせたと思われたようだが、そういうわけじゃなくて。
    もう少しだけおふたりといられることが嬉しくて、浮足立っているだけですよ。言葉にはしなかったけれど、フードを引っ張ってはにかんだ。

    馬車の停留所のうちのひとつが、民家の途切れた街はずれにある。付近まで行けば星が見やすいと知っていたヨレンタは、ふたりをそこまで案内した。
    確かに見やすいと夜空を見上げていたオクジーが、突然立ち止まった。

    「あ!」
    「いきなり大声を出すな」
    「す、すいません」
    「どうかしましたか、オクジーさん」
    「あ、いえ、その」
    「おい、はっきり言え」
    「は、はい。あの星が」

    指さした先には北斗七星があった。オクジーが弾んだ声で言う。

    「端から2番目の星は、ミザールという名前でしたよね。その左下にある星、ピャスト伯が言っていた星かなって」
    「アルコルのことか?」
    「いえ、その間にある星です」
    「「その、間···?」」

    時が止まったかのような沈黙後、ヨレンタとバデーニは徐に口を開いた。

    「見えますか、ヨレンタさん」
    「いえ、まったく」
    「あ、あれ?」

    オクジーが見えるというその星は、六等星以下であることは間違いないだろう。戸惑うオクジーを待たせ、とんでもない状況を確認しあう。

    「アルコルであれば、私でも何回かは見えたことがあるんですが」
    「ほう。ヨレンタさんも十分に視力が良いんだな」
    「いえ、本当に片手もないぐらいなので威張れるほどではないです。バデーニさんも見たことが、···えっと」
    「言い淀まなくて結構。自らの目で観測できた頃に、見えた気がしないでもないという程度ですよ」

    いや、あれは見えていたと言い切るバデーニがなんだかおかしくて、思わず笑ってしまい口元を手で隠す。
    触れるべきではない部分に不用意に踏み込みかけた。しかしヨレンタの冷や汗を吹き出す前にバデーニはさらりといなしてくれる。
    きっと何も気にしていないのだろうが、それでもヨレンタへの気遣いがまったくなかったとは思わない。それを無駄にしてはならないと、感謝しつつ早急に思考を戻す。今の話題があまりに魅力的すぎるのだ。
    星の研究に携わる者達に注目されて、オクジーがびくっとした。

    「わかるか、オクジー君。君には易々と見えているであろうアルコルでさえ、目視できたのであればかなり目が良い者の部類なんだよ」
    「???」
    「わ、すごい。わからないってお顔をされている···」

    アルコル程度、とはとても言えない星のはずだが、オクジーには極々普通に見えているのだろう。
    そのアルコルとミザールの、間に存在する星だなんて。桁違いも甚だしく、オクジーは本当に信じられないことを言っている。

    「その星の存在に触れた文献を読んだ事はあるが、信憑性の低い情報という扱いだった」
    「えっ、そうなんですか?」
    「オクジーさんやピャスト様ほどに目がいい方は滅多にいらっしゃらないんです。実証例が極めて少ないので、もしかしたら存在するかもしれない星として扱うしかなくて」
    「正直なところ、私もその存在を信じていなかったが···実際に目視できる者が、身近にいたとはな。その驚異的な視力だけは率直に感服するよ、オクジー君」
    「オクジーさんがおっしゃるその星を、私は生涯見ることができないと断言できます。常人には見えないんですよ、オクジーさん。本当に素晴らしいです」

    宇宙に関わる研究者として、その視力は手放しに誉めてしかるべきものだ。
    この賞賛を、オクジーは受け入れてくれるのだろうか。ふとそんな心配がよぎる。けれどオクジーは、頭の後ろに手をやって照れ笑いを浮かべた。

    「ええと···はい。目が良くて、よかったです」

    体躯に似合わぬ小さな声で言ったオクジーに、バデーニはフッと楽しげに鼻で笑い、ヨレンタは手を合わせて喜んだ。
    ふたりがかりで熱弁したことにより、その稀有な能力をじわじわと実感したらしい。
    あなたはすごい人なんですよとわかってほしかった。それを受け入れてくれたこと、きっとオクジーが想像出来ないぐらいにヨレンタは嬉しくて仕方ない。

    実在するかわからないとされている星を、思いつく限り片っ端からオクジーに見てもらった。
    位置を示すために名の付いている星を伝えると、その殆どをすぐに見付けられている。テラスでの観測が淀み無かったのは、地動説の証明に必要な星だから慣れていると解釈していたが、どうやらそれだけではない。
    オクジーが想像以上に星図を把握している。そのことを初めて知った。

    オクジーとの授業を反芻する。文字を教える時に天文に関する題材を持ってくる程度で、ヨレンタからは詳しい星の配置を説明した覚えがない。オクジーは星座や星の名付けにも興味があるようなので、天文の話題としたらその方面が多かった。
    つまりは星図をオクジーに教示したのはバデーニということであり、ヨレンタがオクジーの知識に驚く度に自慢気に見えるのは気のせいだろうか。
    文字を教える手段として星に纏わる物語を題材とすることはきっと間違っていないが、研究者としての立場だとなんだかちょっと悔しい。次回の授業ではもっと専門的な教本を選ぼうと、ヨレンタは固く決意した。

    それでも今この瞬間に、ヨレンタが役立てることもあると、目印になる星を探しあぐねているオクジーを手助けする。
    オクジーが把握している近くの星を聞いて、方向と星間を指と言葉で説明して。見つけました!という明るい声にホッとした。
    そのやりとりを見ていたバデーニが、ふむと当たり前のように言う。

    「実際に見えている者の助力があると、やはり話が早いな」
    「いえ、バデーニさんの説明はとてもわかりやすいですよ。俺の見つけ方の問題です」
    「ふん、当たり前だろう。この私の説明だからな」
    「あ、はい」
    「即実的な話だ。視界がある程度共通している相手が知識を持つ人物であるならば、言葉のみでの説明よりも伝わりやすいのは事実だ。言うまでもない」

    ましてや実在を証明できていない星を探しているからなと言ったバデーニは、ヨレンタの方を向いた。
    微妙に合わない視線が、彼の視力を物語っている。バデーニはそれを隠さず、ヨレンタをまっすぐに見てくれる。

    「つまり、ヨレンタさん」
    「は、はい」
    「君がいてくれると、平たく言えばやりやすい。助かっているという事です」
    「えぇ。ヨレンタさんのおかげで、今夜はたくさん星が見つけられます」

    ふたりが本心からヨレンタに礼を伝えてくれていると、声からも眼差しからも伝わってくる。
    喉がきゅっとして、なんだか泣きそうになった。胸が熱くて仕方なくて、自分の手でぐっと抑えつける。

    もうすぐ終わってしまう、この1日を。
    応接室でバデーニとふたりで議論したことも。
    ピャスト伯に研究者としての姿勢を叱咤され導かれたことも。
    オクジーの観測を記録させてくれたことも。
    先達の教示を一身に受けたことも
    そして今、3人でかすかな星の証明をしていることも。
    今日のこの日を、ヨレンタは生涯忘れることはないだろう。

    不意に俯いたヨレンタに、ふたりが焦っているのがわかった。
    泣くなんてもったいない、会話をし続けたいと自分を殴りつけるようにぐっと耐えて、勢いよく顔を上げる。

    「お役に立てているのなら、嬉しいです!」

    星空を背負って立つバデーニとオクジーを見上げて、ヨレンタは満天の笑みを浮かべた。





    「全部の季節の夜空で、また星巡りがしたいなって思います」
    「いいですね。見える星座って季節によって違うんですよね?俺が夜空を見られるようになったのは最近なんで、まだ実際に見たことがない星座がたくさんあるんです。今夜みたいに、おふたりに教えてもらえたらすごく嬉しいです」
    「それはもういくらでも!」

    はしゃぐヨレンタとオクジーに何かを言いかけたバデーニだったが、ふと頬を緩ませた。
    それはヨレンタが初めて見た、とても優しい微笑みだった。

    「まぁ···オクジー君にしか検証できん微かな星が、それぞれの季節に存在し得るからな」

    いつかまた、機会があれば。柔らかい声でこの先の事を話してくれたバデーニに、ヨレンタとオクジーは「はい!」と大きく返事をした。

    実現する可能性は極めて低い。きっとバデーニが一瞬言いかけたのはそのことだ、ヨレンタも重々わかっている。
    我々が完成を目指している地動説は、教会の教えに反した異端研究なのだ。それは揺るぎようがなく、いつ何が起きるかわからない。

    バデーニは、有事の際には無関係を貫けとヨレンタに言った。そして地が動いていることを信じる研究者として生き延びろと。
    無力ゆえ言葉にすることさえ出来ないが、本当はヨレンタも同じ事をバデーニとオクジーに言いたい。危険が迫ったその時は、ヨレンタの事など何も気にしないでほしいと。
    何も告げず、ふたりがヨレンタの前からいなくなることを覚悟しているから。
    地動説が完成したのかどうか、教えられずに焦がれたまま一生を過ごす可能性だって考えているから。
    寂しくても耐えられる、貴方達が動く地のどこかにいてくれると思えるのであれば。

    それでも、それでも願うんだ。
    春も夏も秋も冬も、またこうやって。
    夜空を見ながら、3人で歩けたらいい。
    そんなささやかな願いを浮かべた、星がきれいな夜だった。
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