やさしいひとと幸せになってね。小さい頃からなんとなく一緒で、ずっとだいすきで、そのすき、っていう感情がもしかしたら、ちょっとだけ、彼が抱いてるものと違うのかも、って、そんなふうに気づいたのはいつだったんだろう。
ずっと、誰よりも幸せになれると思って生きてきて、誰も傷つけないようにして生きてきた。誰かに愛されることが当たり前で、同じように愛されると思っていたし、愛されていると思っていた。
ケニーから来るまちまちの連絡が、時間帯が。表すものを、わかってはいるのに、いちいちぜんぶ嬉しくって、そんな自分にむかついて、2、3日無視しようって決意をしてもそんなのは無駄で、半日も経てばたわいもない返事をしてしまう。
セックスバディなんて呼べてしまえばまだいいのかもしれないな。彼が友だちにおれを紹介する時の言葉はずっと変わらない、“友だち”だ。親友、ですらない。
いつの頃からか始まった、じゃれあいや、偶然、ふざけあいみたいな性行為が、ずっとずっと、続いている。おれはその行為で、とっても、満たされてしまう。
手を握るとき、キスをするとき、肌が触れるときぜんぶ。戯れるように、すき、って言うケニーの嘘が、とっても嬉しくて、嬉しくって、たまらない。昔から、ずっと。嘘だって知ってるのに、こんなのはおかしい、って、頭ではわかってるのに。おれは、おれだけを見てくれる、もっとずっと素敵な人と、幸せになるべきなのに。
肌がくっついてる時はまだいい。気持ちいいことだけでいいや、ケニーって付き合ったら面倒くさそうだしちょうどいいかも、なんて思えてる自分がいて、彼のそのあったかくてやさしい指先に、思う存分どろどろにされる。
でも金曜日の夜や、土曜日に返事がないのはきっと、そういうことなんだってよくわかっていた。きっと大切な女の子がいるんだろうな、わざわざコソコソ返事をしてもらえる価値もないんだろうな。ちょっと落ち込んでたりすると、そんなことが頭をよぎってぼろっと泣いちゃったりする。でもそんなことも知らずに、彼は、だいすきな子を抱きしめているんだろうな。こんなこと、いい加減にやめたいのに。やめたいって思って、どれくらい経ったっけ。
ずっと素っ気なく、義務的で、欲望に忠実なままであればよかったのに、年齢を経るごとに触れ方や、紡ぎ方が変わる。
それは彼が、覚えた、覚えてくる、そういうことだった。そういうことをする時に、愛を紡ぐことが義務のようになって、騙すようにして体を蕩かせられる。おれの、すき、って返事が、本当だったらどうするんだろう。本当だって気づいてるのかな。
そんなのは、ずるだ。
ずるくて、やさしくて、だいすきなケニー。
元気?、なんて、数日前からのおれの、素っ気ない返事に気づいたようなメッセージにもう、返事はしないから、どうか、どうか。やさしいひとと幸せになってね。