同じチケット、もう1枚「おはよっ、ミューちゃん!」
「ああ、おはよう」
ごめんね、待った? と聞くと僅かに首を振る長身の彼。聞いてはみたものの、実はもっと前からミューちゃんがここに着いていたことを知っている。だってぼくも、ずっと前から近くのカフェで様子を伺っていたから。暑がりな彼の首筋に伝う汗が、誤魔化せない時間の経過を教えてくれて愛おしい。
約束の時間から15分も早いのに、こうして二人揃ってしまうなんて、きっとお互い柄にもなく浮かれている。その事実に、既に浮ついている心がさらにふわふわと舞い踊った。今日は、待ちに待ったデートの日。なんて素敵な響きなんだろう。この歳になって学生みたいな事が出来るなんて思ってもみなくて。緩む頬が止められないのは許してほしい。
「やっぱりその帽子、ミューちゃんにすっごく似合うね♪」
「貴様の眼鏡もな。涼やかな印象になる」
「おっなになに〜?? かっこいいぼくちんに惚れ直しちゃった?」
「見た目だけでも静かそうで良い、と言ったまでだ」
「ちょっとぉ、ドイヒー!」
今日は車じゃないこともあって、変装はわりとしっかり目。ぼくもミューちゃんも、帽子と眼鏡をそれぞれ身に着けている。ミューちゃんの帽子はぼくが、ぼくの眼鏡はミューちゃんが、お互いに選んでプレゼントしたものだった。変装用のアイテムはいくつか揃えていて、その日のコーディネートに合わせて選んでいるけれど、今日はこの眼鏡に合いそうな洋服をチョイスした。示し合わせたわけでもないのにお互い身に着けてきたことに、またひとつ嬉しさが積み重なる。
「さ、行こっか」
「ああ」
始まったばかりの二人の時間を楽しむように、目的地までの数分の距離をゆっくりと歩く。ミューちゃんの歩幅がぼくと同じなことに気が付いて、このままこの時間が続いてほしいなあ、なんて考えた。
***
『寿。次のオフは何か予定はあるか』
ある日の仕事終わり。嶺二の車に乗り込んだカミュが助手席につくなり尋ねてきた。久しぶりの、そして恋人になってから初めての、二人揃っての貴重な休みとなったその日。
『んー、今のところはミューちゃんと過ごしたいって予定だけかな』
ハンドルにもたれ掛かりながら、きみのために空けてあるよと嶺二が伝えれば、カミュの目が少し開かれて、すぐに細められた。その視線があまりにも甘さを湛えていて、嶺二は自分で言っておきながら少し恥ずかしくなる。あれだけ砂糖を摂取していると、本人も甘くなってしまうのだろうか。付き合い始めてからのカミュの視線は今まで以上に糖度が高くて、視線を感じる度に嶺二の心は擽ったくなる。
『では、映画に行かないか』
『映画?』
カミュは頷いて、映画のチケットを二枚取り出した。知人の伝手でもらったのだと言う。最近公開されたばかりの話題の新作。今回は誰も参加していないものの、監督は度々シャイニング事務所のアイドルを起用してくれる人だったので、嶺二もよく知っていた。
『行きたい! ミューちゃんと映画デートってことだよね?』
嶺二は二つ返事で了承した。元々見に行こうと思っていた作品だったこともあるが、カミュから甘味抜きのお誘いがあったことが何よりも嬉しかった。これまでも二人で出掛けることはあったものの、ほとんどは甘味目当てのカミュに半ば拉致られた嶺二が付き合う形だったため、目的地がスイーツ店でないというだけで特別感が一気に増す。
(だってつまり、ミューちゃんがぼくに会うためだけに出掛けてくれる、ってことでしょ?)
特にこの暑いさなか、カミュの外出がどれだけの価値を持っているか、嶺二はよく知っていた。何とかしてカミュと出掛けられたらと、甘くて冷たいスイーツ情報をせっせと集めていた嶺二からしてみたら嬉しい誤算である。
『ぼく、すっごく楽しみだよ』
にこりと笑いながらキーを回してエンジンを掛ける。年季の入った車が上げる音も心なしか軽い気がした。
***
「映画、楽しみだね」
「この監督は外れがないからな」
「演出も参考になる部分が多いしね」
取り留めのない会話をしながら着いた映画館で、フードの長い列に並ぶ。ミューちゃんはきっとスイーツを山盛り買うだろうと思っていたのに、実際に購入したのは甘いドリンクだけだった。ぼくが相当意外そうな顔をしていたのだろう、ばつが悪そうな顔でドリンクを受け取った。
「映画に集中したいときは、基本的にフードは購入しない」
「そうなんだ!? キャラメルポップコーンのLサイズを2つ買うことになると思ってた!」
くすくすと笑って、でもぼくも同じだよ、と続ける。職業柄どうしても演出や役者の動きなど見るべき箇所が人よりも多くなってしまうから、ひとときも目を離せなくて。食べ物をつまむ余裕がなくなり、いつしか買うこと自体をやめてしまったっけ。
思わぬところで見つかった共通点に心の奥が温かくなる。こういう小さなポイントが長続きの秘訣だよね、なんて声には出さないけれど。彼もそう思ってくれてたら嬉しいのにな、と密かに思う。
「ミューちゃん、どっちの席がいい?」
「どちらでもそう変わらぬだろう」
「まあそうなんだけどさー。じゃあぼくがこっち! ミューちゃんはこっちね」
今や映画のチケットはデジタルが主流で、紙チケットはだいぶ廃れてしまった。今回訪れた場所は未だに紙チケットを発券する、昔ながらの映画館だ。普段あまり使わないこの映画館を指定した理由に、ミューちゃんは気付いているだろうか。チケットをスタッフに差し出して、もぎられた半券をスマホのカバーポケットに大事にしまい込む。
「えっと……あ、ここだね」
探し当てたのは、後方の端にある二席。隣は壁と通路で、隣人は誰も居ない。あまりにも目立ちやすい恋人がバレないようにという配慮と、そんな彼を独り占めしたいという気持ちで選んだ指定席。その通路側に、ゆっくりと腰を下ろす。さっき買ったドリンクをホルダーに置いて、帽子は鞄の中へ。スマートフォンは少し迷って、スラックスのポケットに突っ込んだ。本来は電源を落とすべきと分かっていても、マナーモード止まりが精一杯の譲歩。
「あ、この映画、もうすぐ公開だっけ」
「ああ。確か一十木が主演を務めていたな」
「頑張ってたよねえ、おとやん」
開始前のCMで流れてきたのは、直属の後輩である音也が抜擢された映画の宣伝だった。大企業に勤めるエリートサラリーマンの役。常に冷静で、大人の余裕を魅せる役どころ。普段の音也とはかなり違った雰囲気になっていたのを覚えている。大人の余裕ってなに〜!?なんて泣きついてくる音也の相談によく乗ってあげたなあ、と懐かしく思い出しながら、スクリーンの向こうの音也をチェックする。うんうん、ちゃんとオトナの余裕、出せてるみたい。
「この映画もミューちゃんと観に行けるかな」
「……さあな」
てっきり肯定が返ってくると思っていたので、つい驚いて隣を見てしまう。ミューちゃんの顔は薄暗がりでよく見えないけれど、少しだけ眉間に皺が寄っているような。え、なんで?
今の流れでミューちゃんが不機嫌になることなんてあっただろうか。頭の上にはてなマークを飛ばしまくっていたら、ミューちゃんがぼそりと呟いた。
「一十木にばかり夢中になるお前を見るのは、少し妬ける」
まさかそんなことを言われるなんて思ってもみなかったぼくは、一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。ぼくの隣にいるのは誰だったっけ?
「ミューちゃ、」
「さあ始まりますよ、嶺二」
まるで騒ぐ子供をたしなめるような声。これはミューちゃんが悪いんじゃないの、と叫びたくなるのをぐっと堪え、無理やり正面に向き直る。スクリーンでは見慣れたカメラとランプが呑気に追いかけっこをしていた。早く終わってほしい。そうすれば劇場が暗くなってくれる。きっと今のぼくは、あのランプみたいな色をしているだろうから。暗転に救いを求めながら、逸る心拍を少しでも落ち着かせようと深呼吸する。
「……っ」
深く吸った空気はそのまま肺で止まってしまって動けなかった。横の肘掛けに置いていたぼくの左手は、柔らかな温もりに包まれていて。待ち望んでいた暗闇の中、頬の熱さがさらに上がるのを感じる。溜め込んだ空気を頑張って吐き出してみても、心臓はどんどんと速度を上げていくばかり。ドキドキという音が後ろの人まで届いていないだろうか。
ぼくの左手を握るいたずらなミューちゃんの右手は、そのままゆっくりと肘掛けの下に移動しながら、ひとつひとつ指同士を交差させる。最後の小指が絡んだところで、きゅ、と力が込められた。堪らず目を瞑って深呼吸を繰り返す。
いつの間にか始まっていた映画。ようやく開けた目で見たスクリーンでは主演俳優が喋っているけれど、その内容も演出も全く頭に入ってこない。
(もしかして、映画終わるまでこのままのつもり……?)
ちらりと横目で覗き見たミューちゃんの顔は涼しいもので、ドリンクを飲みながら静かにスクリーンを眺めている。まるで平静そのもの。ぼくばかりが百面相をしているのがなんだか悔しくて、少しでも意趣返しになればと握られた手に力を込める。離す気になれない自分が少し恨めしかった。
一一一一一
同じチケット、もう1枚
(集中できなかったの誰のせいだと!)
使用お題はこちら↓
カミュ嶺への恋愛系お題 :映画館デート / 甘い約束
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