永遠の煌めき ――コンコン
静かな空間を震わせる小さなノック音。しんしんと雪が降り積もる極寒のこの地は、音が雪に吸われてしまうことが多く、常にしんと静まり返っている。それ故に、普通なら掻き消えそうな小さなその音も、しっかりと部屋の主の耳に届いた。
王宮の奥深く、限られた人間しか足を踏み入れないこの場所に、自ら訪れる人間などそう多くはない。
「入れ」
扉を一瞥することもなく、手元の書類に目を通しながらカミュは声を掛けた。ややあって、軋んだ音を上げて重い扉が開かれる。そこから現れたのは果たして、想像通りの男がひとり。
「宝石商 寿。推参仕りました」
恭しく両手を上げて拝礼する男は、名乗った通りの宝石商。このノースエリアだけではなく、カルテットエンパイア全域を股に掛ける大商人だ。取り扱っているものが宝石であるが故に各地域の貴族や王族と懇意で、結果的に外交官のような側面も持ち合わせている。尤も、本人の適性がどうかは別の話だが。
ノースエリアの長たるカミュは、特段宝石に興味がなかった。あるのは彼の持つ情報のみ。首長として致し方なく、食えない宝石商を定期的に招き入れている。
「よく来たな、愚民よ」
「毎度ご贔屓くださり光栄に存じます。陛下に置かれましては、本日もご機嫌麗しゅう」
「ふん。世辞はいらぬ。ここに来たと言うことは、用件は理解しておるであろう」
「……ええ」
宝石商はにこりと形式的な笑みを浮かべると、袂からするりと小さな巻物を取り出した。手のひらに収まりそうなごくごく小さな代物。それを恭しくカミュに差し出す。
「こちらが先だって御依頼頂きましたものにございます」
「ふむ……」
宝石商が掲げた巻物を、カミュは手にしたステッキでコンと軽く叩いた。ふわりと薄氷に包まれた巻物がくるくると空中で回転する。しばらくしてから動きが止まり、そのままカミュの手元へと運ばれた。そこで初めてカミュは巻物を手にする。
「毎度毎度、ご用心なことで」
「当然であろう」
くすりと笑みを零す宝石商を眇めつつ、巻物に目を通す。機密情報を運んでくる男が常に信頼出来るとは限らない。カミュが心の底から信頼しているのは、この世でたった3人だけ。それ以外は全て敵と思えと育てられてきた。
「うむ、ご苦労。これでまたしばらくは安泰と言えよう」
「ご希望に添えたようで何よりでございます。では、報酬はいつもの通りに。私めは次の予定が控えております故、ここで失礼させて頂きます」
「……待て」
用は済んだとばかりにそそくさと退室しようとする男を呼び止めたのは他ならぬカミュだった。二人以外に誰もいないこの部屋では聞こえない振りもできなかったのだろう。幾分かげんなりした様子の宝石商がゆるりと振り返る。
「如何なさいましたか、殿下?」
「愚問だな。聞かずとも理解っておるであろう?」
「……また、ですか。貴方って人は本当に、物好きですね」
カミュが挑発的な笑みを浮かべれば、対照的に宝石商の顔は歪んでいくばかりだった。口調も心なしか乱雑になっていく。これみよがしに吐かれた溜息は、むしろカミュを悦ばせるばかりだった。
「15分後に向かう。いつもの部屋で待っていろ――嶺二」
「……畏まりました。殿下の仰せの通りに」
嫌々といった雰囲気を隠しもせず、形だけの拝礼をした宝石商は静々と退室していった。再び訪れた静寂に、重い扉の閉まる音だけが響き渡る。
カミュが先程の巻物を再度ステッキで叩くと、巻物は跡形もなく消えた。宝石商が訪れる前に確認していた書類を片付けると、おもむろに外した指輪を机の上に置いた。
――曰く、執務室の机に指輪がある場合は、いかなる場合でも殿下に連絡するべからず。自室への訪問も禁ずる。
彼の優秀な部下たちは、ひとたび命令を下せばきちんと遵守する。素晴らしい人材に恵まれたものだと独りごちながら、カミュは執務室を後にした。嫌そうな顔をしているであろう宝石商の待つ、彼の寝所へと向かうために。
カミュは宝石に興味は無い――宝石よりも煌めく人を知っているから。幼い頃から大事に大事に想ってきた、長兄。生まれた時から、生き方も添い遂げる相手も全て決められているひと。時折寂しい顔をしながらも、弟たちを常に温かく見守ってくれたその顔に、気が付いたら恋をしていた。
長兄の婚約を機に想いに蓋をして、何食わぬ顔で生きてきた。そんな彼の目の前に、何故か長兄と顔が瓜二つの宝石商が現れた時、軽率に運命だと思ってしまった。運命なんて、信じてはいないのに。何としても手に入れたいと思った。たとえ、正攻法でなくとも。
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