花開く場所 天保江戸の特命調査を経てこの本丸に配属され、源清磨が最初に驚いたものが「誉桜」だった。気分の高揚に合わせて桜が投影されるシステムだ。隠そうともあらわにしようとも感情が表に出るこれの噂は政府にいた頃に聞いていたが、実際自分がその対象になると「本当に隠せないんだ」とどこか危機感を覚えた。
とはいえすぐに慣れたし、清磨に遅れて数日後に本丸にやってきた水心子正秀が「何だこれは!?」と困惑していた姿は面白かった。刀剣男士としての務めを果たそう、新々刀の祖として立派でいなくてはと構えるあまり水心子はやせ我慢をしてしまう傾向にある。大好きな甘味を要らないと跳ねのけるなどといった事態が減ると思えば良いシステムだろう。
実際水心子は政府にいた頃よりもずっと分かりやすくなったし素直になった。水心子の隠された本音をくみ取って清磨が助け船を出すなんて事をせずとも、ハラハラと舞う桜に恥ずかしそうに眉を下げながらも正直に欲求を吐露してくれる。喜ばしい変化だ。そう清磨は思っていたのだが。
――水心子君って少し分かりづらいよね。誉桜もほとんど出ないし。
先程厨房で今日の茶菓子であるクッキー作りを手伝った際に言われた言葉に清磨は眉を寄せた。燭台切光忠曰く、水心子はいつも澄ましていて誉桜もほとんど出ないため、菓子を用意した際に断られてもただの強がりなのかどうか分かりづらいのだそうだ。菓子を目にした瞬間、数輪の桜を出す水心子の姿を知っている身としてはにわかに信じがたい。
例えば山姥切長義や大倶利伽羅などは誉桜の表示を切っているという。村雲江も一度切ろうとして諦めたとか。審神者に許可を貰わずとも好きにオフにしていいと最初に言われたから、水心子が誉桜を嫌って消したのなら燭台切の証言も分かる。だが実際のところ、水心子はそのままにしているからその線はなかった。
不思議だなぁと首をひねりながら今日のお茶菓子が乗った皿を手に執務室へと向かう。百名に迫る規模の本丸は行うべき事務の量も多い。数字に弱い審神者を手伝う刀剣男士達はワーカーホリック傾向が強いため、こうして外部から休憩を呼び掛けてやる必要があった。
「それで、頼みって何かな」
と、執務室の中から長義の声が聞こえてきて清磨は足を止めた。
「ああ、誉桜の表示を切りたいんだ」
大事な相談事ではないと判断したのか単に忘れているのか、障子は開け放たれていた。そうは言っても他人の会話を盗み聞きだなんて良くない事だ。他の人物なら立ち去ったのに続けて聞こえてきた声は間違いなく水心子のもので、その場に座り込んでしまった。
誉桜に関するシステムは長義の管理下にあった。この本丸で一番プログラムに明るいのが長義だから自然とそうなったのだとか。だから誉桜を消したければ長義に相談する必要があった。
「誉桜か。別に構わないけど……君、ほとんど出ないじゃないか」
燭台切だけでなく長義も水心子の誉桜を見ていないらしい。では清磨が普段見ている小ぶりで可愛らしい花は一体何なのだろう。清磨だって誉桜を零しながら暮らしているが、自分と水心子のどちらか出たのかぐらい分かる。
「うむ……自分でも驚いている。もっと多く出ると思っていたのだが……」
どうやら水心子自身も誉桜は出ないものだと認識してるらしい。それなのに表示を切りたいとは、水心子の意図が分からず眉間にしわを作る。悩みがあるなら親友である自分に真っ先に相談してくれてもいいじゃないか、なんて嫉妬心まで顔を覗かせる。
「切る必要あるのかい?」
「ある」
「……ふむ、訳を聞かせてもらってもいいかな? 流石に不可解だ」
言い切るほどの理由とは何なのか、気になったのは長義も同じらしく、清磨が聞きたい質問をしてくれた。
「うむ……どうやら私は特定の事以外に対してそこまで喜んでいないようなのだ。誉桜で可視化されてようやく気付いた事なんだが……」
「ああ、とびきり幸せになれる事があるから相対的にそれ以外が控えめになってるって感じなのかな」
「そうだ」
「その特定の事って何かな?」
水心子はすぐに答えなかった。このままここで聞いていていいのだろうか。清磨は相談相手でなく、たまたま通りがかっただけの第三者だ。いくら親友とはいえ相談事を盗み聞きだなんて悪い事だから、今すぐ立ち去った方がいい。そう思えど水心子にとって他が霞むほど幸せを感じる「特定の事」が何なのか気になって動けなかった。
「……長義なら察しているんじゃないか?」
「勘違いかもしれないからね」
「むぅ……」
「言いたくないならいいよ。俺の好奇心で質問してるだけだからね」
「……いや、言う。どの道誰かに聞いて欲しかったんだ」
それなら自分で良いのではないか――そんな叫びをぐっと飲み込んだ。どれだけ親しい間柄だとしても秘密は存在する。仲が良いからこそ言えない事だってある。長義は好奇心で色々聞いてきても口外しない誠実な人物だから清磨以外の相談相手としてピッタリだと理屈では分かっていたから下唇を噛んで黙っていた。
「私は――私は、清磨といる時とそうでない時で幸福度が大きく変わるようなのだ」
聞こえてきたそんな台詞に清磨は目を丸くした。
「清磨といる時はずっと誉桜が出ているのに、いないとまるで出ないんだ」
「ふーん。分かりやすいね」
「そうなんだ。こんなに分かりやすいのにここに来るまで気付かなかったんだ」
仲の良い相手と一緒にいて喜ぶのは何らおかしい事ではない。誰だって、清磨だっていつもそうだ。水心子と一緒にいられる時間が一番好ましくてヒラヒラと花びらを舞わせている。それで失礼だと詰られる環境でもないのだからわざわざ誉桜を切らなくてもいいのではないか。
「私は清磨に好意を……いや、それでは正確ではないな。恋慕を抱いているんだ」
疑問は続けられた理由に蹴り飛ばされた。誰が誰に、何を抱いていると言ったのか。想定外の台詞にフリーズする清磨の思考回路を置いて話は進んでいく。
「清磨がそばにいればそれだけで嬉しいんだ。清磨と一緒に色んな景色を見て、色んな物を食べて、同じ時間を過ごして、そう出来ればもっと幸せだ。……だから清磨がいないとそこまでなんだが……」
「あはは、まあ分かるよ。大体そういうものだろうしね」
「うん、ご理解いただけてありがたい。……それで、だな。誉桜を切りたいのは清磨にまだバレたくないからなんだ。こんなに差が出るんじゃすぐバレそうだから……」
「言えばいいんじゃないかい?」
「わ、私の心構えが出来ていない。恋に気付いたのだってここに来てからなんだぞ。それにもう少し自分に自信がついてから告白したい……あと清磨がどういう風に考えているのかまだ分からないし……」
「気持ちは分からないでもないけどね。杞憂じゃないかな、ほら」
「え? ……うわ!?」
長義が執務室の外を指したのか水心子の驚く声が聞こえてきた。清磨は壁の前から動いていない。けれど誰かがいる事ぐらい見てすぐ分かるだろう。執務室前の廊下を埋め尽くす勢いで桜が咲き乱れているのだから。
「じゃあ後はごゆっくり。俺は休憩してくるよ」
お茶菓子の皿が回収される。軽やかに長義が去っても清磨は抱えた膝に顔を埋めたまま動けなかった。清磨の方こそ誉桜を切ってほしい気分だった。
「……え、ええっと、き、清磨……?」
おずおずと声をかけてくる水心子にも顔を上げられない。上げたら最後、誤魔化す事すら出来なくなる。もちろんそれも無駄なあがきだ。鏡を見ずとも隠しきれない耳まで赤くなっていると分かっていた。
「……ごめん、お茶菓子届けに来たら、声が聞こえて、つい……」
「……うん、そうだな……障子、開けっ放しだったから聞こえたよな……その、清磨」
水心子の手が清磨の肩に触れる。いつもは何でもない動作にビクッと体を震わせた。
「期待、していいのか」
溢れる誉桜は隠しきれない喜色の証だ。水心子が清磨を好きだと聞いてここまで咲き乱れさせているのなら、と期待するものだろう。清磨は何とか首を横に振った。
「……分かんない。もうなんか、嬉しくって胸いっぱいで、よく分からなくて……」
まともに考えようとしても水心子が清磨に恋をしてくれていると思うと嬉しくて幸せでそれだけで頭も胸もいっぱいになってしまう。先程まで友情だと思っていた感情の色が全く違うものだと気付いて理解が追い付かない。
「っ」
少しの間を置いて抱きしめられた。思わず顔を上げた清磨の視界いっぱいに薄いピンク色の花びらが広がっていた。二人分の満開の誉桜は眩しくて目に染みるようで、目を逸らすように水心子の背に腕を回して肩に顔を埋めた。