支部の続き。結局破片は全て集めきれなかった。
小さすぎる破片は無骨な手では摘むことはできず、それでもなんとか集め切れるだけ集めた。
穴が空いた皺だらけの箱を伸ばして零さないように砂のようなピアスだったカケラたちを入れてジャケットにしまいこんだ。
会社に男を連れて行き、社長に報告書を送って惑星間を数時間運転して玄関の鍵を開ける。
まだマックスは帰ってきていない。
それが良かったのか悪かったのかわからない。
多分、会わない方が良かったのではないかと思う。今会ってもどんな顔をしていいかわからない。
ジャケットから箱だったものと電灯を反射して微かに光る薄片をそっと机の棚に仕舞い込む。
しばらく油を差さなかった時みたいに、うまく動かない足をベッドの前までなんとか動かして、ぼふり、と着のみ着のまま顔からダイブした。
「疲れた……」
これからどうしたらいいのか、思考を巡らせようと瞼を閉じる。
マックスは俺のことをどう思っているのか、このまま関係を続けてもいいのだろうか。もし、万が一なんてことがあったら――
考えなければいけないのに、余程疲れていたのか数秒後には寝息を立ててスリープモードに入っていた。
――
「おはよー」
「…………おはよ」
「あれ?なんか機嫌悪くない?」
瞼の裏から入り込む光が眩しくて目を開けるとマックスが派手なピンクや緑のアウター脱いだタンクトップ姿のまま、ソファでくつろぎながらゲームをしていた。いつもの風景に胸を撫で下ろす一方、罪悪感でまともに顔を見ることができない。
「別に。そんなことねぇよ」
つれないなあ、とマックスはぼやいた。自分でも素っ気ない返事だと思った。
おもむろにゲームを中断してマックスは上半身だけ起こしたカートの横に腰を下ろしてベッドを軋ませる。
「なんかあった?」
「……いや」
「またサイボーグ差別でもされた?」
半分当たりだ。
カートの沈黙を肯定と捉えたのか、マックスはそのままいつものように軽口を叩く。
「馬鹿だよね。俺たちに喧嘩で勝てない癖に負け犬の遠吠えっていうかさ〜」
マックスの言葉にも反応せず、カートの目は伏せたままだ。
「……カート。なんかあったでしょ」
確信したような声がカートに降り注ぐ。相変わらず勘が鋭い。
ロボットもどきと言われた。もらった大切なピアスが壊れた。マックスへの恋心を、認めてしまった。
全部吐き出してしまいたかった。
しかし、吐き出すとマックスとの関係は途切れてしまう。それがたまらなく恐ろしかった。
だからなんでもない、と言うしかなかった。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
心配の色を滲ませた声だ。本当にカートのことを案じているのがわかる。
しかし、その声にもカートはただ「なんでもない」を繰り返すだけだった。
「……ならいいんだけどさ」
恐らくマックスは上辺だけの言葉であることは気づいているだろう。
気づいた上で一歩引いてくれる。その彼の優しさが好きだった。でも今はその優しさがカートの胸を焼いた。
カートの側に置かれた手が穴が空いた耳に触れる。
思わず体がびくりと跳ねた。
「ピアス、どうしたの?」
「会社に忘れてきた」
咄嗟に嘘をついた。
針に刺されたような小さな痛みを胸に感じる。
「えぇ?わざわざ外さずにずっとつけてたらいいじゃん」
「仕事で無くしたら困るだろ」
「……ふーん、まあそうだよね。俺とのお揃いの大事なピアスだもんね」
嬉しそうにするマックスにまたチクリと痛みが走る。
長細い指がカートの鉄の皮膚の上から神経回路を撫でるように耳たぶから首、胸まで伝う。
カート、と熱を孕んだ声がスピーカーから漏れ出る。
人工心臓がどきりと跳ねた。このままでは勘違いしてしまう。
聴覚センサーにまで届く鼓動の大きさに耐えきれず、思わずカートは胸に置かれた手から逃げるようにそっと振り払った。
「……え、カート?」
「ごめん、疲れて今日は無理」
「え、え、嘘。さっきまで寝てたじゃん」
「疲れてたから寝てたんだろ」
「いやそりゃそうでしょうけども」
「別に、しない日があってもいいだろ」
でもさでもさ、とスピーカーに埃を詰まらせたようにモゴモゴと言いながらマックスは食い下がる。
「どうせならえっちだけでもしたいじゃん」
その言葉に、カートはさっきまで熱くなっていた胸が急に冷たくなる感覚がした。
所詮はセックスするだけの同居人だった訳だ。結局体が目的か、と一人浮かれていたことを恥じたと同時に腹の奥から静かに怒りが湧いた。
「それにさ、カートがさ。俺としたら元気になるかなーって」
「マックス」
続く言葉を遮った。
胸に押し寄せる苛立ちから声が鋭く尖る。
「無理なんだって」
「…………そう。わかった」
無理言ってごめんね。
そう言ってマックスは立ち上がり、玄関の方へと歩いていく。その項垂れる背に待ってと声をかけたところで今の自分が何を話せるんだろう。毛羽立つ心が声を出すことを邪魔した。
狭い部屋にバタン、と無機質な音が響いた。
――
目も回る忙しさとはこのことか。
会社の決算期の忙しさは尋常じゃない。
いくら働いて、働いて、働いても社長の掲げる数字には届かないようで毎日のように現場と会社を往復して帰宅できたのは二週間後だった。
その間、マックスとは会社ですれ違うことはあっても話す暇なんてなかった。
拒絶したあの日から、マックスとはまともに会話すらできていない。
「おかえり、カート」
それなのに、この男は明るくカートを出迎えてくれる。身勝手にも疲れた心が解れた。
二人がけのソファを一人で占領していたマックスは、カートが帰宅すると片側へ移動して隣に一人分座る空間を用意した。
カートはただいま、と帰りの挨拶を返してマックスの隣に腰を下ろす。
「マージで今回仕事量えぐかったね。俺、ハッキングしたまま他の機体のシステムエラー修理したの初めてだよ」
「俺も。3件喧嘩の仕事ハシゴしたのは流石にやばかったわ」
「やば。バッテリー大丈夫だった?」
「予備電源切り替えまくった」
殴った相手を思い出そうとしたがもはや強化人間だったのかサイボーグだったかさえ覚えていない。カートにとってはただの流れ作業だった。
「これ、売上達成しなかったら俺たちのボーナスないのワンチャンある?」
「あってたまるかよ……」
いつもの会話だった。
まるで先日の気まずさなんてなかったかのようだ。
もしかしたら空気の重さを感じているのは自分だけで、マックスはもうなんとも思ってないのかもしれない。
そう思わせる位マックスはカートに自然に話しかけてくれた。
このまま久しぶりに対戦ゲームでも誘ってみようか、と考えていたらマックスが「そんでさ、」と躊躇うように切り出した。
「そんでさ、カート……聞いていいかわかんないんだけどさ」
歯切れ悪く話すマックスに嫌な予感がした。
無意識なのか組んだ手の人差し指をくるくると回している。
「ピアスさー……もしかして、気に入らなかった?」
体が強張る。
隣のマックスを見ることができない。
「は?なんで?気に入ってないわけねぇだろ」
「じゃあなんでつけてくれないの?」
「……会社に忘れた」
また、嘘をついた。
空気が揺れる。マックスの顔がこちらに向いたのがわかった。
「会社でもしてなかったじゃん」
「それは、」
「なんでそんな嘘つくわけ」
液晶画面から伝わる声は苛立ちが滲んでいた。
マックスの怒りがピアスをしなかったことなのか、それとも嘘をついたことなのかカートにはわからなかった。
ただ、マックスがゲーム以外で苛立つ姿を見るのは初めてだった。
「それにさ。そんなしょっちゅう忘れるなら、気に入ってないってことじゃん」
「だから…それは……その……」
脳裏に粉々になったピアスが過り、今度はこちらが歯切れが悪くなる。
なんとか言い返そうと頭のメモリをひっくり返してみたが、カートのスピーカーからは何も出てこなかった。
「……はぁ。なんか疲れちゃった、俺」
そう言い残してソファから立ち上がったマックスは、白いブランケットを体に覆い被せて完全にカートに背を向けて丸まった。
その背の隣で寝る勇気がなくてカートはそのままソファにごろりと横になる。
おやすみ、と壁に向かうマックスに声をかけても返事はなかった。それだけで心から血が出るようだ。
もう、ダメかもしれない。
マックスの一言で胸いっぱいに喜びを満たすのも、こうやって自分勝手に傷つくことにも、もう疲れてしまった。
不毛な関係は終わらせてしまおう。
カートは振り向くことがない背中をじっと見つめながら、仄暗いネットの海へと沈むように潜ったのだった。
――
新◯◯駅前。
夜が更けて生身の人間が酒やタバコの匂いが強くなるこの時間、カートは駅前で人を待っていた。
マックスではない、顔の知らない誰か。
別れる前に、せめてピアスの弁償だけでもと調べるとなんと給料三カ月分。
なんでこんな高いものを買ったんだ、アニマトロニクスはどうした。と頭が痛くなった。
できれば違法行為で金は作りたくない。
悩んだ末にカートは昔同僚が話していた掲示板へと行き着いた。
所詮、出会い系。
お金を稼ぐなら適当に体の写真をアップして金額を書いたらホイホイ釣れるぞ、と気持ちの悪い薄ら笑いを浮かべながら言っていた。
サイボーグに需要なんてあるのかとその時は聞き流していたが、宇宙は広いもので意外とモノ好きは多い。すぐに相手は見つかった。
待ち合わせ時間まであと五分。そろそろ相手が現れる時間だったが、まだそれらしき人物はいない。
あてもなく歩く集団を見つめて、マックスのことを思い出す。
「ごめん、修理依頼入った」
「これから仕事。先寝てて」
「今日も帰れないや。ごめんね」
謝罪が織り混ざるメールにわかった、とだけ返す日々。
あの日から帰ってこないマックスはどうやら繁忙期を過ぎても仕事にあけくれているらしく、カートが寝ている間に部屋に帰ってきていたらしい。
らしい、というのは朝起きて部屋を見回すと生活した跡があったからだ。
その自分を避けるような痕跡に腹が立って、半ばやけくそに気付けば書き込んでいた。
数分も経たないうちに何件か返信がついて、そのうちの一件からの返信に「プラス5円でどうですか」とあったので了承したのだ。
別にマックス以外の男にも女にも興味がなかった。
誰でもよかったから一番金額が良い相手を選んだだけだった。
風景のように行き交う人々を眺める。待ち人はまだこない。
もしかしたら冷やかしだったかも知れない、と思い始めたその時。人と人の間を縫うように歩いてくる人影が見えた。
真っ直ぐとカートに向かってくる男の顔に、息を忘れる。
おい、嘘だろ。と小さく口元のランプが点滅した。
「な、んで……」
目の前に男が立つ。
現れた男に驚きで頭が真っ白になった。音声出力がうまくできずにスピーカーから出る声が震える。
「なんでって書き込んだのカートじゃん」
マックスが立ち尽くすカートに一歩近づく。
混乱と羞恥が頭の中で混じり合う。
「ねぇ」と冷たさを感じる声に、視線をあげることができない。マックスの足を見るだけで精一杯だった。
「そっちこそなんであんなの書き込んでるわけ?何?欲求不満?」
「ち、ちが」
「ほいほいここまできちゃってさぁ。こうやって誘いこむの何回目なわけ」
責め立てるマックスに何も言えなかった。
知られたくない人に知られてしまった。俯いた顔が、歪んで泣きそうになる。
周りからヒソヒソと話し声が漏れ出してきて、マックスは大きくため息をついて、カートの腕を強く引っ張った。
思わず抵抗して腕を引くと、もう一度深いため息が聞こえる。
「ここでやりたいの?人いるけど。そんなに性欲強かったっけ?」
マックスの心を抉るような言葉に思わず顔をあげたが、いつも分かりやすい程喜怒哀楽を表すマックスの表情が抜け落ちていた。その顔をみて、バッテリーが切れた時のように腕の力が入らず、抵抗をやめた。
そのままマックスに腕を引かれるまま着いていく。
途中で無理やり離れることもできたが、それをすると今背を向けて進むマックスが二度と振り向いてくれなくなる気がして、腕を振り払うことができなかった。
ホテルに着いて、チェックインする間もお互い無言だった。
扉を開いてそういうことを目的にしたキングサイズのベッドにぐい、と押し込まれた。
「脱いで」
ベッドに倒れ込んだカートを見下ろすマックスは短く命令する。温度が感じられない、感情のこもっていない声だ。
柔らかな素材に沈む体をカートは弁明するために慌てて起こした。
「ま、マックス。待てって」
「何言ってんの?あんなところで書き込んでセックスしたかったんでしょ。俺と住んでる間も出会い系で遊んでたわけ?」
「俺そんなことしたことないって」
「はぁ?手慣れた感じで募集してたじゃん」
マックスが馬鹿にしたように笑う。
頭がカッと熱くなる。なんでお前がそれを言うのか、と不本意な思いが込み上げる。
「お前だって、仕事仕事って言って俺のこと避けてた癖に」
「はぁ?なんでそうなるの?普通に仕事でお賃金稼いでましたけど。こんなことで稼ぐあなたと違って」
「別にお前には関係ねぇだろ」
わざと突き放すようにそう言った。
自分の中で処理しきれない感情が言葉に険を混ぜる。
一瞬だけ黙り込んだマックスがベッドの縁で立ったまま「なんで?」と呟いた。泣きそうな声だった。
「俺、何がダメだったの?あんなに仲良く生活できてたのに、何がダメだった?」
「マックス、」
「カートも俺とのセックス気持ちいいって言ってたじゃん」
「気持ち良いとか気持ちよくないとかの話じゃなくて」
マックスはベッドの縁に足をかけてカートの首へと腕を絡める。
こんなに弱ったマックスを見るのは初めてだ。
振り解くのも忍びなくて、カートは甘んじてマックスを受け止めてギシリとベッドを軋ませた。
耳元から湿った声が「なんで、」とまた聞こえる。
「俺、こんなにカートのこと好きなのに」
「……は?」
マックスの言葉が耳に届いた瞬間思考が停止した。
今なんて言ったこの男は。
「なんでカートは俺のこと好きになってくれないの」
「待った。マックスちょっと待った」
脳みそが言葉の意味を処理しきれずに抱きついたマックスを引き剥がして肩に手を置いた。
カートは黄色い両目を久しぶりに真っ直ぐと見つめた。マックスも見つめ返す。
「俺のこと、好きってどう言う意味」
「カートと墓に入るまで一緒にいたいって意味だけど」
ぐらり、とお互いの体重を支えていた体の力が抜ける。
「わっ」と驚くマックスを上に乗せてカートはそのままベッドに仰向けになった。
好き?マックスが好きって、何。
言葉の意味を飲み込んで、咀嚼して、ようやく理解するとカートはシーツを手繰り寄せて顔を覆った。
「……マジか」
顔が熱い。体の熱が全部顔に集まったのかと思う程に。
「ねぇ、カート。なんでそんなに可愛い顔してるのさ」
シーツの間から覗き込むマックスは先ほど泣きそうになっていたのはどこへやら。
スピーカーから嬉しそうな声を出してカートを揶揄った。