浴衣に纏わる掌編 仙台七夕祭りは、仙台藩祖・伊達政宗の時代から数百年続く東北三大祭りの一つである。
旧暦の七月七日、新暦では八月の初め。街の至るところに趣向を凝らした七夕飾りが溢れ、夜空の星を映すように揺れている。
及川徹は、実家に帰っていた姉に着付けてもらった若竹色の浴衣を満足そうに眺めながら、青城バレー部員たちとの待ち合わせ場所であるアーケード街の入口に立っていた。
今日はちょうど部活のオフ日。最終学年ということもあり、思い出作りに皆で行くのも悪くない、と計画していたのだ。
地元から一緒に来た岩泉は、知り合いらしき町内の青年団員から力仕事を頼まれ、今ここには居ない。
「はりきって、ちょっと早く来すぎちゃったかな。」
人波の中、独りで佇む及川に、着飾った多くの女性たちから熱い眼差しが注がれていることを、本人は知ってか知らずか。
手持ち無沙汰に、裸足で履いた下駄をコロコロと鳴らしていると、不意に低い声でその名を呼ばれた。
「及川、か?」
振り返った瞬間、及川は息を呑んだ。
濃藍の浴衣を纏った牛島若利が、そこに立っていたのだ。
「な、何でウシワカちゃんがここに居んのさ!」
「祖母の供で、近くの呉服店に来ている。店主との話が長くなりそうなので、断りを入れてしばらく辺りを見物していた。」
おそらく、普段から和装に慣れているのだろう。手にした扇子で優雅に風を浴びる姿は、同い年とは思えぬ風格に満ちている。
思いがけずその姿に惹きつけられていることに気づいて、及川はぎこちなく視線を逸らせた。
「及川は……その、誰かと待ち合わせなのか。」
一瞬言い淀んだ牛島に、状況を察した及川は、ふんと鼻で笑い返した。
「そう! 及川さんは、これから可愛い女の子とデートなの。お前も、早くおばあちゃんとこ帰ってあげなよ」
「そうか。邪魔をした。」
「じゃあね~、ウシワカちゃん。」と努めて軽い調子で笑い、ひらひらと手を振る。
すると、牛島は品の良い所作で扇子を閉じ、自らの帯にすっと差した。
「及川、その前にちょっと……、その、着付けが乱れているから、直しても良いだろうか。」
「へっ?」
「帯の位置が高い。これではまるで兵児帯だ。」
辺りに満ちていた蒸し暑い空気が瞬間動いて、牛島の太い二の腕が、後ろから抱きしめるように及川の身体に回された。
「あっ……!」
帯がぐっと、腰骨の位置まで下げられる。
うなじに掛かる牛島の吐息が熱い。
浴衣の生地越しに触れ合った肌が熱い。
そして自分自身の呼吸までも、火照りを孕んで熱く――湿度に酔わされるように、目眩がした。
「よし、これでいい。」
いつの間にか、牛島は及川の正面に立ち、目を細めてその姿を眺めていた。
「あ、ありがと……。」
「よく似合っている。半衿も付いていて、きっとご母堂が心を込めて選んでくれたのだろうな。」
「『ご母堂』ってガラじゃないけど……。ウシワカちゃんも、その浴衣似合ってるよ。なーんか、いつも和服着てますって感じだよね。」
その言葉に、牛島はほんの一瞬だけ口角を僅かに上げ、柔らかな気配を纏わせから、手を挙げてその場を後にした。
「おお、及川! もう来てたのか。」
人波の向こうから、松川と花巻が揃って姿を見せた。
「へえ、浴衣いい感じじゃん。……あれ? なんかお前、顔赤くね?」
花巻に覗き込まれ、及川は紅潮した頬をとっさに手で覆った。
――あいつのせいじゃない。あいつに触れられたせいじゃない。牛島に、この姿を褒められたせいじゃない。
自らにそう言い聞かせながら、及川は色とりどりの華やかな七夕飾りを見上げ、いつも通りの笑顔を浮かべようと試みた。
fin