第四回紅月で蓮巳殿を祝う会(前日譚) まだまだ残暑も残る9月の頭のこと。
メガスフィアでの生活も少しずつ慣れ、今日は紅月としてではなく個人の活動を、という日のはずだった。
そのはずだったのだが、蓮巳が部屋を出た途端、鬼龍は神崎と共にかなり強い力で引き留められたのだ。
あざや痕こそできていなかったが、自分たちのことを熊か何かと思っているのかと聞きたくなるくらいの勢いだった。
引き留めた当人は、引き留めた瞬間とは打って変わってのんびりとさんぴん茶を淹れている。淹れているといっても、メガスフィア内の自販機で売っているペットボトルのさんぴん茶をグラスに移しているだけなのだが。
「本当はちゃんと茶葉から淹れたいんだけどね〜」
「それで、滝、話というのはなんだ」
呼び出した張本人、滝は、3人分のさんぴん茶を器用に手で持ち、鬼龍と神崎の前まで運んだ。
「落とすなよ」
「そんなヘマはしないさ〜」
やっと着席したところで、滝は壁掛け程度の大きさのホワイトボードを取り出した。
「これより、第一回紅月の蓮巳サンの誕生日のための会議を始めるさ〜!」
蓮巳がいない面子である以上、想定はできていたが、思っていたより大きなことをやりたがっているように見えて、鬼龍は面食らう。
「待つのである」
しかし、神崎は滝の様子よりも先に物申したいことがあるようだった。
「第一回、とはどういうことだ? 我は毎年蓮巳殿の誕生日について鬼龍殿に相談していた。一回目ではない」
「吾にとっては一回目さ〜」
「それに文字が大きすぎるのではないか? あと『の』が多い」
咄嗟によくそこまで気付いたな、と思うが、確かに文字が大きいこと会議のタイトルが長いことが相まって、ホワイトボードの三分の一が既に埋まってしまっている。
「『蓮』と『誕』が難しくて小さく書けなかったんさ〜。そこまで言うなら神崎サンが書いて〜?」
差し出されたホワイトボードを、神崎は渋々といった様子で受け取った。文字を消し、マーカーを手に取ったところで神崎の動きが止まる。
「・・・・・・鬼龍殿、我が入る前に蓮巳殿の誕生日について誰かと相談したことはあったのであるか?」
唐突な質問に鬼龍は首を傾げるが、神崎の手が『第』まで書いて止まっているのを見て、何を聞きたいかが少しだけ理解できた。
「ねぇな。神崎が入ってくる前は、それどころじゃなかった。個人的に祝ったくらいだ。気にしなくていい」
だから、神崎が覚えているのが一回目。鬼龍がそう言うと、神崎の口元が少し緩んだ。
「なるほど。ならば、これで四回目であるな」
『第四回紅月で蓮巳殿を祝う会』。達筆な文字で書かれた会議のタイトル。
「神崎サンの文字は綺麗ね〜」
「おぬしはもう少し精進せよ。漢字が小さく書けないのであれば、書類で苦労する」
「そういうときは平仮名を使うさ〜」
「そういう問題ではない!」
滝と神崎が言い合っているのを横目に、鬼龍はホワイトボードを眺めていた。
タイトルに使ったスペースは五分の一もない。それだけ話したいことがある、ということだろうか。
意外にも、神崎も会議を必要とするほど大きなことをする気があるようだ。
毎年神崎から相談を受けていたが、最終的には『誕生日はライブもあるから』『様々な形でファンと祝うため、蓮巳も多忙だから』と三人で軽く祝うくらいに留めていた。
それを思えば、なるほど、確かに今年は趣向を変えてみるのも悪くはない。
「じゃあ、何がしたいか提案していくさ〜! 吾はフラッシュモブをやりたい」
大きすぎる。いくらなんでも。
「『ふらっしゅもぶ』とはなんであるか?」
咄嗟に頭痛を覚えた鬼龍とは対照的に、神崎はフラッシュモブに興味津々だ。知らないから、だと思いたいが、最悪の場合はどうにか説得しなければならない。
「フラッシュモブはね〜、周りにいる通行人の人たちが実は仕掛け人で、いきなり踊り出したりするって感じのサプライズさ〜!」
こういう感じの、と滝が見せた動画には、雑然としたビル街を行き交う人々が突如息ピッタリに踊りだし、困惑する女性を全員で祝う姿が映っていた。
最後こそ祝われた側は笑っていたが、蓮巳が最後に笑う自信が鬼龍にはない。
「・・・・・・これを『めがすふぃあ』でやるのは無理があるのではないか? ここには『あいどる』しかおらぬのだぞ。一箇所にこの人数を集めるのは無理がある」
「やっぱり難しい〜?」
「それに・・・・・・」
少し考えるように、神崎が一拍置いた。
「・・・・・・蓮巳殿はここまで派手なことは好まれないのではないか? 祝いたいという気持ちは伝わるかもしれぬが、それだけでは祝う側の独りよがりであろう。・・・・・・おぬしの祝いたい気持ちは認めるが」
「そう、ね、たしかに吾がやりたいってだけかもね〜」
一旦は案としてホワイトボードに書かれた『ふらっしゅもぶ』の文字に黒線が引かれる。
「では次は我が提案しよう。剣舞である」
「おお、いいね〜!」
「そうだな、神崎の剣舞は綺麗だし蓮巳の旦那も気に入ってる。いいんじゃねぇか?」
ホワイトボードの次の行に『剣舞』の二文字が書き込まれた。
「剣舞はかつて悪霊退散の祈りであったからな。蓮巳殿の厄除けを祈るのだ」
神崎の目がいつになく輝いているように見える。やってみたかったのだろう。
「で、問題は場所をどうするかだな」
「そうね〜。剣舞じゃ部屋でってわけにもいかないし」
「む、確かにそうであるな」
4人部屋とはいえ、流石に刀を振って舞うのに十分なスペースはない。
かといって、部屋の外でやるとなると、それはメガスフィアのカメラで配信されることを意味するのだ。
「あ、それなら、いっそ配信用のスタジオでやるのはどう〜? 配信も蓮巳サンのアカウントから!」
「なるほど、名案であるな」
ホワイトボードに『誕生日配信』が追加された。
「配信に映るってなると、半端な出来のもんは見せらんねぇなぁ・・・・・・」
鬼龍はパフォーマンスとしての剣舞はできても、本来の神楽としての舞は今から練習することになる。
滝に至っては剣舞自体まだ始めたばかり。
日程からして間に合わない可能性が高い。
「それなら、吾はエイサーをやるさ〜。無病息災を祈る踊りよ〜」
「そうだな、三人でやるよりそれぞれの得意なことをやった方がいい。俺は演武だな。これ自体に祈りの意味はないが、俺も何かしら祈るか・・・・・・」
二人が蓮巳に祈りを捧げるなら、鬼龍も何かしらの祈りを込めたい。演武も儀式の一部に使われたくらいには意味を持たせられる演目なのだ。
「厄除け、無病息災とくれば・・・・・・交通安全が一般的であろうか」
「メガスフィアも飛行機みたいなものだしね〜」
「やめてくれ、考えねぇようにしてるんだ・・・・・・」
ともあれ、確かに一般的なのは交通安全だろう。メガスフィアに何かが起こるなど考えたくもないが。
「・・・・・・旦那の安全を祈るか」
少しばかり背中に走った冷たいものを振り払い、鬼龍は頷いて見せた。
「では、誕生日配信は決まりであるな」
ホワイトボードの『誕生日配信』の文字の横に丸がつけられる。『剣舞』の横には『えいさぁ』『演武』の文字が追加された。
「誕生日配信〜って名目なら蓮巳サンもニ曲くらい踊った方がいいかもね〜」
「そうだな、旦那にも誕生日配信をしたいって言わねぇといけねぇし、そのときに『天翔KAGETSU』と『百花繚乱紅月夜(2025 ver.)』はやりたいって伝えておかねぇとな」
『誕生日配信』の文字の下に次々と文字が書き足されていく。
「しかしなぁ・・・・・・紅月から何か贈るって話なのに結局個人別になっちまった」
「三人から、といった形のものもあった方がよいかもしれぬな」
折角なら、三人でできることもやりたい。
こんな機会なのだから。
「そうさなぁ・・・・・・何かこう、嬉しかった祝いとかあるか?」
「あ、そういえば、マ爺ムンのところにいたときに、兄弟たちが頑張って料理を作ってくれたんさ〜。それとかどう〜?」
「ふむ、確かに、我も弟が寿司を作ってくれたときは嬉しかった。いいのではないか?」
「料理なら部屋でもできるし、配信されないからゆっくりできそうだな。いいじゃねぇか」
部屋に備え付けられている台所は狭く最低限のものしかないけれど、机も使えば三人で料理することも可能だろう。
その分役割分担が求められるが、『三人でやること』という目的には合致している。
ホワイトボードに『料理』の文字が追加された。
「蓮巳殿を祝うための料理か。ふふ、腕が鳴るな」
「神崎サンは料理得意って言ってたもんね〜。吾も故郷の味を蓮巳サンに食べてほしいさ〜」
「何を作るかはメガスフィアで売ってるもの次第だがな」
そこまで考えて気がついた。
メガスフィアの商業施設を利用できるのは六歌仙に選ばれた蓮巳だけだ。鬼龍たち三人が利用できるのはその辺りにある自販機とコンビニ程度の施設のみ。
生鮮食品が手に入るとは思えない。
滝も神崎もそこに思い至ったのか、眉間に皺を寄せている。
「・・・・・・蓮巳サンに頼めば、いい感じにはなりそう」
「しかし・・・・・・蓮巳殿の祝いであるぞ? 材料を買ってきて欲しいなどと頼めるわけが・・・・・・」
「・・・・・・別に、俺は構わないが」
突然背後から響いた耳馴染みのいい低い声に、慌てて振り向いた。
視界の端で神崎がホワイトボードを机の下に隠しているのが見える。手遅れだろう。
「・・・・・・旦那、帰ってきてたのなら声くらいかけてくれ」
「・・・・・・かけたぞ。誰も応えなかったが」
思っていたより熱中して話し込んでしまっていたようだ。
気まずそうな様子の蓮巳だったが、鬼龍たちも鬼龍たちで気まずい。最終的には知らせるつもりでいたが、作戦会議を聞かれるのは気恥ずかしかった。
「・・・・・・それより、買いに行けるぞ。荷物が多くなりそうだからな。そのときは誰か付いてきてくれ」
「荷物持ちするさ〜!」
「お供いたす!」
「おう、俺も持つぜ」
荷物持ち三人なんて、どれだけの量を作る気なのだろう。そう考えれば少し面白い状況ではあるが、きっと楽しい。そんな予感があった。
「それから、料理をするなら俺も参加する」
「え〜、蓮巳サンも?」
「俺一人で何もせずに待てというのか?」
口を尖らせながらも、滝は楽しそうだ。
「蓮巳殿も参加されるとなれば、料理より使う器具で担当分けした方がよいかもしれぬな」
神崎も楽しそうにホワイトボードに文字を書き足している。
未だ気まずそうな蓮巳も、照れもあってか視線こそ合わないが、きっと。
「その・・・・・・なんだ、・・・・・・ありがとう」
蓮巳の声に、いよいよ鬼龍の頬まで緩む。
「旦那、そういうのは当日にとっといてくれや」
「そうよ〜。本番はまだ先さ〜」
「当日は必ずや今以上に喜んでいただけるものを用意いたそう!」
風の強い日の方が、月は鮮やかで綺麗に見えるとは聞いたことがある。
けれど、舞い込んだ新風がもたらす変化が吉と出るか、鬼龍はまだ自信がない。
それでも、今のところはきっといい方向に進んでいると、そんな予感だけが確かにあった。