塩デのイデ←監『イデア先輩おはようございます!』
「ひぃっ!あー…また君…」
タブレットを学園に飛ばしていたら突然画面の死角から影が飛び込んできた。驚いて悲鳴をあげたが、いつもの後輩がちょっかいをかけてきたのだと分かってイデアはすぐにスン、と無表情になる。最もイデアの表情の変化なんてタブレットの向こうの相手…監督生には分からないのだが。
『今日も素敵ですね』
「何が?液晶の輝きが?」
『先輩の存在が』
「壮大で草。すぐ誇張表現したがるオタクのそれなんだが」
返事はしつつもタブレットを教室へ向かわせる。イデアの素っ気ない物言いにもめげることなく監督生はタブレットについて来て、聞いてもいないのにぺちゃくちゃとかしましく話し始めた。グリムがストックのツナ缶を全て食べてしまったとか、魔導工学の本を読んでみたが難しすぎてチンプンカンプンだとか、今日は雨が降りそうだから体力育成は屋内かなとか。イデアには全く興味のない話を続ける監督生に気のない返事をしつつ、視線はタブレットのカメラからパソコンの画面へと移った。
今日はネトゲ友だちのマッスル紅とクエストに赴く約束があるのでそれまでに装備やアイテムの確認をしておきたいのだ。監督生なんぞに関わっている暇はない。イデアがまともに聞いていないような返答をしていても監督生は気にする素振りもない。恐らくただ喋りたいだけでこちらが聞いているかどうかは二の次なのだろう。
『ところで私の国ではですね、むかーしの話ですが夢に知り合いが出てくるのはその人が自分に会いたいと思って魂が抜け出て会いに来たからだと考えられていた時期がありまして』
「何それ意味わからんのだが」
カチャカチャとコントローラーの音を鳴らしながら監督生の話にツッコミを入れる。視線はゲームの画面に向かっているので監督生がどんな顔をしているのかもわからない。
「夢ってのは少なくとも寝ている人間の脳…記憶とか感情が元になって出来てるものなわけで、普通に考えて会いたいと思ってるのはどちらかで言ったら夢を見ている本人だろ。別に会いたくて夢見るわけでもないけど。何その都合のいい考え方」
イデアの真っ当な返答に監督生はころころと笑い出す。何が面白いのか、イデアには全くわからなかった。しかし興味もないので反応はしない。
『1000年くらい前の話ですからね。現代の人間みたいな思考にはなりません。…それに多分、そのほうが都合が良かったんだと思いますよ』
「都合?」
『昨日貴女が私の夢に出てきてくれました。そんなに私に会いたかったんですね。…という。まあ口説き文句です』
ぞわ、と背筋に怖気が走った。傲慢にもほどがある。
「うげぇ。何それ。そんなこと言われて「えっ、そうなのかも?」とか思うやついる?こいつ何寝ぼけたこと言ってんの?としか思わなくない?」
『想い合っていたならこういう問答もありなのかもしれませんね。うぬぼれも、関係を前に進ませるスパイスというやつです。…まあ夢で占いをしたり、夢を神のお告げと信じていた時代のことです、こちらにもそういう時代はあったでしょう?』
まあそれはそうだが、それにしても随分と図々しい解釈だと思う。そうこうしているうちに三年生のクラスへ上がる階段の前まで来た。一年生の監督生はこの先に用はないはずだ。階段の手前でタブレットを停止させ、監督生に話を促した。
「で?」
『え?』
「その話が何なの?何で急にそんな話を?」
『ああ、いえ今日夢にイデア先輩が出てきたもので』
ごふ、と飲んでいたエナジードリンクを吹き出しそうになる。口の端に垂れた液体を手の甲で拭いた。
『もちろんイデア先輩が会いたがってくれてるなんて思ってませんが。でも会えるといいな、って思ってたので会えて嬉しいです。タブレットでしたけど』
「…あっそ」
動揺したことを悟られないように素っ気ない返事をする。イデアがどんな返答をしようが、監督生はにこにこと楽しそうに笑っているのだが。
「じゃあ話はこれでおしまいでしょ。さっさと自分の教室行ったら、こっちは3年の教室になりますので」
さっさとどっかに行ってくれ、と拒絶する態度をとったつもりなのに、監督生は何故だが目を細めてうふふ、と笑った。2つ年下、歳の割に幼い顔立ちの監督生だが、こうやって微笑むと妙に色気を感じてイデアは何だか落ち着かなくなってしまう。
「…何。何の笑いそれは」
『いえ、こうやって立ち止まって私の話が終わるまでちゃんと聞いてくれるの、そういう優しいところが好きだなと思いまして』
「…は!?」
『お話できてよかったです。それでは!』
言い捨ててパタパタと廊下を走り去っていく監督生の後ろ姿を、イデアはぽかんと口を開けて見送った。
…いや、教室近くまでついてこられるのが嫌だっただけだし。1年が3年の教室まで来たら目立つじゃん。監督生氏が目立つってことはそれに絡まれてる拙者が目立つってことじゃん。ただでさえあんな問題児に絡まれてまいってるのに。
「はぁ〜〜〜〜あ」
深いため息をついて椅子の背もたれに体を預ける。
「怖…あざと……拙者の平穏な学生生活を返してくれよほんと…」
嘆きの島の一件からしばらく経ってからだっただろうか、監督生は突然イデアに絡むようになった。
(略)
迷惑ではあるのだが、…悪い気はしない。かっこいいだとか、好きだとか、イデアは監督生の言葉をまったくちっとも小指の先ほども1ミリとも信じちゃいないが男子校に唯一存在する女子生徒に褒められるのは嫌ではなかった。
いや纏わりつかれるのは迷惑してるんですけど?監督生氏目立つし…なんか拙者に話しかけてきてるときもいろんな奴に声掛けられてるし、話しかけられても拙者のような陰の者はまともな会話なんて出来っこないし、迷惑だ。話しかけないでほしいと心から願っている。拙者は忙しい故、陽キャは陽キャらしく陽キャだけでキャッキャウフフしていてほしい。
心の底からそう思ってはいるものの、イデアも一介の男子高校生であるので可愛い女子に懐かれるというのは気分が良かった。しかしここで「監督生氏、そんなに拙者のこと好きなら付き合っちゃう?」なんて調子に乗ったことを言えば「え…ごめんなさい、私そんなつもりじゃ…」って引いた顔で言われるに決まってるし次の日には「あいつ監督生に告ったんだって、陰キャが勘違いしちゃってw」と全校生徒に知れ渡っているに決まっているのである。
拙者は出来るオタクなので〜。勘違いとかしない!絶対!
監督生の周りにいる人間を見ればわかるではないか。いくらオーバーブロット事件全てに巻き込まれたからと言って、いや巻き込まれたからこそ、当事者とその後良好な関係を築けるなんて普通じゃない。しかも癖の強いNRC生の中でもさらに一癖も二癖もある寮長たち相手に。
あれは根っからの陽キャ。コミュ強。人誑し。他の連中と同じように、イデアも攻略しようとしているだけなのだ。そこに深い意味はない。恐ろしい。
…恐ろしい、が、コミュ強なだけあって彼女との会話は意外と苦痛ではない。いや迷惑、迷惑ではあるんだけど、やっぱり。…繰り返すが監督生の好意なんてまったくちっとも小指の先ほども1ミリとも信じちゃいないが、それでもちょっぴり、イデアも好意を持ってしまうのは自然なことなのではないかと思う。
(略)
「君の暇潰しに付き合ってあげる時間も義理も僕にはないんだよ。一方的に話しかけて満足して人のことNPCかなんかだと思ってる?恋愛ゲームがしたいなら大人しく、攻略対象とだけ喋ってて。僕に近付かれるのは迷惑だ」
「もう話しかけてこないで」
吐き捨てて、最後にどんな顔してるのか見てやろうと思い、監督生の顔を見下ろす。イデアを見上げた姿勢のまま、イデアに負けず劣らず真っ白になった監督生の顔は絶望に染まっていた。初めて見るその表情に驚いて、ビクッと肩を震わす。がらんどうに真っ黒に見える大きな瞳が信じられないとでも言いたげにイデアを見つめ、唇がはく、と開かれた。
何事か言い返されるのが嫌で、イデアは監督生に背を向けて早足でその場を去る。イデアを引き留める声はない。足音もしない。イデアが足を前に踏み出す音だけが廊下にこだまし、自室の扉を閉めるまでイデアは後ろを振り返る事が出来なかった。
扉を背にはーっと息を吐く。
これでいい。どうせあの監督生は話しかけられて迷惑している自分の気持ちなど考えたこともなかったのだろう。だからあんなに驚いた顔をしていたのだ。自分のようなかわいそうな女の子が拒絶されるわけないと信じ切っているから。
馬鹿らしい。
パソコンの前に座って、つけっぱなしになっていたプログラムの打ち込みを再開する。監督生に関わってる時間など、自分にはないのだ。やりたいことも、やらなければいけないことも、自分にはたくさんある。どれだけ時間があっても足りないくらい。無心になって作業をしていると、監督生のことも忘れてしまう。イデアに会えて嬉しいと頬を綻ばせた笑顔も、絶望に染められた真っ白な顔も。その日の作業は、本当に久しぶりにはかどった。
次の日監督生はイデアの前に姿を現さなかった。自分を煩わすもののいない平穏な時間にイデアは放課後戻ってきたタブレットを片手に上機嫌に笑みを浮かべた。
「は〜やぁっと拙者の平和な学生生活が戻ってきましたな。陽キャは陽キャ同士勝手にキャッキャウフフしててくれよ。拙者を巻き込まんでもろて」
やっぱり陽キャが気まぐれに毛色の違う陰キャに絡みに来ていただけなのだ。好きだとか、かっこいいとか、そういうこと言っとけば好感度上がると思ってるんだろ。は〜やだやだ、こっちの気持ちも知らないで。
次の日も、イデアのタブレットに話しかける高い声は聞こえない。次の日も、次の日も、その次の日も。一週間が経ったところで「さすがにこんなに影も形も見えないのはおかしくないか?」とイデアは不審に眉を顰めた。
別に以前だって毎日会っていたわけではない。けれど朝声をかけられなかったなと思ったら飛行術でへろへろになっているところに突撃されたり、昼に食堂に行くと一年生たちで集まっている席から手を振られたり、部活に行くところを待ち伏せされていたり、グリムがいるせいもあるが何かと目立つ子なのであちらが気付かなくても目が行くこともある。
別に会いたいとか微塵も思っていないしむしろ会いたくない、関わり合いにならないでほしいと心の底から思っている。けれどもしかして、自分の拒絶の言葉で彼女は傷ついて、自分のことを避けているのかもしれない。そう思うと胸のあたりがモヤモヤと気持ち悪くて、ゲームをしていても集中出来ない。あれだけいつもたくさんの人間に囲まれている子なのだ。自分に拒絶されたところで別に大して気にもしていないだろうと思う反面、あれだけ当然に愛されている子は拒絶されることに慣れていないのではないかという気もする。
(略)
「人当たりのいいヤツってさ、2種類いると思うんだよね」
そう言ってケイトは自分の両手の人差し指で口の横をぐっと上に上げる。無理矢理引き伸ばされた皮膚がケイトの口を笑顔の形に変えた。目は全く笑っていないのに笑顔に見えるのはケイトの垂れ下がった目元がそれだけで彼の顔の印象を柔らかくさせているからだ。
…拙者の陰キャ顔とは大違い。神は顔立ちから陰キャと陽キャをわけているのか。
イデアが答えないでいるとケイトは気にせずに喋り続ける。
「ひとつは周りの人間が大好きで楽しいことを共有したいタイプ。イデア君が言うところのガチの陽キャ。まあこういうタイプは人当たりがよくても自分の楽しいことが優先で他人の都合を全然考えてなかったりする」
「2つめのタイプは周りの人間関係を円滑にするために人当たりをよくせざるをえないタイプ」
「監督生ちゃんなんかはそういうタイプ。多分あんまり人とわいわいするより一人でいるほうが好きなんだろうけど、身よりもないし、頼れる人もいないし、知らない世界の男子校に馴染むために無理していつもニコニコしてる」
「…は?」
(略)
「えーそれは仕方なくない?だって監督生ちゃんが勝手にイデア君のことを好きなだけでイデア君は別にそれに答える義務なんて無いわけだし中途半端に優しくして無い望み持たせちゃうほうが残酷でしょ?恋愛なんてそんなものだよ。監督生ちゃんだってそれが分かってるからきっぱり諦めてるわけだし」
「イデアくんは何にモヤってるの?」
「……あんなに毎日つきまとってきてたくせに、あっさり僕の前に姿を現さなくなったのが気に食わない」
「あちゃあ」
(略)
▼▼▼
図書館の一角に並ぶ自習用の広い机、その端に何冊かの本を積み上げた監督生がいた。いつもつるんでいるトランプ兵もグリムもいないようでたった一人、黙々とノートにペンを走らせている。常に誰かしらに囲まれているイメージがあるのに、静かな図書館で一人で勉強している姿は不思議としっくりとくる。右も左も分からない異世界に突然連れてこられて、授業に追いつくために必死で勉強しているらしい。情報としては知っていた。けれどその大変さを想像したことはなかった。
足を進めてまだこちらに気付かない監督生に近付く。閉館も近い時間に図書館を利用する人間は疎らで、付近に他の生徒は居ない。集中しているのかイデアが隣の椅子に手をかけるまで監督生は全く顔を上げなかった。
ギ、と椅子を引き摺る音に監督生が顔を上げる。イデアの顔を見て驚いた表情をした後、不快そうに眉を歪めた。それに身勝手にも傷付いた気持ちになるも、表情には出さないままイデアは監督生の隣に座る。今までなら監督生の方から嬉々としてイデアに声をかけただろうに、彼女は不可解そうに首を小さく傾げてノートに視線を戻した。まさか無視されると思わず、冷や汗が背中に滲む。緊張で内臓が喉から飛び出そうだった。
「な、何の勉強してんの」
「…私ですか?」
「君しかいなくない?それとも君には他にも人間が見えてるわけ?」
「はあ、一人事をおっしゃる方もいるので。魔法薬学のレポートです」
「ふぅん…」
ここでようやくイデアは監督生の方に顔を向けた。監督生はノートに顔を向けたまま、その横顔には「話しかけるな」と書いてあるように見えてイデアは早々にへこたれそうになる。コミュ障にそんな態度を取らないでほしい。しかし監督生に同じような態度を取り続けていたのはイデアだ。キリキリと胃のあたりが痛むのを感じながら口を開いた。
「…一年生の範囲なら教えられないことも、ないけど」
「ありがとうございます。授業でやったことをまとめるだけですので先輩に見てもらうほどのものではないです」
声色は穏やかだが内容は完全にイデアを拒絶していた。「そ、そう…」と返すしかないイデアに振り向きもせず、監督生は持っていたペンを筆箱にしまった。ノートを閉じ、荷物をまとめて急に帰り支度を始める。
そ、そんな露骨に避けようとしなくてもよくない!?
「君が夢に出てくるんだけど」
「毎日、泣いてる君がさ、ただ泣いてるだけで別に僕に恨み事言うわけでもないし、ただただ辛気臭くって朝気分悪いってだけで」
「はあ…そうですか」
「不法侵入では?」
監督生が眉を顰める。何言ってんだこいつと言わんばかりの表情だ。監督生から今まで笑顔ばかり向けられていたイデアはそれだけでダメージを負った。
「だから…その…」
じくじくと痛む心臓を鞭打って言葉を紡ぐ。素直な言葉なんて持ち合わせていない、これがイデアの精いっぱい、ギリギリの譲歩だった。
「あ、会いたいと思ってるから、相手の夢に、出てくるんだろ。だから、仕方なく、会いに来てあげたんですけど…」
ぱちぱちと監督生が目を瞬く。ふぅ、と小さくため息を吐いた監督生の纏う空気が少しだけ柔らかくなった。
「…よく覚えてますねぇ、そんな話」
「君が、僕に話したんだろ。その…く、口説き文句って…」
「まあそういう使い方もしたかもしれませんねってだけの話ですけど…口説かれてるんですか私?」
「……」
「……え?」
髪を桃色に揺らめかせ、顔を真っ赤に染めるイデアを信じられないと言った顔で監督生が見つめる。
「君、が話しかけてこないと、毎日物足りないんだけど…」
「…それはどうも…?」
「分かってないだろ、君…」
「一緒にいてって言ってるんだよ!」
つい大きくなった声が図書館に響いた。