字は人を表す「字は人を表す」という言葉がことわざの派生であるにもかかわらず広く受け入れられているのには、やはりそれ相応の理由があるようだ。
いつもと変わらぬ一週間を過ごし迎えた金曜の夜、羽鳥さんが作ってくれた夕食を食べ終えて、今日の洗い物担当である私がシンクに立つと、ふらっと書斎へ姿を消した羽鳥さんがいそいそと持ってきたのは祝儀袋と筆ペンだった。来週末は結婚式に招かれているという話は聞いていたが、どうやらその時に持参するものの表書きをするみたい。
羽鳥さんとお付き合いを始めて半年ほど経ち、週末は自分の家ではなく羽鳥さんの家で過ごすことも増えたけれど、意外と羽鳥さんの手書きの文字を目にする機会はなかなかない。ただでさえ現代人は人とのやり取りをLIMEなどの電子ツールで済ませてしまうし、メモだってスマホがあれば十分な中で、羽鳥さんはIT企業のバリバリの社長なのだ。当然右手に持つ相棒も、鉛筆やペンなんかよりタブレットが似合う。せいぜいタブレット用Pencilが関の山だ。
そんな羽鳥さんの書く字を、しかも筆ペンで書かれる字なんてそうそう見られないのだから、これは書く姿と共にしっかり記憶に収めるべきだと私のレーダーが反応した。
軽く水で流した2人分の食器を食洗機にセットし、スイッチを押すだけの簡単な任務を遂行したところで、私は何食わぬ顔をして羽鳥さんが作業を始めたダイニングへ向かった。そしていざ、字を書く羽鳥さんをまじまじと眺めさせていただこうと照準をテーブルの上に合わせたところで、思わず納得して歩みを止め、むしろ一歩引いてしまった。
羽鳥さんのお顔立ちが綺麗で整っていることなんて毎日思い知らされているし、長くて細い指を備えた手が綺麗なことも、少し目を伏せたような角度でより際立つ長いまつ毛が艶やかさを演出することも、真剣に指先を見つめる視線が格好良いことも、全部知っていたことなのに。
その指先から書かれていた字が、あまりにそつなく癖なく整っていて、百人が見たら百人が「綺麗ですね」と言うような、でも品もあるのに色気もあるような、まるで羽鳥さん自身を具現化したような字だったから。見る人が見たら柳みたいだという評価も載るかもしれない。あまりに「らしい」字と羽鳥さんのコラボに、視覚情報の処理が追いつかなくなってしまったのだ。
私が思いがけない動きをしたことは、当然羽鳥さんの視界にも入っていたようで、緩く伏せられていた目蓋がふっとあげられてしまった。唐突に向けられた薄茶の瞳にドキッとさせられる。
「そんなところで立ち止まってどうしたの?ごめんね、いきなり作業を始めちゃって。」
「いえいえ、羽鳥さんの家なんですし、今日の洗い物担当は私だったので何も問題はないんですけど。お邪魔しちゃいましたよね、すみません。改めて羽鳥さんって、とても羽鳥さんらしさが滲み出た字を書かれるんだなぁってなんだかすごく納得してしまって。」
「俺らしい字?」
「そうです。羽鳥さんの書く字を見たことがなかったわけじゃないですけど、たぶんRevelのみなさんで名前を書かずに寄せ書きされていても、羽鳥さんの字は羽鳥さんの字だって分かるんだろうなって思いました。」
「嬉しいね。『名は体を表す』って言うけど、同じように『字は人を表す』こともあるってのには俺も同意見かな。ねぇ玲ちゃん。俺も玲ちゃんが書く字を見て共感したいな。俺たち自身の相性はぴったりだと思うけど、俺たちの書く字が並ぶとどう見えるんだろうね?試しにそれぞれ名前を横並びで書いてみよっか。……ふふ、婚姻届みたいじゃない?」