後付けの天才世界は未知のものでできている。
それを強く痛感したのはまだ幼い時だった。
雑踏の音、人々の笑み、悪態、優しさ、蝶の美しさ。
そんなものを幾らか知っただけで、胸が張り裂けそうなほど高鳴ったのを覚えている。
それは“それ”であって、そこに優劣や良し悪しはない。それを定義つけるのはいつも人々の価値観であって、後付けに過ぎない。
人間とは、後付けの天才なのだ。
そう思った時にはすでに慌てふためく人の間を縫って、外へと足を踏み出していた。
数年前のことだ。いや、もう十年は経っている。だから今更気にする事もなく、平穏無事に過ごしている。
岩川亜砂都には、姉がいた。
しかし、会うことはない。人を分つものをは多様に存在し、その一つが死である。
語弊があるのでわ訂正しよう、姉は死んでいない。しかし永遠に会うことはできない。
それは自身で決めた戒めであり、命を守るための手段だ。
同じように悪しき風習を子供に押し付ける宗教団体から足を洗ったはずだが、果たして今どうしているのか亜砂都にはわからない。
そう思うと、途端に不安が溢れてくる。
生きていると言い張っても、詰まるところは生死不明。大事なたった1人の姉を心配しないほど無下な人間にもなれない。
そう言った時、亜砂都はいつも思い出す言葉がある。
「己も、後付けの天才である。」
今はこれが最善策であったと強く信じて疑わない。他に方法などなく、現状が最適解。
そう思うことが心の支えとなり、命を繋ぐ綱のようなものだ。
“もっと他の方法があったかもしれない”
そう思わないわけではないが、そう思えば終わりだ。
誰かに言われたならまだしも、自分自身の中で完結する問題には、自分で出した答えが最も相応しい。
そうやって正解を後付けしていく。
亜砂都は、割とポジティブだったというだけで、今、後ろを向いてコレはこうあるべきだったなどと、指摘に費やす時間はない。
正解と求めるものを正解にし、不正解と思うものから距離を取る。
それが後付けの天才故にできる自衛なのだ。
「この案件はノーザンクロスに、、、
こっちは、、、うーん、俺の手には負えないかも?
管轄のヤっさんに流すか、、
えっと死体処理の案件は後でミィーシェルに送って。
こっちの案件は、、、安全そうだし千早に任せようか。
これは、あとは俺の仕事かな。」
そうやって振り分けた書類を見て、うーんと深く唸ってまた数枚の書類の位置を変えて唸る。
数回繰り返した後に納得して名簿を印刷した紙に斜線を入れて、宛名のない封筒に小さな切れ目だけをつけて書類を入れていく。
数枚の封筒になったら、目印のようなわかりにくいサインを入れた。
彼の仕事は、裏稼業の仲介をすることが主な内容だ。
彼自身が後付けの天才であるのは、この仕事の影響も少なくない。
“あの人はなんで死んだのか”
“俺がもっと上手くやっていたら”
“自分のことがバレていないか”
そんな繰り返しをしていたら、身がやつれて壊れてしまう。だからこそ、彼はいつも考える。
最適解であるのには、安牌を選ぶこと。後悔したくないというならばリスクを避けること。そうやって立ち回ったのであればあとは自分のせいではない。他の何かの要因のせいである。
そこから開始されるのが後付けであり、そうやって心を守る為に、彼は思考を整えることを大事にしている。
「さて、ご飯、、、
は、後でいいか、これだけやってしまって。
それで、あとは。」
そうやって彼は仕事に没頭する。
生きるために。
心も体も、明日はつなぐために。
理由は明確ではない。
きっとそれも、後付けしていくのだと、彼はそうやって生きている。