今考えてもオレに落ち度は無かったと自信を持って言えるので、まあ単純に運が悪かった。
決して台風時に畑を見に行っただとか、津波警報が出た時に海に行っただとか、そういうフラグの立つ類の話では無かった。
本当に、ただ運が悪かっただけだ、と思っている。
***
ちょっと所用で確認する事が有って、出番の変更を伝えに行く優守と一緒にルリバチの部屋に行った。
思えばこの時ついでだからと優守に頼んで一人で行かせなくて本当に良かったな、と思う。
「入ンぞー、おにーちゃーん」
特に返事は待たずに勢いをつけて襖を開くと、すぱぁんと良い音がした。
ごろりとだらしなく横になっていた部屋の主は一瞬、わかりやすく嫌そうな顔でいつも通り小言でも吐き出そうとしたのか口を開きかけて、また閉じる。
おや珍しい。
いくら疲れてていても嫌味と皮肉は忘れた事は無かった筈だが。
いつもの様に傍まで近寄っても視線すら動かされず、見下ろした顔色が意図的に落とされた明かりの中でも白く浮き上がって見える程に、相当疲労が溜まっているように見受けられた。
ここまで分かりやすく疲れているようなら、オレの用事は急を要するものではないし出番の入れ替えと交代を検討した方がいいだろうと判断して、優守と相談する為に出直すか、と声をかけようと振り向いた所でぐっ、とスーツの裾を引かれてよろめいた所をダメ押しとばかりに引き倒されて尻もちをつく。
「イ、ッテェな・・・っ、何すンだ」
「・・・今日は、遊んであげましょうか」
背後から、ぬるりと白い腕が伸びてきて、然程強い力では無いにも関わらず絡め取るように抱き竦められる。
あーこれはマズい、大変マズいですよ。
経験則から弾き出された答えが脳でガンガンと警鐘を鳴り響かせる。
遊んであげましょうか、なんて優しい言い方をしているが暗に逃がさないと意思表示をされているのでオレの側へ拒否権が微塵も残されていない。
ちら、と盗み見た顔は先程の疲れを滲ませた顔ではなく、良い玩具を見つけたと言わんばかりの喜色を孕んでいた。
優守に逃げろ、と視線を送ると小さく頷いてそっと踵を返すのを、目敏く見咎めたおにーちゃんは静かに声を掛けた。
「優守」
「・・・・・・何だ」
「今回は見逃しますので、俺とこれの予定は全てキャンセルしておいてください」
「・・・・・・分かった。・・・程々にな?」
「善処します」
NOじゃねェか、とかツッコミ所は多々有ったがまあ優守が巻き込まれなかったからいいや・・・。
オレもそのまま逃がしてくんねェかな。ダメかな。
襖を閉めながら後ろ髪を引かれていそうな優守に、閉め切る前にまだ自由だった手を振って追い払うと静かに隙間無く閉じられた。
外から入っていた明かりが襖で遮られ、より一層室内が暗く感じる。
オレを抱き竦めたまま離してくれそうな気配の無い、お兄ちゃんが普段着にしている着流しの袖から伸びた腕を宥める様に撫でながら思わず溜息が零れた。
「はァ~・・・今日は何なんですかおにーちゃん、オレも暇じゃねェんですけど」
「たった今暇になりましたよ、良かったですね」
「アー、ソウデスネー」
普段なら「お兄ちゃん」等と戯れて呼べば返事はするものの否定と共に皮肉が倍になって返ってくるものだが、今日はそういえば一度も否定しねェなコイツ。
「そんで? わざわざ暇にさせてまで何か御用でしょーか」
「なに、俺や上の進言もとんと聞き入れずに日々の業務に献身する愚弟と愚妹を労うのも長兄の務めかと思いまして」
「わァ、めずらし・・・」
まあ当の愚妹には逃げられましたが、と言いながらくつりと笑い声を漏らす。
コイツ自ら兄を呼称するのは本当に珍しい。なんだ、明日は嵐でも来るのか。
表情と声音のみで判断するなら機嫌はむしろ良さそうな部類に入るが、言い回しは不機嫌の時のそれだ。
うーん、いつにも増して今日は読み辛ェなぁ・・・。
「なァに、おにーちゃん、疲れてンの?」
「いえ、特には」
「なるほど自覚が無い。こいつァ重症だ」
「貴方に言われる程では有りませんが」
「オレに言われる程おにーちゃん、あなた疲れてンのよ」
疲労による奇行に出ているのでそういうところはわかりやすいっちゃァ、わかりやすいんだが。可愛い弟を抱き締めて満足してくれるならそれでもいいが、背後を取られてる所為で落ち着かないし、何故か耳元で喋りやがるのでこそばゆくて正直今すぐ逃げ出したいが、がっちりと抑えられている以上無理矢理逃げ出すのは得策ではない。
いや、無理すれば抜けられなくもないが、それをやると後で余計に面倒臭い事になる。このおにーちゃんはそういう奴だ。
「ほら、子守唄でもなんでもしてやっから、ゆっくり休めよ」
「ほう、なんでも」
「あ、言葉のあ「聞こえませんでしたねぇ」
あ~、余計な事言った。
すぐ傍から聞こえる音が楽しそうに喉で鳴っている。
かと思えば、小さく舌打ちが聞こえてなんだと思うより前にぐい、と身体を引き寄せられた。
おにーちゃんに凭れるような形で先程よりも更に距離が近くなり、うっわ昔気紛れに構ってくれた時に許されてたやつじゃん、と懐かしさと同時に眩暈がした。
昔より体格差が小さくなっている分、より近いところで声が聞こえる様になってぞわりと腰のあたりに違和感を覚える。
わ、ちょっと、マジか。
「ーー!ちょっ、お兄様困りますお兄様いけませんお兄様ーーー」
「喧しい、はしゃぐな」
「嫌がってるんですが」
「ハッ、ご謙遜を」
謙遜じゃねェ~~。
言い争っている間にも淀みなくおにーちゃんの両腕はオレが着ているスーツのボタンを外しにかかっている。
「ちょ、おま、ま、マジでヤんの・・・?」
「おや、俺がつまらない冗談等で弟を眷顧する様な冷血漢だとお思いですか?」
「っ、ぁ・・・!」
冷えた指先が肌に触れて思わず声が出る。
慌てて口を塞ぐと、我慢しなくてもそれぐらい許しますよと嫌に優しく囁かれる。
「どうせあれが人払いしてるでしょう」
「そうだけどさァ・・・」
「この俺が直々に寵愛を下賜してやろうと言っているんですよ。大人しくしてろ」
あ~~このお兄ちゃんすごい横暴~~。
いつもと違い過ぎて違和感しかなくて落ち着かねェ~~やだ~~。
もう完全にオレで遊ぶつもりじゃねェかこいつ。
耳元で意識的に低めた囁き声で諸々吹き込まれる度にぞわぞわと背筋を這い上がる感覚が何かとは、考えるのは止めておいた無難だ。精神的に。
「・・・っ、ふ、ぅ・・・ッ!」
併せて緩慢な動作で服をはだけさせられていくが、後が怖いのでこちらから止めさせる手段が無いのが大変痛いところだ。後が怖いので。
マジで全部やるつもりなのか甲斐甲斐しくもオレに命令することもなく背後から回した腕が動いている所から目が離せない。
「あまり怯えられるのも心外なのですが」
「怯えてるっつーか・・・オレ可哀相だなっていうか・・・」
「・・・この俺が愛でてやると言っているんです。良い子にしてるだけでいいんですから、貴方でも簡単でしょう」
それに、と続けられた言葉に軽い頭痛がした。
「今回は特別に、貴方が好きな【優しいお兄ちゃん】でいてあげますよ」
有り難く思え、と言い捨てて再開された手の動きにびくりと大げさに身体が跳ねる。
いや別に、とか。オレそんな事言った覚え無い、とか。いつもと同じおにーちゃんの方が好きかなァ、とか。
余計な事は言わない方が良い気がして、返事をする代わりに優しいらしいおにーちゃん腕に縋るように指を添えて、今度こそ大人しく目を閉じた。
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優しいおにいちゃんと特別は望んでない弟の話。
この後は多分普通にあまあまよしよしほめほめえっち(当社比)です。
既に依柩が限界なので誰か・・・。