三色楼の「売り物」はこどもが多い。
その多くが経営陣の誰某が拾ってきた孤児達で構成され、安定した衣食住と引換えに仕事を与えられ、更には労働の対価として小遣い程度の額とはいえ金銭を与えられる。
そうして、働く事を覚えた頃には店の売り物として「色」や「花」を提供し労働への対価として金銭を得る事に慣れたこどもは、それを単純に『自分が働いた事への対価』だとすんなり受け取るのだろう。
それが、自分自身へ付けられた価値だとも知らずに。
***
ああ、苛々する。
はしゃぐこどもの甲高い声、あからさまに機嫌を伺う猫撫で声、過剰に詮索をする下卑た声。
苛々する。
なにもかもが気に食わない。こどもも、客も、店の奴等も。
あたしに勝手に付けられた価値があたしには相応しくない。その価値を正しく理解しない上の奴等も下の奴等も客の男共の何もかも。
「・・・失礼します、姐さん」
するりと襖を開けて顔を見せる黒いスーツの、まだあどけなさの残る顔のこども。
「・・・何よ」
「出番の変更を伝えに来ました。初回のお客様が是非姐さんを、と御指名です」
「嫌よ」
一見の分際で、花魁のあたしへの指名なんて。
身の程知らずにも程があるわ。
客は勿論、それを許す店側にも反吐が出る。
吐き捨てる様に拒否すると、こどもは小さく肩を竦めて「またですか」と呆れたように溜息を吐いた。
「もう今月に入って十度目ですよ。仮にも花魁なら、そろそろ昼か夜の営業に出て貰わないと。店の沽券にも関わります」
「・・・うるさいわね」
「事実ですよ」
ああ、本当に、生意気で小うるさいこども。
上とあの男に気に入られているからって、調子に乗って。
「・・・分かったわよ。出てあげるわ」
「ん、そうですか。じゃあ変更無しということで」
「あと、依柩、ちょっと」
「・・・・・・はい?」
「イイコト、教えてあげるわ」
アナタ、少し生意気だから。
あたしよりも背が高くなって見下ろしてくるところも気に食わない。
いつから付け出したのか、あたしの知らない耳飾にも腹が立って力任せに引っ張ってやった。
「っ、・・・ッ」
ぶちり、と肉が千切れる音がしてぱたぱたと赤い血が畳に吸い込まれて斑の染みを作る。
手の中の金属の飾りを見ると針の部分になにかの破片がくっついていた。
やだ、汚い。
「着替えてくるわ。あたしが戻ってくるまでに綺麗に掃除しておきなさいよ」
着替えのついでに手も洗おう。
あたしの前を塞ぐ邪魔なものを蹴ってどかして、吐き捨てる様に部屋を後にする。
ピシャリと閉めた襖の奥で痛みに呻く様を想像して「あたしに逆らうからそうなるのよ」と心中で呟いて少しばかり持ち直した機嫌に従って、仕方が無く店に出る準備をしに向かった。
***
その夜も懲りずにこどもはあたしの所に来た。
これ見よがしに左耳を覆うように貼られた清潔そうな白布には僅かに紅が滲んでいるように見える。
まあ、あたしには関係の無い事だけど。
「姐さん、出番ですよ」
「だから、何度も言ってるじゃない。嫌よ」
「・・・こちらも何度もお伝えしている通り姐さんに出て貰わないと困るんですが」
「困ればいいじゃない。花魁なのよ、あたし」
「・・・姐さん、これ以上続けられると流石にオレも見過ごせなくなるんですが」
「・・・なぁに、またお仕置きされたいの?」
手当てのされた方、それとも反対側の方。どちらがいいかしら。
する、と優しく手を伸ばすと触るなと言わんばかりに叩き落とされる。
・・・は?
なにそれ、本当生意気なんだけど。
「なによ、その態度。あたしを誰だと思ってるの?」
「・・・これが最後通牒になりますが、今夜客を取る気は?」
「しつっこいわね!嫌だって言ってるでしょ」
あたしはあたしを安売りするつもりはない!
花魁のあたしが初回の客を取るなんてありえない!
あたしを買いたいなら!贔屓されたいなら!何度も通いつめて機嫌を伺うべきなのに!
それが分からない内は店になんか出てやらない!
あたしは花魁なのに!
あたしの価値がわからない奴等に、あたしはあたしの事を好きになんてさせない!
溜めに溜め込んでいた不満を全部ぶちまけた。
あたしがここまで全部言わないと理解出来ない馬鹿な奴等。
こんなにも、あたしは我慢してやっているというのにまたあたしの努力を踏み躙る様に目の前のこどもは呆れた様に肩を竦めた。
「────分かった。今この瞬間をもってアンタを解雇する」
心底面倒臭いと言いたげに溜息と共に吐き出された言葉に、カッと頭に血が昇る。
反射的に振り上げた右手があいつの頬とぶつかってバチンと甲高い音を立てた。
「勝手な事言ってんじゃないわよ!何様のつもりなの花魁のあたしにそんな事言ってタダで済むと思ってんの」
あんた如きが勝手にあたしを辞めさせられる訳ないじゃない!
花魁のあたしを解雇だなんて、上が許すはず無い!
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、アンタ本当に自分の立場が解ってなかったんだな」
口を開いたあいつから出てきた言葉は嘲笑と侮蔑をふんだんに含んだあたしを小馬鹿にしきったそれだった。
もう一度引っ叩いてやろうと振り上げた手は、あいつに当たる前に空を切る。
「どれだけ痛い発言をしようが客を取ってるなら従業員だからとババアのヒステリーにも付き合って大目に見てやってたが、働かねェなら話は別だ。威張り散らかしてるだけの年増の役立たずを飾って置く程うちは慈善事業してねェんでな」
「なっ・・・!」
「しかもうちのルールも把握してないときた。これなら昨日入ったばかりのチビ達の方がまだ役に立つぜ、全く」
言わせておけば勝手な事を。
怒りで目の前が真っ赤になる。
早くこいつをあたしの前からつまみ出して欲しい。
部屋の外に向かって叫ぶが、返事は無く、そういえば誰の気配もしない。
なんで、と呟く前に襟首を掴まれて部屋の中央辺りに引き戻され倒れ込む。
片方しか見えないあいつの目が、温度の無い目であたしを見下ろしている。
あんたにそんな目で見られる筋合いなんてないのに。
このあたしが。花魁の、あたしが!
「・・・あ、んたっ!あたしにこんな事してお父様達が許すとでも」
「はは、上だって馬鹿じゃねェんだ。ココで起こってる事ぐらい把握してるに決まってンだろ」
「じゃあ、なんで・・・」
「オレが黙認を頼んだから」
「・・・は、」
なんで。どうして。
ここで働いてる者はルールで守られてる筈なのに。
こいつが解雇って勝手に言っただけで花魁のあたしがクビになるの?なんで?
いつもなら、あたしに乱暴するような客はお父様が助けてくれるのに。
どうして。どうして。どうして。
「・・・翠鳳のお姐様」
「なに、なんで、」
「夢見て許されてた時間は終わりだぜ?」
不意に、ぞろりとした無数の冷たいものに纏わり付かれる感覚。
喉から絞り出される悲鳴は、音になる前に訳のわからないモノに吸い込まれて何の言葉にもならなかった。
そのまま、ずるり、ずるり、とゆっくり壁の方へと引っ張り込まれていく。
いや、こわい、たすけて。
反射的に伸ばそうとした手の感覚が無い。
冷たかったはずのなにかが、じわじわと熱を帯びていく。
なに、なんなのこれ。
あたしの部屋の、畳の上なのにいやにぬるぬると滑るせいで引きずり込むなにかに抵抗出来ない。
なにかが、あたしの身体と顔を覆って、何もみえなくなる。
なんで、あたし花魁なのに。
どうしてこんな目に遭うの。
ばちん、と電気を流されたみたいな強い痛みが走って、唐突にこの生温かさとぬるぬるの正体はあたしの血なんだと気付いた。
依柩、いびつ。
助けなさい依柩。いつも可愛がってあげてたでしょ、あたし。
あんただって姐さん姐さんって慕ってたじゃない。
なのに、なんで、そんな目で見るの。
ねぇ、いびつ。
***
「あ、依柩さん!」
「おー」
「珍しいですね、依柩さんが食堂に居るの・・・って、うわ。どーしたんですかそのケガ」
「自称花魁にやられた。おかげで治るまで休業にされて困る」
「あー、あの年増。え、あの人がやったんですか?」
「そう。オレのピアスをぶちっと」
「えぇ・・・バカじゃないですかあの人・・・店の商品に故意に傷付けるとか・・・。ルール違反だし店への損失だから弁償とかすごいことになるんじゃないですか。まあ最近見ないんですっかり忘れてましたけど」
「・・・まだ店に出るようになって日が浅いお前ですらわかってンのになぁ・・・」
「依柩さんが褒めてくれるんで俺いっぱい頑張りましたよ」
「藤、お前今日非番?」
「ん、そうですね」
「裏の仕事も禁止されたオレに付き合ってくれ」
「わーい。じゃあ俺ごはんもらってきます!」
「ねぇ、依柩さん?」
「んー?」
「食堂の人にあんな人いましたっけ?」
「どれ」
「顔に包帯ぐるぐるの・・・おんな?のひと」
「ああアレか。・・・翅毟られて現実に戻ってきた羽虫だよ」
「ふーん、じゃあどうでもいいですね!それよりごはんの後何します?」
「なんでもいいぞ」
「やったー」
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自分が蝶だと信じていた話。
なんか削りすぎてちゃんと伝わるのか不安な雰囲気小話。