オカアサンには内緒だよ?みきがいないから探しに来た、と保健医と入れ替わるように現れた佳月は馘の手を引いて慣れ親しんだ英語準備室に戻ってきた。
入室のタイミングを考えると、どこまで聞かれていたのだろう。
聞かれていたとしても一体どこまで理解しているのか。
普段の佳月とはあまり感じたことのない気まずさを覚えて、さっきの話を聞いていたかと尋ねてみても「何を。」と逆に聞き返されてしまい上手く舌が回らずに言いよどんでしまった。
「元気ないね」
しっかりと内鍵をかけた佳月はよいしょと少々行儀悪く机に広げていた教材を適当にどかすと空いたスペースに腰掛けてにっこりと微笑んだ。
いつもの事務椅子に腰掛けた馘よりも、佳月の方が少しばかり目線の位置が高くなる。
何か聞きたい事があったり、追及したい時に相手よりも高い位置にいたがるのは佳月の癖なんだろう。
「何かあったの?」
言ってごらん、と促されるが、全部見せるには、まだ。
佳月になら、とは思考の端を過ぎるが、同時に無邪気に懐いてくる子供に幻滅されたくない、と保身がついてまわる。
先程吐露した内容を、当事者の一人でもある彼にそのまま伝えるのはまだ躊躇われた。
「......ふーん、俺には言ってくれないんだ」
そう考えている間に時間切れだったようで、少しトーンの落ちた声で、非難というよりはただの事実確認のような平坦な口調で呟く声が聞こえて咄嗟に違う、と漏れた声は佳月にはどう聞こえたんだろうか。
「まあいいや。おいでおいで、傷心のみきくんを可愛い佳月君が慰めてあげよう」
おどけた口調で軽く腕を広げて作られた自分だけを迎え入れてくれるためにスペースに、抗う事も忘れて収まると頭上からくつくつと控えめな笑い声が降って、髪の間に指が絡まりかき混ぜるように撫ぜられる。
「ふふ、可愛いねみき」
心臓の音がかすかに聞こえる距離で一定の間隔で鳴っているのがわかる。
「疑われてるのは否定しないけどラテは心配性だから、可能性が0ではないなら釘を刺しておきたいってだけだと思うよ。信用がないのはしょうがないけど、あの人は公正だから誠実な所を見せてればいずれ信頼はしてくれるんじゃないかな。俺とみきじゃ、どうしたって頼れるのはみきの方だもん」
「......ソウ、でしょうカ......」
「良い子の努力は認めてくれるタイプだよ、ラテは」
伊達にあのチビにママって呼ばれてないよね。
さり気なく放り投げられた暴言に苦笑しつつ、腕の中の身体に額を擦り付けるとくすぐったい、と僅かに逃げるように距離が空いたので、それが寂しくて再び抱き締めると抵抗なくすぐに隙間がゼロになる。
「多分ねぇ、ラテにはみきが俺達の事大好きで大事にしたいと思ってくれてるのあんまり伝わってないよ。ラテが知ってるやり方と態度じゃないから。そもそもみきのやり方は一般的じゃないせいでもある」
「......困リまシタね。たくサん、努力、しまセンと♡」
「がんばれ♡がんばれ♡」
「勿論、佳月モ一緒ですヨ?」
「もー、みきのえっち。元気でたー?」
「Darlingのおかげデス♡」
ぷつん、と佳月のシャツのボタンを一つ、二つ、と外して白い肌が見える面積を広げたところで「じゃあ、」と落ち着いた声で両手で頬を挟まれ、強制的に佳月と視線が合う。
にこぉ、と細くなった瞳には、今まで上手に隠されていた微かな苛立ちが滲んでいた。
「俺もちょっと怒ってもいいよね」
「......怒ってるンデス?」
「怒ってるっていうか。みきは俺の言うこと信じてくれてないんだなァって」
そんなことはない、と咄嗟に否定しようとした口を佳月の手のひらで塞がれて、空いている手で人差し指を唇に当てている。黙っていろということだろう。
「みきもちゃんと言わないとわかんないみたいだから、途中で変な思い込みされるのも面倒だし今から全部言うから最後まで大人しく聞いててね」
にっこりと笑みを深くして有無を言わさない雰囲気でそう言うものだから。
小さく首肯を返して了解を告げると、反論を封じた手のひらは離れていった。
*
まず俺に対して他人に言われたぐらいで揺らぐような罪悪感とか後悔とかがあるなら今すぐ全部捨てなさい。
そういうの要らないんで。
俺は俺の意思で馘が好きだし、好きじゃなかったらセックスもしないしわざわざ時間作って会いに行ったりしないしそもそも今此処にいねェの。
俺の方が最初に馘の事好きだったからね。馘の事が好きだから俺の事は好きにしていいし、馘がやりたいならいいよって許したし、何度も許してあげるって都度言ってきた筈だけどそういうのも全部馘から他人を守るための仕方ない嘘だと思ってるのかな。
失礼にも程がある。
正直他人とかどうでもいいし馘の方が大事だよ。だから馘が楽しいならそこらへんの男でも女でも好きなだけ使い捨てて遊んでもいいよ。まあその有象無象を俺やラテより好きだって言い出したら話が変わるけど。
何度も好きだよって言ったのも嘘だと思われてるの?
俺の事碌に知りもしないオッサンとかが言った適当な正論もどきよりも俺が直接馘に伝えてる好意はそんなに頼りないか?
他人への慈善でわざわざどうでもいいやつに抱かれる程お人好しでも正義のヒーローでもないんだけど、馘には俺がそういう風に見えてたのかな。
他人に口出しされても否定出来るぐらいには俺からの好きは伝えてたつもりだったのに。
もっと俺に愛されてる自覚と自信を持ちなさい。
何にも知らない他人の妄想と、俺のどっちを信じるの。
*
すらすらと長文の怒りめいた告白を一文字も噛む事無く謳いあげた佳月はじぃ、と笑みの形に細めた黒曜の瞳で真っ直ぐに射抜いてくる。
正解以外の答えは要らないとでも言う様に。
......これなら、いつかの酒の席のように癇癪を起こしながら泣きじゃくってくれた方がまだ対処の仕様もあった。
そういえばベッドの上で追い詰めて泣かせた事は多々あれど、こんな風に冷静に流れるように不満を並べ立てた上で詰問されるのは初めてかもしれない。
「......Sorry My Love.」
玉座のように腰掛けていた机から降ろして、ひざの上に乗せると椅子がぎしりと軋んだ音を上げる。
「なァに、ご機嫌取り?」
「......ハイ」
「ふふ、いいよ。許してあげる」
次は無いよ、といつかも聞いた言葉とともにぎゅうと馘の背に腕が回る。
「あ、そうだ。ついでに俺も警告しておこうかな」
「ナンです?」
「さっきみきがしたいことなら許すよって言ったけど、アレに手ェ出すのだけは止めてね」
「......?」
「天宮花月。まどかと一緒にいる方」
佳月の妹。やはり、佳月もあの美しい人と同じように身内の大切な人に手を出すと思っているのだろうか。
まあそれは、自業自得で、仕方ない事だけど。
ずくりとさっき刺さった棘のようなものが一段奥深い所へ潜り込んだような気がした。
「......佳月も、私ガ見境ナく手を出すト思いマス?」
「いや?アレ自体は別にどうでもいいの。そもそもまどかが許さないだろうし。ただそれをされると俺が嫉妬で頭おかしくなるから絶対しないでねって話」
「jealousy?」
「みきもやっぱりあっちの方がいいんだ、ってなると我ながら何するかわかんないからね」
ラテを受け入れ、他と遊んでもいいと先程言っていたからには嫉妬等しないものだと思っていた。
だからこれは少しだけ踏み込んだ好奇心。
「......破ったラ、どうシます?」
「んー・・・じゃあ二人で一緒に死のっか」
まるで明日の天気でも言うように。
遊園地を楽しみにする子供のような顔で。
「やっすい昼ドラみたいだけど、みきが独り占めできるならまあいいか。多分ラテは一緒に連れて行けないから悲しませるし、そうなったらみきが一番恨まれると思うけど」
「......熱烈ですネ」
「ふふ、みきがやらなきゃ済む話だから」
知らなかったの、俺結構独占欲強いよ?とくすくすと楽しそうに笑う佳月は、無邪気な少女のような顔をしていた。
(ラテには内緒だよ)
(不健全だって怒られちゃう)
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一回消えて心折れたけど書きたいとこだけ書いて終わり。
ずっと佳月くんのターン。