” ”の話猫宮献斗という奴は結局のところいればそれなりに便利に使えるが、いなければいないで特に問題になることはないどうでもいい存在で、死んだ所で悲しむような奴もいない、誰にも影響を与えない人生だった。
躾と称してたまにやってくる変な男が見せてきた”映画”を見ながらそんなことを言われたが、自分でもその通りだと思うし、別にそれでよかった。
俺だってあのインタビューみたいなやつに答えていた元同僚達の下の名前なんてぜんぜん知らないし。
頼まれた事を断って波風立てるより、都合の良いやつでいた方が圧倒的に楽だ。
そもそもとして、父親は飲んだくれの暴力男で母親は泣いて悲劇ぶるのが趣味のクズ達の間に生まれた俺がまともな人間である筈がない。
クズの機嫌を窺って刺激しないように先回りし、クズに寄り添うフリをして適当に相槌でも打っておけば痛い思いも苦しい思いもせず平穏に過ごせた。
その経験は就職してからも大いに役に立って、ここまで生きてきた。
他人を不快にすると自分に不利益がある。なら、相手の事を気持ちよくさせてやればいい。
そういう風に生きていると楽ではあったが、いつのまにかなんの色も味もしないようになっていたけど、まあ別に問題とは思わなかった。
そもそも生きてて楽しいと思った事なんて一度もなかったし。
それでも昔クズが酒を飲みながら寝ていた時につけっぱなしになったテレビに映っていた犬と、それに懐かれる人間を見る度に漠然と憧れのようなものがあって、引っ越して就職した先で犬を一匹飼ってみた。
ペットショップで一番小さかったやつで、金額も他の種類よりかなり安くなっていたので自分なりに可愛がっていたらすぐに動かなくなってしまった。
それでも可愛いのに変わりはなかったから世話を続けていたけど隣人がうるさくて俺の犬も取り上げられて家も追い出されてしまった。
まったく、あれは未だに意味がわからない。
それで、引越しを終えて次はあれよりも少し大きくて頑丈な犬を探していたらクロを紹介されて譲って貰ったんだが、どう考えても高校生ぐらいの人間だと思ったが犬だと言われたのでそういうものかと深く考えなかった。逆らうのも面倒だったし。
実際クロはあれよりも頑丈で、その代わりまだ躾られていないみたいだったから俺が教えてあげなきゃと飼い主の責任を感じて可愛がってやってたらこのザマだ。
ああもう最悪だ。
運が悪かったとか、それなら最初からそうだし。
逆鱗に触れたとか、そもそも誰だよって話だし。
クロは結局あの不法侵入者に盗まれてしまったみたいで、この間帰ってきたと思ったらまたいなくなってしまった。
可哀想に。まだ俺のところでは良い子に出来なかったから、泥棒のところで殴られているかもしれない。
俺がちゃんと育ててあげられたら、クロは俺みたいにならなくて済んだのに。
”映画”は終盤にさしかかったようで葬式のシーンになった。
遺影には、撮った覚えのない自分の写真。
そもそも誰が葬式をあげてくれたんだろう。
まさかあのクズ共がなぁ、なんて。
”俺”が死んで、”ポチ”が生まれた、んだそうだ。
誰にも、俺すら知らないところで俺が死んだ。
そう言われたところで”はぁそうですか”以外の感想はなかった。
だって結局、クズに殴られても、両手両足を切られて喉を切られて元々なかった人間の尊厳を木っ端微塵にして躾と称した暴力で痛めつけられても、誰も助けてくれなくても、結局まだ俺は生きちゃってる。
俺がポチになろうが、呼び名が変わったところで、だ。
なんなら、献斗と名前で呼ばれるよりポチと呼ばれた回数の方が多い気さえするから名前なんてどうでもいいんだ、正直。
大体、昔に酔っ払ったクズが言うことには、”献斗”の意味だってロクなもんじゃないから愛着なんてあるはずもない。
「・・飼育・・・契約書・・・?」
「そゆこと。・・・近々、正式におまえさんにポチを譲ろうと思うんだわ」
頭の上でされる”人間同士”の会話のいうことには。
”ポチ”はペットシッターの女の飼われる事になるらしい。
多分、女は断らないだろう。
だってこいつ”ポチ”の事異常に好きなんだもん。俺だって流石にわかる。
俺の事を本気で”ポチ”っていう犬だと思ってる変態だし、迷惑をかける方が喜ぶよくわからない奴だけど、そういう奴もいるんだなと思う事にしたらわりかしなんでも楽だった。
”ポチ”がなんにも出来ない方が喜んで、手間がかかる方が大事にしてくれる。
今まで関わった人間共とは完全に真逆だ。
俺が何も出来なくても、可愛いと褒めて嬉しそうにしてくれる。
それは全くよくわからないが、こいつが喜ぶならそれでいいや。
俺を虐げる怖い人はこいつを”ひみちゃん”と呼んでいるが、俺がそれ以上知ることはないし、どっちみち呼べもしないし、犬にわざわざ名乗る人間もいないから”ひみちゃん”が自分から俺に教えてくれる事も、多分この先ない。
でも、それでいい。
何かの書類を握りしめてじっと紙を見つめている”ひみちゃん”の膝の上に頭を置く。
普段なら、多分男に咎められて鞭が飛んでくるところだが、”ひみちゃん”が頭を撫でてくれるのでお咎めなしだった。
よかったね、”ひみちゃん”。
あんたが嬉しいなら、俺もそれでいいや。
昔見た犬と飼い主のやつ。
ずっと犬を飼ってる飼い主が羨ましいんだと思ってたけど、逆だったのかもしれないな、って今なら思うよ。
じゃあね、さよなら、猫宮献斗。
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代筆:遊離