藤代旋の過去回想(仮) • 「三人だった夜」（無邪気だった頃）
• 「事件直後の夜」（ただ絶望しかなかった頃）
• 「政府に入ると決めた夜」（壊れた心で選んだ道）



【回想1：三人だった夜】

――旋、晃揮、そして”アイツ”

汗と音で満たされたスタジオ。
夜の空気は、ひどく静かだったけれど――ここだけは違った。

「よっしゃ、今日のセッションも最高！」

ドラムの”アイツ”が、満面の笑みでスティックをくるくる回す。
晃揮は、ベースを肩にかけたまま、ニヤリと笑った。

「アイツ、テンション上がりすぎだろ」

「いいじゃねぇかよ。悪ぃ気分じゃねぇだろ？」

旋はギターのチューニングをいじりながら、肩をすくめた。

「……まあな」

“アイツ”がドラムをぽんと叩く。

「なあ、俺ら、もっとデカいとこ行こうぜ！
　でっかいステージで、腹の底から音鳴らそうぜ！」

晃揮がふっと笑う。

「なーに、夢みたいなこと言ってんだか」

「夢は見なきゃ始まんねーだろ！」

“アイツ”の無邪気な声に、旋は小さく笑った。

心から、そう思った。
世界には、可能性しかなかった。

「三人なら、行けるさ」

それが、自然な本音だった。

未来は眩しくて、音楽は、ただ楽しかった。

それだけだった。

――あの夜までは。

⸻

【回想2：事件直後の夜】

――壊れた夜

スタジオ前。
雨に打たれながら、旋は立っていた。

手に握るのは、三人で撮った一枚の写真。
濡れて、ぐしゃぐしゃになりかけたそれを、ただ見つめていた。

「旋……！」

走ってきた晃揮の声。
いつもの軽口なんか、どこにもなかった。

「旋……っ、アイツが……！」

震える晃揮の拳が、旋の胸を叩く。

「なんでだよ、なあ……なんで、あんな……！
　なんで……っ、あいつが、死ななきゃなんねぇんだよ！」

旋は、何も言わなかった。

言葉にできるわけがなかった。

あれはただの、偶然だった。
意味なんか、どこにもなかった。

晃揮は、涙も雨もぐちゃぐちゃにして叫んだ。

「音楽が悪いわけじゃねぇだろ！？
　アイツは……ただ、そこにいただけだろ……！」

旋は、ずっと沈黙していた。
そして、低く絞り出すように呟いた。

「……偶然だ」

晃揮は、拳を震わせたまま、崩れ落ちそうになった。

「――なぁ、旋」

声がかすれていた。

「俺たち……どうすりゃいいんだよ……」

旋は、答えられなかった。

このときの自分に、未来を語れる資格なんてなかった。

ただ、胸の奥に、一つだけ
どうしようもない想いが残った。

（音楽も、晃揮たちも――
　もう、二度と失いたくない）

それでも、その想いを、旋は言葉にはしなかった。
言葉にしたら、きっと折れてしまいそうだったから。

ただ、ずぶ濡れのまま、立ち尽くしていた。

雨の音だけが、世界を埋めていた。

⸻

【回想3：政府に入ると決めた夜】

――選んだ道

事件から一年後。
竜胆――音楽統制局の設立が発表された。
そして間もなく、「音楽規制法」の施行が決まった。

世界は、音楽を恐れていた。
音を、歌を、自由を、憎み始めていた。

その夜。
旋は、晃揮に会った。

「旋……本気かよ」

晃揮の声は、怒りとも、悲しみともつかないものだった。

「お前が、“あっち側”に行くなんて……ふざけんなよ……」

旋は、晃揮をまっすぐ見た。

「俺が行かなきゃ、もっとひどいことになる」

「……っ、そんなもん、クソくらえだろ！」

晃揮が噛みつくように叫ぶ。

「お前まで、音楽縛る側に回るのかよ！」

旋は、ギターケースを背負い直した。

「俺は、音楽も、世界も、守る」

その言葉は、旋が絞り出した本音だった。

けれど、本当は。
守りたかったのは、音楽と――晃揮たちだった。

それを、旋は絶対に口に出さなかった。

あの夜以来、
「大切なもの」の名前を、口にする勇気を失ったからだ。

「……悪い」

最後に、それだけを言って。

旋は晃揮の前を、静かに通り過ぎた。

二度と、振り返らずに。