月が静かに佇む夜、ルーナは自宅の寝台で寛いでいた。枕を背もたれにして上体を起こし、目は手元の本に向けられている。ぱら、ぱら、とゆっくりページを捲る音と、外から聞こえる小さな虫の声だけが子守唄のように流れている。
ふと、ルーナは視線を横にずらした。枕の隣のクッション。そこにドラゴンパピーが翼を折り畳んで眠るように丸まっている。果たしてこの愛玩生物のような姿を見て、誰がかの幻龍であると気付くだろうか。幻体であるミドガルズオルムは眠る必要がない。本来はわざわざこんな睡眠の真似などしなくてもいいのだが、消えようとする龍を引き留めたのはルーナだ。こんな穏やかな夜なのだから少しは付き合え、と。とはいえ何か話し込むわけでもなく微かな物音と吐息を共有するばかりだ。ゆるく口角を上げ、ルーナは再び並ぶ文章に目を向ける。心地よい沈黙だった。
ルーナがミドガルズオルムと旅をするようになってしばらくが過ぎた。出会った当初は光の加護を封じられとんでもないことをする龍だと憤ったものだが、気が付けば誰よりも傍にいる存在だとルーナは認識するようになっていた。竜詩戦争が終結した今、かの龍が己と共にいる理由はもうないのかもしれない。だが見守るような視線を感じる度、不思議と心強くなった。
「……」
最後のページを捲る。どんなものにも終わりがあり、ルーナ自身も、ミドガルズオルムも対象外ではない。
「幻龍よ」
「……どうした」
首をもたげてミドガルズオルムがルーナを見る。軽く首を傾げた様子に、これが猫なら迷うことなく撫でていただろうなと込み上がる笑みをなんとか抑える。しかし声をかけたはいいがルーナは次の言葉を続けることを躊躇した。
例えば、ルーナが死んだとして。
途方もない年数を生きる龍に比べて、ひとの一生はあまりにも短い。この先何年後かは分からないが、ルーナにも必ず死が訪れる。その後、ミドガルズオルムは自分を覚えているだろうか。ミドガルズオルムはルーナの内側にすっかり入り込んでいるのに、ミドガルズオルムの中に己はどれほど残るだろうか。そんな不安が脳裏を過る。
それは確かに不安という感情だったのだ。
一〇〇〇年を越えてシヴァを愛し続けるフレースヴェルグのように、幾千の時を越えてもミドガルズオルムが自分を思い出してくれたらいいのに。そんな思いが時々胸を締め付ける。
(ああ、まるで)
「……そろそろ眠る」
「そうか」
短いやりとりを終え部屋の明かりを落とす。
「おやすみ」
「ああ」
暗い中、龍の視線がルーナの輪郭を撫でる。瞼を閉じてもなお感じるそれに──ミドガルズオルムが消えないことへの安堵を隠し、ルーナは眠りについた。
(まるで愛のようだ)