ダンジョン最後の部屋で幻想体を倒したらとんでもないことになったんだがバスの中は憂鬱で満たされていた。いや、つい先程まではこれ以上ないくらいに喧しかったのだが、ヴェルギリウスが睨みを利かせたので皆大人しくなり、中でもこの状況を嘆く者に空気が支配されているのだ。
〈どうして、こんなことに……。〉
「避けようがなかったんだ、旦那。」
と答える声は、気怠げな女性のものだった。
「倒したら性別を変えるガスが出るなんてモン、知らなきゃ無理だったんだよ。」
〈……グレゴール。〉
彼に視線を向けるが、そこに居るのは小柄の眼鏡をかけた中年女性だ。右肩あたりにまとめた髪をいじる姿は、どこか彼の『母親』の面影がある。最初の任務での邂逅を思い出し、針が不規則に音を出した。
「でも、これはこれで楽しいですよね〜。」
と、ゆるふわ癒し系の女性ボイスが言う。こちらは骨格が変わった程度で大きな変化はなく、元の姿で異性装をしても似合うんだろうななんてことを思わせた。
「同感〜。あ、しばらく私じゃなくって俺って言ってみよっかな?」
トーク力抜群のナンパ男のようなノリの『彼』だが、2メートル近い恵まれたその体格に、初めて出会う者は思わず後ずさるだろう。
〈ホンルとロージャは強いね。〉
はぁ、とダンテは溜め息を吐く動作をする。
〈私は元々対象外だけど、時計を回してもダメらしいのに。〉
「ファウストさんが言うには、反転後の性別の身体で固定されるリスクがあるとかでしたっけ? そうじゃなかったら殺してもらって時計回してもらってたのに。」
低くも高くもないハスキーボイスの『青年』は、自身の今の身体が気に食わないようだった。
「イシュメール君、正義に身体の性別は関係ないのでありますよ!」
声変わりの訪れなかったようなソプラノボイスの『少年』が、また騒ぎ始めた。
「アナタはそんなに変わらないからそう言えるんです。私は前よりなんか貧弱になった気がして……筋肉量が増えるならもう少し腕とか太くてもいいじゃないですか!」
「そこを案ずとは、ゆかし。ヒースクリフ氏と同じなづみかな。」
少々低めのウィスパーボイスのスレンダーな『女性』がそう呟くと、スポーティーな体格の『女性』は大きく舌打ちをした。
「ああそうだな奇遇だよなぁ!」
低い声ではないが、喉から怒鳴るように発声しているためなかなかドスのある声だった。
「もどかしい気持ちはわかりますけど、ヒースクリフさん、なんかやけにピリピリしてませんか……?」
そう小さな身体をさらに縮こませた『少女』は、幼さを感じさせる声を震わせていた。
「全く、怒っていても嘆いていても、アフターチームや解析班の成果待ちであることに変わりはないだろう。全く……。」
元々中性的だった彼女、いや『彼』は男声に変わった程度で、大きな変化は見られなかった。
〈うん、まあ、そうだね……。〉
「いえ、管理人様のことを申し上げたわけではありません!」
「待つだけなのもつまらん。おい、む・だ、な・げ。」
脳内に染みるような低く凛とした声の主もまた、一見は大きな変化が見られない囚人のうちの1人だった。
「とりあえず俺に振るのなんなんだよ良秀さん、なにか芸をしろって? こうして喋るだけで、なんか緊張感走るのにか?」
「グレッグ、意外とお母さんに似てるんだもん、特に声。」
「あの人が勝手に息子呼びしてきたんだけどな……マジか。」
「次会ったらそう呼んであげたら〜?」
「元上司に向けて何させようってんだ!?」
裏返って情けない声を出す。一部の者はそれで緊張が解けたらしく、吹き出した。ついでに、仕掛け人はウインクを決めていた。
「フ。……ひ・ま・だ・な。」
「暇で待つのも怠い何かないか、って言われても……。」
〈翻訳の意味あった? ファウストはアフターチームの方行っちゃったし、下手なことは出来ないんじゃない? 何か案がある人いる?〉
ダンテの問いかけに、今まで黙っていた囚人が口を開いた。
「万が一に備え、運動を提案する。」
低く落ち着いた声の『彼女』は、普段とは異なり胸元を開けていた。本人は服を着崩すことを好まないが、最大サイズで入らないのだから仕方ない。
〈もう少し説明してもらってもいい?〉
「この姿で戦闘を行わないという保証はないため、その時のために身体を慣らしておく必要があるだろう。また、運動はストレスを発散させる手段の一つでもある。」
〈なるほど、いいんじゃないかな。許可が降りるか次第だけど……〉
チラとヴェルギリウスに時計の文字盤を向ける。
「ムルソーの提案通り、この身体での戦闘訓練のため一時的にバスを下車しても良いか、と管理人様は仰せだ。」
そこまでは言ってないけどな、とダンテは思った。が、大意はそうなので黙っていた。
「……。」
赤色の瞳がじっと見つめてくる。こくこくと頷けば、彼は深い溜息をついた。
「いいでしょう、ただしバスに人が残るようローテーションにしてください。それ以外は貴方に任せます、ダンテ。」
〈意外とあっさり許可が出た……。〉
「今の音は感謝に聞こえませんでしたが、声が聞こえないだけに勘違いでしょうか?」
〈ありがとうございます!!〉
「管理人様はしっかりと感謝の言葉を口にされています、脅しの取り消しを!」
「ああ、そうですか。勘違いだったようだ。」
彼はそう言って、バスのフロントガラスの方に頭を戻した。
「っし、終わったな? なら降りるぜ。」
「は、す・た。」
「少しは楽しめそうって、運動するだけですよね?」
既に解放されたと言わんばかりに、ヒースクリフと良秀が席を立っていた。
「確かに、正義の執行のためには弛まぬ鍛錬も必要であるな!」
続いて、ドンキホーテも。
〈えっ、あっ、じゃあ半分ずつでウーティスとムルソー!〉
マズイ、収拾つかなくなったらどうしよう。その焦りで指示を出したが、そもそもそれ以上に我こそはと立つ者は居なかった。それはそれとして。
「管理人様のお望みのままに! ほら、さっさと出ないか!」
「承知した。」
指名された2人からも、指名されなかった他の者からも不満は上がることなく、第一陣はバスを降りていった。