未知との遭遇地獄のようなチキン野郎どもとの一悶着があったのが、つい先日のことだ。バスは次の目的地へと向かっていたが、途中で燃料補給(厄介ごとの露払い)のためにそこそこの頻度で停車していた。これはその一幕での出来事である。
「はあ……今日で何回目です? いいかげんチンピラも学んで欲しいんですけど。」
〈……〉
イシュメールの愚痴に、ダンテは針を鳴らしながらバスの口に時計を向ける。
〈学ぶも何も、初めてでご飯になっちゃうからね……。〉
イチャモンや喧嘩を吹っかける側は知らないだろうが、このバスとその一行は全員の指を折っても足りないくらい襲撃を受けているのだ。最初の頃はバスの仕組み込みで色々思うことはあったけれど、今はもうただのノイズでしかない作業と化している。
「真面目に答えなくていいです。騒ぎぐらい聞いてるはずなのに、自分は大丈夫だとか仇だとかで判断を誤る人たちのことなんか。」
〈流石に飽き……疲れるよねぇ。〉
バスの口が最後の1人を飲み込むのを見届け、他に刺客になりそうな人物が潜んでいないことを確認する。うん、外の空気を堪能している数人の囚人達以外の姿は見当たらないな。
〈撤収ー!〉
いつしか自然と、そういった呼びかけは管理人であるダンテが行うようになっていた。以前は比較的協調性のある囚人数名が自主的にやることがあったが、それが気に食わない囚人と諍いになりかけてからはダンテに一任されるようになったのだ。
囚人達がヴェルギリウスに怒られない程度にダラダラと戻ってくる中、最後尾のイサンが余所見をしながらピタリと足を止めた。
〈……何か見つけたのかな?〉
「もしや曲者!? ならば加勢してしんぜよう!!!!」
〈あ、ちょ、ドンキホーテ⁉︎〉
明らかに緊迫した雰囲気ではなかったが、気が早ったドンキホーテが飛び出す。そのせいか向こうで何か状況が変わったのかはさておき、同時にイサンも脇道に飛び込んでいった。
〈わーっ! 待って待って待ってちょっと誰か一緒にきて!〉
ここでまた変な事件に巻き込まれたら、そして2人が死にでもしたら大変だ。と、とりあえずバスの入口でオロオロしていたシンクレアの腕を掴む。
「へぁっ、は、はい⁉︎」
哀れにも巻き込まれた彼は、目を白黒させてバスから降ろされる。それを見てロージャとグレゴールが席を立った。
「あ、おちびちゃんが行くなら私も〜。」
「ほっといていいと思うけどな、管理人の旦那が行くなら付き合うか。」
そんな感じで4人になった一行は、未だ2人が消えたままの脇道を覗き込んだ。
「む、イサン殿、後ろでありまする!」
「いと疾き虫なり。」
〈えーっと……〉
「なんというか、ゆるい幻想体とかですかね……?」
イサンとドンキホーテは、袋小路になっている路地裏(地域やスラムとしてではない)で何かを相手に格闘していた。振り向いたイサンとドンキホーテによって隅に追い詰められたそれは、この場の誰もが初めて見た謎の生き物だった。
黄緑色の扁平な身体に丸くつぶらな目がふたつついており、じっと2人を見つめている。2対の脚は子供が落書きで描いたようなもので、身体を支えるには貧弱な細さゆえか好奇心という捕食者の熱を受けて怯えているのか、それの尾から頭上に垂れているたわわな袋がプルプルと震えていた。
「かわいいんだかキモいんだかよくわからない感じよね。」
〈どこかで見たことあるような雰囲気だよね。〉
「ん……ああ、あいつだ、地獄のようなチキン。ってことは、親玉のねじれとやらがまた居るのか?」
「えっ、そっ、そんな! もう2度と料理はごめんですよ!」
「流石にそれはないんじゃない? あれ1匹だけみたいだし、食べたら美味しそうには見えないし。」
「とりあえずファウストさん呼んでくるか。意外と捕まりそうにないから、来てもらった方が早そうだ。」
「あ、じゃあ私行ってくる。」
おい、と咎めるようなグレゴールの静止も聞かず、ロージャは後を託していった。
「……ありゃ、野次馬に満足したな。」
〈そうだね。で、私達はどうしようか。〉
「狭いから下手に行っても邪魔になるだけですし、こっちに逃げてきたら捕まえ…るんですか?」
「ああ見えて、頭からガブリといくかもしれないぜ?」
「こ、怖がらせないでください! チキンの時にあったから余計に嫌だ……」
怖いというよりは生理的な嫌悪感の方が強そうだが、シンクレアは一歩下がる。その時。
「とりゃーっ!」
「ふっ!」
息を合わせてイサンとドンキホーテが謎の生物の捕獲にかかっていた。
『プピィッ!』
「?!」
しかしその生物はイサンに体当たりをして吹っ飛ばし、そのままの勢いで3人の元に飛び込んできた。
──後にとある囚人は語った。
「まさかあんな小ささでイサンさんを吹っ飛ばすなんて思わなかったし、すごく驚いたさ。そんな危険な奴に飛び込まれたら、誰だって反射的に手が出るだろう……?」
次の瞬間には、その生物に向かってグレゴールの腕が伸びていた。興奮すると勝手に暴れるような存在が、手加減などできるわけもなく。
謎の生き物は、袋の中身を飛び散らせながら物言わぬ死体となっていた。
ペットにしてはどうかと思ったのにと宣うドンキホーテと、落ち込みながら死体を回収し恨めしげにグレゴールを見つめるイサンを宥め、何故か様子がおかしくなったシンクレアを支えながらダンテはバスに戻った。
「あの一瞬で何があったの? おちびちゃん大丈夫?」
止めたまま話すわけにもいかないのでバスは走り始めたが、シンクレアがその揺れに合わせてぐらぐらとしていた。
「大丈夫れす……なんかふわふわすろぅ……」
〈あの生物を切り裂いた時、袋が破れて中身が口に入っちゃったみたい。〉
「あなや、わびしき騒動なりき……。」
「悪かった、悪かったって……」
イサンがファウストに死体を差し出す。
「ふむ、これが見て欲しかった元生物と推測します。」
「そ、なんかだいぶ変わっちゃったけど。」
ファウストはじっと見分する。切り裂かれた断面から中身を引きずり出してみるなど、身体構造を把握しようとしているようだった。
「これは生物としての機能を矛盾なく備えています。つまり、ねじれやその眷属、幻想体ではなさそうです。どこかの研究者が管理を怠り逃げ出した人造生物でしょう。」
〈え、じゃあチキンの時みたいな騒動には……〉
「なり得ないでしょう。大量発生し駆除が必要になれば、話は別ですが。」
「ぺ、ペットにするのは……?」
ヴェルギリウスの視線を感じているからだろうか、いつもの元気を潜めたドンキホーテはおずおずと聞いた。
「……。」
追加でファウストの呆れたような目線を正面からうけ、ようやく諦めがついたようだった。いや、人が吹っ飛ばされた時点で諦めておこうよそこは。
〈そういうのの駆除をするってなったら、大変だろうなぁ。1匹でさえイサンが吹っ飛ばされたし、シンクレアはふわふわしてるし。〉
「わざと筋力に優れし生物ならずめれば、かたきの弱点を的確に突くことに特化したりもこそ。」
「それって、一撃でも喰らったら混乱させられるってことだろ。駆除要請とかそんな羽目にならなきゃいいが。」
「そうですね。」
そう締めたファウストは、にわかに窓を開ける。そして用済みだと言わんばかりに、死体を外に捨てた。
「あっ……」
〈まあ、そうなるよね。死体だし。〉