ロストボーイ お医者が言った。
「さあもう大丈夫、一緒に回復を目指していきましょう」
一通りの診察は終わったらしい。一切の名残もみせない規則的な足音が遠のいてく。
静かになった病室、隣のベッドから溜息が零れた。
「酷いね、」
微かに笑いを含んだ声で風介が呟く。
「なにが、」
そう問いかけながら軽く身を乗り出し隣を覗くと、半開きのカーテン越しに風介と目が合った。
「私たちはまた大人の言いなりだ、ゆっくり絶望もさせてくれない」
疲れた、と耳をそばだててないと聞き取れないくらい小さく続ける風介に晴矢は、見てはいけないものを見てしまった気がして居心地悪そうに目を伏せた。
「らしくねえぞ」
咄嗟に口にした言葉はいくらか棘を内包しているようだった。そんなつもりはなかったのに風介を責め、晴矢自身すらもチクチクと苛む。
「……私らしさか、それってなんだろうね」
「弱音なんて吐くなよ、そんなタチじゃねえだろ……」
「そうだったかもしれない……けれど、もう忘れてしまったな」
風介が寝返りを打つ。シーツの衣擦れの音がやけに大きく響いた。晴矢から目を逸らし病室の白い天井を向いた瞳は、確かに瞼が開いているのになんにも映していないみたいで。
背筋にゾクッと寒気が走る。晴矢は思わずベッドを降りて立ち上がり、二人を隔てる中途半端に開いたカーテンを勢い任せに掴んだ。しかし、そこから自分がどうしたいのかなんて展望があったわけでもなく、晴矢はその場に立ち尽くす。何かしてやりたいと思うのに、何か言ってやりたい気もするのに、まるでむやみやたらと清潔さを強調するこの部屋みたいに頭の中が真っ白だった。
「変なこと言って悪かったね、キミを巻き込むつもりはないよ」
風介が困ったな、という顔をして言った。晴矢はどういう顔をすればいいのかよくわからない。
「医者の言う通り、カウンセリングを受けてしっかりと身体を休ませればきっと私たちは大丈夫だろう」
風介の言葉は自分自身に言い聞かせているようだった。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
晴矢も同じように心の中で呟いてみる。
大丈夫、大丈夫、オレたちはきっと、
いくら繰り返しても薄っぺらい大人たちの頼りない根拠の中で再び喘ぐ自分たちの姿が脳裏に過る。
「おやすみ、私はもう寝るよ」
突き放された、と晴矢は感じた。そしてそれが風介の優しさなのだと直感で受け止めていた。なんて勝手な、だけどさっきよりは「らしさ」が戻ったようにも思えて、にわかに安堵する。
「……眠くなんてねえくせに」
いつからか自分たちは嘘をつくのが平気になっていた。だからといって決して心が痛まないわけではない。もしかしたらそんなちっぽけな痛みなんてこのまま徐々に忘れてしまうのかもしれない。
ネバーランドに行った少女はどうやって大人になったんだっけ。
晴矢は幼い昔に読み聞かせてもらった童話を思い出していた。
二人でならもっといいところに行けるかもしれない。なんなら異世界なんかより現実的な。根拠なんて勿論ないのに、大人たちの言葉や子供だましの作り話よりかはよっぽど信じられる気がする。
「なあ、そっち行っていい?」
晴矢の言葉に風介は寄る辺ない子供の顔で驚いてみせた。
そうして晴矢は当てのない旅立ちの一歩を踏みしめる。
END