「『あわれみふかき、せいか(聖火)のかみよ、ねがわくばみまえ(御前)にたつしもべらのしんこー(信仰)と……、しんこー、と』……なんだっけ」
また忘れちゃった、と項垂れる一人の少年がいた。
彼の名はテメノス・ミストラル。
フレイムチャーチの教会で教皇イェルクの教えの元、親友のロイと共に立派な神官となるべく日々研鑽を重ねている。
だが、彼は基本である祈祷もまだ最後まで覚えられず、こうして練習に明け暮れていた。
「ロイはもうちゃんとぜんぶ言えるのに……」
わたしは、しんかんにむいてないんでしょうか、と聖典を閉じてトボトボと帰路につく。
「ただいまもどりました……」
「ギャアァァァァァーーーーーーン!!!!」
「!?」
礼拝堂の扉を開いたと同時に大絶叫が響く。
驚いて中を見ると、火がついたように泣き叫んでいる赤ん坊とオロオロしている身なりのいい夫婦、そして教皇がいた。
赤ん坊はその小さな手で教皇の胸を思いっきり突っぱね、その赤ん坊を抱きかかえてる教皇は珍しく苦笑いし、赤ん坊の両親と思われる夫婦はただひたすらに教皇に平謝りしている。
なんだろうと思いながら近づいてみると、テメノスの姿に気づいた教皇が「手を貸してくれないか」とアイコンタクトを送ってくる。
テメノスはコクンと頷き、教皇の腕の中の赤ん坊を覗き込む。
「え、えーと……、赤ちゃん、初めまして?」
「……う?」
その時、赤ん坊がピタリと泣き止み、パチクリと目を開いた。
涙に濡れたアイスブルーの瞳にテメノスの姿が映り、テメノスもまた赤ん坊の顔をジッと見つめる。
フワフワの金髪に、柔らかそうな桃色の頬。
(絵本で見た天使だ……)
吸い寄せられるように赤ん坊の頬をプニッとつつくと、
「あー♪」
と、ふにゃりと笑った。
その笑顔にホワホワと自分の心も暖かくなっていくのがわかる。
「ありがとう、坊や。この子、一旦泣きだしたら全然泣き止まなくて……、助かったわ」
一部始終を見ていた赤ん坊の母親から礼を言われた。
「坊や、すまないが暫くの間、この子のことを見てやっててくれないだろうか。私達はこれから教皇様と大事な話があってね」
「テメノス、頼めるかな」
「はい、わかりました」
教皇から赤ん坊を渡され、ぎこちない手つきで抱きかかえる。
「今日はてんきがいいから、おそとにでましょうか」
「あー♪」
***
中庭に来たテメノスは、ベンチに座りながら膝の上の赤ん坊に目の前の花や虫の名前、生態を丁寧に説明していた。
赤ん坊もフレイムチャーチの紅葉や町並みが珍しいのか、キョロキョロとまわりを見回してはキャッキャと笑っている。
その時、赤ん坊がテメノスの傍らに置かれていた聖典に興味深そうに手を伸ばしてきた。
「ん?これですか?これはかみさまからのおしえがかかれているんですよ」
あかちゃんにはまだむずかしいかもしれませんね、と言ったら何が面白かったのか、赤ん坊は楽しそうに笑い、その無邪気さについ本心をぶつけたくなった。
「……ぼく、もしかしたらしんかんになれないかもしれません」
「いつまでたってもきとう(祈祷)もせいやく(誓約)のことばも言えないし」
「きょーこう(教皇)さまはあせらずにゆっくりでいいんだよ、って言ってくれるけど」
もし神官になれなかったら、自分にはどんな道が残されているというのか。
「……う~、あ」
いつの間にかこちらを向いていた赤ん坊が、テメノスを励ますようにペチペチと頬をたたく。
「……もしかして、はげましてくれてるんですか?」
「う!う!」
そんなハズないかと思いながらも、無邪気な笑顔についつい顔が緩んでしまう。
「じゃあ、おれいとしてキミにしゅくふくをさずけましょう」
「う?」
教皇が生まれてきた子に祝福を授ける時の慈愛に満ちた表情と優しい声を思い出す。
祝福を受けた子はみんな幸せそうな笑顔を浮かべていた。自分も教皇のように、誰かを幸せにしたいと思っていたはずだ。
すぅ、と息を吸って頭の中に教皇の文言を思い浮かべる。
「あいするものよ、あなたがたましいをえ(得)ているようにすべてのてん(点)でも、さいわいをえ(得)、またけんこうであるよう、いのります。せいか(聖火)があなたをしゅくふくし、あなたをまもられますように。せいかがあなたをてらし、あなたをめぐまれますように。せいかがあなたにむ(向)け、あなたにへいあんをあたえられますように」
全ての文言を言い終えたあと、ハー……と長い息を吐く。
「……ぜんぶ、言えた」
「うー?」
「……はじめてまちがえずにちゃんと言えました!きみのおかげです!」
嬉しくなって頬ずりするテメノスに、赤ん坊も楽しそうに笑い、しばらく中庭に楽しげな二人の笑い声が響いた。
***
夕刻。
教皇とテメノスの両方から祝福を授かった赤ん坊も両親と一緒に帰ることになった。
少し寂しげな表情を浮かべながらも、テメノスが腕の中の赤ん坊を母親に手渡そうとした途端、
「ふ……、ふぇ、うわあぁぁぁぁん!!」
テメノスの服をガッチリ握ったまま、また盛大に泣き始めた。
「…………」
テメノスはそんな赤ん坊の頭を撫でながら、
「だいじょうぶ。またいつか、あえますよ。だからそんなに泣かないで」
まだヒックヒックとしゃくり上げる赤ん坊の額に優しく口づけをした。
「じゃあ、ゆびきりしましょうか。いつかまた、あえるように」
やくそくです、と小指を差し出したら、赤ん坊は涙と涎にまみれた顔で、テメノスの小指をキュッと握り返した。
***
「……とまぁ、これが私の神官としての初仕事になったわけです」
「……そんなことがあったんですね」
紅茶を飲みながら昔を懐かしむように話すテメノスに、クリックも紅茶に口をつける。
「でも、その赤ちゃんも幸せですね。テメノスさんに祝福を授けてもらえるなんて」
「……いえ、幸せを貰えたのは私の方ですよ」
「どういう意味です?」
「内緒です」
イタズラっぽく笑うテメノスに首を傾げるクリック。
「そう言えばその赤ちゃん、約束通りテメノスさんに会うこと出来たのかなぁ……」
「フフ、それは……」
END