Let me say I’m happy 人生には、ここ一番で決めなきゃならないタイミングが何度かある。
例えば、プロムに好きだった子を誘おうって時。
例えば、確実にポイントを決めなきゃいけない大事な試合の局面。
例えば、第一志望の企業での面接だとか。
そんな、人生の大チャンス。
例えば、そう。愛する人に、プロポーズをする時とか。
一生を共にしようと決める時だって、結構大変なんだけど。最近は本当にこの人でいいのか悩んだあげく、生涯婚姻関係は結ばないってカップルだって増えてるらしいし。
絶対に結婚をしなきゃいけない理由? 名前が変わるからって?
意外と知らないかも知れないけどな、世界には元々夫婦別姓の国だって割とあるんだ、そんな事で結婚を決めたりはしないよ。そりゃまあ、ブラッドショーの姓に愛着がないかと言われれば、今や両親から受け継いだ家族の証は名前くらいなもんで、大切にはしたいけど。
これは、どちらかが申し込んでどちらかが受け入れたって話じゃない。
これから事ある毎にそうするんであろう俺達の、最初の、ひとつめ。
二人で決めた、二人のこれからのための第一歩。
お互いにプロポーズしたタイミングが一緒だったんだから、これってもう運命ってことだろ? それがどれほどロマンチックだったかって話はここでは割愛するけど。(フェニックスはその話を聞いた時爆笑してた)(ロマンチックは言い過ぎだったかな)(いやでもそれだけ俺達、心が通じ合ってたってことだよな!)
つまり俺は、その人生でのここ一番を、見事に決めたってこと。
「ブラッドリー、グリルの準備出来たか? 串も出しておいてくれ」
「あいあい、分かってますよ…っと。なあ、これは? もう持っていっていいの?」
「あ、ダメだ。それは後で出すから」
広い庭のある、海からほど近い一軒家。これからはここで、人生を過ごすと決めた場所。
その真新しい芝生の庭に、大きなテーブル。
ジェイクの選んだ真っ白のテーブルクロスの上に、二人で吟味して決めたグラスやらカトラリーやらを並べて。
本日は晴天。実にいいホームパーティ日和。
風はなく陽射しは穏やかで、ただそれだけでもまるで世界に祝福されているような気がして幸せになる。
そんな優しい気持ちを、親しい人たちにも分けてあげたくて計画した、ちょっとした食事会。式はまだ先だからまあ、簡単な婚約報告みたいなとこ。
ケータリングって話もあったけど、もてなしたいって気持ちが強かったジェイクが作るって言うから、俺も協力して食べ物は全て手料理にした。凝り性のこいつがどんなフルコースを作るかと思ったけど、意外と家庭的なメニューに落ち着いた事で内心ほっとしたのは内緒。
とにかく大食らいな仲間達のため奮発した肉料理は、豪快にカットしたステーキ肉を串で焼いて塩で味つけるシンプルさだが、美味い肉にはごてごてとした味付けはいらない、というのは俺の自説なのでグリルは俺担当。こっちはもういつでも肉を焼けるように温まっているし、肉の他にも朝市で仕入れたシーフードとアルコールの数々は、来客を今か今かと待ち構えている。バケットだって、近所で見つけたいい感じのベーカリーでたくさん焼いてもらったから充分だ。ジェイクの作るブルスケッタは絶品だから、絶対に一瞬でなくなるって俺が言って、予定よりもたくさん準備した。トマトも、バジルとツナのレモン風味も、アボカドと生ハムチーズも、なんせ全部が美味しいのだから一人一本バケットを持たせたっていいくらいだって言ったら、他のもん食わせない気かよって笑ったけど、美味いんだからしょうがない。
でも今日の料理の中で一番のお気に入りは、なんといってもジェイクの特製シチューだ。シシリア風って言うらしい。
それは俺が、初めて食べた彼の手料理だった。
シチューと言えばビーフシチューがお袋の味だったし、トマトベースのフィッシュシチューなんて食べた事もなかったけど、騙されたと思って食べてみろよと言われて口にしたそれは唸る程美味かったのは言うまでもない。
オリーブとケッパーの酸味がトマトの酸味と上手く調和して、そこに程よいレーズンの甘みが加わる事で見事に旨味を引き出しているし、二日目に食べたリゾットなんて何杯でもいけそうで。
よく恋人の作る家庭料理に胃袋を掴まれたなんて話を聞くけど、まさか自分が経験するなんて思わなかった俺は、その晩にはもう、彼との将来を考え始めていた。
「…もっと派手なラインナップにすれば良かったか?」
大鍋をゆっくりとかき混ぜながら少しだけ不安そうにそう訊ねるジェイクの腰をぽんと叩いて、隣に立つ。いい香りのしているそれは最後に出すものだから、と朝から仕込んで端正込めて煮込んでいるところ。
「なんで? 充分じゃないか。俺は大好きだよこれ。自慢しなきゃ」
「ふ、バカだな、誰に自慢するんだ」
「みんなだよ、みんな」
くつくつといい音がしていて、味見させてくれないかな、と口を開けば、わざわざ小皿に少しだけよそって渡してくれる。こういういちいち育ちの良さが出る所作も、意外性があって好き。別にそういうタイプが好きだってわけじゃないんだけど、こいつがやると妙にぐっとくるんだよなぁ。
「どうだ?」
「うん、いい味。マグロの旨味がめちゃくちゃ出てる…ローリエにケッパー、グリーンオリーブ…レーズンは?」
「最後に入れるんだよ、あんまり煮込むと甘くなりすぎるから。酒飲みにはその方がいいだろ」
「なるほどな。さすが俺のジェイク」
こめかみに唇を寄せてそう言えば、「お前そればっか」と笑う。
「そら、味見はもういいだろ。後は俺がやるから、お前は服着替えて来い」
「え、これダメか?」
「そんなかっこじゃきまらないだろ」
「そうかなぁ」
唇を尖らせて自分の服装を見下ろしている俺に、ジェイクはにっこりと笑って。
そっと近づいて俺の腰に腕を回すと、下からちゅ、と音を立ててキスをくれた。それなぁ、その技、どうやってやるんだ? 身長差なんて大してないはずなのに、俺の胸に顎を押し付けてじっと見上げてくるその視線に、俺は滅法弱いのだ。
「んむ…なに?」
「ふふ…俺と二人きりならな? お前がどんな格好してようと、まあ、問題ない。でも今日は、みんな来るだろ?」
「俺の普段の格好なんかみんな知ってる」
「だからだよ。お前がきちんとした格好で皆を出迎えて、今日が特別な日なんだって知らせるんだ。招待された客はそれを見て、俺達の特別な日を祝福してくれる。お祝いって言うのは、気持ちだけじゃダメなんだ。祝う側も、祝われる側も、きちんとした姿で臨まなきゃ」
体重を掛けるようだった体勢から直り、アロハの襟を正すようにしながらそう言ったジェイクが、「な?」と諭すように言う。
彼のこういう所を、俺は好ましいと思う。丁寧に生きている人の暮らしは、ただそれだけでもどこか、魂が輝く気がして。
早くに両親を亡くした俺には気付けない部分を、ジェイクは笑わずに、寄り添って、教えてくれる。
あまりそういう事に頓着せずに生きて来た俺にとってそれは、人生という器を綺麗に彩ってくれる魔法のように感じるのだ。中身がたくさん詰まって美味しいだけじゃなくて、そうして演出を加えてやる事が、人生を今よりもう少しだけ楽しくする秘訣なんだって。
日々を大切に生きることの素晴らしさを、こうしてジェイクは、俺に教えてくれて。それはどこか、亡くなった母に言われた言葉に似ていると、最近は思う。
『人生で大切なのは、夢でも愛でも仕事でもいいの。その人にとって大切と思えるものが分かっていて、それを、きちんと大切にすることが出来ればね。でも、それがとても難しいのよ』
『大切にするっていうのは、思ってるだけじゃダメ。よりよい状態になるにはどうすればいいのか考えて、実行に移すの。そのためには、きちんと見てあげることが肝心よ。相手に興味を持って、関心を向け続けることが大事なの』
『貴方なら大丈夫。だってその目は、お父さんにそっくりだもの』
(貴方のその瞳が、愛する人を見つめるところを見られなくてほんとに残念)
「ブラッドリー?」
「…悪い、」
「どうかしたのか?」
「ん、なんでもない。着替えてくる」
「寝室に、服出しておいたから」
「分かった!」
思わず涙が込み上げそうになった目元を拭って、寝室へと足を向ける。
それは、母親が亡くなる数日前の事。もう長らく思い出していなかった記憶。
彼女の好きだった音楽を掛けて、なるべく空が見えるようにいつだって開け放たれていた病室の窓。窓枠を額縁みたいにして彼女が佇むそんな風景は、俺の人生の中でも透明な感情の箱の中に大切にしまってある。
決して幸福の風景じゃない。でも、悲しいだけじゃない。どこか穏やかで、忘れたくない風景。
当時はいよいよ自分が独りになる事に対する不安と寂しさで苦しんだけど、どうしてか、今思い出しても胸は痛まない。多分、辛いとか悲しいとかいう感情はとっくに昇華して、今はただ、穏やかに眠っていて欲しいと願うばかりだから。大丈夫、きっと寂しくないよ。大好きだったグースが待ってるんだから。そう言ったのは、果たして誰だったか。
(あの時も、こんな青空の綺麗な日だった)
二階の一番奥にある二人の寝室は、いつの間にか綺麗に整えられていた。開かれた窓からは海と、空が見える。気持ちの良い風が吹き込んで、まるで慰められているようだった。
幸せな日に、泣いてちゃいけないよな、母さん。
きっと二人して見守ってくれていると柄にもなく思うのは、幸せだって自覚があるから。
辛い時よりも幸福の日にこそ、二人に会いたいと心から思う。
ジェイクの準備してくれた服は、ベットの上に皺にならないよう並べられていた。
二人で出掛けた時に彼が気に入って買った淡い黄色に細かい花柄の散ったリネンシャツと、履き心地の良さで俺が気に入ってる黒のチノパン。程よい清潔感と、畏まりすぎていないラフさ。何より今日はもてなす側なので、動きやすさを重視したと思われる素材選びはさすが俺のジェイクだ。
そんな事を思いながら下に履いていたジーンズを履き替えシャツに袖を通したところで、不意に視線を感じて振り返る。入り口には、ジェイクが立っていた。
「ん? どうした?」
シャツを羽織って鏡を見ながらボタンを留めようとしたところで、傍まで来たジェイクがそれを引き取ってくれる。細かなボタンを一つ一つ丁寧に留めながら、ジェイクは囁くように言った。
「様子変だったから、気になって。平気か?」
「うん? 俺は、全然」
「嘘つくなよ、泣いてた」
「あー…」
「…不安か?」
ボタンを留め終わったジェイクが、ゆっくりと髪を撫でつける。さっきまでシチューを混ぜていたせいでいい香りを纏うその手が、優しく目尻を掠めていった。
「…不安なんて、あるわけない」
「じゃあ、どうした?」
「…感慨深いって言うのかな。お袋の事が浮かんでさ」
「キャロルの?」
「うん。俺が結婚する姿を見られないのが残念だって、言ってた」
「…そっか」
「うん…」
ジェイクの手が、首から襟へ回って、ゆっくりとシャツの胸を降りていく。整える様なその丁寧な動きは、何処か彼女を思い出した。
ハイスクールへ上がる日の朝、いつものネルシャツと着古したジーンズを着ていた俺を、それでもこんな風に、玄関で整えてくれたっけ。
金色の髪に緑の瞳。そっくりって訳じゃないのに何故か、そんな共通点ばかり目について。母親と結婚相手を重ねるなんて側面が自分の中にあったことに驚く。
けれども長らく、自分にとっての家族とは彼女のことだったから。
(これから先、俺の家族はジェイクになるんだ…だからきっと、こんなにも面影が重なる)
黙り込んだ俺に、ジェイクは少しだけ背伸びをして。髪に優しく落ちたキスは、まるで天使からの祝福のようだった。
「…じゃあ今日、見に来てるかもな」
「ん、そうだな。ちゃんとしたところ見せないと」
「お前が? 俺がだろ。大事な一人息子の結婚相手なんだから、ポイント稼がなきゃ落第かも」
冗談めかしてそう言うジェイクの背中を追って寝室を出る。
「んー…多分、親父もお袋もお前が好きだよ」
「はあ、なんだそりゃ」
「わかんないけど、マーヴもお前との結婚には結局賛成してくれたろ。最近口癖なんだ、君の幸せな姿をたくさん見て、天国で二人に自慢するのが今の僕の楽しみなんだって」
「大佐が何にも言わないうちに反対するなら縁を切るって言ったのはどこの誰だよ」
「だって、せっかくお前と二人で決めた結婚を、第三者に反対されるなんて意味わかんないだろ?」
「まあ、言えてるがな、いくらなんでもその言い方は大佐が泣くぞ」
「かもね。いや、マーヴには感謝してる」
「明日からのイタリア行きの為の休暇に口添えしてくれたし?」
「Exactly‼」
「荷造りはもう終わってるよな?」
「しっかり者の誰かさんのおかげで完璧ですよ」
「へぇ、誰だよそいつ、紹介してくれ」
「ダメ~! 俺のだもん」
「だもんって言うな」
「Ti amo così tanto(いっぱい好き)」
「Anch'io, tesoro!(俺もだよマイディア)」
二人でふざけ合いながら階段を降り、キッチンへ戻った。そろそろ本当に誰か着き始める頃だ。気の早いマーヴが真っ先に到着すると思うけど、コヨーテも時間には正確だ。大親友の結婚祝いともなれば、張り切って来てくれるだろう。フェニックスはヘイローとファンボーイ、ペイバックと連れ立ってくると連絡があったし、他は各々一時間以内には到着するはずだ。12人集まれたのは奇跡に近い。それに今日は、ペニーとアメリアも招待している。大学生になったアメリアが「二人の結婚祝いなら絶対行く」と言ってくれたのは、なんだか妙に嬉しかった。
最後の料理を二人で庭に運んで、ジェイクがテーブルをチェックする。大きなメインのテーブルの傍には、見守って貰えるようにと両親の写真を置いた。きっとマーヴがアイスおじさんの写真も連れて来るから、後で三人にワインでもあげよう。
「なあ、ブラッドリー。何か足りないものあるか?」
振り返って、ジェイクが尋ねる。
太陽の光を受けて輝くジェイクの金の髪。庭に彼が植えたアメリカンハイビスカスの優しい赤と、雲一つない青空を飛んでいく、一羽の白い鳥。まるで夢の中のような光景に、目を瞠る。
幸福な一日が始まる予感。それはきっと、この先ずっと、俺が守っていきたいもの。
そのまま、後ろからぎゅうっとジェイクを抱きしめる。応えるように腕を撫でてくれる彼のことが、心から愛おしい。
「足りないものなんて、なんにもないよ」
俺、ブラッドリー・ブラッドショーの人生は、ジェイク・セレシンが隣にいてやっと、完璧になったんだから。
「お前がいれば、足りないものなんて何もない」
少しだけ声が震えてかっこつかないなぁなんて思っている俺に、腕の中で振り返ったジェイクが唇にキスをくれて。
「そう? 俺はお前との人生に、子犬か子猫がいれば最高だって思うけど」
俺の心を正確に汲み取った彼がそんな風に言って笑うから、俺も、笑顔になる。
「退役したら、迎えよう。子犬も子猫も!」
「いっぺんに?」
「家族は多い方がいいだろ?」
「欲張りめ」
後ろ手の指先が優しく頬を擽る。俺に抱かれたまま、ジェイクは言った。
「これからだ、ブラッドリー。これから、もっともっと大切なものも、思い出も、たくさん増やそう。今日から始まって、二人で墓に入るまで。一緒にいっぱい、幸せを集めよう。お前が今までの人生で取り零してしまった分ぜんぶ…ぜんぶ、俺が取り戻してやるから」
前を向いたままでそんなことを言うジェイクの肩に頬をくっつける。
頑張り屋だなぁジェイク。でも俺はそんなにたくさん、幸せなんていらないから。
ただ一人、お前と言う形の幸福さえそばにあれば、それで。
そう思ってるはずなのに、彼の言ってくれる言葉が嬉しくて、あったかくて、俺はまた少しだけ泣いた。