夕焼け 事務所から入る窓からは、夕焼けの綺麗な深いオレンジ色の空が見え、入る光もオレンジ色であった。下校途中の学生や、仕事終わりの人達が家路へと歩く姿が見られる。凪はそんな風景をぼんやりと見ていた、今日の依頼も上手くいった、創務には頼めなかった、いや、助けてくれなかったと悲痛な顔をして依頼してきた相手の顔を思い出す。依頼をこなした時の依頼主の安心した顔は忘れられない。創務に居た頃とはまた少し違う気持ちでいた。
まだ何でも屋を開いて日にちは経っていない、自分と、もう一人の仲間───八重が元創務と知られているのかは不明だが、今のところそれ関係で面倒な事に巻き込まれる様子は無かった。そもそも、沢山の依頼が来ている訳でもないが。少し窓を開ける、優しい風が凪を撫でるかのように過ぎ去る、昼間とは違う静けさを感じ取りながら。
「凪くん、何見てるの?」
後ろから八重が声をかけ、隣に来た。手にはマグカップが二つ、湯気が立っているのが見えるため、飲み物をいれてくれたようだ。八重はその一つを凪に渡す。中身はコーヒーだった、コーヒーの芳醇な香りが鼻をくすぐる。
「ありがとうございます、眺めてただけっすよ」
マグカップを受け取り、少し息を吹きかけて飲む。凪の返答にふぅん、と答えて八重も外を眺めて飲む。凪はぼんやりと考える、今の時間はつかの間の平和と言うべきなのだろう。やるべき事は多い、八重の信念を探すのはもちろんなのだが、自分なりに助けれるものは助ける。あの依頼主のように、一人でも多く。例え少し無理をしたとしても。
ふと、凪は八重を見ると、いつの間にか外の風景ではなく、八重は凪を見ていた。凪は八重の目を見る。何か言いたい事があるのだろうか、八重は肝心な事を言わない節がある。部下であった自分に何も言わずに創務を辞めるぐらいだし、自分も辞めてこうして暮らしながら気づいた事だが、創務に居た頃から八重は本質は何を考えているか分からなかった気がした。凪はふにゃり、と八重に笑いかけるように聞いた。
「……どうしました? なにか着いてます? 俺」
「……いんや? ……凪くんちっちゃいなぁって思っただけだよ」
「平均身長超えてますけどぉ!?」
凪はマグカップを置いてから八重に軽くつついた。八重は、ヘラヘラと笑いながら凪の頭を撫でる。どこか誤魔化された気がしてならない、本当は別の事を言いたかったのだろうか、と思いつつ八重を見る。
「凪くんどうしたの、じっと見てきて」
「……八重さんさぁ……。めんどくさいおじさんですね」
「お、おじさん……そんなはっきり言われると……」
「あーあ! 俺も八重さんみたいなおじさんになるのかなー。……なんて、嘘ですよ八重さん!」
心做しか落ち込んでいる様子の八重の背中を叩く凪。ケラケラと笑いながらも、凪は呟く。
「……八重さん、どうしたんです? なにか不安でも?」
「ん? んー……そうだねぇ……」
八重もマグカップを置いて凪の顔を見る、先程まで見えていた夕焼けだったが、雲に隠れてしまったのか少し曇ってしまった。やや仄暗い部屋の中、表情は変わらないように見えたが、目は伏し目がちに、どこか凪から目線を逸らすかのように見えた。凪と目が合っているはずなのに。八重がそっと手を伸ばし、凪の片目を隠すために伸ばしてある前髪に触れた。
「……」
八重は何も言わない。言うのを躊躇っているのだろうか、髪に触れては、そっとかき分けるかのような仕草も見受けられた。八重以外の人間だったら即座に手を払い除けていたのだが、凪はそっと、髪を触っている八重の手に触れた。手に触れた時、八重の手の動きが止まった気がした。
「……俺、後悔してませんよ」
雲が晴れたのか、また夕焼けのオレンジ色の光が凪と八重を照らす。凪の言葉に、八重の肩が少し揺れた。凪は八重を見た、八重は何も話さない。先程の伏し目がちだった目は、凪をきちんと見ていた。目が少しだけ見開いており、表情も変わっていた。動揺しているのだろうか。八重がそんな表情をするのは新鮮だった。
いや、そういえば前も見た事がある。あの時だ、八重が辞める事を聞き出した時、自分の気持ちを伝えた後、自分ももう辞表を出した、辞めたと言った時もだっただろうか。思わず凪は笑ってしまった。笑った後、口を開く。
「八重さん、聞いてください」
「……うん」
まるで小さい子に言い聞かせるかのように、優しい声のトーンと口調で話を切り出した凪に、八重は相槌をうって凪を見る。
「この道に来たのは俺の意思です。八重さんがそれに責任を感じる必要は無いし、ましてや、俺が後悔してるかもなんて考えなくていい。俺は、全くそんな事思ってません」
「……本当かな」
「俺の事信じてくれないんですか?」
凪がそういうと、八重は小さくぼそぼそと呟く。
「……いや。……凪くんは眩しいなぁ……」
目を細めながら言う八重に、凪は八重の両手を掴む、掴んだかと思うと、八重を座らせた。そして、凪は八重を抱きしめた。
「……凪くん?」
優しく八重の背中をぽん、ぽんと優しく叩きながら抱きしめる凪に、八重は困惑しているのだろう、声が少し震えているように聞こえた。八重を抱きしめている凪の腕とは対照的に、八重の腕、そして手はどうすればいいのかわからない、といったように迷いが出ていた。
「誰彼構わずこんな事しませんからね! ……八重さんは抱え込みすぎなんだよなぁ……。俺が眩しいって思うのなら、ある意味八重さんは迷わないって事ですよね。でも、さっきの言葉は本当です、俺は俺なりに、八重さんの助けになりたいし、その眩しいってのを曇らせません」
「……そっか。……でも抱きしめなくても良かったんじゃない?」
「それ言わない約束! 恥ずかしいんですよこっちは!」
もー! と少し怒ったように言う凪に対し、笑ってしまった八重。少しだけ、凪の背中に手を回した。それに気づいた凪は、笑って力強く抱きしめた。