唯一の人 燕志の隣に居るのを許されたい、最初はそんな気持ちだった。中学生の頃から会えてなかった反動なのか、はたまた、燕志はあの頃より変わってしまった自分を受け入れてくれたからか、許されるのならこの先ずっと隣にいたい、と思えるようになった。
だが、最近の自分の気持ちの変化がどうもおかしい。燕志の隣にいたいという気持ちは変わらない。燕志の隣に居るのは安心するし、心が安らぐ。だが、燕志にもし自分の他に好きな人が出来たら、こうして隣にいるのは無理なのだろうという考えに至った時、受け入れられない自分がいた。前だったら、応援したいという気持ちがあったはずなのに。自分のこの気持ちの変化に、怖くもあった。
里は思い悩んだ、自分のこの気持ちは、下手をすれば燕志との関係性が変わってしまうかもしれないと。今までのように、話せなくなってしまうのではと。信頼できる人らに相談した、みんな口を揃えて『燕志ならちゃんと考えて話すよ、気持ちを伝えたらどうだろうか』と言う。里も分かっていた、燕志はちゃんと考えてくれると言うことに。
どのくらい悩んだのだろう、里は気持ちを伝える事にした。燕志を引き止め、話そうとするが、言葉が上手く出てこない。喉につっかかるような、まだ自分は迷っているというのだろうか。燕志は心配そうにし、少ししゃがむと里を見つめていた。
「さっちゃん……?」
燕志の心配そうな目と合った。里は震えそうになる声を必死に抑えながら、少し息を吸ってから言葉を出した。
「えーじ、俺、俺……。一緒に居たいって言ったけど……、その……」
やっぱり言葉が震えてしまう、もしかしたら泣きそうな顔をしているかもしれない。燕志が少しだけ目を見開いた気がしたからだ。ぎゅっ、と手を強く握りしめる。怖い、本当に伝えていいのか、と。言葉が詰まってしまうが、目頭が更に熱く感じてしまうが、震わせながら話し続けた。
「えーじとのこれからの人生、一緒に歩きたいんだ。……つまり、その……。……他の人でも、女性でもなくて、俺が隣で歩きたい。……ごめん、急だよな。ずっと迷ってた、伝えるかどうか。……返事は今しなくていいよ、言えてよかった」
言い切った後に、里は燕志の返事を聞かずに走り出した。言ってしまった、燕志の顔を見ることが出来なかった、怖い。色んな感情がぐちゃぐちゃに頭に巡る。呼吸が上手くできていないような、胸が苦しくなっていく。
すると、腕を掴まれた。本気で走ったはずなのに、燕志に追いつかれたとすぐ分かった。
「待っ……! ……っ!?」
燕志が言葉を詰まらせたのがすぐに分かった、そこにはボロボロと涙を流している里を見たからだ。燕志が怯んだ隙に、里は握っていた燕志の手を振りほどき、また走って逃げた。どこに行ったらいいか分からなかったが、足は燕志の兄である鷹晴の家へと向いていた。泣きながら鷹晴の家に着き、インターホンを鳴らした。すぐに鷹晴が出た時、里の様子を見てすぐに分かったのか、優しく里の手を握る。
「あらら、俺だけの方が良さそうか? だばこっちゃ来い」
「……」
ボロボロも泣いているからか、声が上手く出なかったが首を振った。鷹晴には妻がいるが、里の様子をみて菓子とお茶の準備をする。里は部屋に通され、隅の方に座り込んで泣き続けた。里が何も言わないからか、鷹晴も、菓子とお茶を持ってきた鷹晴の妻も何も聞かずに里の近くに座っていた。里の様子を見て、鷹晴の妻はどこか懐かしむように口を開いた。
「私にもあったわこんな頃」
「あったっけ」
「あったわよ。貴方が知らないだけ」
泣き続けて少し落ち着いたのか、里は小さい声でいただきます、と言った後にお茶を口に運ぶ。お茶の風味で少し気が紛れたのか、またポロポロと泣きながら口を開く。
「……多分振られました、そんな気がします」
「言われたの?」
鷹晴の妻の一言に、里は力無く首を振る。聞くのが怖かった、が正解だ。里は気づいてなかったが、里のスマホが先程からチカチカと点滅していた。恐らく何かしらの通知が来ているのだろう。相手は言わずもがな、と気づいていた鷹晴の妻は里を安心させるように言う。
「あら、なら大丈夫よ。燕志くんはちゃんと言葉にする子だもの」
続けて、鷹晴も言った。
「俺たちは話を聞いてやることはできるけど、君が今聞くべきは燕志の言葉だよ。だから茶を飲んで、お菓子を食べて、落ち着いたら話しなさいね」
里は二人の言葉に頷くと、菓子とお茶をゆっくり口に運ぶ。それらを全部食べた後、二人にお礼を言った。
「……ありがとうございました。……話、して、きます」
里の言葉に二人も笑い、大丈夫だからとずっと言ってくれた。里はそこでやっとスマホの通知に気づき、思わず驚いてしまう。燕志からの着信の多さにだ。里は深呼吸した後に、燕志に電話をかけた。すると、すぐに燕志が出た。
「も、もしもし……」
「今どこ」
電話口からでも分かった、燕志が息切れしている事に。ずっと自分の事を探していた事に申し訳なさを感じつつ、もごもごと言った。
「鷹晴さんの家……」
「……なら、近くの公園に来て。鷹晴兄さんの家に近いあそこの」
「……うん」
そう言って電話を終わらせた。敬語じゃない燕志に、相当焦っていたのだと伝わった。そして、二人にお礼をして家から出た。鷹晴の家から近くに公園がある、そこはよく小さい頃から遊んでいた思い出深い公園だった。大人になった今でも、公園は変わらずそこにあった。公園の入口からそっと中を覗く。そこには、ブランコに項垂れて座っている燕志の姿があった。里はゆっくりと歩くと、燕志の近くで止まった。
「え、えーじ……」
少し声がかすれてしまったが、それでも聞こえたのか燕志はバッと顔を上げた。里の顔を見て安心したのか、更に力が抜けているように見える。そして、里の手首を軽く掴まれた。また、逃げられると思ってしまったのだろう。
「もう逃げないよ……」
「俺が、安心できないから……」
お互い沈黙が走る、どう言えばいいのか、どう言ったらいいのか分からず、里は下を俯く。どのぐらい無言が続いたのだろう、口を開いたのは燕志からだった。
「何か、名前が無いと一緒にいれないの、俺たち」
里は顔を上げた、そこには俯いている燕志がいた。言葉が詰まる、悩ませてしまった、どうしようと頭がグルグルと回る。
「……言わない方が良かった……?」
言葉が勝手に出た。燕志をここまで悩ませてしまうのなら、やはり言わない方が良かったのだろうか、と後悔が生まれそうになった。里の言葉に、燕志は顔を上げた。
「違っ…! っ、…違くて、そうじゃなくて……」
燕志は少し顔を歪ませた後、言葉を紡ぐ。
「……、さっちゃんのそれは、どうゆう感情なの。友達なの? それとも違う何かなの」
里は燕志をじっとみた。改めて、自分の思っている気持ちを考えた。人によっては、それは『恋』と言うかもしれない。だが、それでは収まらない気がした。『恋』とは少し違う気がしたのだ、『恋』じゃないのなら、それは『愛』と言うのだろうか。だが、本当にそれは『愛』と言えるのだろうか。里は考えた後、自分の気持ちを整理するために、ゆっくりと話した。
「……友達以上だと思ってる。えーじの事は、大切な人って思ってる。前からずっと、今でも変わらない。……大切だから、ずっと居たいから隣で歩きたいって思ってる。けどこれに名前をつけろって言われると、分からない……」
燕志は黙って里を見ていた。里は燕志から目を逸らさないように、話し続けた。
「鷹晴さんと奥さんのように、お互いを大切に思っている同士になりたいって思ってる。あの関係にもし名前があるとしたら、お互い好きで、のちに『結婚』って名前がついたんだろうね」
先程お世話になった二人を思い出す、あの二人は幸せそうだった。あの二人のように、お互いを想いあって接したい気持ちもあった。
「……けど、俺が言ったせいで名前をつけないといられないの、って言わせてしまった事は……。……えーじ、ごめん、悩ませて。俺、臆病なんだ。そうじゃないと、えーじの隣にいられない、って思って……」
そこまで言って、里は唇を軽く噛み締めた。燕志をここまで悩ませてしまった事、上手く言えればこうならなかったのでは、という後悔、色んな感情が巡っていた。里の言葉に対して、燕志は何か言おうとして口を開いたり、やめてを繰り返していた。里は心配そうに燕志を見ていたが、ギョッと顔色を変えた。今度は燕志が泣き始めたのだ。ポロポロと泣き出し、震えていた。里は慌てて、手首を掴まれてない手でポケットからハンカチを取り出し、燕志に渡そうとしたが、渡すよりも先に、その手すら手首を掴まれてしまった。そして、背中を丸めて泣きながら話した。
「俺はさっちゃんにとって何、友達? 友達以上のなに?俺だって大切だよ。ずっと大切、会えて嬉しかった。一緒にいたいのも嬉しい。でも何? 俺はさっちゃんのなんなの」
「え、えーじ落ち着いて……涙拭かせて……?」
里は宥めるように言ったが、燕志は手を離す様子がない。泣き続け、里の手に縋り付いていた。里はどうすればいいのか迷った、目の前の燕志はあの頃の泣き虫だった燕志と重なった。
その時、やっと自分の気持ちがまとまった気がした。里はしゃがむと、ブランコに座る燕志と目線を合わせた。
「……誰よりも大事にしたくて、大切にもしたくて、隣で笑ってる顔も見たくて……、今みたいに泣いてるえーじもえーじだし。……俺にとってえーじは、そう思わせてくれる唯一の人だよ」
「……唯一?」
「うん、唯一。俺がここまでなるのは燕志だけだよ。涙拭きたいから、握ってる手を緩めて? 大丈夫、もう逃げないよ」
そう言って微笑んだ。里の笑みを見て安心したのか、燕志は握っていた手を緩めて離した。里は泣いている燕志の頬を、目元を優しくハンカチで拭う、ハンカチで拭っているが、燕志は拭いている手に擦り寄っていた。燕志のその様子に、里は笑って頬を優しく撫でた。その優しさなのか、温もりなのか、燕志はまたポロポロと泣いていた。
「さっきは逃げてごめん」
その言葉に、大丈夫という意味合いなのだろう、燕志は首を振る。
「……言葉にしてくれてありがとう、あの言葉で、俺分かったよ。燕志に対する感情」
燕志は俺の唯一の人だよ、と里は笑った。