夜の学校と 金曜日の夜、この時間帯に学校に来るような生徒などいないはず、だったのだ。電気をつけずに、懐中電灯の心もとない明かりを頼りに、真っ暗な廊下を歩く学生たちがいた。先頭から樹一、樹一の双子の兄である知樹、朱司、夜岸、灯都、そして奏明の順番で歩いていた。なぜこんな夜の学校にいるのか、それはたった一つ。肝試しだった。
事の発端は、知樹の一言だった。どうやらこの学校には怪談話があり、何か曲のヒントになるかもしれない。だの、どうせならみんなも行こう、だの言いくるめられて今ここにいた。灯都は行くのを渋っていたが、ズルズルと引きずられるようにここにいる。
めんどくさい事になった、とため息を吐きながら歩く。けれど、灯都と夜岸が書いている作品と、今回の肝試しは、いいヒントになるかもしれないのも否定できない。それを口に出すことはしないが、付き合ってやるか、と思いつつぼんやりと歩く。
「んで、怪談話ってなに?」
灯都の後ろにいた奏明が知樹に聞く。そう言えばよくついてきたな、と灯都は奏明を見る。灯都は正直な話、奏明のことをあまり知らない。クラスも違うが、あまり話を聞かないような気がするのだ。いつの間にかいて、いつの間にか消えてるような、そんな感覚だ。
奏明の一言に、待ってましたと言わんばかりに知樹が急に止まって振り返った。それのせいか、朱司が変な声をたてて知樹にぶつかってしまう。
「……止まるなら言って……」
鼻を抑えながら言う朱司だが、知樹はごめんごめん、と軽く謝ったあと、奏明に向けて口を開く。
「あのな! 第二音楽室に勝手に音のなるピアノがあるんだって!」
「第二音楽室って……ほぼ使われてない教室だろ」
「そうそう! きーち知ってたんだな!」
知樹の話はこうだ、ある日、学校に忘れ物をしたとある生徒が居たらしい。その生徒は、今日のような夜の日に学校にこっそりと入り、忘れ物を取りに来た。その時、ふとピアノの音が聞こえたという。気味が悪かったのだが、なぜか体が勝手に動き、第二音楽室まで歩いたという。そこでまず違和感を覚えた、自分のいた教室から第二音楽室まで結構の距離がある、音なんで聞こえないはずだ。ならなぜ、ピアノの音が聞こえたというのか……。
知樹の話に黙り込みながら話を聞く、灯都はその話をどこかで聞いたことがあるような、と思いつつ、どこにでもあるありふれた怪談話だな、とつまらなさそうに聞いた。
「……そしてその生徒は第二音楽室に入ったけど、誰もいないのにピアノが勝手に……!」
「ひぃっ……!」
「大丈夫……?」
話の途中から顔を青くしていた夜岸だったが、知樹の最後の言葉に思わず悲鳴をあげた。朱司が心配そうに声をかけた時、ばっ、と知樹は何か聞こえたかのように周りを見回した。
「兄さん?」
樹一が声をかけたが、知樹がその口を手で塞ぐ。黙り込んで何かを聞いている知樹の様子に、灯都達は黙って見ていた。すると、知樹の表情が段々と明るく、いわゆる口元が緩んでいた。
「ピアノの音聞こえる!」
「声がでかいのよ!」
廊下に響くように大声を発した知樹に驚いた夜岸と、そんな知樹に少し怒る奏明。灯都もうるさかったのか、思わず耳を塞いでしまった。しかも、そんな大きな声を出されると誰かくるかもしれない。見つかって補導なんて嫌なのだ。
「誰か黙らせて……」
「ガムテープならある」
灯都がそう言った時、どこから取り出したのか、樹一はガムテープを差し出す。灯都は言っていいのか迷った、なぜガムテープを持っているのかと。
「ガムテいつも持ってるのすごくないか」
朱司が先に言ってしまったが、知樹が時折暴走するため、物理的に動きを止めるためにガムテープは常に持っているらしい。その光景が安易に想像出来てしまった。
「第二音楽室へ行くぞー!」
だが、ガムテープで拘束しようとしたのだが、その前に知樹が廊下を走って先に行ってしまった。その様子に慌てて追いかける、走っていると灯都達でも嫌でもわかってしまった。確かにピアノの音が聞こえるのだ。
恐らく、知樹は自分たちより耳がいい。絶対音感持ちだからもあるのだが、よく色んな音を拾っている。本人は曲作りにいい、とポジティブに捉えていた。
灯都達が第二音楽室に着くと、ピアノの音がはっきりと聞こえていた。教室の扉が開いており、どうやら知樹が先につき、中に入ってるようだった。
「え、ちょ、大丈夫なのこれ……」
「悲鳴聞こえなかったから大丈夫でしょ」
「兄さんなら悲鳴より歓喜の声あげそうだけどな」
「確かに」
「……行こっか」
灯都達が入ろとした時、知樹の怒った声が聞こえた。
「全然ダメ! 何その音! 雑音!」
灯都達は思わず顔を見合わせる、誰に対して怒ってるんだ、と思いつつ教室をそっと覗いてみるが、そこには知樹しかいない。知樹がピアノに向かって怒鳴ってるのだ。
「何この光景」
奏明の一言に、思わず周りも同じ反応をしてしまった。本来なら勝手に曲を弾いているピアノに対して、恐怖を覚えるはずなのだが、目の前の光景がそれ以上の気持ちで塗り替えられていったからか、恐怖が消えていた。知樹はあろう事か、ピアノの丸椅子の隣に椅子を置くと、隣に座って鍵盤に指を置く。
「なんで幽霊相手にピアノしようとしてるわけ……?」
「そもそも知樹くん、霊感あったの?」
「いや、兄さんそんなのないけど……」
ないのになぜ幽霊相手に怒鳴っているのか、と共通の疑問が生まれたのだが、誰も口に出さない。
「ていうか、ピアノ弾けるんだ」
「兄さん、一通りの楽器なら弾けるし」
そういえば、知樹がなにか楽器を弾くなど初めて見る。皆が見守る中、知樹がピアノを弾き始めた。灯都は思わず驚いた、とても繊細で、綺麗だったからだ。あのいつも騒がしい知樹からは考えられないほどに。それは他の人も思ったようで、だが樹一は慣れているのか驚く様子もなく見ていた。
「えっ、すごく綺麗」
「普段うるさいのに……」
「……ふーん」
皆が聴いている中、知樹は楽しいのか、嬉しそうに口を開く。
「これが音楽! お前みたいに闇雲に弾いちゃだめ! わかったか? でもお前のピアノ、また聴きたいかもな」
だからなんで幽霊相手に会話してるのか。と言いたいことは沢山あったが、ふと、知樹のピアノの音しか聞こえなくなっていた。
「ありゃ、帰ったのか?」
知樹が首を傾げていると、知樹の両肩を掴む樹一の姿が目に入る。いつの間に教室に入ったのか、と思いつつ灯都達も中に入った。
「勝手に行くなってあれほど……」
「えへへー、悪い悪い」
満足したのか、椅子を戻して次、と知樹は教室を出る。本当になんだったんだ、と思いつつも教室を出ようとした時、後ろでガタリッ、と音が鳴った。
「うわっ……!」
その音に驚いてしまった夜岸が、思わず急に腕を振り上げてしまった。振り上げた先は、灯都の顔……詳しく言うと、メガネだった。
「えっ」
急な出来事で、避けきれずにメガネに当たってしまった。当たった拍子に、少し鼻筋をすってしまったが、メガネがどこかに飛んだ。そこまでなら良かった、その時、先に教室に出たはずの知樹が戻ってきたのだ、その時に嫌な音が聞こえた。それは、何かが割れたような音だ。
「あっ」
「え、まさか……」
灯都は真っ青になる、知樹が恐る恐る、足をあげて懐中電灯で足元を照らすと、そこにはレンズの割れた、そしてフレームが歪んだ灯都のメガネがあった。それを朱司がハンカチで包み、灯都に割れたレンズに気をつけてといいつつ、渡した。
「ひ、灯都のメガネが……!」
「割れたなぁ!」
「割れたな……」
夜岸が自分のせいだ、と顔を青くしているのを横目に、灯都はぼやけて何も見えないのだが、なぜか的確に知樹の肩を強く掴むと、顔を近づけて睨みつけた。
「お前何してくれてるの……?」
「ご、ごめん、こわっ、こわいから………ひぇっ……」
知樹に怒っても眼鏡が直る訳では無い、灯都は思わず舌打ちをする。こんな時に限って、メガネのスペアを持ってきてないのだ。しかもだ、夜の学校、いつもより視界が暗く、何も見えないのも一緒だ。
「夜岸、君のせいじゃないから」
ほぼ何も言えないのだが、灯都は目を細めると夜岸らしき人物に安心させるように言う。けれど灯都が夜岸だと思っている相手は、奏明だった。
「ボクは夜岸ダヨ」
「……? あれ……夜岸から時枝の声する……」
「違うから! 灯都! こっち!」
「どっち……? 夜岸?」
灯都は声を頼りにキョロキョロと周りを見る、そしてロッカーに向かって話す始末。その光景を見ていた樹一は、後に不謹慎だと思っていたが面白かったと言っていた。
その後、夜岸が灯都の手を握り教室を出る。本当だったらもう一つ怪談話があって、そこまで行くはずだったのだが、灯都が流石に周りが見えないのに連れ回すのは危ない、との事でこのまま帰ることになった。
行きと同じ順番で廊下を歩く。いつまで経っても暗さには慣れないし、周りはぼやけて何も見えない。今手を握っているのが夜岸ということしか分からなかった。今日の肝試しの為に、両親には夜岸の家に泊まると言っていた。荷物の置いてある夜岸の家なら、スペアの眼鏡がある。それまでの辛抱だな、と遠く思いながら歩く。
なんとか警備員にバレずに窓から外に出て、校庭を歩く。校門をくぐった後、校舎より少しばかり明るい道にどこかほっとする。謝り倒す知樹に呆れつつ、もういいと言ったり、途中までの帰り道が一緒だから、と知樹と樹一、朱司はそのまま一緒に帰った。
「僕達も帰ろうか……。灯都、歩くよ」
そう言って夜岸は灯都が転ばないように歩く。灯都は、ぼんやりと見える周りの景色を見ながら歩く。まさかメガネが壊れるなど思わなかったが、今回の出来事は無駄ではなかったかな、なんて思っていた。なんなら探偵奇譚の小話として書いてもいいほどに。
その時、後ろにいた奏明の声が聞こえる。
「お前らと遊ぶのは楽しかったよ」
「えっ……」
思わず灯都は後ろを振り返る、そこには一緒に歩いていたはずの奏明の気配がないように思えた。生憎、見えないため確信が持てない。突然止まった灯都に、夜岸は思わず後ろを振り返った。
「灯都、どうしたの?」
「……時枝、いない……」
「えっ! あ、ほんとだ……? 先に帰ったのかな」
「……そうなのかな」
「挨拶しそびれたね……」
「……そうだね」
少し黙って後ろを見る。不思議な奴だな、と思いつつその後小さく、また学校で、と灯都は呟いた。