祝いの宴を「……………」
「盗まれた俺の財布、取り返してくれてありがとうございます!」
「どんな攻撃も軽々と躱すその身のこなし、いつも尊敬しています!」
「ぼったくられそうになってた俺に助け舟出してくれて、逆に値切ってくれたこと、忘れません!」
トラヴィスは困惑していた。
目の前には、解放軍に所属する兵士幾人かが、押し合うようにしながら、トラヴィスへ向けた感謝やら賛辞やらを口々に述べている。そういやそんなこともしたか…という些細な出来事も含まれていて、大袈裟すぎやしないだろうか。というか、何だこれ。
トラヴィスは困惑の表情を隠さずに、隣で鼻を上向けているアラミスへと視線を投げた。そのやや後ろに控えているのは、トラヴィスと同じような顔をしたプリムだ。
「……アラミスさま。やはり、この方法は…」
「ふむ。そのようだ」
急にアラミスに声をかけられ、着いてくるようにと言われて強引に連れられたと思えば、待っていたのはこれだ。
道中で、それを見つけたプリムが、心配そうにしながら同行してきたので、これが何か知っているのだろう。
トラヴィスは何から問えば良いのかわからず、言葉が出ないまま、どちらでも良いから説明してくれと眉根を寄せた。
「え〜っとですねぇ…これはその、アラミスさまなりのご配慮といいますか…ご褒美といいますか…」
「ご褒美?」
「しかしやはり、私の感性は少し異なるようだ。二度も同じ反応をされれば、流石の私でも気付くよ」
顎をさすりながらこぼす、アラミスのその言葉に、プリムが苦笑する。
二度、ということは、彼女もやられたのか…と、プリムの表情の謎が解けたトラヴィスだが。
「ご褒美ってなんだよ」
その他の部分が全くわからない。
兵士たちを持ち場に戻らせるアラミスは、まあ、些末なことだと流すだけで、説明する気がないようだ。
「ここにいたのか、トラヴィス。あ…ラミス殿も、プリムも」
そこへ、ギルベルトがやってきた。
トラヴィスを探していたかのような素振りに、トラヴィスの眉は更に顰められる。
今日は何なんだ、一体。
「急ですまないが、共に来てくれ」
「おいおい、あんたもかよ…」
訝しみつつ、ちら、とアラミスを見ると、私の用事は済んだから大丈夫だと目で返された。それなら、とギルベルトに着いて歩き出すと、アラミスとプリムも後に続く。いや着いてくんのかよ。
ギルベルトは何も言わないので、二人が同席しても構わないのだろう。となれば、トラヴィスが言うことは何もない。
ギルベルトからも説明はない。アラミスは何だか楽しそうにしているし、プリムは相変わらず少し困ったような表情をしている。ずんずん歩いていくギルベルトを先頭としたこの行進は、端から見ると滑稽だろうな、とトラヴィスは他人事の顔をした。
連れられてきた天幕は、中で何やら賑やかに話す声が聞こえる。ギルベルトはトラヴィスたちを止まらせると、入り口で「いいだろうか」と声をかけた。それに応じて、中が静まる。
「トラヴィス、中へ」
「は?説明…」
「いいから」
有無をいわさず促されて、渋々と天幕の入り口をくぐると。
「トラヴィス!」
アレインが、腕を広げてトラヴィスを眩しく出迎えた。その後ろには、見知った顔ぶれが並んでいる。そして。
「誕生日おめでとう、トラヴィス!」
アレインの満面の笑みに、トラヴィスは目を瞠ったのだった。
「あ、姉貴!どうして…」
輪の中心に誘われたトラヴィスは、姉の姿を認めて問いかけた。誕生日を知っているのなんて、いまや姉と相棒のみなのだ。今夜は、その二人と祝いの宴をする約束だったはず。それがどうして、アレインに。
「聞くならこっちにしな」
「たまたまアレインが居たからよぅ、一緒に祝ってくれるってよ!」
肩を竦めるベレンガリアが隣に視線を投げると、屈託のない笑顔でブルーノが腕を挙げた。あまりに馬鹿正直な種明かしに、何処から突っ込めばいいのかわからず、トラヴィスははくはくと数度口を動かした。
「あんたはもう少し、慎みってもんを覚えた方がいいね」
「ああ?だ、駄目だったのか、姉御!?」
「駄目なんかじゃないさ、ブルーノ。俺もトラヴィスを祝いたかった。皆もだ。教えてくれて良かったよ」
焦るブルーノに、アレインが爽やかに助け舟を出す。トラヴィスは姉を見た。止めなかった姉貴も姉貴だ、と目で訴えると、ベレンガリアはついっと目を逸らしてみせた。
◆はじまり
「姉御〜、それにしてもよぅ、楽しみだなぁ」
「またその話かいブルーノ。随分気合いが入ってるじゃないか?」
「だって、俺たちが再会してから、初めてなんだぜ!」
「何かあるのか?」
薪をまとめる作業をしていたブルーノとベレンガリアの会話に、自然に加わったのは、解放軍の総指揮官だ。よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにブルーノの瞳が輝く。話が大きくなりそうな予感がしたベレンガリアは、くるりと目を上向けてみせたが、そんな姉貴分をよそに、ブルーノはからっと笑って、全てを動かす一言を口にした。
「おう!俺たち今度、宴をするんだ!トラヴィスの誕生日だからな!」
ベレンガリアの予感は的中した。
お人好しの王子様が、そんな情報を手に入れて、何もしないわけがない。
アレインは即座に、トラヴィスには世話になっている、自分も祝いたい、皆で祝おうと畳み掛け、同じくお人好しのブルーノはさすがアレインだぜ!と宴が賑やかになることをただただ喜んだ。
アレインが動くなら、ジョセフに話がいかないわけもない。解放軍初期から動いてくれている大事な密偵の祝い事、労う良い機会ですとジョセフも二つ返事で賛同し、横で聞いていたクロエまでが、「料理は私にお任せを!」と張り切りを見せた。
「お祝いのお料理はどうしましょう…ベレンガリアさん、トラヴィスの好物はご存知ではないですか?」
急に話を振られたベレンガリアは、一瞬目を丸くしたあと、思案する。飯屋で好きな物を注文させようとしか思っていなかったため、ベレンガリアにはトラヴィスの好物を用意しようという考えがなかった。ので、咄嗟に出たのは。
「あー…国にいた頃のやつ、とか」
「ドラケンガルドのお料理ですね!」
そうして、前のめりのクロエに、引っ込みがつかなくなった。
ドラケンガルドの郷土料理が良いか、出自を考えるとそれなりのものが良いか…悩み始めたクロエを見て、「それならば、両方知っていそうな者に聞いてみたら良い」と、アレインはなんとギルベルトにまで話を持ち掛けた。
「ふむ。トラヴィスの誕生日に?」
面白そうだ、と王が乗り気になってしまえば、止める術はない。ベレンガリアのため息はますます深くなった。
「コルニアと比べれば、大したものではないがな」
「このお料理は…しかし時間の問題が…」
あれやこれやと話し込むギルベルトとクロエを見て、珍しい組み合わせだ、と首を突っ込んできたのはアラミス。そして巻き込まれたプリムだが、彼女は仲間の誕生日を祝うという明るい話題に、素直に「素敵ですね!」と喜んでみせた。その様子を見たアラミスは、花が綻ぶ様は美しいだの何だのと言いながら、いつの間にか仲間に入ることに決めたようだ。
「準備のための時間稼ぎが必要か?それならば私に任せるといい。なに、前座を務める役者というのも悪くない」
「あ…ラミス殿が引き付け役を担うのならば、私は案内役をしようではないか。料理の監修が終わる頃、呼びに行くぞ」
アラミスとギルベルトがそう申し出るのに、ベレンガリアはもういっそ面白いじゃないかと完全に開き直っていた。
「クロエー。…ん?どうしたんだ?」
クロエに用があって訪ねてきたリディエルも、クロエの悩む様子を見て手伝いを申し出た。曰く「あいつには、借りがあるっちゃあるからさ…クロエの助けになるんだし、協力してやるよ」と。
「あいつってさ…本が好きだったよな」
「そう!意外だって言っちゃって、渋い顔をさせちゃったことがあるわ」
「えっ、クロエもか?」
「えっ」
クロエとリディエルは二人で顔を見合せて驚いたあと、まさか二人揃って、トラヴィスに失礼なことをしていたとは、と苦笑いをした。
「本…本かあ。どんな本が好きなのかな。気に入った本のことは書き残してるって言ってたけど」
「前に話したときは、歴史書が欲しいって言ってた」
「歴史書?うーん…今から探して手に入るかしら」
今いる拠点から、本を扱っていそうな街までは、やや距離がある。そこにトラヴィスの好みの本があるかは分からないし、あったとしても、本は高価だ。手持ちの金で足りるかも分からなかった。
クロエとリディエルは、再び顔を見合せる。
「…私達は、美味しい料理を作ることに専念しましょ」
「そうだな…それが私達からの贈り物ってことで」
眉を下げるクロエに、リディエルもため息を吐きながら同意した。
◆プレゼントタイム
「トラヴィス、お前にはいつも助けられている。私のお下がりで悪いが、これを」
ジョセフは重厚な革の装丁をした本を、トラヴィスに差し出した。
「は!?王国の聖騎士さんの蔵書だなんて、そんな貴重なもん受け取れねえよ!?」
「お前なら読めるであろう。老いぼれが抱えているより、本も喜ぶ」
さあ、と勧めるジョセフの目は穏やかで、いつもの指揮官補佐の鋭い瞳とは異なっていた。そんな、期待するように差し出されたら、受け取らないのも失礼だと、トラヴィスは恐る恐る本を受け取る。
表紙を撫でて、そっと、数頁めくってみる。トラヴィスの瞳がみるみる輝くのを見て、ジョセフも満足そうに頷いた。
「ありがとう、ジョセフさん…大事に、する」
「うむ」
「わ…!私も、本が良いかなって思ったよ!…でも、その……」
ジョセフの横で、もごもごとリディエルが言う。トラヴィスはそれをきょとんと見た。
「お前が本…?あっ!もしかして、あん時のこと気にでもしてんのか?」
似合わねー!と笑うトラヴィスに、リディエルが目尻を赤くして激昂した。
「に、似合わなくて悪かったな!」
「まあまあ、リディエル!」
面食らった顔のトラヴィスに、クロエが慌てて宥めに入る。
「あっと…あの、私も!前に読書が趣味なの、意外だなんて言っちゃってごめんね」
「…おう。俺は気にしてねぇし」
「お詫びも兼ねて、私達ふたりで本を選びたかったんだけど…うまくいかなくって。だからってわけでもないけど、お料理、たっくさん作ったの!リディエルも一緒によ」
「…いらないんなら食うな」
「リディエルってば!」
眉を下げるクロエの後ろで、悪態とは裏腹に気まずそうにしているリディエルも、チラチラとトラヴィスを見ている。トラヴィスは叱られた子猫のようなその様子に、ふっと口角を上げた。
「クロエの料理なら味は心配ねーな。リディエルも…からかって悪かったよ」
てっきり軽口で返されると身構えていたリディエルは、予想外の素直なトラヴィスの言葉に、呆気にとられた表情をしたのち…クロエと顔を見合わせて、手を握り合って、二人笑った。
「よければこちらも受け取って下さい〜」
プリムがニコニコしながら差し出した手のひらには、焼き菓子の包みがあった。
「あんたも用意してくれたのか」
トラヴィスはここでようやく、プリムがずっと着いてきた理由を知った。
「姉さまも私も大好きな、お国のお菓子です!トラヴィスさんもご存知でしょう?」
「……これ、この辺じゃ売ってねえだろ。まさかあんたが?」
「はい!お誕生日のお話を聞いてから、急いで作ったので、ちょっと形が悪いんですけど〜…あ、ちゃんと試食…じゃなくて、毒見しましたからね!安心して食べて下さい!」
真剣な表情のプリムに、トラヴィスはふはっと吹き出した。
「あんたが作ったんなら、毒見じゃなくて試食で合ってんだよ」
くつくつと笑いながら包みを受け取り、カサリと中を覗く。黄金色に焼き目のついた一欠をつまんで、ちらりとプリムを見てから…トラヴィスはそれを口に運んだ。サクリと軽くて、ホロリとほどける。迷いなく食べたトラヴィスの、緩んだ目元を見て、プリムが口元に手を当ててパチリと瞬きをした。
「うん…美味い。あんがとな」
「!!…ふふふ、こちらこそ!お誕生日おめでとうございます、トラヴィスさん!」
「最後は、俺からだ」
アレインは、片手で抱えられるくらいの、小さな花束を、トラヴィスに手渡した。
「は、花…!?」
「本は普段からやり取りしてるし、俺には料理も菓子作りも無理だ。聞けば、ドラケンガルドには、あまり花が咲かないんだって?コルニアでは、祝いの席には花が贈られることもあるんだ」
「ああなんだ、そうなのか…」
「この辺りの花には、俺も詳しくないんだが…今度、花のことがよく載っている本を探すよ。そうしたら、改めてお前に贈るから」
だから、今日はこれで許してくれないか。
「…!」
はにかみながらそう言うアレインに、トラヴィスは言葉に詰まった。
そんなものを、俺に?伝説の血を継ぐ王子の、多忙な総指揮官の、貴重なその時間の一欠を。心の片隅を。俺のために使うというのか。
小さな花束に込められた、あまりにも大きな贈り物に、トラヴィスは花を見つめながら唇を引き結んだ。しかし、じわじわと、抑えきれない嬉しさが頬に表れたのを、隠すことは出来なかった。
「…楽しみに、してる」
ようやく言葉に出来たのはそれだけだったが、照れくさそうに、しかし溢れんばかりに笑ったトラヴィスに、アレインも嬉しそうに笑った。
◆幕間〜賑やかな食卓
「これ…!」
「おう!お前、団にいた頃はこれ好きだったろ?クロエのねーちゃんに頼んで作ってもらったんだ。覚えててやった俺に感謝しろよ〜!」
「よく言うぜ。お前、俺がこれ好きだって知ってた上で、盗み食いしてやがったのか?」
「ぁああん?どうせ量は食わねぇだろうがおめぇは」
「トラヴィス。これは私の記憶を頼りに似せて作ったものだ。どうだろうか」
「えっ…あ、ああ。美味いぜ」
「あんた、家にいた頃、好きだったろ」
「……そういえば、そうだな。忘れてたぜ…」
「味は再現できてるかしら」
「たくさん食えよ!これも!これは?」
「ははっ…本当にたくさん作ったんだな。久しぶりに腹一杯だ」
◆宴のあと
「はあー…さすがに疲れたぜ」
「楽しんだようで、何よりだね」
アレインの采配で、今夜はベレンガリアと二人、姉弟水いらずでと部屋を与えられた。正直、小っ恥ずかしいが、普段は男女別に大人数で雑魚寝することもザラだ。二人だけでゆっくり過ごせる時間は、確かにありがたくもあった。
「姉貴も姉貴だぜ。止めるタイミングは沢山あっただろ」
先ほど目だけで訴えた不満を、トラヴィスは改めて口にする。ベレンガリアは、今度は逃げずに、ふふっと笑ってみせた。
「そうだね。でも…悪くないと思ったのさ」
一度は、もう会えないことを覚悟した、愛する弟。戦禍の中、また生きて、誕生日を迎えられ、それを祝うことが出来る歓び。
自分以外にも、弟を祝ってくれる人が沢山いるということを、嬉しく思ったのかもしれない。だからこそ、話が大きくなっていくごとにため息をつきながらも、止めはしなかった。
幼い頃は家族で、団にいた頃は団員に。
そして、戦場にいる今も。
「愛されてるねえ、トラヴィス」
ぐりぐりと、頭を撫でてやる。躊躇わなくていいんだ。ベレンガリアは笑った。
「なっ…んだよ、ガキ扱いやめろっ」
からかわれたと思ったトラヴィスは、頭の上のベレンガリアの手をとる。優しい手は、随分硬くなってしまった温かな手は、もう一度、トラヴィスの頭を撫でると離れた。
「誕生日おめでとう。トラヴィス」
「…ああ」
「さ、良い子は寝る時間だ。せっかくだから、子守唄でも歌ってやろうか?」
いつもの調子に戻そうとして、ベレンガリアは今度こそトラヴィスをからかってやると、可愛い弟は唇を尖らせた。
「歌はいい。…あの話、してくれ。覚えてたら、だけど…」
しかし予想通りだったのは表情だけで、意外な要求が返ってきた。あの話、というのは、幼い頃によくせがまれていた、御伽噺のことだろう。
「ああ…良いよ。お前は本当に、あの話が好きだったね」
寝台に横たわるトラヴィスに、ベレンガリアは目を細めて、ゆったりと話し始めた。
やがて、トラヴィスが起きているのか、眠っているのか、聞こえているのか分からなくなっても、ベレンガリアはなるべくゆっくりと、最後まで、忘れてなんかいなかったその物語を、話して聞かせた。