「ジョセフさん、どうかしたか」
城の一室。
ジョセフが呼んでいるとの伝えを聞いて参じたトラヴィスは、扉を叩いて訪問を知らせた。
「ああ、トラヴィス」
入室したトラヴィスに、振り向き応えたのは、ジョセフではなくこの城の主だった。
アレインも同席しているのか。トラヴィスは、アレインと目を合わせると、眉を少しだけ動かしてみせた。何があったんだと言いたげなトラヴィスを促すように、アレインは隣のジョセフに視線を流す。
そこには、心なしか、困ったようなジョセフの表情。その前には、何やら小箱が置かれていた。
ジョセフはトラヴィスを認めると、その手に持っていた書状を傾けてみせた。
「ドラケンガルドから?」
「ああ。だが、これが何だか分からなくてな」
話によると、ドラケンガルドの有力貴族から贈与品が届いたのだが、誰もそれが何だか分からないという。
「何か知らないか?」
それで俺が呼ばれたのか。
トラヴィスは読者家のため、知識量はかなりのものだ。その上ドラケンガルド出身となれば、同郷の物に心当たりがないだろうかと、ジョセフとアレインの期待の眼差しにも頷けた。
トラヴィスは、渡された書状に軽く目を通す。
当たり障りのない文言が並び、「偉大なるコルニア陛下の心身が健やかであらせられますよう」と括られている。贈与品については、「貴重なものが手に入ったので」としか触れられていない。
続いて小箱を開いた。中には、紙に丁寧に包まれた…
「カカオじゃねえか」
トラヴィスは思わず、驚きの声を上げてしまった。
ジョセフもアレインも、「知っているのか!」と色めき立ち、それは何なのかと更なる期待の目でトラヴィスを見る。
「すげえ貴重なもんだぜ。ドラケンガルドの、オアシス付近の地域でだけ採れるんだ。昔、親父のを少しだけ飲ませてもらったことがある」
「飲み…食べ物なのか?」
まじまじと紙の中を眺めながら、アレインが言った。見た目は茶色の粉のようなものなので、口に入れるものとは思えなかったようだ。
「ああ、薬のようなもんかな」
匂いを確かめながら、トラヴィスが答える。
「前に飲んだのは、恐らく煎じられてた…が、何せガキの頃の記憶だからな。少し待ってくれ、心当たりがあるから調べてみる」
「本当か!」
珍しいものを口に出来ると知り、アレインは嬉しそうに表情を輝かせた。何にでも興味を持つところは健在だ。
ジョセフも贈与品の正体がわかり、安堵したようだ。友好国となった矢先に、よもや危険なものを送ってくるような愚行を堂々とするとは思わないが、正体不明なものの処遇はどうしようもない。
「私からも頼む、トラヴィス。必要なものがあれば言うと良い」
「わかったよ、ジョセフさん」
というやり取りがあったのが、数日前のこと。
そして今日。2月14日。
「少し冷えるな…」
夜の半ば、アレインは窓の外を眺めて腕をさすった。やや強い風は、まだ冷たい。
「そうだ、アレイン。この間のカカオ、飲ませてやろうか」
椅子に掛けて、書物に目を通していたトラヴィスが、その様子を見て思い出したように言った。
「飲み方がわかったのか?」
「たぶんな。こんな日には丁度良いだろう」
湯をもらってくる、と部屋を出たトラヴィスは、程なくして杯と湯、匙を持って戻ってきた。
「煎じるというより、湯でのばしていくらしい」
杯の中のカカオの粉に、湯を少量足して練り、それを少しずつ繰り返して馴染ませていく。ゆっくりとしたその手つきを見ながら、ふわりと立つ香りに、アレインは目元を緩ませた。
「いい香りだ…なんだか落ち着くようだよ」
「そうだな」
そうして杯の中ほどまで満たされた頃合いで、トラヴィスは香りを確かめて、口を付けた。アレインは固唾を飲んでそれを見守る。
一口含んで、味と舌触り。香り。飲み下して。後味と感覚にも、神経を巡らせる。
「…どうだ?」
「ああ、大丈夫だ」
少なくとも、即効性の毒はない。そして味も香りも、記憶の中のカカオに似通っている気がする。トラヴィスは、ふうと一息ついた。両方の意味で安心した。
トラヴィスは同じものを新しく作ると、アレインに渡す。
「熱いからな」
アレインは期待を隠さない瞳で、受け取った杯の中身を見つめた。上がる湯気に息をひとつかけてから、恐る恐る、と口を付けて。
「………これは、何というか……独特、だな」
きゅ、と目頭を絞ったので、トラヴィスは笑った。
「くっくっ…苦えだろ?俺もガキんとき、そうなったぜ」
揶揄われたのか、子供扱いされたのか、どちらにしろとアレインは頬を膨らませる。
「先に言ってくれ」
「面白くねーだろ」
目尻に涙をためるトラヴィスは、「そんなに怒んなって」とアレインを宥めると、懐から小袋を取り出した。
「おら、これも入れてやっから」
サラサラとアレインの杯に足したのは、砂糖だ。もう一度飲んでみろと促されたアレインは、再び杯を寄せた。
「…飲みやすくなった」
「体を温める効果があるから、今日みたいな寒い日にいい。ゆっくり飲めよ」
「ありがとう、トラヴィス」
そうして、夜も更けた頃。
就寝の支度を整えていたトラヴィスの自室を、訪ねる者があった。
「トラヴィス…」
果たしてそこには、先程まで共に過ごしていたアレインの姿。
「遅くにすまない。その…」
「取り敢えず、入れよ」
「ああ」
トラヴィスは部屋の中にアレインを招き入れると、並んで寝台に腰掛けた。
腰掛けるなり、アレインはトラヴィスの手を取る。その手は、熱い。
「カカオを飲んだあとは温まって、気持ちが良かったんだが…それからずっと、体が熱いくらいで」
眠れないんだ、とアレインが不安げに言う。
痛みや苦しみはないが、何らかの遅効性の毒ではないだろうか。異変に気付いたアレインは、居てもたっても居られなくなったという。一緒に摂取したトラヴィスの様子も気になった。
そのようなことを口早に説明したアレインは、しかしトラヴィスが焦りもしないことに、説明し終わってから気が付いた。
アレインが訝しんだことに、トラヴィスも気付いたらしい。
急に黙ったアレインに向けて、軽く肩をすくめてみせてから、トラヴィスは口端を上げた。
「安心しろよ。カカオで間違いないぜ」
「しかし…」
トラヴィスはアレインに取られた手をそのまま引いて、寝台の奥へと誘導した。
きし、と二人分の体重の音。
「薬みてーなもんだって言ったろ。カカオの効果は、血行促進、疲労回復、滋養強壮…」
トラヴィスの指が、すり、とアレインの指の間をなぞる。
アレインは、トラヴィスの顔から目が離せなくなった。じわり、と汗がにじむ。
熱い。
トラヴィスは絡み合う指先から視線を外し、悪戯な猫のような瞳でアレインを見上げて。
「あとは…興奮作用」