テレビやインターネットを利用できるような環境になって、身に沁みたことがある。
ロディはすっかり手に馴染んだスマートフォンの画面を見つめながら、口元に薄く笑みを浮かべる。ロディのいる休憩室はロディ以外誰もおらず、自然と溢れた独り言を拾う人間ももちろんいなかった。
「今日もやってるねえ、ヒーロー」
フライト前には行き先の情勢をチェックするようにしている。本日のフライトはオセオンー羽田の直行便。二時間後、ロディは副機長としてコックピットに乗り込む。
手の中にあるスマートフォンが表示しているのはニューヨークタイムズだ。トップは日本の市街地で起こった商業施設の火災。大規模で死傷者の発生は免れないと思われたそれは一躍世界のトップ記事になった。理由としては、世界的に有名なヒーローデクをはじめとする日本の若いヒーローたちの尽力で、人的被害を軽症者のみにおさえたからである。
ロディの視線の先にある記事は写真付きで、煤だらけのヒーローデクが笑顔で人を助け出している写真が映し出されていた。
このヒーローに、ロディも助け出された。デクが救ってきた何人もの人間の、そのなかのひとりだ。それでも、デクがロディを友達と言ってくれたから。多分、その中でも、少しだけ──それくらいは、自惚れてもいいだろうか。
休憩室の椅子に背中をぐっと預ける。白い天井を見上げれば、昔から髪質の変わらないロディの後ろ髪が壁にわずかに触れた。
スマートフォンに入っている自身のスケジュールを思い浮かべる。明日の朝、羽田に到着してからロディは二日間仕事が入っていない。だからその二日間は日本で過ごすことになる。
初日の夜はフライトメンバーで飲みに行くことになっているのだが、それまでの空いた時間でランチを一緒に友人ととる約束をしている。そう、この写真のセンターを飾っている、ヒーローデクがその相手だ。
しかし、と考えながら火災の発生日時を確認してみる。昨夜発生していることを把握してから、小さく唸った。現場の片付けまで手伝うこのヒーローのことだ、すぐ体があくことはないだろう。
「さて、明日の俺とデクのランチは果たして実現するのか」
肩にのったピノが少し残念そうにピィと鳴く。そのピノの小さな額を人差し指で軽く撫でながら、ロディは手に顎をやり思考を回した。
友人であるデクこと出久は正真正銘のヒーローだ。それは昔から、心の底からそうだと思っていた。しかし、スマートフォンやテレビに触れるようになってから、なんでこんなぽんぽんメディアに出るような凄い奴と俺は呑気に食事になんか行っているんだろうとたまに冷静になったりする。
日本行きのフライトが入り、自由時間が確保できる時はロディは一応毎回出久に入れている。以前忙しそうだなとニュースを見て連絡を入れなかったとき、たまたま遠征帰りのショートと空港で会い、一緒に夕食に行ったのだが、後日心底落ち込んでいる声で「なんで連絡くれなかったの」と出久から電話がかかってきたのだ。案外、一般人のロディとの食事の時間は、出久のいい息抜きになっているのかもしれない。
以来、予定が合えばランチや夕食の約束をしているが、実際約束通り出久が来れる確率は五割だ。
多分、今回は来れないだろう。
「今回は誰だろうな、ピノ」
「ピィ〜」
考えるそぶりをしながら大きく身体を傾けたピノをくすりと笑いながら、ロディは記事にある活躍したヒーローの名前を確認する。
完全にドタキャンになる場合、出久は代打を待ち合わせ場所に寄越してくる。それが日本の人気若手ヒーローばかりだから、やたらとロディは日本のヒーローに詳しくなってしまった。
記事には、バクゴーのヒーロー名もショートの名前もあった。この二人はない。となると、なんて、これまで食事を共にしてくれたヒーローたちの顔を頭の中で羅列しつつ、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。そろそろフライトの準備を始めなければならない。
友人との食事を楽しみにしつつフライトに挑むつもりだったのだが、と不純な動機を持つ自身を一笑してから、ロディは立ち上がる。友人ねえ、と内心で苦笑いを浮かべながら。
出久に対する感情はロディの中のありったけのプラスの感情を煮詰めたようなものだ。憧れや尊敬、そして親愛。その中に、最近すこし、歪なものが含まれていることに気づきそうになっている。メディア向けのコメントをしているヒーローデクを見ているとき、ヒーローじゃないオフの出久を知っている優越感を自身が持っていることに気づいた。待ち合わせに遅れてくる焦った出久の姿を見るのだって、嫌いじゃないのだ。その瞬間、歪なものの正体がわかりかけて、ロディは現在見ないふりをしている。
今回、出久がランチに来れなさそうなのは、いいのか悪いのか。歪なものに名前をつけたくない自身と、肩の上に乗っている会えなくて寂しそうな自身。ふたつともロディの本音だ。
まあ、どちらにせよ、出久とは会いたい。また日本へのフライトはある。自身の気持ちもそのときには整理がついているかもしれない。そんなことを思いながら、ロディは休憩室のドアを開け外に出た。いまから、人の命を預かるコックピットに乗るのだ。邪念は綺麗さっぱりオセオンに置いていく。見えかけた己の感情にしっかりと蓋をする。
すっかり割り切って歩き出したロディはまだ知らない。
出久がロディに告白する段取りを今回のランチでつけていること。そしてランチの時間に間に合うように、事件の後処理を過去最速で終わらし、汗だくで待ち合わせ場所までやってくるなり、公衆の面前でロディに告白することを。まだ、知らないのである。
ロディはのちに言う。知ってたら、まともに仕事できなかった、と。そして、ヒーローも不純な動機を持ったりするんだな、と。
Binding lid on a cracked pot
「やばいやばいやばいやばいやばいやばい」
「ッダー!! さっきからぶつぶつぶつぶつうっせえんだよ、クソナードがァ!」
「そうだぞ。落ち着け、緑谷」
「テメーも活動中はヒーロー名で呼べっつーんだよ、半分野郎!!」
「それブーメランになってねえか? ダイナマイト」
煤けたコンクリート片を両手で抱え猛スピードで作業しながら、出久は焦っていた。そりゃもう焦っていた。爆豪の怒声もまったく気にならない。ぽやっとした轟の気遣いにお礼も言いそびれた。しかし、オールマイトモデルの耐熱耐火の耐久性に優れた腕時計が指し示す時間は十時。もう少しで昼になる。そう、昼になってしまうのだ。
立ち入り禁止の黄色いテープの向こう側から「デクだ!」という幼い声がして振り返り笑顔で手を振れば、振り向いた先にいた頬を真っ赤にした男の子が、元気いっぱい手をぶんぶんと振ってくる。無垢な笑顔に触れ、少しだけ焦りが落ち着いた出久だ。男の子の親らしい女性に会釈され、出久もにこりと会釈した。
「この後なにか予定があるのか、デク」
再び瓦礫を退け始めた出久の隣に、轟が氷で固めたガラス片を抱えやってきた。さすがに尋常じゃない焦りようの出久が時計を確認する頻度が高いので、察して声をかけてくれたらしい。
「うん、ちょっと昼食の約束が11時半からあって」
「もうすぐじゃねえか、デクは今日シフトじゃねえんだろ。別に帰ってもいいと思うが」
「うーん、でもやっぱり関わった事件の後片付けはできるとこまでかかわりたいというか」
作業の手は止めないまま、火事で崩落してしまった場所の後片付けを消防員と一緒にしている三人である。昨晩、この場所は火の海になっていた。大きな商業ビルの中央階から火の手が上がり、瞬く間にビル全体へ渡る大火災になってしまったのだ。
そして昨晩、たまたま出久たちはこの近くをパトロールしていた。言葉を交わさずとも互いにすべき事を迅速に、連携しながら必死にこなした結果、初動の救出作業がうまくいった。すぐに近くにいた他のヒーローたちも集まってきて、結果、人的被害は軽傷者のみで済んだのだった。
それはよかった。本当によかったのだけれど。自身の信条としている、手をだすなら最後まで、をたった今、少し恨んでいる。出久たちは消防隊と一緒に重機が作業できるように、場を作っている最中なのだが、これは本来ヒーローの仕事というわけではない。出久が心情としているため、なんとなく雄英出身の旧友たちは後片付けまで手伝っているが、これらは本来ヒーローの義務ではないのだ。
「相手は理解あるタイプなのか?」
どうやら作業終了予想時刻と、出久の言った待ち合わせ時間がうまく噛み合わないことを把握したらしい轟が顔を顰めた。話が早くて助かるなあ、と出久は思いつつ、情けない気持ちになる。これはヒーローあるあるで、ヒーローの集まりの飲み会のたびに愚痴が溢れ出す話題だからだ。話が伝わること自体、ヒーローとして、というか、人間としてどうなのだという話だ。
人との待ち合わせ時間に間に合わないのはよくある事で、待ち合わせ場所に行ったときに相手が待ってくれれば良い方だ。しかも大抵待ち合わせに遅れると言うことは緊急事態が起こってるわけで、連絡もすぐとることはできない。待ち合わせ相手を怒らせてしまうことは当たり前のようになっている。
そんなわけで、次第にヒーローたちはヒーロー活動に理解のある相手としか付き合いがなくなっていくのだ。とても悲しいことだけれど。
そして今回の出久の相手はというと。
「うん……ロディだよ……」
「ありすぎる相手だな」
ため息混じりに轟が言うので、出久は物凄い勢いで何度も頷いた。そしてガバッと顔をあげ、ぐっと顔のパーツを中心に寄せる。
「そう、ありすぎるんだよね! きっとこのまま僕がドタキャンしても許してくれるんだよ、ロディは!」
「誰か代わりにロディと食事行ってくれますかって、待ち合わせ時間の直前にクラスのグループトークにデクが送ってくるの恒例になってるもんな」
「みんな快く行ってくれるからつい……いつもありがとね、ショート……」
「まあ、アイツとの食事は俺も楽しいし。でも今回は俺も無理だな」
「うーーーーん、でも今回はね、本当に行きたくて。いや勿論いつも心の底から行きたいんだけど!!」
手と足を動かすことをやめず作業を続けていると、轟が無言で瓦礫を一気に氷で固めてくれたので、スマッシュで粉砕する。コンクリートを割るよりも氷で一度覆った方が力加減がしやすいのでありがたい。
「あ、そういや……次告白するって言ってたよな。それがもしかして」
「今回です!」
頭を抱えたくなりながら、出久が言葉と一緒に拳を氷に打ち込む。それを気の毒そうな目で轟が見ていた。
そう、みんなの前で決意してしまったので、この後予定している出久の行動は一部の旧友たちが知っている。轟が今言ったように、出久は本日、告白するつもりなのだ。相手はもちろん、ランチの約束をしている、ロディである。
* * *
「ロディ、本当に怒らなくて……僕としては本気の文句を言ってくれないのが……心苦しくて……」
久しぶりの雄英の旧友たちとの集まりで、先ほどの待ち合わせ問題の話題が出た。もちろんシフトの都合上、毎回全員集合とはいかないので、それぞれ都合が合う日を四日ほど設け、毎度メンバーを入れ替えつつ元一年A組の面々は集っている。
この日程の会の幹事だった芦田は、待ち合わせ問題について自分の話題として「この前、友達と喧嘩になったんだあ」と肩を落としつつ、隣に座っていた出久にそういえばロディは怒らないの、と聞いてきた。参加者から視線があつまる。みんなそういえば、という顔をしていた。なにせ参加者は全員ロディとの食事の代打に行ってくれたことのあるメンバーだったので。
結果、先程の発言だ。しかもみんな、ああ……と納得するものだから、出久は肩身が狭い。
「まあ、友達相手にそういう文句言うのってなかなかだよね」
そう言ったのは耳郎。
「一緒に食べにいくとき、緑谷の愚痴で盛り上がったりするけどなあ」
次いで口を開いたのは瀬呂だ。待って瀬呂くん、それ初耳なんだけど。
「ロディちゃんは文句の塩梅がうまそうよね。本気でって緑谷ちゃんが言ってるのは、適度に文句は言ってくれるってことでしょう。きっと緑谷ちゃんの罪悪感を軽くしてあげようとわざと言ってるのね」
首を傾げながら確かめるようにして言葉をつなげたのは蛙吹。出久はそれに勢い良く頷いた。あまりに勢いよく頷いたので首の裏筋を少し痛めた。
ロディは優しい。悪ぶって見せるけど、実際心の底から優しいのだ。その優しさの上にあぐらをかきつづけている現状に出久は気付いているのだが、自分の在り方として待ち合わせよりも困っている人を助けるヒーロー活動を優先してしまうわけで。
しかし、あまりにもその頻度が高く、毎回許してくれるロディにそのうち我慢の限界がきて、出久との友達付き合いをやめてしまうかもしれない。それはあまりにも辛いし、そもそもロディに我慢させてる自身が嫌なのだ。だからせめて、本気で心の底からの文句を言ってほしいと思っているのだけれど。そうすれば少しくらい友達付き合いの寿命が伸びるかもしれないと出久は思うのだけれど、なかなかうまくいかない。
「じゃあ、友達やめればいいんじゃねえか?」
そしてテーブルを囲む全員が腕を組んで唸る中、爆弾を落としたのは緑谷の隣で日本酒を飲んでいる轟だった。身を見開いて緑谷は轟に体ごと向ける。言葉の真意がわからない。
「えっ、ロディと絶交しろってこと!? 僕から!? されるならまだしもなんで!?」
顔を青ざめさせ疑問を矢継ぎ早に投げかけてみれば、轟は言葉が足りなかった事を自覚したらしい。少し思考を巡らせている素振りをみせ、言葉を選びながら轟は心地のいい低音を紡ぎ出した。
「ああ、いや、そうじゃなくて……文句をアイツが言っても良いと思える関係性に変えれば良いんじゃないかと思って」
参加者全員が、轟が発するだろう続きの言葉がわかっていた。
「だって、緑谷、アイツのこと好きだろ?」
意図が分からず、首を盛大にかしげたのは当事者である出久、ただひとりであった。
「…………へ?」
裏返った声が、居酒屋の個室に響いた。そしてやってきた空気は、出久の想像もしてなかった『ドン引き』である。え、なんで。
「うそだろ……緑谷、無自覚だったのかよ」
「緑谷ちゃん。たしかにみんな、クラスのグループトークへ待ち合わせの代打お願いを投下するけど、お願いする待ち合わせ相手は自分の恋人ばかりよ」
「ウチとしては片想いしてる緑谷の気持ちを汲んで代打に行ってたつもりだったんだけど、そもそも汲む気持ちを自覚してなかったの?」
「アタシたちとの約束ドタキャンしたあとと、ロディとの約束ドタキャンしたあとの自分の精神状態比較してみ? 自己分析得意じゃん」
「ただの友達から来日の連絡が来なかっただけで、あんなに落ち込むのは……なかなか会えないにしてもおかしいと俺は思う。好きなんだろ、そういう意味で」
グサグサと投げつけられる言葉に体温が上がったり下がったりしていると、最後の轟の声にとどめを刺された。ガツンと後頭部を殴られた気がする。くらくらしながら、それでも芦田に言われた自己分析をするべく思考をぶん回す。
出久にとってロディ・ソウルとは、信念を貫く、カッコいい人間だ。
たしかに以前の行動は褒められたものではなかったけれど、それも家族を守るための行動理念としてブレていなかった。出久と友人になって以降、彼の中で心境の変化があったらしく、更にカッコいい人間になった。恵まれているなんて言えない環境下で、ロディは現在ジェット機の副操縦士にまでなった。セスナの免許を取ってから、どうせならデカイの運転したいと言い出し、本当に資格を取ってしまったのだから恐れ入る。きっと出久の想像する何倍もの苦労と努力があったのに。
そんなかっこいい人間の個性は、嘘がつけない個性。素敵な個性だと、出久は思う。ロディの飄々とした態度の隣で、照れたり焦ったりしている彼の魂を見るのが、緑谷はたまらなく好きだ。直後にその魂──ピノの様子に気づいて慌てて赤面したりする姿だって。
手離したくないと思う。彼との縁を。これからもずっと。だから彼との約束を破るときは、出久が誇れる友だちに待ち合わせ場所に行ってもらうのだ。今思えば無意識のうちに、切り札を出し続けていたのだろう。ロディに愛想を尽かされないために。
守りたいと思う。出久に守られるほど、ロディは弱くないけれど。それでも、彼の在り方の尊さを出久は守りたい。
ロディのくしゃりとした笑顔がふわりと思考にいっぱいになる。
ああ、本当だ。
握ったままの空になったジョッキを出久は握りしめた。人に言われて自覚するなんて、あまりにもダサすぎる。ああ。ああ。
「ロディが好きなんだね、僕は……」
ごつん、とテーブルに鈍い音が響いた。出久が額をテーブルに落とした音だ。頭が沸騰しそうで、赤面した顔を少しでも冷やしたかった。隣から轟が大丈夫か、と声をかけてくれるたと同時、個室内はわあっと盛り上がった。即座にその場で立ち上がり、満面の笑みでばっと右手を挙手したのは芦田だった。
「よし、ただいまより! 緑谷の告白大作戦の打ち合わせを始める!」
そんなわけで、出久がロディへの恋を自覚するなり人様に気持ちが広がり、と同時に告白する流れになってしまったのである。そして、手を打つのは早い方がいいと、次会うときに作戦を実行しろと念を押されたのだ。たしかに、文句を言って発散してもらうためならば、早い方がいい。
* * *
行けるか? 間に合うか?
頭の中で段取りを秒刻みで組み替えながら、おそらくプロヒーローになってから考えてしても、過去最速のスピードで出久は作業をしていく。まわりから瓦礫がずいぶんなくなってきて、崩落の危険性がある箇所もほぼ対処が終わっている。轟が一気に凍らせてくれるので本当に助かる、と内心で手を合わせつつ出久は再び腕時計をチラリと見る。もう少しで十一時だ。
待ち合わせ場所までここから走って二十分ほどの距離がある。公共交通機関での移動は出久の認知度からして混乱を招く可能性があるので難しいし、タクシーもこの時間帯は道路が渋滞しているので却って時間を食う。つまり走るのが一番早いのだ。しかしヒーロー活動ではないので個性使用は控えなければならない──うんうん考えながら、その間も手は止めない。周りの消防隊員が、さすがデク仕事が早いと感動しているのも出久は気づかない。
周囲の瓦礫を見渡す。時間に間に合わせるにはあと十分で作業を完了させなければならない。うーん、これは間に合わないかもな〜! 待っててくれるかなあ〜! と、眉尻を下げ情けない気持ちになりながら、大きな瓦礫を砕き続ける出久の背後で細かな爆発音がした。
振り返れば、箒で回収できるほどに瓦礫を粉砕している爆豪の姿があった。大きな爆発音は振動で新たな崩落を引き起こす可能性があるため、出久以上に繊細な力加減が必要だというのに、難なく爆豪は作業をすすめていた。
「ダイナマイト、あっち終わったの?」
「ったりめえだろ。テメェより俺が遅いことがあるかよ。っつーかな……」
出久の声に反応した爆豪は眉間に盛大に皺を作り、出久を睨みつけた。
「クソウゼェ」
下顎を軽く突き出し、毒を吐いた爆豪に、出久は頭を叩かれた気になる。
たしかに出久は休日と言えど活動中だ。その最中に雑念まみれで作業するなど、他の作業をしてる人間たちに失礼でもあるわけで。ハッとし、行動を反省し、出久は慌てて口を開いた。
「あ、ごめん、ダイナマイト! ちゃんと集中するね!」
「ちっげぇわ!」
しかし出久の謝罪は一刀両断されてしまった。更に眉尻を下げ、出久は首を傾げる。眉毛は八の字になっており、ヒーロー活動中の頼もしさは微塵もない。
そんな出久に吐き捨てるように息を短く切った爆豪は、わかんねえのか、と呟く。ふたりが会話しているのを遠巻きに見ていた轟が、喧嘩か? と駆け寄ってきてきたのも同時で、出久はどう反応すればいいのかわからない。
爆豪は、深いため息をついて、出久を正面から見据えた。
「俺たちは、会えるときに会っとかなきゃ、言えるときに言っとかなきゃ後悔することがあるって、知ってんだろが」
静かな声と真剣な眼差しに、出久は息を呑む。
「優先順位を間違えんじゃねえぞ、クソデクが」
瓦礫を汚れたグローブ越しに両手で持ったまま、出久は動きを止めた。自身の心臓が動いているのがわかるまるで切り取られたような静けさに、出久はぎゅっと指先に力を入れる。唇と爆豪の言葉を噛み締めた。
そうだ。そうだった。僕たちは何があるかわからない。それは相手だってそうで。
いろんな過去の経験が脳裏をよぎって、出久がこくりと頷くのと、到着してからふたりの会話を黙って聞いていた轟が口を開いたのは同時だった。
「ダイナマイトはここは俺たちに任せてさっさと行けって言ってるんだと思うぞ、デク」
涼しそうな顔で少し得意げに言って退けた轟は、隣で目が吊り上がり口元をひくつかせている爆豪にまるで気を止めていないらしい。あわわ、と焦りだす出久を他所にふたりはいつもの調子で会話を始めてしまった。
「ショォォォォトくぅぅぅぅん? ちょっとツラかしてくださいますかゴラァ」
「昼飯か? いいぞ、作業終わったらいこう」
「んなわけねえだろ、頭沸いとんのか。テメェ、マジで戦闘外は思考回路ぽやってんのいい加減やめろや」
先程までの空気が霧散した。あっという間にいつもの調子に戻ったふたりに出久はくすくすと肩をゆらす。爆豪の発言は体育館裏に来い的なアレだと言うのはやめておいた。
轟と爆豪がぐるんと勢いよく出久を振り返る。
「とにかく行け、デク。あとは俺たちがやっとくから。今まで愛想尽かされなかったけど、今日尽かされる可能性だってあるだろ」
「テメェの言葉が一番キツイんだよ、半分野郎」
そして轟は薄く笑みを、爆豪は作った拳から親指を突き立て、そのまま地面に勢いよく向け出久に見せつけた。
「お疲れ。ロディによろしくな」
「……うん! ありがとうね! 今度お礼する!」
「いいからデク、テメェはさっさと当たって爆発四散してこい」
「ひどい!」
ところで、かっちゃん。轟くんとの会話、聞いてたんだね、君。
そうやってふたりに送り出された出久は、現場で作業中の消防隊員たちにお先に失礼しますと声を張り上げ一礼してから走り出した。作業用テントに置いていた私服に急いで着替え、荷物を持って駆け出す。腕時計の長針は数字の二を過ぎたところだ。急いで行けば、間に合う──そう、思って、いたのだけれど。
「や、やることが! やることが多い!」
なかなかの高齢の女性が荷物を持ってよろよろと横断歩道をわたっていたり。迷子の女の子が泣いていたり。夫婦が取っ組み合いの喧嘩をしていたり。ひったくりよ、という悲鳴が聞こえたり。
それらを全て秒単位で解決して、デクは走り続ける。なんで今日に限ってこんなに道中トラブルが発生するのか。もちろん嫌々対応しているわけではない。困っている人は助けたい。しかし、脳内では爆豪と轟に言われたことが響いていた。腕時計を見る。約束の時間からすでに十五分が過ぎていた。自分自身が困っている事実に、出久は地面を蹴る足を止めないまま頭を抱えたくなる。
デクだ! と声が聞こえる度、笑顔で手を振るがそろそろ引きつった笑みになっている気がする。己の師の言葉を反芻し、嬉しそうに手を振った拍子に手に持っていた風船を飛ばしてしまった子どもの風船をつかまえ、気を引き締めて、しっかりと笑みを作りながら風船を渡す。
人の間をすり抜けながら、少し遅れます、ごめんなさいと簡潔に書いてメッセージをロディに送ったのはすでに二十分前になる。返信を見る余裕はなく、出久は歩行者たちに危険のないように気をつけながら更にスピードを上げた。
待ち合わせ場所まであと三分ほどでつく。もうトラブルがありませんように、と祈りつつ、はっはっと上がった息を整える。
ロディは待ってくれているだろうか。否、いつだってロディは待ってくれているのだ。愛想を今日尽かしていなければ、なのだけれど。もし待ってくれているのであれば今日は特に暑い。待ち合わせ場所は轟が轟が紹介してくれた蕎麦屋の最寄りのバス停だ。あのバス停は一応屋根があったはずだが、それでもこの気候だ。ロディが涼しいカフェにでも入ってくれていることを願った。
酸素が足りなくなってきた頭で、このあとどうすればいいんだっけ、と先日の集まりの会話を思い出す。みんな恋愛初心者の緑谷のために無理のないプラン作りに意見を出してくれたのだ。
「ていうか、夕食は無理なの? ベタに夜景見に行くとかどうどう?」
そう言い出したのは芦戸で、それに首を振ったのは出久だった。
「次会うときの予定の夜は、確かフライトメンバーと飲みに行くって」
「じゃあ夜は無理ね。夕飯までの時間は大丈夫なの?」
「うん、夕方までなら大丈夫っていってた」
「ふんふん! じゃあやっぱり告白はさあ! お洒落なカフェとかだよねえ!」
出久の答えを拾って改めて方向性を固めてくれたのは蛙吹で、芦戸が名探偵よろしく顎に手を当て真剣な表情でアイディアを出した。なるほど、と鞄から取り出したメモ帳に出てきた意見を出久が書き留めていれば瀬呂が口を開いた。
「でも普段定食屋とかなんだろ? 急にカフェに緑谷が連れて行くとかロディ驚くんじゃないかねえ」
「そうね、気合いを入れすぎても慣れない場所は緑谷ちゃんも上がっちゃうでしょうし」
「確かに……じゃあじゃあ! いつものようなお店行って、そのあと飲み物買って公園とか行って、そんでいい雰囲気になったら告白!」
「おー、それがいいんじゃね?」
「そうね、自然体がいいと思うわ」
ぽんぽん出てくるアイディアに口を挟む間もなかったが、三人が出してくれた意見がとてもいいと思った。無理のない、気負いすぎないプランだ。それなら恋愛初心者の出久にも大丈夫な気がした。あと、そのタイミングでの告白なら、フラれても残りの時間が気まずくならない。
気まずくなるのは、嫌だ。でも、ロディに我慢させるのも嫌なのだ。出久は在り方を変えられない。だから関係性を変えるしかなくて、気まずくはなりたくないけれど、でもやっぱり、このままじゃ長続きもしないはずで。それに、自覚したからには、やっぱり、ロディも同じ気持ちだったら。近い気持ちを持ってくれていたら、嬉しいから。この世は伝えなくては、わからないことだらけなのだ。だから。
「ありがとう! 頑張ってみます!」
ぐっと拳を作れば、みんなが微笑んでくれる。それまでみんなの意見を黙って聞いていた轟が小さく、すっと挙手した。先程の芦戸に倣ったのかもしれない。
「いい蕎麦屋紹介するぞ。雰囲気もいいし、カツ丼もうまい」
「ロディちゃんはコーヒー派かしら、紅茶派かしら……テイクアウトできる美味しいカフェ、いくつかトークに送っておくわね」
「んじゃ俺はゆったりできる公園をいくつか」
「なんて言うかは、緑谷がかんがえなきゃね!」
「応援してるわ、緑谷ちゃん」
にこりと女性陣に微笑まれ、瀬呂は歯を見せ笑った。轟は早速蕎麦屋のデータを送ってくれているらしく、スマートフォンをいじっていた。ありがたすぎて涙が出そうになった出久である。
「本当にみんな、ありがとう……!」
芦戸の一声ではじまった作戦会議は、出久のお礼で締められた。本当に持つべきものは友である。回想終了。
駅前の一番混んでいるところを駆け抜ければ、駅裏のバス停だ。そこがふたりの今日の待ち合わせ場所だった。結局やっぱりあわや交通事故になりそうな車を黒鞭で保護したりと、待ち合わせから三十分が経過していた。
ぽたぽたと顎から汗が滴る。着ているTシャツはペタリと肌に張り付いて気持ち悪かった。バス停が見えて、走る速度をゆっくり落とすと、いままで聞こえていなかった蝉の声が耳に届く。
暑さで揺らめくアスファルトの向こうで、歩道の端に寄り、木陰に立つロディを見つけた。生い茂る頭上の緑を見つめているロディは、じわじわとうるさい声の主を探しているのだろうか。
シンプルなシャツが背中にぴとりとついているのがわかった。それだけで、ずっとこの場で待ち続けていてくれたことを理解する。バス停から数歩移動したのは、バス停にきた他の利用客が屋根のあるベンチに座れるようにだろう。そして出久が来た時に、どこかに入っていればよかったのにと言われるのがロディはきっとわかっていて、だから「こっちは結構涼しかったんだよ」と笑って答えられるように。
はあはあと肩で息をして、ロディの横顔を出久は見つめる。ふたりの間に、乾いた風がふいた。
ふいに、こちらへ顔を向けたロディとぱちんと目が合った。
ロディの表情がほっとしたようにゆるんで、肩に乗っていたピノがピョンと飛び上がる。ロディとピノが似たような表情で出久をみた。そうして、ロディはピノを肩に乗せてなんでもない顔をし出久の元にゆったり歩いてくる。ロディが一歩進むたび、あんなにうるさかった蝉の音が再び消えていく──もう、駄目だった。
「よお。今日はお早い到着だな、デ、」
「ロディ! 僕、君が大好きだ!」
無自覚のうちに膨らんでいたものが、ぱちんと弾けた。中から溢れ出てきたのは、ロディが好きだという気持ちで、もう止まらない。
ロディの言葉を遮って気持ちを投げつけた。大体、ロディへの気持ちを自覚してからはじめての逢瀬だったのだ。ヒーロー活動が忙しくて、関係性を変えて文句を言ってもらうという目的が自分の中で酷く先行していたせいで、深く考えることが出来ていなかった。こんなにも、ロディのことが、出久は好きだった。ロディの姿を見ただけで、溢れ出してしまうくらいには。
真正面。その距離二歩。ぽたりと、出久の汗が歩道に落ち、コンクリートにシミを作ってすぐに消えていく。
「へ? は、あ? いきなり何言って、」
「僕と結婚を前提にお付き合いしてください!」
「……は?」
戸惑いを前面に出すロディに向かい、出久は裏返りかける声を必死で抑えながら言葉を続ける。
考えていたことも、組み立てたこともすべて吹っ飛んでしまった。あんなに意見を出してくれたみんなに申し訳が立たない。それでももう弾けてしまったから。
「わがままをいってることは承知だけど、断る場合も友だちは辞めないでください! お願いします!!」
がばりと腰から体を折り、頭を下げ、傷だらけの手をロディに差し出した。
しばしの沈黙。そして出久の頭上から、呆れたような声が降ってくる。
「まったく状況がわかんねえ、なんだこれ」
ロディからしてみたら、全くその通りで、出久は頭を下げたままぎゅっと目を閉じた。
遅刻してきた相手が到着するなり突然告白。なんならプロポーズだ。混乱するのも呆れるのも当たり前で、しかも友達もやめないでほしいとわがままを言い出す。改めて考えたら情けなさすぎて穴があったら入りたかった。
ロディは言葉を続ける。
「これ、ここで断ったら瞬く間にビッグニュースになるし、ほぼまちがいなく人気ヒーローの告白を断るなんてって俺が世界に叩かれんだけど、そのあたりはわかってんのかね、ヒーローデク」
そして、ロディの言葉の意味が脳に到達した時、顔から血の気がザッと引いた。勢いよく折っていた体を持ち上げ、周囲を見渡す。バス停に座っているご老人。買い物帰りの子連れ家族。授業をサボったらしい学生たち。いくつもの視線が出久とロディに向いていて、その中には無機質なカメラのレンズも混ざっていて。
「あっ! わわわわわ! ごめんロディ!! 本当に! えっ、どうしよう! とりあえずみなさんにデータの削除を……!」
己の失態がとんでもないことを招きそうな展開になっていることを漸く茹だって色ボケした頭が理解した。出久が踵を返し、周りへ声をかけようとしたその時だ。
「いやまあ、俺はいいんだけどさ……ん? ちょっとまってくれ。告白?」
背中から声が聞こえた。もちろん、ロディのものだ。振り返れば、出久が告白し礼をしたときから、ロディの体勢が変わっていないことに今更気づく。そして、ロディの前髪で少し俯いた彼の表情が見えないことも。そのロディの表情を、告白した瞬間から見ていないことも。
「……ロディ?」
恐る恐る近寄り、声をかける。顔を覗き込んで、やっとロディの表情がわかった。さっき見た時と比べ物にならないほど、だらだらと汗をかいていた。いつかの出会いを彷彿とさせる汗の量だ。
「え、結婚を前提にって言ったか?」
「うん……法的拘束力がある関係性になる前提があったら君が僕になんでも言えるようになるんじゃないかっておもっ……え、いま? 時差すごいね?」
「お付き合い? 誰と誰が?」
「僕とロディがなんだけど……ろ、ロディ? ねえ、汗すごいけど大丈夫?」
「見ないように蓋してたのに、蓋の中身が自分から飛び出てぶつかってきたってことか……? つーかそもそも俺の入れ物自体が壊れてた……?」
ずっと静かだったピノが突然ロディの肩で、ピィ! と高く鳴いた。目がぐるぐると回っている様子をみて、出久はハッとする。
あ、もしかして平静を装ってただけで、いま追いついた感じ?
ロディの様子からそう理解した出久は、かわいいなあという気持ちをとりあえず横に置いて、ロディの肩に手を触れようとした。それは純粋な心配からの行動だったのだけれど。
ばさばさばさとロディの肩から宙に舞い、ピノがロディの頭上をくるくると飛び始める。そうして、もう一度高く、そして今度は長めに鳴いた。あたりにピノの透き通った鳴き声が響いた──どうやら、それが、開戦の合図だったらしい。
「えっ!?」
強い風が吹いたと思ったら、目の前にいたロディの姿が消えていた。
ばっと周囲を見渡すと、出久が走ってきた方角へ向けて駆けて行くロディの背中。その姿、脱兎の如く。
あっという間に小さくなっていくロディの背中を呆然とみつめること数秒。出久は歩道の真ん中で小さくぷはっと吹き出し、頬を緩めた。
「オーケー、ロディ。再戦だね。いこうか、ピノ」
ロディに置いていかれてしまったピノをやさしく包み、自身の頭に乗せ、出久はくすりと笑った。
数年前のオセオンの追いかけっこから場所をうつし、今度はジャパンで追いかけっこ。望むところだ。
個性こそ使えないけど、地の利はこっちにある。君がその気なら、絶対に捕まえてみせるよ、ロディ。
よし、と気合を入れ、分厚いコンクリートを出久は蹴り、ロディの背中を追いかけはじめた。
きっと今頃SNSは沸いているのだろう。ネットニュースにもなっているかもしれない。
でも、きっと、さっきロディが言ったリスクは回避できるはずだ。
なにせ、微かに見えたロディの耳の淵と、いま出久の頭に乗っているピノの顔が、酷く赤かったから。
きっと、背中を押してくれたみんなにはいい報告ができるだろう。