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    yshr45

    @yshr45

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    yshr45

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    にゃんちょぎ♀小説アンソロに寄稿させていただいたものです。
    とても楽しく書かせていただきました。
    お誘いいただきましてありがとうございました。
    最近全然なにも載せられてないのでひとまずこちらにあげておきます。

    #にゃんちょぎ
    cats-eye

    花と子猫はよく踊る「猫殺しくん、折り入って相談があるんだが、君、俺と付き合ってくれないか」

     などと部屋に押し入ってきた山姥切長義が仁王立ちになってそんなことを言い出すものだから、南泉一文字は今から食べようと思っていたアイスを床へと落としてしまった。久しぶりの非番を貰い冷房の効いた部屋でのんびりしていたわけだが、そんな平穏な南泉の休みを簡単に壊した長義は、平然とした顔で南泉の落としたアイスを拾いあげ、備え付けの冷蔵庫からは麦茶を、棚からはグラスを取り出す。南泉と同じくぽかんとした顔で成り行きを見守っていた物吉の隣へと腰をかけ、アイスの袋を破いて食べ始めた。
    「それオレのアイス」
    「いいじゃないか、減るものでもなしに」
    「アホ。物理的に減ってんじゃねーか、にゃ!」
    「うるさいな。余計に暑くなるだろう」
     噛み付いて文句を言う南泉に、長義はうんざりとした顔を向けてくる。この暴虐無人っぷりには舌を巻くが、物吉には麦茶を注いでやっているあたり、ほぼ対南泉にのみ向けるような態度だ。全くもって、遠慮という遠慮がない。親しき仲にもなんとやら、という言葉は果たして長義の辞書に載っているのだろうか。
    「それで、いったいどうしたというんです」
     怒っている南泉の代わりに、物吉が長義に尋ねる。よくぞ聞いてくれた。もちろん、南泉としても長義の言葉をそのまま鵜呑みにしたわけではなかった。あの長義がそういった意味で交際を申し込んでくるとは到底思えなかったからだ。
    「ふむ。ちょっとね、これを読んでみてほしい」
     よく冷えた麦茶を一口飲んだ長義が、ジャージのポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出して、南泉へと手渡した。どうやら手紙のようである。白い味気ない封筒に、プリントアウトされた紙が数枚入っていた。物吉も身を乗り出し、南泉の横から覗き込んでくる。
    「なになに?」

     いつもあなたのことを遠くから見つめておりました。声をかける勇気もなく、こうして手紙に認めたこと、お許しください。
     初めてあなたのことを見たときから、私はあなたに心惹かれていたのです。初めて会ったときのあなたは、周りにある風景を興味深そうに眺め、きらきらと目を輝かせる姿が印象的でありました。初めての仕事で緊張する私に笑いかけ、励ましてくれたことを昨日のことのように覚えています。あなたが笑う姿はまるで花が咲いたかのよう。大輪の花を思わせるその笑顔に、私はすぐにあなたのことが好きになりました。
     残念ながら私はあなたに名乗ることもできず、ろくに会話することもできず、想いを秘めたまその場を別れることとなりましたが、その後もなにかの折に私の職場に訪れるあなたのことを、遠くから見つめておりました。
     どうか叶うのであれば、あなたのその笑顔を私だけに向けていただきたいのです。
     ……………………。

    「どっからどう見てもまごうことなき恋文、だにゃ」
    「ああ」
     読み終わった手紙を南泉の手から回収した長義は、再度それをポケットにしまいこむ。折れるのも気にしない、長義らしくはない随分と乱暴な仕草だった。
    「どうしたんだよ、それ」
    「以前万屋に行ったときに偶然、政府で同じ職場だった人間に会ったのさ。俺が本丸配属になった後も、いつか渡したくてずっと持っていたんだと。それから万屋に行くたびに待ち伏せをされて手紙を渡される。これは最初の一通というわけ。恐れ入るね、その執念深さに」
     ふん、と鼻を鳴らし長義は苛立った様子を隠すこともなくバニラアイスを齧る。元は南泉のアイスだということを、こいつはすっかり忘れているのではないだろうか。
    「ずいぶんと健気なもんじゃねえか」
    「そうか? ……ま、俺はこんな身なりをしているからね。印象に残りやすいんだろうさ」
     言いながら、長義は自分の髪を一房摘む。背中の中ほどまで伸びた髪は今の季節暑いのだろう、最近は括っている姿もよく見る。あんまり頓着していないのか、結ぶとしても簡単にポニーテールくらいのものなので、少々もったいない気持ちもあった。

     ――春頃にこの本丸へとやってきた山姥切長義は、刀剣女士だった。最近は顕現例も複数あるとのことだが、南泉が知っている刀剣女士は今のところこの長義のみとなる。

     長義よりもずっと以前に顕現した南泉は、長義の世話役となった。女体で顕現した刀はこの本丸においては長義一振りのみで、なにかと不自由があるだろうと、世話役は馴染みの刀が選ばれたのだ。ちょうどその頃には冬の終わりに顕現した同派の刀である山鳥毛もこの本丸生活に慣れてきていたので、世話役の交代はタイミングが良かった。面倒なことになったという態度を隠そうともしない南泉に、長義はにこにこと笑うのみだった。その笑みが楽しいおもちゃを手に入れたこどものようであるとわかるのは、きっと長い付き合いの刀たちだけになる。おかげで南泉は長義が顕現してから落ち着いた日々を送れた試しがない。
     長義がやってきて季節もひとつ過ぎ、世話役はそろそろお役御免となるだろうと思った矢先にこれである。
    「前から万屋に行くたびに視線を感じていたのだけど、俺がこの姿だからとばかり思っていたよ。こんな手紙を貰ってしまったが、俺は彼の気持ちに応える気持ちなど全くない。しかし、下手に断ればストーカーでもされそうだしね。そこで、彼を振る口実を探していたわけさ。こういう面倒ごと、頼めるやつはそうそういないしね」
     うんうん、と頷いた後に長義はアイスを持っていない方の手でビシッと南泉を指差した。
    「という訳で猫殺しくん、君を俺の恋人役に任命してあげよう!」
    「頼む態度じゃないにゃ……」
    「面倒事だという自覚はあったんですね」
     物吉は苦笑する。断らなさそうな物吉にでも頼めばいいだろうと思ったが、物吉の場合は相手が強く主張してきたのならそのまま押し切られてしまいそうな雰囲気がある。長義が他の連中に頼まなかったのもそういうことなのだろう。南泉ならばその辺りは大丈夫だと踏んだのかもしれない。実際のところは、今、長義に押し切られようとしているのだが。
    「なあに、彼が俺のことを諦めるまでの間、恋人のフリをしてくれたらいいのさ。お礼だってちゃんとするし」
    「お礼より先にオレのアイス食った詫びは」
    「ごめんごめん。これ結構美味しいね。新商品?」
     軽すぎる。協力するのやめてやろうか。南泉が呆れ返った目で長義を見ていると、ああ、と物吉が声を上げた。
    「最近、なにか悩まれていたように見えましたけれど、そのことだったんですか」
    「おや、気づかれていたのか。まだまだだな、俺も」
     物吉の言葉に軽く驚く。ここ最近の南泉は長義の面倒を見るのも一区切りついて出陣と遠征の予定が詰め込まれていたから、長義と顔を合わせるのは今日が久しぶりのことになる。自分の不調すらうまく隠し通せる長義がそんな雰囲気を出していたとなると、南泉が考えているよりも事態は深刻なのだろう。あー、と南泉は額に手を当てて呻いた。
    「……わかった。やってやる、にゃ」
     溜息を吐きながら不承不承と頷くと、頼んできた長義は逆に驚いたようだった。なんだよ、と問うと誤魔化すようにまた一口麦茶を飲んだ。
    「割とあっさりと引き受けてくれたことに驚いてしまった」
    「見捨てるほど薄情になった覚えはないぜ、オレは」
    「君はなんだかんだで、いいやつだからな」
     そうして小さく笑うものだからなんだか照れ臭くなってしまって目を逸らす。冷房が効いているというのに顔が熱い。こんな風にたまに素直になって褒めるものだから、南泉は長義を見捨てることができないのだ。当然、長義は南泉が照れることをわかっていてこんなことを言うのだろうが。
    「それで、恋人のフリとは一体どんなことをするんです?」
     こてりと物吉が首を傾げる。長義へと視線を向ければ、こちらもまた首を傾げた。おいおい、と突っ込みたくもなる。本丸配属となってからもこの長義のことを探していたということは、長義の言うとおり相当な執念深さのある人間なのだろう。生半可な恋人のフリで誤魔化せるとも思えない。
    「俺たちはこういうのに不得手だからね。なにか本とかで勉強してみるのはどうだろう。ちょうどいい、猫殺しくん。今から一緒に万屋に来てくれ。もしかしたらその男がいるかもしれないからね」
    「危険ではないですか?」
    「なに、腕でも組んで歩いているのを見かけて諦めてくれるならそれでよし。そうでなくともどういう人間なのか見てみれば良い案が浮かぶかもしれない」

     嫌になるくらいによく晴れた空だった。なにが楽しくて非番の日、それもこんなに暑い日に外に出なければならないのだろうという気分になるが、協力すると言った以上は撤回するつもりもない。南泉はごく普通の戦闘用装束であるが、長義の方はネイビーのワンピースに白い帽子を被っていた。この戦も始まってから数年が経てば店も専門店が並ぶようになり、それに合わせて非番のときは私服を着るようになった刀たちも多い。南泉はそういったことに無頓着ではあったが、長義の方はせっかく珍しい姿で顕現したのだからと女性らしい衣服に身を包む頻度が高かった。
    「それで、その人間に最初に万屋で会ったのっていつのことなんだよ」
    「……一ヶ月前」
    「ハァ?」
     長義が南泉にいる本丸へやってきたのは五月の初めだ。今は七月だが、本丸に新しくやってきた刀はほぼ一ヶ月ほど出陣と内番がみっちり入っているため、自由に万屋に行けるようになるのは余裕が出てきてから。ということは、万屋に行くようになってすぐにそいつと会ったということだ。
    「言えよ、そういうのは早く」
    「俺だってこんなに長引くとは思ってなかったんだよ。すっぱりと最初に会ったときに断ったしね。でもそれからも会うたびに手紙を押し付けられてそろそろ面倒だなと」
     身の危険を感じるというよりも煩わしさから行動を起こしたらしい。確かに刀である以上ただの人間に負けることはないだろうが、政府の職員ということは刀剣を制御する術かなにか知っていてもおかしくはない。ただでさえ刀剣女士ということでなにかと目を付けられやすい長義だ。ここ最近はすれ違うことが多かったとはいえ、相談してくれてもよかっただろうに。
    「んで、そいつと万屋で会った回数は」
    「八回。どれもひとりで行動しているときだよ」
    「てことは、お前わかってて何度かひとりで行動したんだな」
     一ヶ月で八回。本丸の買い出しのときは基本的に大荷物になるから複数で行動する。そのときに声をかけてこないとわかっているとしたら、長義は複数と単独と、どちらもそれなりの回数、敢えて積極的に万屋へ出かけたことになる。下手に断ればストーカーされそうと長義は言っていたが、この短期間にその回数接触をしてきたのだとしたら、既に相手の男は完全にストーカーだろう。
    「このままだとさらに面倒になりそうだったしね、俺もそろそろ手を打った方がいいかと思ったんだ」
    「お前、今日からひとりでの行動禁止な。というか、出来る限り出陣以外での外出禁止」
    「そういうことを言われそうだから今まで相談したくなかったんだよ。窮屈で堪らない」
     うんざりとした顔で長義は溜息を吐くが、呆れたいのはこちらである。危機感というものが根本的に足りていないのだ。南泉が協力しようとしても当の長義自身がこれでは意味がない。南泉は悩んだ末、長義に対して手を差し伸べた。その手を見て、長義は目をぱちぱちと瞬かせる。
    「今もそいつに見られているかもしれないとしたら、今から恋人のフリちゃんとしておかないと駄目だろ、にゃ」
    「確かにそうだ」
     この季節だから汗ばんでいないか不安になったが、長義は文句を言うこともなく手をしっかりと握った。女士として顕現しているからか細くはあるが、それでも戦う者であるから、女性にしてはゴツゴツとしている。女士であっても負ける気はないのだと、手合わせには暇があれば引っ張り出されていたから、努力していることはよく知っている。元から負けん気が強いので、舐められるのが嫌いなのだ。そして苦労している姿を見せるのも嫌う。こうして頼ってくる分、まだ南泉は長義に甘えられている方だった。
    「恋人というのは、あと、どんなことをすればいいのだろう」
    「さあな」
    「とりあえず参考資料を手に入れよう」
     近くにあった本屋へ入ると、途端、冷房の風が頬を撫でる。手を握る南泉と長義のことを物珍しそうに遠巻きに見ている者がいて気恥ずかしいが、どこで例の男がいるかわからない以上、手を離すわけにもいかない。長義に手を引かれるまま向かったのは雑誌コーナーで、長義はその内の一冊を指差した。
    「今話題のデートスポットとプレゼント特集。いかにもだな」
    「いかにもだね。ま、ちょうどいい。これを買ってどこか喫茶店でも入ろう。アイスコーヒーくらいは奢ってやるさ」
    「ケーキもつけろよ。オレのアイス勝手に食ったんだから」
    「仕方ないやつだな」
     仕方ないのはお前だろ。と突っ込もうとして、しかし、背後から感じる視線でそれを止めた。先ほどまで興味深そうに見ていた視線とは違う、じっと南泉たちの様子を伺っている視線だ。長義が南泉の手を強く掴む。南泉は長義が指差していた雑誌を一冊取り、もう片方の手で長義の手を引っ張って早足でレジへと向かった。慌てて長義も遅れないように南泉に合わせて歩き出す。しかしその進路を、一人の男が立ち塞がった。
     特徴もなにもない、薄っぺらい印象の男だ。人相書きを描こうにも苦労しそうなくらいには。あまり見る機会は多くはないが、万屋は政府の職員も利用する。しかしその連中も今の季節は私服でこそないものの半袖のシャツだというのに、この男に至っては猛暑の中、真っ黒な長袖のスーツを身に纏っているのに違和感を覚える。それくらいしか印象はない。南泉が軽く睨みつけると、男は若干狼狽えたように後ずさった。
    「オレの彼女になんか用か」
    「いや、その……」
    「ほら、行くぞ」
    「わ、ちょっと」
     強く長義の腕を引っ張って促すと、長義は驚いたように南泉を見上げるものの結局大人しく南泉についてくる。男はそれ以上長義へと声をかけてくることはなかったが、急いでこの場を離れるに越したことはないだろう。雑誌の会計を済ませ、汗を引くのも待たないままに再び太陽の照りつける外へと出ることになった。疑っているわけではないが本当にいたんだな、という気持ちである。ひょろひょろとして、軽く押した程度であっても倒せてしまいそうな風貌であったから長義が大丈夫だと慢心するのも無理からぬことなのかもしれない。それでも万が一のことがあるから、やはり単独行動は控えるべきだろう。
    「今ので牽制になっていればいいんだけどにゃ」
    「猫殺しくんが睨みつけるだけで怯えていたから大丈夫じゃないかな。とはいえ、ひとりじゃないときに話しかけられたのは初めてだから驚いた。また追ってくるかもしれないから早く喫茶店に入ろう」
     そうだなと頷き、とりあえず目に入った近くの喫茶店に入る。念のため窓からは離れた席に座り、アイスコーヒーをふたつと、南泉はケーキ、長義はパフェを選んだ。喫茶店の中はちらほらと刀剣男士がいるから、人間がなかなか単独で入って来にくい雰囲気だろう。ひとまずの危機は脱したようでほっとする。
    「にしても、妙なやつに目をつけられたな」
    「本当にね。一応、刀剣女士としては俺はまだマシな方だよ。鍛刀で顕現した刀と違って政府で顕現した刀だから研修はあるし、念のための逃げ場もある。特異な体質であっても恵まれているといえる」
     肩を竦めながら長義はアイスコーヒーにガムシロップを入れた。南泉の方はミルクだけを入れマドラーでかき混ぜつつ、首を傾げる。
    「……逃げ場?」
    「俺の場合は、まあ、元の職場から本丸への転属とかね。揉める場合もあるから刀剣女士として顕現した『俺』が監査官として任務に就いてそのまま本丸へ配属っていうのはあまり多くないんだけど、シールで引き換えっていう機会があったからこれ幸いと」
    「つまりお前、本丸に来る前から言い寄られてたってことじゃねえかよ」
     少なくとも、配置換えを希望する程度には、話し合いなどで簡単に躱せる相手ではなかったということだ。もう会うこともないだろう相手に万屋で再会してしまった段階で、事態はより悪化していたことを悟ったはずだ。長義があからさまに失言したという顔をしたので、南泉は苛立ってしまう。なんだってこいつは大事なことを言わないのだろう。本丸へ配属された際にもう全て終わったのだと考えていたのかもしれないが、南泉は長義が悩んでいたこともなにも知らないまま今まで一緒に過ごしていたのだ。物吉ですら気がついていたというのに、世話役で接する機会が多かったにも関わらず気づかなかった自分に腹が立つ。不機嫌になっていく南泉に、長義は苦笑した。
    「俺が言わなかっただけだろうに」
    「あいつも悪いがお前も悪い。弱み見せたくない気持ちはわかるけど、お前のその面倒な性格をよく知っているやつくらいには相談してくれてもいいだろ」
    「ん。考えておくよ」
     考えておくだけかよ、と呆れながらモンブランにフォークを刺す。まあ、いくら長義が隠すことに長けていても、一度気付かれてしまったのならもう簡単にこれ以上うまくいかないだろう。物吉もおそらくは気をつけて周囲の様子に気を配るはずだ。
    「ほんっと、面倒なヤツだにゃあ」
     ガシガシと頭を掻き、買ってきた雑誌をテーブルに広げる。ひとまずは、疑いようもなく恋人のフリをして、なんとかあの男を諦めさせる手段を考えなければならない。

    「遠征先はデートスポットと言わないと思うんだよね。特集記事としてどうなんだろう」
     本丸へ帰還後、風呂に入ってから再度南泉の部屋へと訪れた長義は、雑誌を読みながら唸っている。長い髪はまだ乾ききっておらず、南泉は仕方がなくドライヤーとタオルを片手に、未だ雑誌に夢中な長義に代わって乾かしてやることにした。
    「万屋も、店増えてきたとはいえあんまり代わり映えしねえしな」
    「巻末のラーメン特集の方が俄然気になってきたよ、俺は。猫殺しくんはデートプランでラーメン屋はどう思う?」
    「……あんまりデートっぽくない気がするにゃあ」
     だよね、と長義は溜息を吐きながら南泉にされるがまま髪を乾かされる。長義が言うには、刀剣女士として許し難い数少ないことのひとつに、髪を切ったところで手入れしてしまえば元の長さに戻ってしまうことがあるらしい。この本丸は盆地に位置するので特有のジメジメとした湿気の強い暑さが鬱陶しい。いっそ髪を切ってしまいたいが、手入れで元に戻ってしまうのであれば意味がないとのことだ。本丸で過ごす初めての夏に、長義はうんざりとしているようだった。政府の施設ではガンガンに空調が効いていたらしい。
    「恋人って結局、どんなことをするんだろうな。パッと見て、片思いに諦めのつけられるような恋人らしさって、どんな感じなんだろう」
     長義の問いの答えを考えつつ、南泉は長い髪に櫛を通していく。長義が本丸にやってきた当初はよくこうやって髪を乾かしてやったものだった。まだ給金も少なく自分用のドライヤーを用意することができず、かといって共用の洗面所の備え付けの物は本丸唯一の女士といえど長義がずっと占領するわけにもいかなかったから、南泉の部屋のものを貸してやったのだ。今は南泉が使っているものよりも性能がいいものを手に入れたはずだが、乾かすのが面倒になるとまだ生乾きのままで南泉の部屋にやってくることも度々ある。せっかく綺麗な髪なのだから、ちゃんと手入れしてやればいいものを。もう夏だから風邪をひくことはないだろうが、この髪が痛んでしまうのは惜しいと、櫛を通しながら思う。
    「なんかこう、揃いのものを身につけるとか?」
    「ペアルックとか? 流石に恥ずかしくないか」
    「指輪とかあんだろ」
     ピタリと長義の動きが止まる。ぎこちない動きで南泉の方を振り返り、ゆびわ、とぎこちなく呟いた。
    「いや、そりゃ、確かに単純な仲間と違って指輪なんてもの、恋仲でない限り揃いで身につけやしないだろうけれどさ。君は、それでいいわけ」
    「ちゃんと協力するって言ったからな」
    「……君、変なところでお人好しなところ、直さないと後悔するかもしれないよ」
     呆れたように言う長義の言葉の意味がわからず首を傾げる。そんな南泉の態度に、長義は深く溜息を吐いて首を横に振った。
    「やはり、失敗だったのかもしれないな」
    「なんだよ。協力持ちかけたこと、今更後悔するってのか?」
     物吉が気付いていた以上、長義が自分から話さなかったところで物吉からなんらかの相談が南泉にあったはずだ。あの長義が悩むなんて相当なことだから厄介な事情を抱えているのではないかと。そういう意味では、あの刀は穏やかなようでいてかなり鋭い。
    「もっとうまくやればよかったと思っただけさ」
    「お前、変なところで抜けてるんだから、うまくやろうとして逆に失敗すんだよ。少しは懲りて素直になっとけ、にゃ」
    「なんだと!」
     長義がむっとしながら南泉に掴みかかるが、そうされることは予想していたため軽く躱す。普段は冷静なくせに、思い込むと視界が狭まるのが欠点だ。簡単に逃げられたことにもまた苛立った長義は、舌打ちをして南泉がせっかく梳かしてやった髪を乱暴に掻く。
    「君のそういうところ、本当に腹が立つ」
    「へいへい」
     笑いながらドライヤーを片付ける南泉に、長義は腹立たしそうに拳を握って俯いた。
    「君がそんなだから、俺は……」
     その先はうまく聞こえなかった。ぼさぼさになってしまった髪で遮られて表情も窺うことができない。手を伸ばして髪を掻き分けようとすると、拒否するように頭突きをされてしまった。

    「そんなわけで指輪を買ってみることにしたにゃ」
    「それはそれは……」
     なんとも言えないような顔で、物吉は南泉と長義を見た。とりあえず物吉にも伝えたほうがいいだろうと報告したのだが、妙な反応に首を傾げてしまう。作戦会議ということで、南泉の部屋には長義と物吉のほか、鯰尾と後藤も呼び出していた。卓袱台を囲むと部屋が狭く感じる。鯰尾と後藤は粟田口の連中で大部屋を使用していて、物吉も亀甲と同室のためになにかあるとすぐに南泉の部屋へ集まるようになってしまった。南泉と同派である山鳥毛は最近できた新棟の方に部屋をもらっているため南泉は未だにひとり部屋であったが、あまりその恩恵を得られた実感がない。長義の方は本丸唯一の刀剣女士として離れに大きな部屋をもらっていたが、生活に不便だからとよく南泉の部屋に居座っているため、余計にひとり部屋という印象が薄くなってしまう。長義に用がある者は最初に南泉の部屋を訪れるため、昼寝も気軽にできやしない。
    「そんなにおもしろ……大変なことになってるならもっと早く言ってくれればよかったのに。尾行とかならできるんだから」
    「本音、もっとちゃんと隠しておきなよ」
     一応は心配する気持ちがちゃんとあるらしい。鯰尾の軽口は場を明るくするためのものだろう。昨日土産として買ってきた水羊羹を食べながらの作戦会議は、割とぐだぐだなスタートではあったが。
    「いいじゃん、指輪。ちゃんと選んであげてくださいよ」
     にこにこと笑う鯰尾に、拳骨をひとつ喰らわせた。悲鳴はとりあえず無視しておく。とはいえ、確かに尾行要員は必要だ。こればかりは南泉よりも後藤たちの方が向いている。普通の人間相手なら、尾行はそう簡単に気づけるようなものではない。気づかれているとしても、それだけ警戒していて相手を受け付けていないということをわからせられればそれでいい。
    「にしても、万屋に指輪なんか売っているところなんてあるのか?」
    「そりゃあ、こんな雑誌が出回るくらいですから。大通り沿いにはないみたいですけど」
     雑誌をぱらぱらと捲り、物吉がある箇所を指差す。見るからにきらきらとしたページに、思わず南泉も長義も尻込みしてしまった。気軽に入れるような場所ではなさそうだ。だからこそ意味があるのかもしれないが。
    「いきなり行動を起こすと相手にも怪しまれるかもしれませんから、少しずつデートを重ねて、それから指輪を買ってみるのはどうでしょう。急にふたりで一緒にいるようになったら、いかにも『恋人のフリ』じゃないですか」
     確かに。南泉としては自分の演技がうまいという自信は全くないため、物吉のアドバイスはありがたい。想像していたよりも長期戦になりそうだなと思いながら冷えた水羊羹を食べる。相手も長い間長義に付き纏っていた以上、そう簡単に諦めるはずがないとはわかっていたが、長義にとっては負担が大きそうだ。買い出しにもひとりで行けないのでは気が休まらないだろう。
    「もうちょっとしっかり作戦計画を立ててみましょう。ボクに任せてください!」
     いつになく張り切っている物吉に、若干押されつつも頷く。最初に長義の異変に気がついていたからか、もしくは別の理由からか、物吉はこの件の解決にかなり積極的だ。立ち上がってドンと己の胸を叩く物吉の瞳は輝いていて、鯰尾と後藤がぽかんとした様子で見上げている。ちょっと待っていてくださいね、と言い残して部屋から颯爽と去っていった物吉を、誰も止めることができなかった。
     そんな物吉が帰ってきたのは一時間ほど経ってからで、その頃の南泉たちは作戦会議もそっちのけで雑誌巻末のラーメン屋特集をすっかり熟読してしまっていた。部屋に戻ってきた物吉は、全員に小冊子を配る。印刷したてなのか、紙がまだ熱く、ホチキスで留められているのが手作り感溢れていた。

     まずはプレゼント作戦、だという。
     南泉たちの主はもうすっかり老女と呼べる年頃で、夫は既に亡くなっているが三人の子と五人の孫がいるらしい。主は、酔うと頻繁に夫とは大恋愛の末に結婚したのだと話していた。そんな彼女に、夫にされて嬉しかったことを物吉は聞いたのだという。
    「夫からプレゼントされた服を着てデートするのが楽しみだったそうですよ」
    「センスが問われるにゃ……」
    「だからいいんじゃないですか。一生懸命選んだ、って感じがあるでしょう?」
     物吉は楽しげに笑う。今日は五人で万屋まで買い出しに来ていたが、途中で二手に分かれた。長義の方には鯰尾と後藤が一緒についている。男が現れても対応できるだろう。
    「刀剣女士用の洋服屋さんを教えてもらいました。そこの買い物袋を持って待ち合わせ場所で再会して、次にデートに行くときにそのお店の服を着ていれば、いかにもプレゼントだってわかるはずです」
    「そう簡単にいくもんかね」
     なにが男に対し効果があるのかはわからないから、打てる手は全て打つつもりであるが、こういうのは少々困る。着いた店にほかに刀剣女士がいなくてよかったとホッとする。そうでなければあまりに居心地が悪い。物吉はこんな状況にも動じず、きょろきょろと興味深そうに辺りを見回していた。
    「こういうところであいつは服買ってるのか」
     最初に持参した戦闘用の装束と内番着以外、基本的に自費で用意しなければならないことになっている。長義は様々な服を持っているように見えたが、どこで買っていたのか不思議だった。
    「そうですね、あとはほら、うちの主様がよく内職で服を作っていたりするでしょう。あれは刀剣女士御用達の通販サイトで売っているらしいですよ。昔その道のプロだったし、一点物で人気が高いとかで。ボクもよく手伝っています」
    「オレも納品手伝わされてたな」
     危険性の問題からか、基本的に本丸と現世の直接的な配送物のやりとりは行われていない。すべて政府のいる施設に持ち込み、中身を確認されて伝票を書いてからの発送となる。受け取りも同様で、受付窓口で本丸の証明をしてから中身を確認して持ち帰らなければならないため、大荷物の際は苦労するのだ。
    「主様がよく山姥切さんにお洋服をプレゼントしようとするんですけれど、甘えるわけにはいかないからってしっかりとお店を通じて代金を支払っているらしいです。この服も、主様が作った服ですね」
     ハンガーに掛けられた服を物吉は指差す。シンプルで華美すぎない服は、長義の好みに近い。ただこれを買ったとしても、普段の長義の私服と代わり映えしないから考えものだ。頭が痛くなってくる。下手なものを選んだら怒られそうだ。
    「着ているところを見てみたい服ってないんですか」
    「えええ……」
     そう言われても困ってしまう。ぐるりと店内を一周し、悩んだ末に一着、ゆったりめのロングワンピースを手に取った。普段の長義はすっきりとしたラインの服をよく着ているし、衣服が乱れることを嫌う。ただ見ていて今の季節は暑苦しいなと思うことも多かったので、もう少し気楽な服を着てみてもいいのではないかと思ったのだ。カジュアルな服は長義が自分で選ぶことはないだろうから、別の誰かが選んだものだとすぐにわかるだろう。そうすると今度は普段長義が持っている靴に合わないため、ラフな服に合いそうなサンダルも一緒に選ばなければならない。この間被っていた帽子も合わせるには違和感があるから、キャップ帽と鞄も買うことにした。一揃え選ぶとかなりの大荷物になってしまい、やりすぎてしまった気がする。
    「たくさん選びましたねえ」
    「うにゃあ……」
     目を丸くする物吉になにも言えず、かといって選び直すのも大変そうなので、結局そのまま会計を済ませることにした。紙袋ふたつを持ち、店を後にする。照りつける太陽の下、待ち合わせへと急ぐ。想定以上に時間を食ってしまった。物吉は軽く周囲を警戒しているようだが、男がいる気配はない。となると、やはり男は長義の方にいるのかもしれない。鯰尾と後藤が一緒にいるとはいえ、少し不安だ。
    「大丈夫ですよ、きっと」
     南泉の気持ちを察してか、物吉が微笑む。それに応えるように、南泉も頷いた。長義はまだ特付きとなって日は浅いが鯰尾の練度は上限であるし、後藤に関しては修行済みだ。それに、なにかあれば他の刀剣男士たちも周囲にはいるだろう。人間が不審な動きをしていたら警戒するはずだ。
     紙袋を抱えて大通りへと戻ると、三人は待ち合わせ場所となるベンチで長義を真ん中にして座り、ジェラートを食べていた。南泉と物吉が近づいてきたことに気がつくと顔を上げる。足元には複数の買い物袋が置いてある。南泉たちとは違い、基本的には本丸の通常の買い出しのため食料品が多かった。
    「美味そうだな」
    「期間限定のワゴンが出ていたんだよ。一口食べてみる?」
     はい、と差し出されて素直に食べる。ジェラートを食べるのは初めてだったが、味が濃く普段食べているアイスとはまた違う感じがして美味しい。どこに店があったのかと問えば、大通り沿いにある広場にカラフルなワゴン販売店ができていたので、荷物を一度置いてそちらへと向かい、物吉の分と合わせてふたつ買った。今日のお礼として手渡せば、物吉も素直に受け取った。
    「すごい大荷物だな」
    「真剣に選んでいたんですよ。袋の中身、見てみたらどうですか」
    「こんなところで広げんなよ……」
     暑いから人通りは疎らではあるものの、女士である長義を囲っているとどうしても目立ってしまう。しかし、だからあの男が見ているのであれば南泉からのプレゼントであるとわかるのではないかと鯰尾と後藤にも促され、長義は楽しそうに袋を開けた。なんとなく気恥ずかしくて、ジェラートを食べるのに集中してしまう。
    「へえ。確かに、俺が普段選ぶような服じゃないから面白いな」
    「文句言うなよにゃ」
    「俺のことを考えてプレゼントしてくれたものを、無下にするわけがないだろう? ……大切にするよ。ここで着替えられればいいんだけどね」
     帽子だけを取り出して、それを被る。今の服装からはやはり浮いてしまうが、長義は気分を害したわけでもなく嬉しそうだ。
    「しかしこの服だったら、君の分の服も選んであげなければ。まさか、ドレスシャツやジャージのどちらかでデートするわけにはいかないだろう?」
     確かに。普段出かける際は頓着しないから大体そのどちらかしか着ないし、先日長義と出かけたときも内番着でジャージの上だけは脱いでいる状態だったが、デートするにしてはあの格好はあまりにも生活感があり過ぎて特別感がない。
    「だったら今度は南泉さんの服を選んで差し上げたらどうです? 刀剣男士向けのお店でしたら、この辺にたくさんありますし」
    「あ、それいいじゃん。面白そうだし」
    「こいつら楽しんでやがる……」
     このメンバーで行動すると大概こうなって、遊ばれるのは南泉の役割となる。恋人のフリをするにはこの中であれば南泉が一番向いているのだろうが、釈然としない。はあ、と南泉はひとつ大きな溜息を吐いてまた一口、ジェラートを口にする。
    「ほら、早く行こう!」
     ジェラートを持っていない方の腕を、長義は勢いよく引っ張って腕を組む。腕に触れた柔らかい感触の正体には、気がつかなかったふりをしておくことにした。こういう、変なところで無防備なのはどうかした方がいいと、南泉は常に思っている。戦闘用の衣服を身に纏っている際は布で隠れている膨らみであるが、私服の今ははっきりとわかってしまう。いくら南泉と長義の仲だろうが、気をつけるべきところは気をつけるべきだ。本丸に帰ったらちゃんと注意しないとなと頭を悩ませながら、溶けそうなジェラードを持ち直した。

     あの後長義が選んだ服は、南泉が長義に選んだのと同じ系統のカジュアルなものだった。からかっているのか本気なのか、ビックリするほどによく似合うと何度も言われた。普段からこういうのが似合いそうな見た目で悪かったなと不貞腐れるが、南泉の選んだ服を着る長義が自分と並び立つ姿を想像して南泉にも合う服を選んだのだと考えると、そう悪い気分でもなかった。
     連日買い物をして疲れてしまった。下手な出陣よりも疲労度が激しい。今日こそはゆっくり休みたいと寝ぼけ眼で布団を敷いている最中、タイミング悪く部屋に来訪者が訪れた。こんな夜更けに現れるのは、大抵決まった連中しかいない。案の定、部屋にやってきたのは長義だった。靴以外は全身、今日南泉が選んだ服に身を包んで得意げにしている。内番着以外は緩めの服を着ることがないので、やはり今着ているような服は見慣れずむずむずする。南泉が選ばなければ、長義は今後もこのようなタイプの服は着なかっただろう。
    「せっかくだから、服を選んでくれた君に真っ先に見せたくてね!」
     ふふん、と長義は笑い、なにやら褒めて欲しそうな目で南泉を見ている。なんと言うのが一番正解なのか悩んでしまう。
    「ええと、山姥切長義サマはなにを着たって似合うにゃあ」
    「そうだろう、そうだろう」
     あからさまに言葉を選んでいるとわかるのに、長義は満足したようにくるりと一周回る。タイトなスカートかぴったりとしたパンツスタイルを好む長義なので、裾が舞う感覚が楽しいのかもしれない。こうしてみると可愛いところもあるような気がしてくる。喋らなければ、確かにあの恋文に書いてあるとおり、花が咲いたように思えるかもしれない。もちろん、普段から遊ばれている南泉は、長義の本質というやつを嫌というほどよくわかっているわけだが。花は花でも、きっと毒のある花だ。あの手紙には長義が大輪の花のようとあったが、南泉にとっては少しイメージが違うなと思ったのは、南泉が長義からは鈴蘭のような、見た目は愛らしくとも猛毒がある、そういう小ぶりな花を想像をしてしまったからだろう。
    「その、なんというか、……ありがとう」
    「いつになく素直じゃねえか」
    「たまにはそういう日だってあるさ」
     一通り楽しんだ長義は、南泉が敷いた布団に座る。こんな時間だ、もてなしは期待していないのだろうが自由すぎる。仕方ないと南泉は押入れにしまっていた酒を取り出した。
    「きっと、そんなに間を置かずに解決するさ。みんなが手伝ってくれているものね」
    「お前、またそんなふうに慢心してると足元掬われんぞ」
    「まるで俺が悪いかのような物言いじゃないか」
    「そりゃ変なやつに惚れられたのはお前の落ち度じゃねえけど、お前が傷ついたら困るのはお前だけじゃないってことだよ」
     特が付いたとはいえ、まだ珍しい山姥切長義、それも女士の個体だ。いくら警戒したってし過ぎることはない。より酷くなる前に話してくれただけ上等かもしれないが、それでも、もっと早くに相談してくれたらよかったとも思っている。
    「……君も?」
    「うん?」
    「君も、俺が傷ついたら困るのかな」
     身を乗り出した長義が、上目遣いになりながら南泉へと問う。さらりと長い髪がその拍子に流れていく。じっと見つめてくる瞳は、目を逸らすなと訴えてくるようだった。ごくり、と南泉は唾を飲み込む。
     妙な間が、ふたりの間に流れた。
    「――痛ッ!」
    「当たり前のことを聞いてくんな、馬鹿。仲間なんだから当然だろ、にゃ」
     結構いい音が響いた。デコピンで真っ赤になった額を押さえながら、長義は若干涙目になっていた。不満げに南泉を睨みつけてくる。その様子に、なんだよと南泉は後ずさった。
    「そんなに痛かったのかよ」
    「俺がなにに不満を抱いているか、きっといつまでも君にはわからないさ」
     部屋に来たときは上機嫌だったというのに、一転、今は不機嫌な様を隠そうともしない長義に首を傾げる。結局長義はそのまま勢いよく酒を呷り、子供の不貞寝のようにそのまま南泉の布団を奪って夢の世界へ旅立ってしまった。やれやれと南泉はもう一組布団を出す。今はひとりで使用中であるが、本来ここはふたり用の部屋だから控えの布団も当然ある。鯰尾や後藤が兄弟と喧嘩して泊まりにくることもあるが、女士用の離れが遠くて部屋に戻るのが面倒だと顕現したての頃は長義が泊まることも多かった。スペースがあるからか、長義の荷物も部屋の中に溢れている。
     あっという間に寝てしまった長義の寝顔は、やはり黙っていれば綺麗なのになと素直に思えるほどで、けれどその警戒心のなさと南泉への甘えに、呆れるしかなかった。

     それからも何度か、長義と連れ添って「デート」という名目で万屋へと出かけることがあった。私服に着替えて出かけるふたりに本丸の仲間は興味深そうにしていたが、事情を話せばこれ幸いと買い出しをついでに頼まれることすらあった。少しばかり損した気分になってしまう。今ではすっかり、今日のデートプランだと言って笑いながら買い物リストを渡される始末である。
    「これじゃあ恋人同士っていうか夫婦じゃん」
     と言ったのは後藤である。後藤と鯰尾、それから物吉で交代しながら長義の後をつけている男をさらに尾行しているので、南泉たちがどういう行動をしているのかも把握しているのだ。その言葉を否定しきれなかった南泉である。
     物吉作成の作戦計画のもと、南泉と長義はそれなりに恋人のような真似事をする日々を送っている。そろそろ、例の男も諦めるのではないかと思うほどには、遠目に見て恋人同士と勘違いできそうだ。行きつけの喫茶店のマスターから、今日もデートなのかとからかわれるくらいに。
    「そろそろ指輪選んでみるか」
     テーブルに広げた指輪のカタログを眺めながらメロンソーダを飲んでいると、そのことなんだけれどと長義が手で制した。その顔はいつになく強張っている。
    「流石に、やはり指輪は要らない」
    「なんで」
    「そこまでは、してもらわなくていいかなと。恋人同士のフリも、そろそろいいんじゃないかな。あれ以降、男が話しかけてくる様子もないのだし、警戒は続けるけれど、これ以上君の手を煩わせるのも申し訳ない」
     その言葉にムッとしてしまう。ここまで付き合ったのだから、解決するまで南泉としては協力するつもりだった。いきなり一方的にもういいのだと言われても納得できない。南泉の不機嫌さを察したのか、長義は目を逸らす。
    「俺の方も、色々ほかに手を打っていたんだよ。彼だって本来は政府職員だから、日頃からここにいるのは職務上マズいだろう。元の職場に掛け合って、職務放棄で処分してもらえないかと頼んでいたんだ」
    「それも、オレたちには言わなかったわけか」
    「……悪かったよ」
     居心地悪そうに長義はグラスの水滴を拭った。
    「正直、楽しかったんだよ。みんなで作戦を立てて行動したり、君とこうやってふたりで出かけたり。だから、辞めどきを失ってしまったんだ。君たちには幾つも、嘘や隠し事をしてしまった。後悔してる」
     長義がそこで区切ってしまったので、南泉の方もなにも言えなかった。わずかに唇を噛んでいる長義の表情から、長義の言葉は本心なのだろうとわかる。店内に流れる曲が沈黙を埋めるが、虚しいだけだった。
    「別に、オレらは面倒に思うことはあっても迷惑だと思ったことはないからな」
    「君たちがそう思っているとわかっているから、余計に馬鹿をしてしまったというか」
     変なところで気を回すなよ、と南泉としては思う。長義だって、他の仲間が同じように困っているなら、必ず助けただろう。
    「日頃からオレのことを振り回してるんだから、今更だろ。そんな顔している方が、落ち着かなくてオレにとっては余程迷惑だっての、にゃ」
     誤魔化すようにわざとらしく語尾を強調すると、そこでようやく長義はくすりと笑った。やはりそちらの方が長義らしい。
     春先に長義が本丸へやってきてから、世話役としてずっと面倒を見てきたのは南泉だ。
     長義は知らない。長義の世話役として最初に選ばれたのは、物吉だったことを。性格も温厚で、細かいことにもよく気がつき、最近は誰かの世話役にもなっていなかったからちょうどいいのだと、主が選んだ。それを長義が顕現したときに、南泉が代わったのだ。南泉はまだ山鳥毛の世話役であったが、彼らに頭を下げその任を解いて貰った。
     南泉は、長義がこの本丸にやってくる前にすでにその存在を知っている。本霊としての山姥切長義ではなく、刀剣女士としてのこのたった一振りの特別な山姥切長義を、知っていたのだ。この長い銀の髪を、見間違えるはずもない。
    「そろそろここを出ようか。買い物して帰ったらもうあっという間に夕食だものね」
     時計を見たら確かにそろそろ出ないとまずい時間だった。メロンソーダを飲み切って、雑誌を閉じる。結局、このカタログは使う予定はなくなってしまった。長義が一度しか読まなかったカタログを、既に南泉が何度か見返していることも、やはり長義は知らない。知らないままで、いいのだ。
    「……あ」
     会計を済ませて喫茶店を出ると、店の影に男が立っていた。どうしようか悩んでいる長義の腕を引っ張り、南泉は男に向かって歩き出す。
    「ちょ、ちょっと! 猫殺しくん!」
     長義は慌てたように声を上げたが、無視した。南泉としてはやはり腹が立っている。自分に、猛烈に腹が立っている。もうここまでで大丈夫だと長義に線を引かせてしまった自分が、酷く腹立たしい。だからわからせてやらなければならない。こいつにも、この男にも。
     男の前に立ち、南泉ははっきりと言ってやった。
    「お前がいくら前からこいつのことを好きだったからといって、お前が入る余地は全くないにゃ。オレだって、こいつが本丸に来る前から好きだったんだから。こいつに会いたくて何度も政府の施設に足を運んだし、本丸に来てからは物吉とお頭に頼み込んでこいつの世話役にしてもらった」
     長義が動揺しているのがわかる。そんなこと、一度だって長義に教えたことはない。だって、そんなの格好悪いだろう。一目惚れした相手が本丸に来たから、少しでも一緒にいたいと行動していただなんて。

     ――初めてこの長義に会ったときのことを、今でも思い出せる。長く美しい銀の髪ことは、忘れられるはずもない。

     南泉たちの主は、もともとその道のプロであるからと、よく女士用の服を作って納品していた。南泉も何度かそれを運んだことがある。宅配物はすべて専用の管轄を通さなければならないから、面倒ではあるが台車に乗せてその部署へと運んだのだ。
     中身を確認してもらい、伝票を書く。しかし納品予定の箱のうちひとつだけ本丸コードがわからずに首を傾げていると、受付の職員がこれはうちの部署にいる刀剣女士の山姥切長義のものだと言ったのだ。だからこの箱はそのまま、彼女に渡すと。職員が指で示した先を見て、南泉は目を見開いた。銀色の長い髪を持つ、刀剣女士の山姥切長義。
     恋に落ちたのは、一瞬だった。
     それからは何度も、その長義に会うために納品の仕事を受け持った。直接話すことはできなかったものの、遠くから見ているだけで十分だった。山鳥毛の世話役となってからは残念ながら荷物の宅配手続きの担当から離れてしまい、受付窓口へと足を運ぶ機会がなくなってしまったものの、長義が本丸へとやってきたときには驚いたし喜んだ。主が誰をシールとの引き換えで顕現するかは直前まで秘密にされていたのだ。見間違えるはずもなくあの長義だとわかると、長義が初期刀である加州に本丸を案内されている間、物吉と山鳥毛に頭を下げて無理やり長義の世話役にしてもらった。
     だから、今更だ。からかわれても、嫌味を言われても、なんだかんだで受け入れてしまうくらいには。長義が仮初であっても南泉を恋人役として選んだことを、喜んでしまうくらいには。
    「オレはずっとこいつのことが好きだから、お前なんかには絶対に渡さないにゃ!」
     それだけをはっきり告げ、南泉は再び長義の手を引っ張ってその場を離れる。男を刺激したのはまずかったかもしれないが、男はぽかんとしたままその場を動くことはなかった。

    「ね、猫殺しくん! 腕、痛いんだけど!」
     ずっと黙ったままだった長義が口を開いたのは、本丸へ戻るためのゲートを目前としたときだった。ハッと我に返りそこでようやく腕を離すと、剥き出しの腕に南泉の手の痕がはっきりと浮かんでしまっていて血の気が引いてしまう。対称的に、長義の顔は耳まで真っ赤に染まり、南泉を見上げていた。
    「あ、あのさ」
    「う……」
     流石に先程の南泉の発言が、あの場を誤魔化すためのその場限りのものでないことくらい、長義にもわかっただろう。あの男のことをストーカーだと南泉は称したが、実際のところ、南泉だってそうだ。一眼でもこの長義を見ようと柄にもなく積極的に政府の方へと足を運び、かといって話しかける勇気もなく、本丸に長義がやってきてからは昔馴染みだから仕方がないという顔をして世話役としてずっとそばにいた。恋と呼ぶには、あまりにも執着心が強すぎる。長義は南泉のことを意識していないから平気で無防備な行動を取るが、その度に変な行動を起こさないように自分を抑えていたのだ。
    「猫殺しくん、君、俺のことが好きなのか」
     目を逸らそうとする南泉の頬に両手を添え、逃げるなとばかりに長義は南泉の顔を覗き込む。女士として顕現しても変わらない、長義の見た目と反した内面の苛烈さを、南泉はよく知っていた。だから、逃れられないということも。
    「聞いていたとおり、にゃ」
    「もう一度、はっきりと、俺に対して言って欲しい」
     強い瞳だった。以前は見ることのできなかった瞳。この本丸で会ってから初めて向けられるようになった、息を呑むほど美しい瑠璃色。
    「……お前のことが好きだ。だからフリじゃなくて、本当の恋人同士になりたい」
     長義の腕に残る南泉の手の痕は執着の証だ。どこにもいかないように、誰にも渡さないようにという、長義に今まで明かすことのなかった強い気持ちの表れだった。今まで秘めたままでいたその気持ちを、もうそのままにすることはできそうにない。
     会話もできず、長義がこちらを振り向かなかったときからずっと見てきたこの長い銀の髪のことも好いていたが、こうして共にいるようになってから見せてくれるようになった瑠璃色の瞳のことも、好きなのだから。背中だけを見ているのではなく、正面から向き合っていたい。
    「そう」
     ぎこちなく告げた南泉の言葉に、長義は満足げにひとつ、頷いた。にんまりと笑い、南泉の頬から手を離してゲートから離れていく。突拍子もない長義の行動に、南泉は慌てて長義を追いかけた。
    「お、おい! 返事は!」
     ほとんど無理やり聞き出すようなことをしておいて返事もないなんてあんまりだろう。南泉が走って長義の隣に並べば、長義は機嫌のよさを隠さないまま、南泉の腕を掴んだ。まるで、本当に仲のいい恋人同士のように。
    「そうだね、俺は君の選んでくれたこの服をとてもよく気に入っているのだけれど――」
     あまり長義が着ないような服を選んだことに対して、長義が文句を言ってきたことは一度もなかった。着替えれば真っ先に南泉へ見せてきて、感想を求めてくる。そうして南泉がコメントすると、嬉しそうに笑うのだ。
    「――アクセサリーが足りないといつも思っていたんだ。だから、君、俺に格別に似合うものを選んでくれないかな。左手の薬指に似合いそうな、特別なやつをさ」
     それが告白の返事だということに、気づかないほど南泉は鈍くはなかった。

    「南泉さんって鈍いですよね」
     と、物吉がはっきり言うと、鯰尾と後藤は苦笑した。今、物吉と後藤と鯰尾は喫茶店に入って、久々に揃った休暇を楽しんでいた。この喫茶店は南泉と長義がよく利用しているもののひとつだ。尾行するという名目上、デートのルートを予め聞いていたため、今日はこちらは使わないだろうと判断した。案の定、店内に入って一時間以上経つがふたりが現れる様子はない。
     南泉と長義の「デート」を尾行していたのは、最初の頃だけだ。ある程度経ってから、これ以上は野暮ですからふたりきりにしてあげましょうと提案したのは物吉である。でもあの男がなにをやらかすかわからないだろうと不安になる後藤に対して、大丈夫ですよ、あれは八割くらい茶番のようなものですからとネタばらしをしたのも。ちゃんとあの人と話をつけてきて、あの人は危害を加えるために尾行しているわけじゃないと教えてもらいましたと伝え、その人間から聞いた事情を話すと、ふたりもようやく納得したようだった。
    「そして山姥切さんは詰めが甘いんです」
     オレンジジュースを飲みながら、物吉は大きく溜息を吐いた。
     長義が男に付き纏われていたのは本当のことだろう。長義が悩んでいたことに真っ先に気がついていた物吉はそれが嘘でないとよくわかっている。だが実際のところ長義が悩んでいたのは、長義がこの本丸にやってきて季節がひとつ過ぎ、そろそろ南泉が自分の世話役を外れるのではないかという悩みだった。この、なんの進展もないままで。長義は南泉が自分の前に山鳥毛の世話役をしていたことを知っていた。年の瀬に顕現した山鳥毛の面倒を見ていた南泉が、今度は春に顕現した長義の面倒を見るようになった。だとしたら秋になれば今度は自分の世話役を外れるのではないかと不安を抱いていたのだ。実際、山鳥毛の世話役を外れた今、南泉と山鳥毛は部隊編成も分かれ、普段過ごす部屋も離れているので交流が少なくなっていると話していたことがある。長義は自分も同じようになるのではないかと危機感を抱いたのだ。――せっかく、南泉がいるこの本丸にやってきたというのに、と。
     だから、男に付き纏われていると言って、仮初の恋人関係になり、ふたりの仲をどうにか進展させようとした。南泉が、既に長義に惚れているとは気が付かないままに。
    「最初からおかしいと思っていたんです」
     物吉はポケットからぐしゃぐしゃになった手紙を取り出す。長義が受け取ったラブレターだ。ラブレターというには、プリントアウトされたものがそのまま白い封筒に入れられただけで内容と反して味気ない。そして迷惑を感じていたとはいえ、他人から貰ったものを雑に扱うのが長義らしくないなと違和感があったのだ。
    「プリントアウトしたのは、筆跡ですぐにわかってしまうからでしょう。文面を考えたのは、おそらく山姥切さん本人です」
    「自作自演っていうこと?」
    「ある意味それが正解ですし、間違いでもあります。……男に付き纏われていたのはきっと、本当のことです。でも山姥切さんは、それを隠していた。嘘にはほんのわずか本当のことを混ぜればいいと言いますよね。吐いた嘘は、問題がまだ未解決であるということ。実際にはボクたちに話した段階で、既に問題は解決していたんです。解決していた問題をまだ解決していないフリをして、南泉さんとの仲を世話役が外れる前に進展させるネタとして使った」
     山姥切長義は、自分の弱みをそう簡単に誰かに打ち明けたりしない。その矜恃の高さを、物吉たちは知っている。既に終わった問題であるから、安心して長義はそのネタを利用した。もう既に解決している以上、実際に南泉や物吉に危害がある恐れはないからだ。それに関しては、あとでしっかりと怒らなければ。物吉としては長義が相談してくれて嬉しいと思っていたのに、実際は全て終わっていただなんてあんまりではないか。
    「貰った手紙は、その、嫌な話ですが……もっと直接的で他の誰かに見せたくないというようなあまりに酷い内容だったのでしょう。だから、それらしいまともな内容を自分で考えた。でも自分で書くと筆跡でわかってしまうからプリントアウトしたものを利用した。こんな、ラブレターにしては飾り気がなかったり無意識に雑に扱っていたのはそういう理由です」
     ちなみにこの手紙は用済みとばかりに長義がゴミ箱に捨てていたものを拾ったものである。ここまで回りくどい真似をしなくともと思うが、長義は長義なりに必死で南泉を振り向かせようと考えた作戦なのだろう。素直に告白すればいいのに、と物吉は手紙の文字をなぞる。これはきっと、本当は長義が南泉へと宛てたものに違いないだろう。手紙の中に書かれた大輪の花とは、長義ではなく南泉のこと。渡そうとして渡せなかった、告げようとして告げられなかった、いじらしさ。同じように素直に告白できず、せめて少しでもそばにいようと世話役になった南泉とは、お似合いに違いない。物吉は早くから長義の目的に気がついた上で、敢えて追求することもなく長義に協力した。もとより、南泉が長義を好きでいたことを知っていた物吉は、彼の背中を押すためにあの作戦計画を立てたのだ。いっそ本当に恋人になれるようにと。結局こういう形に収まった訳だが、果たしてこれは誰の手のひらの上で踊っていたことになるのだろう。
     さて、無事にふたりがくっついたらこれは必要経費として請求しようと、物吉たちはティータイムを楽しむこととした。

     初めて彼を見た瞬間に、心を奪われてしまった。
     まだそのときは存在が希少で、しかも女士。そういう理由で監査官職を外された長義は大変にやさぐれてしまった。自分だって、山姥切長義として顕現したからには本丸で力を発揮したかった。けれどまだ女士の存在は少ないから折をみて、と説得させられて結局は政府の配送物関係窓口業務を担当することになったのだ。
     その勤務初日のこと。
     まだ慣れないだろうからと、認識阻害の術式を使った制服を身にまとい、長義は窓口に立っていた。こんなことで緊張なんかするものかとも思うが、確かに慣れない仕事に混乱する仕事ぶりを同位体にでも見られたら恥ずかしすぎて折れてしまうかもしれない。そう考えながら受け取った荷物を開封し、中身を確認して相手に伝票を書いてもらうという仕事を一日中繰り返していると、勤務終了間際になってその南泉一文字はやってきた。
    「間に合ったか! にゃ!」
     息を切らして窓口に飛び込んできた南泉に、長義は一瞬反応できなかった。猫殺しくん、と呼びそうになるのを必死に止める。いけない、今の自分は姿を山姥切長義として認識できないようにしているのだから。
    「初めてだから迷っちまった。伝票くれ」
    「……あ、はい」
    「なんだ、新入りか。ま、オレもだけどにゃ」
     ぎこちない動作に疑問を抱いたのだろう。南泉の問いに、こくりと頷く。南泉は長義から伝票を受け取ると、メモをもとに発送先の本丸コードを記入していく。その間に長義は箱の中身を確かめた。女性服が中心のようだ。
    「うちの主が女士向けに服作ってて、それを発送するんだと。それにしても発送窓口ってこういう風になってんだな」
     きょろきょろと興味深そうに周りを見るその目はきらきらと輝いていて、長義は自分の仕事も忘れて見入ってしまった。それを仕事が慣れないからだと勘違いして、南泉は長義に笑いかける。
    「んじゃ、そっちも頑張れよ」
     南泉は、長義が長義であることを知らない。けれど笑って長義を励ます南泉のことが、長義は好きになってしまった。
     それからも南泉はよく、窓口へとやってきた。認識阻害の効果がある制服を身に纏っていたのは最初だけで、それ以降は普通通りの山姥切長義としての服を着ていたが、どうにも恥ずかしくて、南泉へ話しかけることができず、背中を向けてばかりいた。少しでも彼を見る機会を増やそうと彼の本丸の主が作っているという服を買い、届けて貰ったこともある。彼のいる本丸は、どんなところなのだろう。そう想像して服を着てみた。彼のとなりに立つ自分を想像して、楽しそうだなと思った。そんな彼が姿を表さなくなったのは、年の瀬の頃。どうにも縁のある刀がきたということで、その刀の世話役になったそうだと、他の職員がそれとなく彼の本丸の刀から聞いてくれた。そうか、と残念に感じてしまう。南泉が会いにこなければ、長義の方から会いにいくことはできない。冬ということもあり、なんだか道が閉ざされてしまった気分になる。
     転機が訪れたのは、春。
     冬ごろから職場の男性から付き纏われていた長義は、今まで認められなかった本丸配属の許可をやっと得た。特殊なシステムで、山姥切長義を求める本丸へ行くことができるらしい。そこへ行けば、少なくとも男性職員の手からは逃れることはできるが、もうあの南泉とは会えなくなる。どうすればいいか悩む長義に、大丈夫よと励ましてくれたのは、女性職員だった。
    「知り合いの審神者さんに事情を話したらうちに来たらいいじゃないって。本当は修行道具と引き換えようと考えていたそうだけど、よかったらって」
    「でも……」
     事情を理解して迎え入れてくれるなら、悪い本丸ではないだろう。それでも南泉と会えなくなると考えると、すぐに結論が出せない。しかし、そんな長義の気持ちがわかっている彼女は、にやりと笑った。
    「『あの南泉一文字』がいる本丸らしいよ」
     その言葉に、長義は目を見開いた。長義が彼を好きでいることを、彼女は知っているのだ。
     長義は春になって、その本丸へ配属されることとなった。
     昔馴染みであるからと南泉が世話役になってくれたのはいいものの、その昔馴染みであるという関係性が足を引っ張ってなかなか仲は進展しなかった。あからさまに意識してもらえるようにと行動しているのに、と腹立たしくなってしまう。わざと濡れたままの髪で夜に部屋に行って乾かしてもらったり、そのまま寝てしまったり。あんなこと、南泉相手以外にするわけがないだろうに。南泉はあの窓口に長義がいたことすら気がついていなかったのではないだろうか。結局あの場所で話したのは最初だけで、それも長義は山姥切長義としての姿を見せていない。
     さてどうしたものかと考えていると、万屋へ行くときに何者かから見られていることに気がついた。あの、自分に言い寄ってきた男であるということはすぐわかった。自分の好きな相手には好きになってもらえないというのに、なんだか少し悲しくなってしまう。八つ当たりも兼ねてそのストーカー男を職務放棄ということで昔の職場のコネを使い処分してもらっているときに思いついてしまったのだ。この状況はなにかに使えないかと。南泉に長義を意識させる、ほんのささやかなスパイスとして。
    「それにしてもよかったわねえ」
     元職場の同僚である女性は、微笑みながら長義の薬指を見た。彼女が本丸行きを勧めてくれなかったら南泉との仲は進展しなかったと思うと、感謝の気持ちがある。だからこうして、全て解決してから長義は彼女をランチへ誘ったのだった。
     長義を尾行していたのは彼女である。正確には、処分された男がまた現れていないか、認識阻害の術を施したスーツを着て確認するための尾行だった。男から完全に政府関係施設の立ち入り許可が消されるまでの間の仕事ではあったが、炎天下であの格好は辛かっただろう。もちろん彼女は、長義がなんとかして南泉との関係を進展させるための計画を知った上で協力していた。良い同僚を持ったものだ。
    「彼の方も、俺のことをずっと好きだったんだって」
    「でもあなたの方もそうだったって言ってないんでしょう」
    「だって恥ずかしいじゃないか」
     南泉一文字に対してちょっぴり優位でいたいのは、きっとどの山姥切長義だって同じだ。優位に立って、彼には笑顔だけ見せていたい。その方が素敵だろう。
     そこそこお手軽な値段設定のレストランは、ランチの時間帯とあってかなり混み合っている。次に南泉と今度こそ本当のデートのときに利用したいが、時間は考えなければならないなと思った。あとでディナーのメニューを確認しておこう。
    「それにしても、そういう服を着るのって珍しいわね」
    「ふふ、南泉が作ってくれたんだよ。主に教わったらしくてね」
     付き合い始めると、南泉は案外ストレートに愛情を示してくれるようになった。今着ている服もそれだ。カジュアルな服は長義の本来の好みとは違うが、彼が自分色に長義を染めようと思っているように感じて嬉しく思ってしまう。髪だって、本当は前から弄りたかったのだと言われてしまえば、乾かすのからセットするまですべて南泉に任せてしまっている状態だ。
    「愛情深いっていうか執着心が強いのねえ」
    「お互いにね」
     長義としては、南泉は長義のことなどそういう風に見ていないとばかり思っていたから、今の状況に大変満足している。あの騒動の真相は隠しているから、どうにもまだ心配なのか、今日も長義が出かけようとすると誰と出かけるのか、一緒に行ってもいいかと確認しようとする可愛いところもある。
    「それって、あなたが自分の愛情をちゃんと伝えてあげてないからもあるんじゃないの?」
    「だって、俺のことを好きだってアピールしてくれる彼を見ているのが好きなんだもの」
     だから南泉に性格が悪いと言われるのだろうが、そんなところも含めて彼は好きでいてくれるのだからいいだろう。そう笑う長義に、女性は呆れたように溜息を吐いた。
    「なんだか可哀想になっちゃうわあ。ちょっと、たまには痛い目見た方がいいと思うわよ。……あ、そうだこれ。お土産だから彼氏と一緒に食べなさいな。うちの施設で新しくできたカフェのチョコレートケーキだけど美味しいのよ」
    「へえ、それはいいな。ありがとう」
     どうやらホールケーキのようだ。ふたりで食べ切れるかな、詫びも兼ねて物吉たちを呼ぶのもいいかもしれない。ただ物吉たちはあの騒動の真相に気がついていそうだからなんだか最近声をかけにくいんだよなと悩みつつ、箱の入った紙袋を受け取った。

     本丸に帰ると、すぐに南泉が飛んできた。
    「……おかえり」
     色々と誤魔化して南泉を本丸へ置いていったことをまだ気に食わないらしい。それでも、長義が出かける際に南泉の作った服を着ていったことがわかると、少し気分を持ち直したようだ。長義もその場でくるりと回って、似合うだろうと笑いかける。君が俺に着せたくて作ってくれたものだ。似合うに決まっている。
    「ただいま。これ、お土産だよ。ケーキをもらったんだ。一緒に食べよう」
    「それじゃ、お茶用意したらお前の部屋に行くにゃ」
    「俺の部屋?」
     長義の部屋はひとりだけ離れたところにあるから、お茶などを用意して持っていくのは多少不便だ。南泉の部屋の方がいいんじゃないかなと首を傾げると、照れ臭そうに、オレの部屋だと他の連中もくるだろと言うものだから、飛び上がりたくなるほど嬉しい。もちろん、彼の前ではそんな姿を見せることなく、へえ君はそんなに俺とふたりきりになりたいんだね、と余裕ありげに笑うだけに留めるのだが。好きな者の前では、いつだって得意げに笑っていたい。長義がこうも回りくどい真似をしてまで南泉に意識させて告白させたのも、そういう理由でだ。
     南泉がティーセットを持って部屋へやってきたのに合わせて、紙袋から箱を取り出す。すると、なにかほかにも紙袋に入っていたらしい。箱の底にくっついていたものが落ちていく。
    「なんだこれ。……手紙?」
     南泉が顔を顰めてそれを拾う。あ、と長義はそれを奪おうとするが、両手はケーキの箱で埋まっていた。どこかにこれを置いて、ああ、でもどうしようどこに置こうと頭の中は一瞬で混乱してうまく思考がまとまらない。駄目だ、あれを見られるのだけは。
    「ね、猫殺しくん! 待って!」
    「またお前、変な手紙もらったんじゃないだろうな」
     長義の制止も聞かず、南泉は手紙を勝手に開けてしまう。花柄の、長義が選んだ封筒を。
     手紙は何通もある。どれも、長義は中身を知っている。なぜなら、それを書いたのは長義だからだ。まだ本丸に来る前、南泉に声をかけることすらできなかった頃、書き溜めてしまった手紙。それが今、どうしてこんなところに!
     たまには痛い目見た方がいいわよ、と言った同僚の言葉を思い出す。聞き流していたが、まさか本気だとは思わなかった。あの、止むを得ず流用してしまった、男からもらったのだと一瞬見せただけの手紙ですら恥ずかしくてすぐに取り上げて捨ててしまったというのに、まさか原本がこんなに残っているとは。そういえば慌ただしくあの職場から異動してしまったし、私物がいくつかなくなっても男に盗まれたのだろうとそのままにしてしまっていたのだ。
     手紙には、今までどれだけ長義が南泉を想っていたのか書き綴られている。ずっと口に出せなかった想いの分だけ。たったひとり、長義にとってこの南泉がどれだけ特別だったのか。
     最初はまた変な手紙ではないかと顔を顰めていた南泉も、手紙の字が長義のものであることに気がつくと目を丸くし、その内容を読み進めていくにつれて少しずつ顔を赤くしていった。今、自分がどんな顔色をしているのか長義にはわからない。赤いのかもしれないし青いのかもしれない。どう言い訳するか考えがまとまるまで、どうかまだ彼が顔を上げませんようにと長義は祈った。
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