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    2023.6.25発行予定新刊サンプル。出したい〜!
    何でも屋のブラッドリーと飯屋のネロがトラブル解決したり巻き込まれて痛い目見たりする系現パロブラネロ「リケ、5000万円拾ったってよ編」

    ヒューマニティ[ブラネロ] 気温が一気に上昇した五月の連休明け、街にはどこかまだ締まりきらない緩んだ空気が滞留している。本調子に戻り切らない雰囲気。ネロの店の客足も似たようなもので、連休前に比べて穏やかな入りが続いているし、客単価もやや落ち込んでいる。とはいえ食い詰めるほどでもなし、なんなら一人一人の好みを汲んで料理ができる分充実度は高い。元来精力的に店を切り盛りしたいわけでもないネロは、比較的穏やかな今の状況を楽しんでいる。
     試作品を作ったり。ドルチェの種類を増やしてみたり。店の前に生えていた雑草を抜いたり。バジルやローズマリー、ミントなんかのハーブを育ててみたり。昨夏から調子の悪いエアコンを掃除してみたり。デザイナーやイラストレーターといった若い知人が開催する、新しい個展のフライヤーをトイレに貼ったり。テーブルコーディネーターが新たに届けてくれた花瓶を飾ったり、その礼にコーディネーター夫妻を揃って食事に招いたり。友人みたいな先生にランチをデリバリーして、配達料としてワインをご馳走になったり。
     今日のランチ営業は貸し切りだ。というか日曜日は元々定休日で、普段は仕込みや買い出しに充てている。思う存分料理だけに没頭できる至福の時間。それだって趣味特技職業「料理」なネロの癒やしではあるのだが、今日の予約客の顔を思えば気分はもっと上がる。
    『ネロ? リケです。お久しぶりです。お元気そうな声でほっとしました。ブラッドリーに頼み事があるので、お店にうかがってもいいですか? 賢者様とミチルも一緒です』
     そうやってわざわざ電話を寄越した、やってくるのは素直でかわいくて、何より食べ盛りの子供たち。リケの「頼み事」が気にならないわけではないが(あんな物騒な男に子供が何を依頼する?)、ネロ自身は何でも屋への依頼のツテでしかないので気楽なもんだ。飯屋のネロにとって大事なのは頼み事の内容より、リケがミチルと賢者と連れ立って昼時にやってくるということ。
     さて、何を食わせてやろうか。
     馴染みの八百屋が今朝届けてくれた箱には走りのヤングコーンがあった。フレッシュな香りが楽しめるよう、コンソメのジュレと合わせる。丁寧に裏ごししたコーンスープ、揚げた鱈と海老のマリネも冷蔵庫に。この時期の湿気と暑さにやられた心身を鼓舞する冷たいメニュー。それと同時に、鋳物鍋に隙間なく敷き詰めて煮込んだロールキャベツもスタンバイ。野菜はまだまだ新鮮なものがたっぷりある。オリーブオイルを利かせたパン生地の用意はしてあるが、セイボリータルトでも焼こうか。デザートは甘夏や八朔を使ったゼリー。それとサマーベリーのトライフル。クリームとフルーツの準備だけして、仕上げは提供間際に。
     あの子たちの好物は用意した。卵も十分ある。一応、一応「依頼先」である男の機嫌を取ってやる意味でフライドチキンも仕込んである。リケの「頼み事」―……苦手な大人がいるとか、好きな子ができたとか、勉強で分からないところがあるとか? 最後のはオズかせめてファウストに聞いて欲しいが……まあ、なんであろうと、これでなんとかなるだろう。
     要するにネロはとてものんきだった。平和ボケしていた。
     けど、仕方がないだろう。カタギのネロは五月のたるんだ空気にすっかり浸かっていたんだし、かわいがっている年若い子供たちの「頼み事」があんな事態を引き起こすなんて、この時点ではまさか神様だって思うまい。


    「ネロさん、ごちそうさまでした。冷たいコーンスープってボク、初めて食べたんですが、とても美味しかったです! 兄様にも教えてあげたい」
    「そりゃよかった。夏の間はよく作るから、今度はルチルと一緒に食べにおいで。賢者さんも。こないだ会ったときに比べると、大分食欲戻ったみたいだな」
    「ええ、お二人が助けてくれたおかげです。その節は大変お世話になりました。A子も順調に回復しているみたいです」
    「男からの連絡は?」
    「ありません……地方の両親の元に帰ったらしいと聞いたので、ひとまず安心しています」
    「ほーん、なら良かったな」
     食後のデザートとドリンクを出し、ネロもまたカウンターの内側でコーヒーを啜りながら談笑に興じる。リケが話を切り出したのは、その談笑の空気がふっとたるんだ瞬間だった。
    「ところでブラッドリー、頼み事があるのです」
     見事な食べっぷりを見せ、デザートまでしっかり平らげたリケは、口元をハンカチで拭ってからそう言った。一番奥の定位置に腰掛けたブラッドリーは、カウンターに肘をついたまま答える。
    「らしいな。昼飯に免じて話だけなら聞いてやってもいいぜ。ただし小便くせえ依頼は勘弁だぞ」
    「ブラッドリー、食事の席で品がありませんよ。お願いしたいのは人探しです」
     カウンターの上にナンバーのついた鍵を置いた。
    「コインロッカーの鍵?」
     ブラッドリーの無骨な指がそれをひょいと持ち上げる。
    「そうらしいですね。賢者様にうかがいました。僕はコインロッカーというものを使ったことがないので初めて見ました。この鍵があれば、書いてある番号のロッカーを開けることができるそうですね。ここにはB駅と書いてあります。つまりこれは、B駅にあるこの番号のロッカーを開けられる鍵だということです」
     背筋を伸ばし、膝を揃えて座るリケの所作は上品で、英明だ。端々から行き届いた教育が見て取れる。
     一見普通の利発な少年に見えるリケは、努めて好意的な言い方をすれば「特殊な生育環境」の結果、神様が愛する生き物の順番以外は知らずに育った極端な世間知らずだ。
     十六歳になった今も自由に使える金銭を持たされていないので、コインロッカーは当然使ったことがない。ミチルという友人と知り合うまでは、公共交通機関も使ったことがなかったと聞いた。もちろん携帯電話も持っていないので、ネロへの連絡は教団の電話を借りてよこした。なんとその際には借用書まで書かされているらしい。ハハハ、なんだそりゃ。窓かち割るぞ。
     結構な数の大人が知らない事実だが(秘密じゃないよ)、なんと子供には子供の人権があるし、この世に生まれた瞬間から保証されているのはもちろん、大人はそれを全力で守らなければならないのだ。
     リケが今健やかに笑っているのは、ひとえにリケ本人の聡明さと魂の強靱さ、そして純真無垢な防御力によるところであり、それを讃えこそすれ「よかったね」なんて大人がしたり顔で寄りかかっては断じてならない。
     ネロは自分がろくでもない大人である自覚がちゃんとある真っ当なろくでなしだが、子供を子供として正当に扱うことに関しては論ずるまでもない。なのでリケを神の使徒ではない、普通のリケとして扱うことに何の苦もない。リケは正しく庇護される立場であり、困ったことがあれば大人を頼る権利があり、大人にはそれに答える義務がある。リケとネロの間になんの関係がなくても、それは当然のことだ。
     対するブラッドリーは、子供の人権などには一切興味がない。というか、大前提として「権利」という文化的概念がインストールされていない。「この世の全ては勝ち取るもの」という野蛮な思考で今の今まで現代社会を生きてきたのだ。
     だがその分「勝ち取るもの」に傾ける信頼が強いので、物怖じしないリケなどとは相性はいいようだ。まあ、教育上好ましくない男ではあるので関わり合いになって欲しくはないのだが、引き離す権利はそれこそネロにはない。側にいて、必要とあらば教育的指導を入れるに留めるのが関の山である。ブラッドリーに言わせりゃ「誰が何の教育だって?」であるが、それはまた別の話。
     今大事なのは、目の前にあるコインロッカーの鍵であり、それが持ち込んだトラブルの方……なのだが。
    「で? この鍵がどうした? コインロッカーを知らねえてめえが、なんで施錠済みのこの鍵を持ってる?」
    「このコインロッカーの鍵を、僕とミチルと賢者様に託した少年を探して欲しいのです」
     ブラッドリーが「はあ?」と言った。ネロも、声には出さなかったが同じ気持ちだ。二人分の疑問を、しかしリケは別の意味で受け取ったらしい。
    「あ、僕は少年だと思ったのですが、ミチルはどうですか? 青年と呼んだ方が良いでしょうか?」
    「へ? えっと……そうですね、どうでしょう……?」
    「賢者様は?」
    「ええと、確かにリケの言う通り、二人よりは少し年が上の、シノやアーサーと同じぐらいに見えましたが……」
    「ではシノやアーサー様は青年ですか? 二人ともしっかりしていますが、笑ったお顔立ちは少し幼く感じますし、少年でもいいかもしれません」
    「まあなんでもいいが……要するにこの鍵を誰かに渡された、そいつが誰かは中央と南の小せえのも賢者も知らねえ。で、その身元不明のガキを探したい、ってわけだな。俺様じゃなくて駅員か警察に言えよ。てめえには拾得者の権利が発生するし、鍵も預かってくれるぜ」
    「僕とミチルは小さくありませんし、ガキという呼び方はよくありません。正確には、探してこの鍵を返したい、です。駅員さんや警察の方に渡すのは本意ではありません」
     駅員さんや警察の方、と言うときのリケの語調はいささか強めだった。珍しいな、と思う。リケは責任感が強いし、彼の神様に則って厳しい物言いをすることはある。だが、社会規範を何より大事にする真面目な子だ。拾得物を得たら然るべきところに届けるのが最適と考えそうなものだが……。
    「わたしも、警察に届けてはどうかと提案したんですが、それは嫌なんだそうです」
    「ほーん、なら話は一つじゃねえか」
     社会規範など総じて蹴っ飛ばして生きるべし、というブラッドリーが違和感に気付いた様子はない。ブラッドリーはコインロッカーの鍵を人差し指に引っかけると、くるりと回しながら提案した。
    「まずロッカーの中身を確認する。人探し云々はそれからだ」
     リケが露骨に怪訝そうな顔をする。
    「ブラッドリー、人の物を勝手に見てはいけませんよ」
    「中身が食い物だったらどうする? 生き物だったら? 鍵かけてしまい込まれたら、中でどんどん腐っていくぞ」
     今度は「え」とリケが言った。弾かれるようにネロへと視線を向けてくる。
    「僕たちが鍵を預かったのは二日前なんです。ネロ、もし中にキャラメルやチョコレートが入っていたらどうなりますか? ケーキだったら?」
    「そうだな、最近は気温も高いし、確実にどろどろに溶けちまってるだろうな。ケーキなら間違いなく腐っちまってる」
    「そんな……ケーキが……」
    「おいおい、んなのんきなこと言ってる場合か? コインロッカーってのは犬猫はもちろん、人間の赤ん坊ぐらいなら余裕で入るんだぞ」
     実際には異音や異臭がした時点で駅員が確認しているはずだ。だがそんなこと、世間知らずのリケには分からない。ブラッドリーの口八丁に、隣のミチルも一緒になってさっと青ざめる。攻めるべきタイミングを心得た男は、ここぞとばかりに畳みかける。
    「一度開けて、腐るもんかどうかだけでも確認したらいい。持ち主が分かったらそいつに連絡すればいいし、分からなくとも、もう一回金入れて鍵掛けといたら分からねえだろ」
    「でも僕は、お金を持っていません」
    「リケ、わたしが払いますよ。リケが鍵を預かった場所にわたしもいましたし」
     リケへの説得が難航していた手前、背に腹は代えられないと踏んだのだろう。案外肝の据わった賢者の申し出に、リケはようやく首を縦に振った。
     ブラッドリーはふん、鼻を鳴らすとさっさと席から立ち上がった。
    「んじゃ賢者、ついてこい」
    「はい」
    「ブラッドリー、僕も行きます」
    「ボクも」
    「車小せえんだよ。俺様の長い足に加えててめえらまで後部座席に詰めたら狭くて敵わねえ、さっさと行って戻ってくるから、ここで大人しく待ってろ」
     でも……と追い縋ろうとする子供二人に、助け船を出してやる。
    「リケ、ミチル。デザートもう一つ出してやろうか」
    「わあ、いいんですかネロさん」
    「ありがたく頂きます。けど、デザートを二回もだなんて堕落の道ではないでしょうか?」
    「夜営業用の試作品なんだ。よかったら味見て、感想聞かせてよ」
    「喜んで! だけどネロ、あなたの作る料理はいつだって、この世にあるどんな料理よりも美味しいですよ」
     余談だが、ネロ自身は社会規範は守った方がいいと思うが、鍵は一度開けて中を確かめる分には問題ない、という倫理感の持ち主である。
    「賢者さんも。戻ってきたら食べられるようにしておくから、よかったら」
    「うれしいです、ありがとうございますネロ」
     ネロが子供二人にデザートを用意している間に、ブラッドリーは無駄に高い上体を雑に折って、カウンターの内側に掛けてある車の鍵を取った。
     こっちも余談だが、ここはネロの店であり、ブラッドリーが勝手知ったる様子で引ったくった鍵も、小さいと扱きおろしたのも、我が物顔で賢者を乗せていったのも全部ネロの車だ。今さら誰もツッコミやしないが、一応注釈を入れておく。何のためかと言われたら念のためというか、まあ、ひとえにネロの心情のためである。


     しかして三十分後。
     さっさと行って戻ってくるの言葉通り、ブラッドリーと賢者は無事ネロの店に戻ってきた。貸し切り営業中の店の扉が荒々しく開かれる。
    「おうおかえりー……ってどうした、二人とも?」
     中々入ってこない様子に顔をあげてぎょっとする。そこにいたのは何故かむっつりと硬く唇を引き結んだブラッドリーと、何故か全身ガチガチに硬直した賢者。ブラッドリーは今さっき人を殺してきたような凶悪な顔だし、賢者も賢者で、たった今我が子と今生の別れを果たしてきたような鬼気迫る凄みがある。そして賢者が掻き抱いた腕の中には、上等そうなボストンバッグが一つ。
     ブラッドリーはそれを賢者から取り上げてネロにぶん投げると、ぱちくりするリケの隣にどかりと腰掛けた。
    「中央の小せえの」
    「小さくはありません、リケです。なんですかブラッドリー」
    「この鍵を預かるまで何があったのか、順を追って説明しろ、できるか?」
    「得意分野です」
     胸を張って答えるリケに、ブラッドリーは渋い顔のまま重々しく頷いた。ネロは投げ寄越されたずっしり重いボストンバッグの口を開け―……そして絶句する。
     札束、それも一つや二つじゃない。
     ざっと見で数千万、重さ的に……五千万円ほどだろうか。バッグの値段も加えたらもっといくかもしれない(プラス三百万円ぐらいかな)。
     なんだってこんなものが? それをどうしてリケやミチルが? っていうかてめえなんで投げてよこした? 素手で触っちまったんだが
     心中全く穏やかではないものの、極力平静を装ってリケの話に耳を傾ける。幸いリケとミチルはカバンの中身にまだ気付いていない。ものの三十分ですっかりくたびれ果ててしまった賢者は……まあ、お気の毒だが。
     そしてブラッドリー。
     出してやったアイスティを一気に飲み干し、氷まで勢いよくかみ砕いた強面男。グラスに隠れた凶相には「面倒くせえ」の表情がくっきり浮かんでいたが、それをリケには見せないだけの分別は、一応この男にもあるらしい。


     リケの話はこうだ。
     連休最終日、リケはミチルと連れ立って出かけ、駅に戻ってから賢者と合流した。三人でお茶をする約束をしていたからだ。目的地はB駅から徒歩二十分ほどのカフェ。ネコの形をしたパンやクッキー、それを使ったパフェなどを提供するネコ好きには評判のカフェで、是非賢者を連れて行きたいと思っていた。
     時刻は十五時半頃だった。賢者のスマートフォンの地図アプリで駅から進んだが、駅から離れていること、入り組んだ細い裏通りにあって探しにくく、迷ってしまった。どうやら一本間違えて、大きく東に逸れてしまったらしい。
     それじゃあきた道を戻りましょうか、と立ち止まったとき、一人目の少年が現れた。
     彼は猛スピードで走ってきて、なんだ? と思っているうちにリケたちを追い越し、走り去ってしまったそうだ。
    「アッ!」
     ドン、と大きな音がした。送れてやってきた二人目の少年が、賢者にぶつかった音だった。
    「賢者様!」
     一人目の走り去るスピードを考えれば、その衝撃も想像できるというもの。賢者は道ばたに突き飛ばされ、盛大に尻餅をついた。その反対側には同じように吹っ飛んだ少年の姿があった。リケはミチルと顔を見合わせる。一瞬の後、ミチルは賢者を、リケは二人目の少年をそれぞれ助け起こす。
    「賢者様、大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」
    「あなたも。怪我はありませんか?」
     リケに手を差し出された二人目の少年は、なかなか手を取らなかった。一人目の少年の足音はどんどん遠ざかっていく。焦燥と緊迫。汗だくの幼い顔に困惑が渦巻き、金魚のように口をぱくぱくさせる。明らかに尋常じゃない様子。そんな状況にあろうとも、リケの心に住まう神様は、少年の行いを見過ごさない。
    「お急ぎだったのかもしれませんが、こんな細い道を走るなんてとても危ない行為です。あなたのせいで僕たちの大事な方も転んでしまいました。もうおやめなさい。そして神と賢者様に心からの謝罪を」
     突然説教を始めたリケを、少年は唖然として見上げていた。
    「リケ、私は大丈夫ですよ」
    「ですが賢者様、ここで悔い改めなければ彼は、この先もずっと誤り続けることになります。彼の未来のためにも、懺悔は早い方がよいのです」
     リケは差し出した手をもう片方と合わせて組み、目を閉じてそっと告げた。
    「僕が許します」
     ぼろんと、大粒の涙が少年の目玉からこぼれたのは、そのときだ。
    「ゆる、す……?」
    「ええ、許します。あなたがどんなに愚かでも」
     一度こぼれた少年の涙は、堰を切ったようにぼろぼろあふれ続け、もう止まらなかった。
     しゃくり上げる肩、引き攣れた息、震える指先、ひゅうひゅうと喉から音を漏らしながら少年は、今にも消え入りそうな声で言った。
    「たすけて、ください」
     助けてください。
     思わず驚いた。それは、教団に住まう信徒たちが神に縋るような声だった。
    「これを、持ってて、っ、警察には言わないで……必ず取りに行くからっ、それまで、どうか、守ってっ……!」
     少年はリケの手に何かを握らせると、一人目の少年が走り去った方向に駆けていった。
    「リケ?」
    「一体なにを渡されたんですか?」
     立ち上がった賢者とミチルに促され、リケはそっと手のひらを開く。
     そこにあったのが、件のコインロッカーの鍵である。


    「……中央の小せえの」
    「小さくはありません、リケです。なんですかブラッドリー」
    「その鍵とカバン持って今すぐ警察に行け」
    「ブラッドリー、あなたが普通の大人のようなことを言わないでください」
    「てめえ……俺様に屈辱を与えるのがオーエンより上手いじゃねえか……」
    「あなたの尊厳の在り方について理解はできませんが、尊重はしたいと思っています。傷つける意図はありません」
    「おいネロ、このクソガキなんとかしろ」
    「尊重はしてくれるっていうからいいんじゃねえか。少なくとも俺よりは理解がある」
     そうは言いながらも今回ばかりはブラッドリーに全面同意だ。見知らぬ少年に託された謎の現金五千万円。十割十分良くない金だ。どう考えてもろくなもんじゃない。首を突っ込んだら率直に命が危ない。素人の手に余る。
    「つーかてめえカインの身内みてえなもんだろ。まずは警察を頼れよ。いいぞ公務員、なにせタダだ」
     本当に今日は珍しく真っ当な大人のようなことを言う。しかしリケは頑として首を縦に振らない。
    「カインは確かに頼りになりますが……僕は僕に助けを求めたあの少年を助けたいのです。彼は警察には言わないでと懇願しました。もし僕がその約束を破ってカインを頼ったら、助けを求めた少年の心はずっと救われないままになってしまいます」
    「別にいいだろ、所詮他人だ。てめえにゃ関係ない」
    「よくありません。助けを求められた以上、関係なくもありません。彼の心を導けなかったら僕の心も損なわれます」
     あ、まずい。嫌な汗がネロの背中を伝っていく。
     こういうとき「他人のため」ではなく「自分のため」を明確に自覚して発言するリケのようなタイプはブラッドリーの大好物だ。現に今、ブラッドリーの赤い目が興味深そうに爛と光った。今日はこのまま、厄介事を厭う真っ当な大人として警察を勧めるセールストークを続けて欲しいんだが
    「僕もあの少年が良からぬ道に足を踏み入れているのだと思います。だからこそブラッドリー、あなたが進む不遜かつ不実な道にしか、あの少年を救う術はないと感じました。どうか僕にあなたの力を貸してください」
     形のよい、金色の頭がするりと下げられる。その奥で、明るい茶色の頭もぺこりと下がった。
    「あの……ブラッドリーさん、ボクからもお願いします。賢者様にぶつかった男の子、確かに普通じゃない感じだったんです。ボクが出来ることならなんだって手伝います。ボクもあの子を助けたい」
     ああ……まずい。非常によくない。ネロはぺしんと、己の顔を手のひらで覆う。
    「へえ?」
     形のよい顎を撫でる指、厚めの唇がわずかに開き、口角が好戦的に上を向く。明らかに面白がっているときのブラッドリーの仕草。
    「ガキのくせに物の頼み方ってのが分かってるじゃねえか」
     愁傷な態度に絆されるような、ブラッドリーはそんな甘い男ではない。ないがブラッドリーは基本的にこの子供たちのことが嫌いではない。負けん気が強く、賢くて、挫けない。だからこうして呼び出しに応じるし、話も聞いてやる。
     これではブラッドリーが依頼を受けてしまうかもしれない。
     それは絶対阻止したい。というか絶対に断って欲しい。
     自分からブラッドリーを呼び出しておいてなんだが、リケから電話をもらったときはまさかこんな事態に陥るとは夢にも思っていなかったのだ。苦手な大人がいるとか、好きな子ができたとか、勉強で分からないところがあるとか、そんなものだと思っていたのだ。だというのにハリーポッターと賢者の石。違う。部屋とワイシャツと私。そうでもない。リケとミチルと謎の現金五千万円。そうそれ。確かにそれだがなんだそりゃ。意味が分からん。だめだ、だめだめ。絶対だめ。関わらせるわけにはいかない。ブラッドリーが依頼を断ればまだなんとかなる。ブラッドリーの手を借りられない子供に見ず知らずの行きずり少年を探す術はない。二人に諦めさせ、あとはネロが代理拾得者になるなどしてカイン経由で警察に届け出ればなんとか―……。
    「助けていただけないのなら仕方がありません。僕とミチルだけで探してみます」
    「それはだめ!」
     脊髄反射で待ったをかけた。
     ネロの魂の制止は、賢者と異口同音で重なった。二人顔を見合わせる。それはだめだ賢者さん。そうですよね駄目ですよねネロ。そう、だめ。絶対に!
    「リケ、残念ですがそれは賛成できません」
    「賢者さんの言う通りだぜ、リケ。大体、手がかりがないからブラッドを頼ったんだろ? 今さら二人でどうやって探す気だ?」
    「あの少年とぶつかった場所に行って話を聞きます。もしかしたら誰かあの少年を見ているかもしれません」
    「ボク、兄様に似顔絵を描いてもらいます。その方が分かりやすいと思いますし」
    「それが賛成できないって話なんだよ、リケ、ミチル……」
     リケの意志の強さと行動力は知っている。ミチルはまだ話せば分かってくれる子だが、子供は大抵、気持ちの強い方に引きずられる。掲げる理念が正義や優しさなら余計だ。少年を助けるという大義名分を元に聞き込みをすると決めたら、二人は絶対やり通すだろう。道行く通行人、周囲の住人、店の人間、あらゆる対象に話を聞いて回る。それを何時間も、何日もやる。それでなくとも人目を引く風貌の二人だ。間違いなく目立つだろう。託された鍵を、正確には五千万円の入ったカバンを探す誰かにも見つかるだろう。その後どうなるかは……考えたくもない。
     ジーザス。信じてもいない神に縋りたくなる。他ならぬリケが神の使徒らしいが。電話も貸してくれないのに? ハハハ、なんだそりゃ。窓かち割るぞ。
     なら、神より悪魔に縋った方が万倍マシだ。
    「……ブラッド」
     ブラッドリーはネロの店の客ではない。が、よくよくネロの店に居座り、勝手に酒を飲んだり客に出した料理を掠めとったりキッチンに入り込んでつまみ食いをしたりして、よくよくネロに半殺しの目に合わされたりしている。そして連日やってくるネロの店の客の中に紛れて、ごくごく時折やってくるブラッドリーの客。そいつらは自分一人じゃ解決できない、かといって誰に相談したらいいか分からない問題を抱えている。ブラッドリーはそいつらの話を聞き、興味が引かれればトラブル解決に乗り出す。報酬は応相談―大抵は、ネロの店でブラッドリーが満足するまでたらふく食わせること。なので。
    「俺からも依頼だ。リケとミチルの頼み事を聞いてやってくれ。ただし、お子ちゃまたちを巻き込まないことが条件」
    「小せえのだけか、賢者は?」
    「もう巻き込まれてるだろ、気の毒だけど」
    「一理ある。報酬は?」
    「事件解決まで毎日好きなもん食わせてやる」
     ブラッドリーはにやりと笑った。交渉成立の顔。けれどブラッドリーは「こっちも条件が一つある」と言った。
    「てめえが先に条件つけたんだから、こっちにも条件つける権利はあるよな、ネロ」
     権利なんてガン無視で生きてるくせによく言うよな。まあいいけど。一理あるし。
    「いいよ、なに?」
     毎日フライドチキン出せとか、つまみ食いしても怒るなとか、野菜は出すなとか? つまみ食いしたら半殺しだし野菜は絶対食わせるけど、毎日フライドチキンぐらいなら飲んでやってもいい。
     ……なーんて気楽に考えているネロは、要するにとても迂闊だった。
     けど、仕方がないだろう。カタギのネロは五月のたるんだ空気にすっかり浸かっていたし、ブラッドリーが何を思っているかなんて、うんざりするほど長い付き合いの中でも理解できた例しがない。昔は全部分かっていた気がしたが、それだって結局は全部都合のいい思い込みで、誤解で、まぼろしだった。だからもういいのだ。全部終わった。手切れだ。どうしようもなかった。俺たちは何処にも行けないし、どうにもならない。だから右と左にそれぞれ舵を切った。生きる道は二度と重ならない。だから、それで、だけど。
    「事件解決まで、てめえが相棒として俺様を手伝え」
     おまえ、今なんて言った?
     かこん、と顎が外れる音がした。実際にはそれは心象風景でネロの顎は無事だったわけだが、心情的には外れた顎が床に叩きつけられて粉々に砕けたぐらいの衝撃。
    「ネロも手伝ってくださるんです?」
    「本当ですか?」
    「あああああ……ネロ……」
     何の話か分からずにぽかんとするリケとミチル、両手で顔を押さえる苦労性の賢者、そして外れた顎のせいで開いた口が塞がらない(心象風景)ネロを余所に、ブラッドリーは今日一番の笑顔を見せながら言ったのだった。
    「いいよって、言ったもんな?」
     ああほんと悪魔って、人を堕落させる瞬間にこそとびきり甘い笑顔を振りまくんだな。
     神より悪魔に縋った罰だろうか。
     こうなったらもう、悪魔と一緒に鉄パイプ担いで、天国の窓ガラスかち割りに行くしかない。


    ……以下本編(出したい)。
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    hanamio3

    PROGRESS2023.6.25発行予定新刊サンプル。出したい〜!
    何でも屋のブラッドリーと飯屋のネロがトラブル解決したり巻き込まれて痛い目見たりする系現パロブラネロ「リケ、5000万円拾ったってよ編」
    ヒューマニティ[ブラネロ] 気温が一気に上昇した五月の連休明け、街にはどこかまだ締まりきらない緩んだ空気が滞留している。本調子に戻り切らない雰囲気。ネロの店の客足も似たようなもので、連休前に比べて穏やかな入りが続いているし、客単価もやや落ち込んでいる。とはいえ食い詰めるほどでもなし、なんなら一人一人の好みを汲んで料理ができる分充実度は高い。元来精力的に店を切り盛りしたいわけでもないネロは、比較的穏やかな今の状況を楽しんでいる。
     試作品を作ったり。ドルチェの種類を増やしてみたり。店の前に生えていた雑草を抜いたり。バジルやローズマリー、ミントなんかのハーブを育ててみたり。昨夏から調子の悪いエアコンを掃除してみたり。デザイナーやイラストレーターといった若い知人が開催する、新しい個展のフライヤーをトイレに貼ったり。テーブルコーディネーターが新たに届けてくれた花瓶を飾ったり、その礼にコーディネーター夫妻を揃って食事に招いたり。友人みたいな先生にランチをデリバリーして、配達料としてワインをご馳走になったり。
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