クリスマスの烏詠「クリスマスケーキどうっすか~」
住宅街にあるコンビニ前。
駐車場の横に設けられたスペースにテーブルを置き、そこではこの季節定番のものが売られていた。
当日の昼間まで残ったケーキはさて売れるのだろうか、などとどうでもいいことを思いながら詠は通り過ぎようとしたのだが。
「なんだあの赤い服を着た不審者は」
サンタクロースの恰好をした若い男の店員が気だるげに声をかけているのを、烏天狗が訝しげな顔をしながら指さす。
「え、サンタクロース。知らない?」
「それくらいは知っている。しかしあの男はサンタクロースじゃないだろう」
「まあ、本物じゃないけど……」
この時期なるとサンタクロースのコスプレをして店に立っている店員などどこででも見かける。
詠にとっては珍しくもなんともないそれだが、烏天狗の興味を引いたらしい。
「おい、お前」
店員の方に歩いて行き、烏天狗は声をかける。
「……なんすか?」
「お前はサンタクロースなのか?」
「わー!?」
素っ頓狂な質問をする烏天狗に、詠はその場で真っ青になった。
「いや、ただのバイトっすけど……」
律儀に答えてくれた青年と烏天狗の間に詠が慌てて割って入る。
「ご、ごめん気にしないで! この人、ええと、その、か、海外生活長くて! あんまこの手の行事に詳しくないだけだから!」
何か言いたそうな烏天狗を押しとどめて詠が必死に言い訳をする。
青年はあまり気にした様子もなく、相変わらずやる気のなさそうな様子で烏天狗の方をじっと見た。
「……なんだ?」
「お兄さんイケメンっすね……。あんたくらいイケメンだったらクリスマスをぼっちで寂しく過ごすこともないんだろうな……」
「は……?」
青年の言う事がまったく理解できない烏天狗は首をかしげる。対して、なんとなく察した詠は苦笑いを浮かべた。
「あ、彼女へのプレゼントにケーキとかどうっすか?」
己の仕事を思い出した青年に、ケーキを勧められ詠はやんわり辞退しようとする。しかしその前に烏天狗が一歩前に出て。
「一つもらおう」
「えっ!?」
一体どういうつもりなのだと、問う間もなく気が付けば烏天狗の手にはケーキの箱が握られていた。
「あざーっす」
青年の声に送られて、二人はコンビニを後にする。
「烏天狗さん!? ケーキなんて買って、仕事はどうするんです!?」
「今日の仕事は中止だ」
「はい!?」
烏天狗のマイペースさに、最早何がしたいのか詠には分からない。
混乱のまま烏天狗の腕を取って揺さぶると、烏天狗はコートの内側から一枚の紙を取り出した。
「これがついさっき、今日の約束の相手からきたものだ」
渡された紙は折り目の形と術の痕跡から式神だという事が分かる。開くと中には文字が書いてあった。
「なになに……急きょ、大事な用事ができたので今日の予定は延期で……はい? これがついさっき?」
「ああ、ついさっきだ」
烏天狗の声がわずかに低くなる。
「俺がわざわざ、こんなところまで足を運んでやったのに、だ」
「ひえ……」
声どころか周りの空気さえも低くなった気がして、詠は身を縮こまらせる。
烏天狗との約束をドタキャンするとはずいぶんと度胸の据わった人間だ。
ふと烏天狗が目を細め、何かを探るように辺りを見回す。おそらく千里眼で様子を伺っているのだろう。
しばらくして、烏天狗は小さく舌打ちをした。
「俺との約束を反故にして女と楽しんでるとはいい度胸じゃないか……」
「うわ……」
よりにもよってな状況に、関係ないはずの詠まで震え上がる。
「ま、まあクリスマスだし、今日くらいはいいんじゃない……?」
やんわりと、これ以上機嫌を損ねてとばっちりを受けないようフォローしようとするが、烏天狗は余計に眉間の皺を強くするばかりだ。
「クリスマスだからなんだ? たかだか大昔の人間の誕生を祝う日なんだろう? そんなに大事な日なのか?」
「そんなこと僕に言われても……。まあ、元はキリストの誕生祝いだけど、この国では家族やパートナーとパーティーをしたりプレゼントを贈りあう日みたいなかんじかなぁ」
「そんなものいつだってできるだろう」
「僕もそうは思うけど……」
詠が生まれたときからクリスマスはこのような行事として存在していたのだ。それに文句をつけられても詠にはどうしようもない。
これ以上説得のしようもないと悟り、詠は余計なことを言うのをやめた。
「……相手にはきっちりこの報いを受けてもらう」
「烏天狗さん……?」
不穏なことを言いながら、烏天狗はケーキの箱を詠に押し付ける。
「ちょっ、」
「今日はこっちで一泊する。お前は先に宿でも探してろ」
「ちょ、烏天狗さんー!?」
走り出した烏天狗は、あっという間に詠の目の前から消えていった。
「なんでこんな面倒なことに……。さすがに事を大きくしたりしないと思うけど、念のため……」
式神に術を与え、力を込める。
最近覚えたばかりの術なので上手く扱えるかはあまり自信がなかったが、力を与えられた式神がふわふわと浮かび上がったのを見て詠はほっと胸を撫で下ろす。
「よし、烏天狗さんの後を追って」
命令を受け、式神が空を飛んでゆく。
詠の力を受けたそれは、妖怪かよほど術に長けた人間くらいにしか見えない。もちろん烏天狗に見つかればすぐにバレてしまう尾行だが、彼もここでは本領発揮できないのと、人間界特有の雑多な気のせいでおそらくすぐに勘づかれることもないだろう。
式神は詠の眼の代わりになって辺りの景色を映し出す。
まだ未熟なせいで視界は広くないし映像は荒くて音も拾えないが、様子を見るだけなら十分だ。
(ここは……ホテルか?)
烏天狗は街中まで移動し、幾つも並んだ大きなビルの一つに入っていった。そこは詠でもぼんやりと名前を覚えているような有名なホテルだった。
何食わぬ顔で烏天狗はロビーに入り、しかしすぐに奥には向かわず脇にある廊下へと消えた。
(……?)
それは一瞬のことで、戻ってきた烏天狗の姿を見て詠は絶句する。
「は? えっ!?」
廊下に消えたのは確かに烏天狗のはずだったのに、出てきたのは一人の女だった。ただの女なら無視するところだが、その顔にはよくよく見覚えがある。性別が変わったところで詠があの美貌を見間違えるはすがない。
「烏天狗さん!?」
ここが外であることも忘れ、思わず大きな声を出して周りから視線を集めてしまう。詠は慌てて誤魔化すように咳払いしながらその場から移動を始める。
(いやいやいや……烏天狗さんてそんなことまでできるの!?)
ぜひともその姿を間近で見てみたい。が、式神で近寄るとバレてしまうので遠くから見ているしか出来ない。
烏天狗は奥へ進みエレベーターに乗り込んだ。そして上階へとたどり着くと、迷わずひとつのドアの前に立つ。ドアをノックするが反応はない。少し考えるようにした後、烏天狗は鍵のある辺りに手をかざし、何かしらの呪文を唱えた。
(うわ……)
なんとなくこの先の展開が予想できて、詠は何食わぬ顔をして街中を歩きつつ内心ではずっとハラハラしていた。
他人事ながらこれから起こるであろう修羅場に、自業自得とはいえご愁傷さまとしか言いようがない。
音が届かないので何を言っているのかは分からない。しかし室内に烏天狗が現れた瞬間、中にいた男は焦り、女が怒るのが見えた。
カップルの楽しいはずのクリスマスをぶち壊し、女の方が部屋を出ていくと男がその場に崩れ落ちた。
(あーあ……)
崩れ落ちた男の前で屈み、烏天狗が何事か話しかけている。うなだれていた男がゆっくりと立ち上がり、部屋に置いてあった鞄の中をあさる。その中から書類を手渡し、それを受け取った烏天狗も懐から取り出した小さな箱を手渡した。これで烏天狗の目的も達成できたのだろうか。
(うん……?)
そろそろ詠も式神を引き上げようとしていると、うなだれる男に対して烏天狗が肩をすくめてみせる。女の姿のせいかいつもほどの威圧感がない。あんまりにも悲壮な顔をする男に何事か話しかけた後、男が咄嗟に烏天狗の襟首を掴んだ。
あわや乱闘でも始まるかと思いきや、男が烏天狗を引き寄せ唇を奪おうとする。
「は!?」
離れた場所にいることも忘れて詠は思わず前のめりになる。
が、唇が重なる寸前で烏天狗の拳が男の顔面にめり込んだ。男はその場で倒れ、そのまま意識を失った。
◇ ◇ ◇
烏天狗に頼まれた通り、詠は手近なホテルを予約して先にチェックインする。
窓の外から見える景色はイルミネーションに包まれ、クリスマスの夜を演出していた。
最初に烏天狗が人間界に出かける聞いた時、詠はついていくつもりなどなかった。そもそも普段も烏天狗の仕事についていくことなどほとんどないし、さして興味もない。
妖怪の世界に住んでいると日付の感覚もあいまいになってくる。しかしふと、その時普段は見もしない暦を記した表を見て、その日が十二月二十五日であることに気付いたのだ。
――クリスマス。
別に何か期待していたわけじゃない。
烏天狗がそんなものを認識しているとも思わなかったし、実際こっちにきてあちこちが装飾されている様子を見ても特に何も言わなかった。
今日の宿泊だってクリスマスケーキだって完全にイレギュラーであり、部屋をツインじゃなくてダブルで取ってるのだって断じて深い意味はない。
とりあえずケーキは冷蔵庫にしまって、部屋に設えられたソファに座ったところで部屋のドアが開く音がした。
「……烏天狗さん」
「なんだ詠。何か言いたそうな顔だな?」
戻ってきた烏天狗はいつも通りの男の姿った。
「そりゃあありますよ。烏天狗さん、女の姿になんてなれたんですね……」
「やっぱりお前視てたのか」
「あんなことできるなんて、どうして教えてくれなかったんです!?」
「なぜ教える必要がある?」
「美女とデートがしたいです」
「却下」
ささやかな野望をあっさりと打ち砕かれうなだれる詠に、烏天狗は楽し気な笑みを浮かべながら紙袋を手渡した。
「なにこれ……ワイン?」
袋の中には二本ほど高級そうなボトルが入っていた。
「あいつの部屋にあったから、かっぱらってきた」
「うわぁ」
改めて烏天狗の逆鱗に触れてはいけないと、身に染みて感じて詠はボトルを抱えながら震えあがる。
「ほら、ケーキもあるだろう。ささやかながら仕事終わりの祝杯としようじゃないか」
無事仕事が終わったからか、上機嫌な烏天狗の様子にほっと胸をなでおろした。
冷蔵庫に入れておいたクリスマスケーキを取り出し、とりあえず六等分に切り分ける。
「俺は一つでいい」
「えっ!? さすがに僕もこんなに食べれないですけど!?」
「甘いものはそんなに好きじゃない」
「えー……じゃあなんでホールケーキなんて買ったんですか……」
「勧められたからな」
勧められたからといって断れないような気弱なタイプでは断じてないはずなのに、そう言ってさっさとワインを開け始めた烏天狗を見ながらふと店員の言葉を思い出す。
『彼女へのプレゼントにケーキとかどうっすか?』
(まさか、ね……)
烏天狗に限ってそんな、と思いつつも他に理由も思い当たらない。相変わらず烏天狗はその辺りに関しては言葉足らずなので言動からこちらが真意を探るしかない。
ふわふわと落ち着かない気持になりながら、詠も席に着いた。
二人分のグラスにワインが注がれ、ささやかながらパーティの装いが整う。
祝いの言葉を言う間もなく烏天狗はワインを煽り、フォークでケーキを小さく切っては口にする。
「悪くないな」
ホールケーキの大部分を消費しなければならない詠は無言でペースを上げてケーキを口に放り込む。味自体は悪くないし、一応烏天狗からのプレゼントだと思えば全て食べ切れる気がした。
「一時はどうなることかと思ったけど、無事仕事終わってよかったですね」
全体の半分ほど食べ終わったところで、ワインを口にしながら一息つく。
「まったくだ、俺との予定を反故にしようとはな」
「まあ……十分すぎる報いを受けたんじゃないかな……ってそう言えば最後! キスされそうになってませんでした!?」
「ああ、嫌がらせのつもりだったんだろうが、女の姿といえどたかだが人間が俺に敵うはずがないだろう」
烏天狗は不敵に笑っているが、嫌がらせではなく相手は欲情したのでは……? と疑ってしまう。あんな人間離れした美貌の女が目の前にいたら変な気を起こしてもおかしくはない。
「……烏天狗さん、今までも女の姿になったことあるんです?」
「昔から人間の男は単純だからなぁ。女とみると目の色を変えて……」
「ダメ!!」
「は……?」
手にしていたワイングラスをテーブルの上に置き、詠は強く拳を握りしめる。
「もう女の姿で仕事するのはやめてください!」
「お前に指図されたくないな」
「だ、だって、烏天狗さんが他の男からいやらしい目で見られるの、嫌なんです!」
「……お前、酔ってるな?」
「酔ってません! 僕は真剣に言ってるんです……」
烏天狗が強い妖怪だというのは分かっているが、それでも万が一のことを考えてしまう。醜い欲望のために手段を選ばない人間がこの世にはいることも知っている。そんな奴らにもし女の姿をした烏天狗が見つかったらと思うと恐ろしい。
烏天狗ほど強くはないが、詠もワイン二杯程度ではさすがに酔ったりはしない。
しかしせっかくの夜をもやもやとした気持ちで過ごすのも嫌で、詠はボトルを掴むと空になったグラスになみなみワインを注いだ。
そのまま一気に煽ると、芳醇な香りと酸味が口の中に広がる。
「……別に、今回はたまたま嫌がらせのためにあの姿になっただけで、普段は滅多に姿を変えるなんてことはない」
「ほんとに?」
「こっちに来る時は物品のやり取りをする時くらいだ。そもそも顔を合わせないことも多い」
「まあ、烏天狗さんがそう言うなら信じますけどぉ~」
心配半分と、自分の知らない姿を他の人に見せている嫉妬半分。しょうもないわがままを、さらにワインで喉の奥に流し込む。
気がつけばワインボトルは一本空になっていて、詠は二本目に手を伸ばす。が、それを烏天狗が遮った。
「烏天狗さん?」
「今日はここまでだ」
「え~っ、まだ全然平気だってば」
「他にやることがあるだろう?」
「他に……?」
ワインを飲み、ケーキを食べ、あとはシャワーを浴びて寝るくらいだろうか。わずかに酔いの回った頭でぐるぐると考える。
「クリスマスの夜は恋人同士がセックスする日だと聞いた」
「はい?」
「だから逃げた女の代わりにお前が相手しろって言われたんだけどな」
「ーッ!! やっぱりそういう話になってる!!」
勢いよく席を立ち、詠は烏天狗の方へと詰め寄る。
「だめだめ! 烏天狗さんはもう一人で人間界にきちゃだめ!」
「お前絶対酔ってるだろう」
詰め寄る詠の肩を押して、烏天狗も立ち上がる。
意識はしっかりとしているし足元がおぼつかないわけでもない。深く酔っているわけでもないけれど、今日はなんとなく気持ちの収まりが悪かった。
「ほら、詠」
ぐいぐいと烏天狗に押されて気が付けばベッドの前まできていた。
「まだ全然寝るような気分じゃないんですけど!?」
「誰が寝かせるって言った」
「え……?」
そう言えば一体なんの話をしていたのだったか、というところまで考えた辺りでいつの間にか烏天狗の顔が目の前まで近づいていた。
射るような強い視線が目前で伏せられ、次の瞬間には唇の上に柔らかい感触があった。
「ん……」
キスしている、と頭では理解していた。
なぜ、どうして、と思いつつもすっかり馴染んでしまった感触にすぐに流される。
濃厚なワインの味のするキスに酔いしれて、今まで考えていたことが全て吹き飛んでいった。ふわふわして気持ちがいい、このまま烏天狗に抱かれたら、たぶん、もっと気持ちがいい。
「ぁ……」
烏天狗の手が詠の体の上を這い回り、服を脱がせてゆく。
上を全部脱がされたところでベッドの上に押し倒され、この先に待つ快楽の予感に詠は目を瞑った。
◇ ◇ ◇
「……喉かわいた」
散々烏天狗に抱かれたあと、意識を飛ばしてそのまま眠りについた詠が次に目を覚ました時、辺りはまだ薄暗かった。隣では烏天狗が静かに眠っている。
時計を見ると午前一時を過ぎたところで、いつの間にかクリスマスの夜は終わっていた。
「おかしな一日だったな……」
サンタクロース、クリスマスケーキ、女体化、ワイン、セックス。様々な記憶が詠の中でぐるぐると回っている。
別にクリスマスだからといっても、烏天狗があの調子なのでなにも期待はしていなかった。
しかし実際はクリスマスケーキを食べてワインも飲んでセックスもした。
ただの偶然、たまたまそうなっただけ。
(恋人、か……)
その後の言葉が衝撃的でうっかり流してしまったが、確かそんな単語を聞いたような気もする。
自分が烏天狗にとって特別な存在であることは認識しているけれど、日々の中で明確に感じられることはほとんどない。
だから今日この夜に、いつもよりたくさんのものを貰ったような気がして、詠は信仰しているわけでもない神にそっと感謝した。