invitation「ガス爆発だ。お気の毒にな」
真っ黒な骨組みだけ残して燃え尽きた紅茶屋の前で、小太りな刑事が立ち尽くしている小柄な男の肩を叩いた。
モルテ・アッリデーレ。毎週この店に顔を出す紅茶好きの常連客だ。彼はゆっくりと刑事の方を向くと、「いつ?」と小さく質問を返した。表情からは何も読み取れないが、声色にはほんの僅かな動揺が滲むのが感じ取れた。
「昨晩ズドンと。そのまま燃え広がって、朝方やっと鎮火した。店主のノックスは病院に運ばれたが、重度の火傷と……肺をかなりやられてるらしい。助かるかは、わからん」
「この店にガスは引かれていないはずだけど」
「ああ。そうだな」
「で、ガス爆発?」
「ああ。不運な事故だ」
刑事は空を仰いだ。深く追求せず、口に手を当てて何やら考え始めたモルテに、刑事は腰のポケットからあるものを出して強引に手渡した。そのまま顔を近づけて、小声でこう告げる。
「現場に落ちていた」
「!」
刑事の手が離れてそれが視界に入った瞬間、モルテは眉を顰めた。熱で多少変色していながらも、鈍く光る一枚のコイン。そこに刻まれた文字を、彼は知っている。
「今件、事故処理だ……表向きは」
ぽん、ともう一度肩を叩く。これ以上は何も言えないぞという意思表示だった。
「わかった。わざわざ教えてくれてありがとう」
「渡しておいてなんだが、ソレに首突っ込む気なら、もう悠長に茶なんて飲んでらんねえぞ。アッリデーレ」
「わかってる」
刑事はじゃあなと背中を向け、「事故現場」の調査に戻っていった。それを見送りながら、モルテは受け取ったコインを静かに静かに握りしめる。
普段なら焼きたてのスコーンの香りが漂う通りに、焦げ臭さだけが残っていた。
ーーー
『おかしいな。民間人を巻き込むなんて、彼ららしくない』
イヤホンの向こうから聞こえる情報屋の声に、ぐつぐつと湯を沸かしながらモルテが質問を返す。
「あの店がこちら側である可能性は?例えば……茶葉の他に、何か裏で流通させているものがあるとか」
『や。ノックス・ティーハウスはひと通り調べたけど、真っ白。開業までの苦労なんて、泣けてくるぞお〜。聞く?』
「……」
『ああ。無視。泣けてきた』
モルテは気にせずティーポットに沸騰したお湯を注いで、蓋をする。隣の砂時計をひっくり返して、ソファに深く腰掛けた。
「僕のごたごたに、あの店を巻き込んだって可能性は?」
『心当たりが?』
「無限にある気がして、困ってる」
『だよなあ。それにしても、何が目的だ?堅気相手にあそこまで派手にやられちゃあ、流石に警察も静観できないぞ。カデシュに対する風向きが……いや、それが目的か……?』
「……」
モルテは、おもむろに脇の引き出しを開けた。先日届いたばかりの封蝋が押された黒い封筒を取り出すと、既に封が切られているそれをひっくり返した。
金属音を鳴らして転がり落ちてきたのは、指輪と、1枚のコイン。指輪は机の上でくるくる回り、コインはそのまま足元に転がり落ちていった。それを拾い上げて机に置き直したモルテは、次にポケットから先ほど刑事に渡されたコインを取り出すと、その隣にパチンと並べた。
全く同じデザインのコインだ。古代エジプトの文字が刻まれた、世界最大の暗殺組織「ホテル・カデシュ」の紋章である。
「勝手に僕の名前で申請されて、身に覚えのないコインと指輪が届いたと思いきやこれだ。“ガス爆発”も実は君が関わっているんじゃないのか?」
『あ!?失礼な奴だな!俺はお前の身を案じて!いっちばん安全な場所をだな』
情報屋の言い訳を半分聞き流しながら、モルテが指輪を掴んで見上げた。
ホテル・カデシュは老舗の高級ホテルで、裏社会の人間を招くアウトローな社交場でもある。殺しが禁じられているこのホテルの中は裏社会の人間の聖域。引退してからも時折命を狙われるモルテにとって、家よりも安全な場所であると情報屋は力説した。
コインと同じ紋章が刻まれたこの指輪はホテル・カデシュの会員証であり、裏側には会員番号が刻まれている。情報屋が一ヶ月前にモルテに黙って申請したもので、つい最近届いたばかりの指輪だ。
『お前の番号は20150。下級会員だ。上級になりたきゃ……』
「なる気はない。僕は一応引退した身だ」
『組織に飼われるのを引退しただけだろ、実質。お前はいつも──』
ブツ、と会話の途中で通信を切った。気だるそうにため息を漏らしながら、再びソファーに沈み込む。
既に砂時計が落ち切ったことにモルテはまだ気付かない。
「巻き込んだのか。それとも、巻き込まれたのか。……その両方か」
もしも自分が通っていたせいであの店に危害が与えられたのだとすれば、詫びをしなければならない。そうでないのなら、身近で何が起きているのか確認しておきたい。
お気に入りの店と仲のいい店主を傷つけられたことに対する復讐心はない。ただモルテは、自分の近くで起きている事件を把握したがる傾向にあった。
「結局こうなるんだな。引退って思ったより難しい」
視界の外で、ティーポットの中身がどんどん暗くなっていった。