premier「舞踏会?」
「うん。王様と王妃様は開始一発目のダンスお披露目があるからよろでーす」
「はぁ!? 聞いてないんだけど!」
「言ってないからね。あんまり前から言うとプレッシャーで倒れるでしょ」
おれの性格をよくわかっているトド松の優秀さは大変喜ばしい。喜ばしいけど、色々準備をしたかった。聞けばもう一週間ほどしかない。
「ダンスの練習とかドレスとか……!」
「王妃様、元々王族でダンスはできるでしょ? 衣装やら小物やらはこっちでちゃんと用意してるし大丈夫ですよ~」
じゃ、ボクは休憩がてらラテ飲んでくるんでと何事もないように去っていった。
◇
「ちょっと」
「おお、クイーン。どうしたんだ?」
とりあえず執務室にいたキングを捕まえて真偽を確認する。まぁトド松が嘘をつく理由もないんだけど、嘘であってほしいという願望から確認せずにはいられなかった心情をわかってほしい。
難しそうな顔して机に向かってたキング――カラ松は、おれの顔を見るなり瞳を輝かせた。
「舞踏会やるって本当なの?」
「トド松に聞いたのか? 一松にはオレが直接伝えたいと言ったんだが、トド松が良いタイミングで自分が言うからと口止めされててな」
「いつも勝手な行動するくせにそういう時に限っておまえは……! で、ダンスのお披露目ってなに?」
目の前の男が、よくぞ聞いてくれた! とばかりに得意気な表情で立ち上がる。
「クイーンが来て初めての舞踏会だったな。わが国では、開幕は必ず王と王妃のダンスではじまるんだ。絢爛な衣装を纏った国の象徴であるふたりのダンスを、参加者たちが恍惚の表情で見つめる。どうだ、すばらしいだろう?」
「え? は? おれたちだけが踊ってるところを? その場にいる全員にガン見されるってこと?」
「そのとおりだ!」
いやいやいや冗談じゃない。みんなの前で踊るだけでもキツいのに、何が悲しくてしょっぱな全員の視線を浴びなきなきゃいけないんだ。
「あのさぁ、おれたちへの代替わりを期にその決まりなくしたりしない……? 時代は平等だって。みんな同時に踊り出せばいいじゃん」
さすがに王へ嫁いできた時点でダンスが避けられないのは覚悟している。せめて少しでも見られない方向を探りたい。参加者も自分がダンスしていれば相手に夢中で周りのことなど気にならないはずだ。
「それはないな! 王と王妃のダンスで始まるのはこの国で二四〇年続く伝統なんだ」
伝統と、一国の王から誇らしげに胸を張られればもう何も言えない。観念するしかないのか……。
「それに、王妃の初めての舞踏会では……」
「え?」
「いや、なんでもない。当日が楽しみだな!」
◇
なんだかんだであっという間に舞踏会の日が来てしまった。
腐っても王族、ダンスの練習は子供の頃から嫌というほどしてきたのでしばらく踊っていなくても体が覚えている。
キングとは結婚披露の祝宴で踊ったきりだったから簡単に動きを合わせる練習をした。あのときはいっぱいいっぱいで緊張していたのであまり覚えてないけど、大失敗した記憶はないからそれなりにうまくいったのだろう。
今、観客のいない広間では腹が立つくらいすべてのタイミングが自然に合う。
「やっぱりクイーンと踊るのは楽しいな!」
「……なんか、すっごく踊りやすい」
「オレたちの相性が最高ってことだろう」
何か言っているけど聞こえないフリをする。これだけ至近距離で無理があるのは重々わかっているが。
「お取り込み中しつれいします! キング、チョロ松兄さんが急ぎの決裁があるって探してたよ!」
「十四松か。一松すまない、練習が途中になってしまったが」
「こっちはいいって。早く行ってあげて」
正直返答に困っていたから助かった。律儀に謝るカラ松に手を振って一息つく。
「練習、おつかれさまー!」
「ありがと、十四松。おまえも舞踏会出るんでしょ?」
「うん! ふたりのダンス、楽しみにしてるね!」
「プレッシャーが……。おれたちのことはいいから自分のほうを楽しんでよ」
十四松には同じく城内で働いている彼女がいる。当日は一緒に踊るのだろう、えへへとはにかんだ笑顔を見るとほっこりした気分になる。たぶん弟がいたらこんな感じなんだろうな。
それからも招待客のリストに目を通したり決まりごとを確認したり何かと忙しかった。
本来この国主催の祝い事やパーティーなどは王妃が采配するのがならわしだ。今回は初めてということでキングや臣下たちが準備してくれたようだったが、今後は
おれが主導でやらなければいけないのかと思うと軽くめまいがした。
◇
そうこうしているうちに舞踏会当日。早朝から精鋭侍女たちによる手腕にされるがままだった。
目にも止まらぬ早さで動く彼女たちの手は神がかっていて、いつも眠そうなおれの目まで心なしか大きくみえる。
どんな魔法を使ったのか、頬に触れるとビックリするほどもちもちすべすべ肌になっているし、連日緊張で寝不足だったのにも関わらずすこぶる血色がいい。
ドレスのデザインは白を基調としたいつもの正装と同じだったが、舞踏会ということでなんだか全体的にきらびやかになっている。
「王妃さま、こちらは透明度の高い宝石が縫い付けられてます。いつもより重くなってるので気をつけてくださいね」
十四松の恋人である彼女は、今回王室お抱えのデザイナーと相談しながら衣裳の準備に向けて奔走してくれた。私たち衣裳班の自信作です、と微笑む顔にすこし緊張が和らぐ。
みんなに手伝ってもらいながらドレスに袖を通すと、なるほど、普段よりずっしりとしている。
ドレス自体が元々重いうえに今回の装飾でさらに動き回るには向かないものになっていた。果たしてこれでダンスができるだろうか……?
王冠はさすがになく、軽量なティアラになってるのは幸いだった。それでもこのティアラもすごい価値があるんだろうと一目でわかるくらいまばゆい輝きを放っている。
「おーっ、いちまっちゃん! いい感じじゃん!」
「王妃をいちまっちゃん呼ばわりするな、おそ松」
「カタイこと言わないでよチョロ松ぅ」
「お疲れさま。ふたりは今日警備だよね」
「そそ。今日出ると特別手当て出るって言うからさぁ、べつに踊るような相手もいないし稼げるときに稼いどかなきゃね」
「まぁ、僕が出ないとこいつらをまとめられる人間いないし」
「いや、ヘタレてレイカ誘えなかっただけでしょ」
「うるせえな! あとレイカじゃなくてにゃーちゃん!」
おそらくおれの準備の様子を見にきたであろうふたりがケンカを始めてしまったので放っておいて大広間に向かう。ドレスは重いけど、まぁダンスも想定されてるくらいだし一人で歩けなくはない。
「いちまつ!」
駆け寄ってきたキングに突然抱き締められる。ドレスの装飾が外れてしまうんじゃないかとか心配しつつも、突然のことに心臓が早鐘を打つ。これはなに、なんなの一体。
「ああっ、ごめんな。ビックリしただろう? オレのクイーンがあんまり綺麗で感激してしまった」
「な……っ。恥ずかしいこと言うなよ」
「愛するひとが美しいことを褒めるのは、恥ずかしくなんてないぞ」
「おれ自体はいつもと変わらないよ。みんなが頑張ってくれたぶん華やかに見せてくれてるだけだし……」
「みんなが頑張ってくれたことは喜ばしいし、ちゃんと感謝できるのはおまえのいいところだよな。そして全部ひっくるめて目の前の一松が最高なんだ。オーケー?」
飛びつくように抱きついてずれかかったんだろう。おれのティアラの位置を直しながらカラ松が聞く。
「……ぜんぶじゃないけど、わかったことにしとく」
「うん」
慈しむような目で微笑まれるとなんだかそわそわして落ち着かない。
「そろそろここも招待客が入ってくるだろう。少し早いが控えの間に行っていようか」
「ん」
「エスコートしよう」
手を差し出されて反射的に手をとる。これはドレスが重いから。これから大勢の招待客の前で踊る練習だから。誰にともなくいいわけをしながらゆっくり歩いた。
◇
扉の向こうの大広間がざわついている。浮き足立った空気や笑いさざめく声が聞こえてきて、帰りたくなってきた。
「緊張してるか?」
「そりゃそうでしょ。おまえはしてないの?」
「オレは楽しみの方が大きいぞ。クイーンとの初めての舞踏会だからな」
「結婚式や祝宴もやったのに。そんなに舞踏会って楽しみなもん?」
「結婚式ももちろん大事な思い出だが、まだオレもおまえもお互いのことよくわかってなかっただろう? 気持ち……とか色々、繋がったいま一松と踊れるのが楽しみで仕方ないんだ」
色々とか言うな。途端に全身がカッと熱くなったのを感じる。せっかくしてもらった化粧も汗で落ちてるんじゃないか。
「大丈夫、綺麗だぞ!」
「心を読むな」
重厚な弦楽器の調べが耳に届く。
「いよいよだ。お手をどうぞ、オレのクイーン」
恭しく跪いて上目遣いでおれを見つめる。エスコートのためとはいえ、一国の王が軽々しく跪くなと言いたい。ここにおれたち二人しかいなくてよかったと安堵しながら、今度こそ正面から視線を受け止めて手を差し出した。
キングに連れられて大広間の中央まで歩み出た。
絢爛なシャンデリアの灯りに照らされたカラ松はきらきらと輝いている。さっきは直視できなかったのに不思議と今はこいつから目が離せない。
おれと対のデザインの衣裳がこれ以上ないくらいこの場で映えている。ダンスがしやすいようにいつもより少し短めの、でも同系色の見事な刺繍が入ったマントがキングの堂々した立ち姿に似合っていた。絶対に口に出してやらないが、格好良いと思ってしまったことがとてつもなく悔しい。
「フフーン。オレに見惚れてたか?」
「……うるさい」
カラ松のほうも重いクラウンは冠せず、サングラスだけ額のあたりにかけている。よく見るとサングラスまで装飾が施されていて危うく笑いそうになった。
「ちょっと、そのサングラス」
「いいだろう? 特注品さぁ」
小声で得意そうに、ちょっと浮かせてみせるので余計ツボに入ってしまう。こんな大勢の前で声をあげて笑ったらアウトだ。でも、笑いを堪えていたらいつの間にか緊張がどこかにいった気がする。
オーケストラの音がやんで、一瞬の静寂の中おれたちへ視線が集まるのを感じた。ヴァイオリンのソロから始まった旋律は徐々に厚みを増していき、うつくしいハーモニーが生まれていく。軽く握られていた手に少し力が入ってキングと目が合うと、それを合図にしたようにステップがはじまっていた。
何も考えなくても自然に手足が動く。まるで呼吸をするように、それが当然であるかのように。あんなに重かったドレスが嘘みたいに軽くて、今日が憂鬱だったのが信じられないくらい心が躍っている。
大きくターンをしたところで足がもつれて、あっと思った瞬間カラ松がおれの腰を強く引き寄せて支えた。顔と顔が触れあうほど、ちかい。大丈夫だ、とそのまま囁かれて耳が燃え上がるかとおもった。
周りから小さく抑えた歓声と、ほうというため息が同時に聞こえてきて相当いたたまれない。
何事もなかったようにダンスが進むので、アクシデントがまるで最初から決められていた一連の動きだと思われたはずだ。
王宮お抱えの楽団もさすがの実力で、今の流れをクライマックスと受け取ってさりげなくテンポを上げてきたのがわかる。また曲に呼応するようにカラ松の動きも力強さを増して、おれもそれに合わせてついてゆくと演奏も最高潮に盛り上がった。最後の一音と同時にポーズをとると、目の前に顔が近づいて……近づいて?
ちゅっ。
唇の感触に目を見開く。
今度は、わぁっと大きく歓声が上がった。何が起きたかわからない。この場でやつを殴らなかったのは場の空気を読んだからなどではなく、放心していたからだ。
エスコートされるままに控えの間に戻ると、やっと我に返った。
「おっまえ人前で何やってんだ!」
「おつかれでーす!」
おれの怒鳴り声と同時にトド松が入ってくる。
「はいはい、王妃さま。怒る前にいちおう聞いてね。舞踏会でファーストダンスを踊ったあと、キングからクイーンにキスを贈るのが伝統でーす」
「は……伝統?」
なんだそれ。なんだその意味わからん伝統。
「聞いてないんだけど!?」
「言ってないからね。先に言ったら王妃さま絶対出なかったでしょ」
それはそう。あとなんかこのやりとり既視感あるな。
あまり納得はいってないけどまぁ百歩譲って伝統だとして、目の前のバカキングは義務でやったってことね。
「キングに舞踏会のこと言わせるとそのことまで口滑らせそうだからね。口止めしてボクのタイミングで伝えるの大変だったんだよ」
「……ふーん、そう」
「ドゥ――ン!」
「わっ、十四松兄さんなに!」
突然入ってきた十四松にビビりのトド松が文字通り飛び上がる。
「王さま、王妃さま! ダンスきれいだったね! みんなすっごく盛り上がってたよ!」
「あ……ありがと。というかおまえ、彼女はどうしたの」
「侍女のお友だちと話してる! あのねえ」
おれの表情を見てすべてお見通しのような顔でニッコリ笑う。
「ファーストダンスのあとに贈るキスは、大体手だよ!」
「て!?」
「うん。手の甲か、おでこかな」
「そうなの!?」
さっきから黙って聞いていた、心なしかうれしそうなキングにつめよる。
「そうだな! でも一松が、時代は変わってきてるからオレたちの代で伝統を変えても……って言っただろ? 前例なんて関係なく、オレの好きな場所に贈ろうって決めたんだ」
「へ? 前例ないの?」
「オレが知ってるかぎりでは、唇はないな!」
「え……うぁ……」
「はぁ~! もう、こういう空気になるってわかってたからあとで言おうと思ってたのに、十四松にいさん!」
「うん、そうだと思って今言いにきた!」
晴れやかに笑う十四松と腰に手をあてて怒るトド松を前に思考がまとまらないでいる。
「ここまでわかっちゃったから言うと、当代のキングとクイーンはラブラブで情熱的だってみんなキャーキャー大騒ぎしてましたね」
「王さまと王妃さま推しカプになったって言ってる子たちもいたね」
「おし、かぷ……?」
なんだかよくわからないし恥ずかしいけど、好印象を持たれたなら主旨としては成功なのか?
「じゃあぼくも踊りに行ってくるね! ごゆっくり!」
「まあ、あとは最後の挨拶に出てきてくれればいいんでしばらく休憩しててください。キング、わかってますよね? まだ出番ありますからね!」
「あ、ああ。我慢するように頑張る」
なにを我慢するのか。今こいつとふたりだけで部屋に残されるのはなかなかにきつい。ぱたんと扉が閉まったあと、あたりに静寂が広がった。
「一松、黙っててごめんな」
「トッティに言われてたんでしょ」
「そうだけど、内緒事はいい気分しないだろ?」
「というか今はそれよりも……キス、の」
「みんなの前で恥ずかしかったか? でも、オレだけのクイーンだってあの場で言いたかったんだ」
「……おれがおまえの妃だなんてみんな知ってるでしょ」
「立場としては知ってるだろうさ。そうじゃなくて、ちゃんと愛し合っていて名実ともにオレの大切なひとということを国中に知らしめないとだろう?」
そんな牽制みたいなこと。キングの妃に手を出そうなんて不敬すぎる輩はそうそういないだろうし、しかもその対象がおれだから尚更ありえない。
「まぁ、国のトップが仲睦まじいように見せるのは民の感情的にも外交的にもいいことか」
「ように見せる、じゃなくてトゥルース! 真実だろう!?」
わざとらしく言うと、へにゃりと眉を下げて反論するのがなんだか可笑しい。そうやって、おれとふたりの時くらい肩の力を抜いたらいい。
「いちまつ、今夜は覚悟しておけよ」
「えっ、は?」
「締めの出番がなかったらこのまましたいくらいだ。おまえはいつもかわいいけど特に今日はキラキラしててさっきから堪えるのが大変なんだ」
「もういい、黙って」
てのひらで口を物理的に塞ぐ。
両手が伸びてきて剥がされたと思ったらそのまま手の甲に口づけされた。
「こっちのほうの伝統も、せっかくだからやっておこう」
みんなが見てるときと見てないときが逆だろ。こいつにはもう何をやっても勝てる気がしない。
とりあえずキングは一回殴って、これからまた広間に出るまで熱い顔をなんとかすることにした。