Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    z_jousan

    @z_jousan

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 46

    z_jousan

    ☆quiet follow

    ポイピク版

    桜射るは春の宵闇 辺りは一面の異空間の春だった。
     蓄光グリーンの桜なんて、江戸にも京にもありゃしなかった。中空を泳ぐ魚、螺鈿か金粉か、空気にピクシーダストが舞うさまは、極楽のようでも二日酔いの最中に見る悪い夢のようでもある。
     客の合間を縫って酒を配り歩く給仕の女たちは、あらゆる種族の美女を集めたと言っても過言ではない華やかさと妖艶さだ。意味ありげな視線で追うと、幾人かの女はバサリと音がしそうなほど豊かな睫毛を羽ばたかせ、流し目をよこした。
     まさに混沌。こんな馬鹿な夢みたいな情景は、この惨遊館くらいでしかお目にかかれまい。だが、ケバケバしく浮かれたこの気持ちは美味い酒のせいだけではないだろう。
     春だから。春は人の心を酔わせる酩酊の季節だ。宵闇に桃色の霞が蕩けて、酒精に痺れたばけものが歓喜する。
     生が蠢き、死が踊る。
     春とは、そういう季節だ。

    ***

     「いつの世も困窮してるのよ、武士は」
     惨遊館に来てからいつの間にかつるむようになった鎧武者が、俺の隣でそんな冗談をこぼした。彼の月代の頭と喉元に突き刺さる矢は、見ようによっては悲壮感すらあるのかもしれないが、俺にはそんなに悪くなく思える。だってそいつは、戦って死んだ証じゃねえか。
     そんな男が呟いた冗談は、おかしな真実味をおびていた。この男は、何に困窮し、何のために戦ったのか。
     俺は歯をむき出して笑った。紫色の光線みたいな照明が目を差した。

     「武士道、ケチだなー」
     ああ、そうさ。武士道ってのは、いつもつまらねぇところでしみったれる。嫌になるくらい。
     そのケチな武士道にしがみついていた俺の親父はどこぞの旗本の次男坊で、石部金吉を絵に描いたような男だった。旗本の次男三男というのは惨めなもんで、基本的には跡を継いだ長兄のもとで肩身の狭い部屋住みだ。
     父はそれを申し訳なく思い、家を出て居合道場を開いたと言う。親父の腕はまあ、それなりだった。仕方あるまい、泰平の世を享受する江戸において剣術なんてものは、帯刀を許されたひと握りの身分のための、見栄とお遊びみたいなものだったのだ。
     俺は一度はそれを継ぎ、それから捨てた。居合の道場も、まっとうな剣術も、武士道も。

     それから俺は「人斬り」になった。

    ***

     枯山水のステージで歌い続けるセイレーンの声に浮かされて、一時思考が飛んでいた。過去の思い出話に浸るなどらしくもないが、幻想で惑わす種族の歌声の中にいるのだ、俺も頭がおかしくなりかけているのかもしれない。
     気を変えようと、酒のつまみに買った串焼きの肉を食いちぎる。塩気のある汁が溢れて美味いが、これは何の肉なのだろう。
     鎧武者がじっと眺めてくる。幽霊らしく、などと言うと皮肉になってしまうが、彼は物に触れられないので、飯も食えないという。もったいねぇ、というか、仏さまも底意地が悪いぜ、というか。
     「ここの歌はあんまし聴きすぎると、パーになるらしいぜ。頭が」
     「誠か」
     鎧武者は聞き返す。半信半疑、といった眼は妙に冷めている。いっそ平静そのものではあるが、その奥で血が極限まで沸騰したことのあるような、どろりと粘りのある光を見つけて俺は少しばかり喜んだ。時代の動乱の渦へ巻き込まれ、狂気を浴びた者は大抵こういう目付きをしている。
     馬鹿話をだべっている時も、時折真剣な会話を交わす時も、僅かに隠し果せることは出来ないその光を、恐らく俺だけは確実に見抜いている。
     アンタは、人を斬ったことがあるだろう。

    ***

     「そろそろ仕事の時間なんだよね」
     グッと伸びをして芝生から立ち上がる。座ったままの鎧武者は俺を見上げて、ぽつりと
     「お主、ずいぶんのんびりしていたが、大丈夫なのか?」
     と問うた。別に、俺が仕事に遅刻することを心配をしているわけではあるまい。
     「どうだろうねぇ」
     適当に返事をすれば、呆れたんだか納得したんだか、というように息を吐く音がした。
     ケミカルな光の満開の桜の下で、刀を軽く振って、落ちてきたひと枝を手に受けた。花びら一つ一つすらが、淡くぼんやりと光を放っている。別れ際の挨拶がわりに、桜の枝でも土産に渡してやるか、と呑気なことを考えていたが、やめた。今更それが無理なことに気がついたのだ。
     どちらにせよ、この鎧武者の男に桜の枝を渡したところで喜ばないだろう。おそらく彼は――昔はどうであったかは知らないが――こうやって気軽に手折ったものを手放しに喜んだりはしないだろう。
     それが人でも植物でも。

    ***

     俺は人を斬ること自体を楽しんでいたかと問われれば、否と答える。人を殺すことが楽しいのではない。激しい剣戟の中、相手の魂に直接爪を立てるような、俺の命に相手がギリギリ掠めるような、そういう感覚が欲しいのだ。闇討ちも、まあ今まで何回かはしたが、出来うる限りは互いの魂を天秤にかけた、命懸けの博打がしたい。
     俺にはそれが必要なのだ。それを鎧武者――矢兵衛さん――は、恐らく察している。察した上で、特に何も言わないのだから、俺も何も言わないし釈明もしない。理解はし難いだろうが、「そういうもの」と許容はしているのだろう。つまり、見なかったことにしてくれている。
     秘密があることを知りながら、その秘め事に踏み入らない関係というのは心地が良い。良い具合に無責任で、ちょうどいい塩梅に信頼出来る。もしも、それが崩れる時が来たら、その時はその時だ。
     桜の散るが如く、終わりはパッとしていれば良い。

     満開の桜の蠢くフロアを後にすれば、先ほどの喧騒はどこへやら、素足の裏に触れるコンクリートの冷たさがさえざえとしている。ぬるい微風が頬を撫でていき、その中に始まったばかりの春の匂いを感じた。なまぐさく、晴れやかで、くらくらと脳を痺れさす狂気の甘さ。
     生が踊り、死が蠢く。
     春とはそういう季節なのだ。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works