駒鳥の葬儀「あなたの命は、恐らくあまり長くはないでしょう」
そう告げられたのは、別に何てことないある晴れた日の、ありふれた午後の事だった。
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「---シェパードさん、ちょっといいかしら」
占いの授業が無事に終わり、他の生徒と同様に退室しようとした私の背に届く声。
振り向けば、窓から射し込む傾きかけた陽の光を背に、オナイ先生が私を見ていた。
逆光で表情が伺えない。
私は、この時先生がどんな表情をしていたか分からない。
けれど、ほんの少しの緊張が、私の名を呼ぶ声に孕んでいた事には気付いた。
「はい、オナイ先生」
いつもの調子で声に応え、先生の目の前で立ち止まる。
追加の課題だろうか。それとも、ナティ絡みだろうか。
先生は私でも分かるほど、普段とはまるで様子が違っていた。
目の前に対峙ている今でさえ、言葉を躊躇うほど。
開閉した口が、苦悶を訴える眉間の皺が、否応なしに胸騒ぎを告げる。
嫌な予感は嫌なほど的中する。きっと第六感と言うものなのだろう。
そんな事をぼんやりと考えながら、私は先生が口にする言葉を待った。
一体どれ程そうしていたのか、きっと体感よりはずっと短いだろうが
先生はやっと観念したように、普段通り私を真っすぐに見据え、そして---
「貴方の命は、恐らくあまり長くはないでしょう…」
---死刑宣告のような言葉を告げた。
「何度も占っては視たのだけれど…」
先生の言葉に耳を傾けてるその傍ら、ナティから聞いていた話を思い出していた。
ナティのお父さんの事も、占いで予見していたと言う。
人の死を予見するなんて気持ちのいい物ではないだろう。
私は想像する事しか出来ないが、先生の苦しそうな表情はそれを優に物語っていた。
何もできない自分を呪い、変える事の出来ない未来を恨み。
見ているこちらの胸が潰れてしまいそうな位、苦し気に先生は謝罪を口にした。
「先生が謝られる事ではないですよ」
苦笑しつつ、肩を竦めて私は言った。そう、先生はただ私の未来を視ただけだ。
「私に出来る限りの事はします、少しでも力になりますから」ですから、他の先生にも---
「先生、」
言いかけるオナイ先生の言葉に、あえて被せて先生を呼ぶ。先生は少しだけ驚き、目を瞬いた。
「この事は誰にも言わないでもらえますか?」
私の言葉に、先生は一瞬言葉を詰まらせ思案した後
「……分かりました」
肺に溜め込んだ重い空気を細く吐き出す様に、先生が言葉を吐いた。
私の意思を尊重してくれた事に感謝しかない。
「ですが、もし力が必要な時はいつでも言って下さい」
部屋を後にしようと背を向ける私の背に、再度先生は言葉を掛けてくれた。
「はい、その時は必ず」
笑顔で会釈して、私は今度こそその部屋を後にした。残り僅からしいこの命を、私はどうやって消費しようか。
出された課題をこなす時の様に、私は高い天井を見上げた。
『誰が駒鳥殺したの?』
(Who killed Cock Robin?)
自分の視た未来が信じがたくて、何度も何度も占い直した。
結果、どれも同じ結末だった。
ある時は蜘蛛から生徒を護り、ある時は密猟者から魔法生物を護り、ある時は困っていた小鬼を助け、ある時は人助けの果てに。
占いの度映し出されるその結果は、過程は違えどどれも善行の末の死で、あの手この手を尽くしても、最終的に誰かの為の行動による結末だった。
(ああ、彼女が彼女である以上、行きつく未来は変わらないのか。)
娘の友人であり、一年ほど前にこの魔法学校へ転入してきた一人の少女。
自身のこの眼ではたまた人伝いに、彼女の善行は度々見聞きしてきた。
多少の無茶や無鉄砲は英雄たる気質なのか。
娘と同様危険に飛び込むその勇ましさは、頼もしくもあり同時に不安でもあった。
学校の危機を救った小さき英雄。大きな脅威を退けたその手腕に忘れかけていた。
彼女がただの、どこにでも居る普通の幼い魔女なのだと言う事を。
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曇りない水晶の前で、力なく祈る様に組んだ手に自身の額を押し当てる。
何度も占い直した。そう、何度も。
けれど少女は毎度誰かの為に命を投げうった。
人助けは彼女の性だ。控えろと言っても、咄嗟の行動は止められない。
正直、この事を告げるべきかとても迷った。
それでも彼女に未来を告げたのは、少しでも最悪の結末を避けられればと考えたからだ。
「でも、駄目だったようね…」
知らず消えるような微かな音が唇から漏れた。
告げた時のあの子の表情で、悲しいかな全てを悟ってしまった。
知った所で変わるのなら、きっとあの子はあの子ではなかっただろう。
危険を顧みず他者の為に動く子だ。最初から分かっていたはずなのに。
「分かったつもりでいただけなのね」
天を仰ぐ高い天井に、先のあの子の表情を思い浮かべる。
まだ、15歳の子どもが見せる表情だった。
どこにでもいる、ただの子どもが見せる普段通りの柔和な笑み。
あの子は変わらない。最期の時まで変わらず、きっと今まで通りに生きるのだろう。
もうすっかり暮れてしまった窓の外、私は空に浮かぶ滲んだ月をただ眺めていた。
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ホリデーもあと数日と迫ったある日の晩、夢を視た。
水の流れる音に辺りを見渡すと、すぐ近くに流れる川が目に映った。それは連日続いた雨のせいで増水し、泥の混じりの濁った色で人に警告を伝える様だった。
(どこの風景かしら)辺りに人の姿は見当たらない。
増水した川が危険だと理解しているからだろうか。
それにしては、胸のざわめきが治まらない。
刹那、微かに鼓膜が音を拾う。
濁流の音に混じる、少し高めの子どものそれ。
子どもが流されている
夢だと理解しつつ、咄嗟に慣れた所作で杖を取り出す。
が、その手は空をきった。杖が、ない。
考えている暇は無い、声の主は上流に居るようだった。
必死で出来る限りの速度で脚を動かす。
少し走ると、その子達は居た。
石造りの橋の傍、岩にひっかかる朽ちた木の幹に辛うじて捕まる幼い少年、と---
「---ああ、ロビン…」
橋の上で少年に声を掛ける数人の子どもの中に、彼女が居た。瞬間、少年の小さな手が木から外れてしまう。彼女が川に飛び込むのはほぼ同時だった。
下流から恐ろしい速度で2人が流れてくる。走って、必死で手を伸ばした。
あの子が子どもを片腕で抱き、もう片方はもがくように空へと伸ばされる。
あと、少し。岸に近付いてくる手を、奇跡的に掴んだ。
「ッ…、ロビンッッッッ」
はずだった。それは呆気ないほど手応えがなく、行き場のない手は虚しくさ迷ったを当たり前だ、これは夢なのだから。
絶望的な目で過ぎて行く2人を見るしか出来なかった。
水に沈む瞬間、目が、合った。
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呼吸を荒くして飛び起きた。じっとり背をと伝う汗、冷えた両手を祈るようにぎゅっと握る。
深く呼吸を繰り返し、ようやく息を整えた。
目があった、最期にあの子と。
「最後の最期まで、やはりあなたは変わらないのね」
笑っていた。違う、私に笑いかけていた。
あなたを案じた、私を案じたのだろうか。
どこまでも底抜けに優しい子だ。人知れず涙か零れた。
窓から射す陽の光を遮る様に黒い何かが影を落とす。
窓辺に寄れば知らせを届けに訪れた一羽の梟が、コツコツと硝子をノックした。
『誰が死骸を見つけたの?』
(Who saw him die?)
『それは私とハエが言った』
(I, said the Fly,)
『私の眼で、私の小さな眼で』
(with my little eye,)
『私が死骸を見つけたの』
(I saw him die.)
(ある川の数キロ先の岸で2人の子どもが見つかった。幼い少年は大きな怪我もなく奇跡的に無事だったそうだ。対して、もう片方の少女は傷だらけで事切れていた。最期まで少年を守ったらしいその少女の顔は、とても穏やかだったと言う。)