ハリポタパロ 没案のため供養一条の光線が、眼前の竜の翼を貫いた。
総士は振り返り、杖を掲げる甲洋の姿を捉える。荒れ狂う魔法と、風に煽られた本や建物の残骸が舞う中、正確に翼に一撃を浴びせたのは甲洋のようだ。
視線が合わさる。二人が抱く懸念は同じだ。竜はこの程度で倒れる程、脆くはない。
「総士、どうする? あいつ倒してもいい?」
「待て来主、下手に竜を刺激するな!」
箒に跨る操を引き留めたものの、どうこの事態に対処すべきかすぐに思いつくわけではない。総士は構えたままの杖を強く握り、歯軋りをした。
今は物理的な風圧と魔法の乱発ですんでいるが、このままでは竜の魔力は暴走し、周囲への影響がさらに広がってしまう。防御魔法で防ぐにも限界がある。せめて強力な拘束術で動きを封じることができれば、落ち着かせることが可能だろうか。総士と、一騎と、甲洋と、操の四人だけで為せるか。竜を拘束する魔法ともなれば、失敗した時の術の反動はおそらく想像よりずっと大きい。そのリスクを取るよりも、助けが来ることを期待して待つか逃げるのが最善か。
「総士!」
一騎が、総士を呼ぶ。自分はどうすべきかと、問うてくる。
その声に応えるよりも前に、竜が闇色の巨体を震わせて絶叫した。
「アアアァァアアァァァァァァアア!」
天を仰いだ竜の頭上に、複雑な紋様の魔法陣が現れる。竜の言語か、人間の知識では解けない紫に光る文字が、二本の槍のような何かを生み出した。
「総士!」
再び、一騎の声。総士は弾かれるように横に飛び、瓦礫の上に着地した。
「離れろ総士!!」
地上にいる総士には見えなかった。自らの足元に、頭上の魔法陣と同じ紋様が刻まれていることに。
空を飛んでいる一騎と操、建物の上階にいる甲洋の三人だけが、見えていたのだ。
「魔法だ!」
甲洋の叫びに、総士は目を見開く。重苦しい竜の叫びが何故か泣いているように聞こえたが、構ってなどいられなかった。
魔法陣から生み出された槍が、総士を貫かんとその切っ先を地上へと向ける。
防御か、逃げるか、いや逃げ切れるわけがない。防ぐしかないのだ。腹を決めた総士が杖に魔力を込めた。
「そうしぃ!!」
槍が、振り下ろされる。とても間に合う速度ではない。総士の魔力が、竜の魔力に敵うわけがない。
魔法に貫かれる姿を想像し、ぞっと血の気が引いた三人の目前で、白い光が弾けた。
正確には――一騎の身体から白い光が放たれ、槍のうちの片方を包み込んだ。
光は槍を包み込むと、収束するように消える。まるで何もなかったかのように、存在が消滅した。
もう一本の槍を、残して。
「一騎だめだ避けろ!!」
今度は総士の声が響いた。先程までと真逆に、一騎を遠ざけようとする。
だが、駆け付けた一騎の手は総士の身体を押し退ける。総士は、自分の身体が吹き飛ばされるのを感じた。ゆっくりと、目の前の光景が流れていく。
「一騎!」
槍と総士の間に、一騎がいる。白い魔力の残滓が宙を舞って、まるで一騎の背から羽が生えているかのように見えた。向かい合った一騎の瞳は、総士を映して微笑む。
『俺たちが総士を守る』
そう告げた、あの優しい決意を宿した瞳と、同じ色で。
「アッ……アァァァァ!!!」
槍が一騎の胸を貫く。だが、槍は傷を負わせるのではなく、まるで一騎の身体に吸い込まれるように身を沈めていった。
「呪い……!」
甲洋の声が、焦燥と驚愕に彩られる。竜の放つ呪いなど、人の身が受けていったいどれほどの衝撃かと、想像するだけで震える。
これは呪いだ。物理的な攻撃ではない。おそらくは精神に何らかの影響を与える類の……最悪の、呪いだ。
「一騎、一騎!!」
倒れてくる一騎の身体を抱き留めて、総士が必死に名前を呼ぶ。甲洋と操も、すぐに二人の傍まで下りて杖を構えた。操も一騎を呼ぶが、荒く息を吐き震えるだけで意識は朦朧としているようだった。
竜に向かって杖を構えた甲洋は、取り乱す総士と操の様子に舌打ちする。一騎を助けたいが、竜をどうにかしない限りこの場から離れられそうにない。竜の咆哮は大気を震わせ、未だ油断ならない状況にあった。
「そう、し……」
か細い声が総士を呼んだ。腕の中で開かれた瞳は、だが総士を捉えることなく、右手が縋る様に胸元を握り締める。
「いや……だ……」
消えていく、と一騎は喉を震わせた。
じわじわと視覚を、聴覚を侵すように、知らぬ声が一騎に語り掛ける。
――僕から大切なものを奪った人間が憎い。だから、僕が人間から大切なものを奪ってやる。
――これは、呪いだ。
「総士……!」
魂と記憶を削られる恐怖が、一騎を襲う。憎い、奪う、と繰り返す声が直接脳に響いて、一騎の中に在る大切な気持ちが黒く塗りつぶされていく。
竜の呪い。古を生きる魔法使いが放つ術に、抗う術は無い。
「甲洋、くるす……」
竜が羽ばたき、巨体がゆったりと空に飛び上がった。羽を貫かれているというのに、その程度の傷など意に介さないとばかりに不安定な様子がない。
地上に這う虫を見るかのような淀んだ目で一瞥した竜は、最後に一鳴きすると何処かへと飛び立ってしまった。
「ックソ……っ」
甲洋は固まってしまって何もできない総士から一騎の身体を奪い取り、横たわらせる。はだけた背中に浮かび上がる紋様は、淡く光りじわりじわりと一騎の身体に染み込んでいく。
「呪いはまだ完成してない」
甲洋は杖を振って、一騎に向かって解呪の呪文を唱えた。授業で習うような簡単なものじゃない。図書館の魔導書に記述の在った、呪いに楔を打って完成を阻む呪文だ。
しかし、一歩遅かった。
「きえ、る」
一騎の瞳が、赤く染まった。心に宿っていたあたたかなソレが、千切れて掻き消されて、どこにもなくなる。
すぅ、と紋様が一騎の中に刻まれて、一騎の心を喰い切った。
「一騎?」
三人を見つめていた一騎は、意識を失ってパタリと力を無くす。弱弱しく呼びかけた総士に、答える声はない。
途方に暮れたように泣き出した操は一騎の肩を掴んで揺らすが、無意味な行動に過ぎなかった。呪いは完成したのだ。一騎は何かを失った。呪いがいったい何を一騎から奪ったのかは、一騎が目覚めないと分からない。
一騎は生きているから、命を奪うような呪いではなかったのだろう。だが、呪いである以上、命を失うよりも辛い何かかもしれないのだ。
「一騎……」
一騎は怖がっていた。奪われることを。
「一騎、どうして……ッ」
どうして僕を庇ったんだと、総士は項垂れる。理由なんてわかってる。納得はできないけれど、そうしてしまう一騎を止める事なんてできなくて。
竜は、いったい何を一騎から奪ったのか。
一騎は生きているのに、焦燥感がなくならない。まるで自分まで何かを失ってしまったかのような不安に、総士は唇を噛む。
早く目を開けて、自分たちに笑いかけて欲しかった。
総士、と呼んでくれる一騎の声を聞いて、安心したかった。