プリーズシングフォーミー ……うたごえが、きこえた。
それは、かつてのコンプレックスだらけの自分を、ずっと支えてくれたうた。
けれど、いつものレコードからではなく。
ほんの少し、オリジナルより低い、落ち着いた声音の肉声だった。
声に誘われるように外に出ると、黒白の男が茂みの向こうで歌っていた。
─── One small step from zero to start again
If we want to be strong have to believe that we can
Just taking one small step to hero to make a change
And start brand new, I’ll be wishing for the same thing I always do
It’s always you
ゼロから再開するための小さな一歩
私たちが強くなりたいのなら、私たちができると信じなきゃ
ヒーローに小さな一歩を踏み出すには、変化を起こすだけ
そして、真新しく始めましょう。私はいつもと同じことを願っているわ
いつも、あなたの未来を
それは、何百万回も繰り返し聴いたメロディ。よく似た声で紡がれる、希望のうた。
たまらなくなって、茂みを掻き分けて飛び出した。
「 うわ、びっくりした。……どうしたの、ニッキーちゃん?」
「 アンタは………… 」
「 うん?俺?……ほら、せっかくニッキーちゃんに特訓してもらったのに、バレちゃったでしょ?おまけに、歌わない君にはわからないみたいなこと言われちゃったからさ〜」
ちょっとブラッシュアップしたくてね。
そう言って、目の前の男はこちらに向き直る。
……そして、一拍置いて。
こちらの感情をすべて理解したような目で、ふんわりとわらった。
「 ……All right, don't look like that. I'm always by my side. I'm thinking of you.(大丈夫、そんな顔をしないで。私はいつでもそばにいる。貴女のことを想ってるわ) 」
かつての歌姫そのままの声で、訛りまでしっかり再現して。
彼はそう言うと、少し背伸びをして頭を撫でてくれた。
たまらなくなって。
自分より少し小柄な男を、抱きすくめた。
全身からふんわりと、甘い花の香りが漂う。
こんなに完璧に、簡単に。
人の心に入り込んでしまう。人の心の、一番やわらかい部分を理解して、欲しい言葉を望む形で与えてくる。
うっかりすると、好きになってしまいそうになるのに、誰もが最初から、彼には揺るぎない一番がいることを知っている。
なんてやさしくて、ひどい男。
折れそうな力で抱きしめられているというのに、眉ひとつ歪めることなく。
指の長い、かっちりした手がやさしくあたまを撫でた。そうして、ささやくように。
「 ♪ All the hope we have is right here in our hands
The future’s left unseen, just an open page
All the strength we need is right here in each of us
With one small step
(私たちのすべての希望はこの手の中にあるの
未来は見えないまま、ただ開いたページ
私たちに必要な強さは全部、私たち一人一人の胸の中にあるわ
小さな一歩として) 」
すぐそばで、そのフレーズをうたってくれた。まるで、子守唄のようだ。
そして、完璧な歌姫の声で、お伽話を読むように語った。
「 The past that never returns and the future that will not return are all yours. I always think of one thing. (戻らない過去も、これからの未来もすべて貴女のもの。私はいつも、貴女のことを思うの。) 」
「 Only About you, my best fan.(私の最高のファンである、貴女のことを) 」
リリアンちゃんが今もしこの場にいたら、そう言ったんじゃないかな。
そんなふうに嘯いて、男はまた頭を撫でてくれた。……ようやく、気持ちが落ち着いて。
腕の中の男を解放する。
「 ……悪かったね、ゲン」
「 うん?何が?……可愛い女の子に抱きしめられて、俺が役得だっただけだよ♪」
じゃあ俺は部屋に戻るから。……ニッキーちゃんも、あったかくして早く休んでね。
そう言ってほほえむと、茂みの向こうに消えていく。
空を見上げると、白い月が照らしていて。
とりあえず、さっきのことは月が見せた幻だったのだと思うことにした。