【シャリシャア】エンドロールのそのあとに 05 週末になり、街まで買い物へ出た。
荷物が多くなるので今日の車はシャアの赤いスポーツカーではなく、シャリアのシルバーグレーのコンパクトカーである。
コンパクトと名がつくものの、その積載量はシャアのスポーツカーの三倍だ。
「スピードならば私の車の方が三倍速い」
そうむくれたシャアを助手席に乗せ、自宅を出発したのが今から三時間ほど前のことだった。
助手席の窓を開け放ち、窓枠に肘を乗せてシャアが風に吹かれている。
危険だと何度言ってもやめなかったので、シャリアはそのうち注意することを諦めた。
「…………」
ぼんやりと窓の外を見つめたまま微動だにしないシャアの横顔を盗み見る。
さらさらの金髪が風に流され、普段は隠れているサファイアブルーの瞳が露わになっていた。
オールバックのようになびく髪をそのままに、遠くを見つめるシャアの横顔は相変わらず美しい。
いつだったかこうしてシャアの顔を眺めていたら「見過ぎだ」と怒られた。
しかし今のシャアはシャリアの視線にさえ気づいていない様子で、ただただ無言で外の景色を眺めている。
「……はぁ」
シャアの様子がおかしくなったのは、先ほど立ち寄った大型スーパーで士官学校時代の友人──ガルマ・ザビに再会したからだろう。
家を出るときのシャアは子供のように、あれを買おう、これも必要だ、と楽しげにはしゃいでいたので、その落差にシャリアは戸惑った。
「……大佐」
小さく呼びかける。
「ん……」
すると風にかき消されてしまいそうなくらい小さな声が返ってきたので、シャリアはひとまずほっとした。
「先ほどガルマ様に言われたことを気にしておられるのですか?」
シャアに対して搦め手を使えば却って厄介なことになると知っているシャリアは、敢えて真正面から切り込んだ。
案の定、確信を突かれたシャアはぴくりと肩を震わせる。
「どうかお忘れください。ガルマ様も突然あのようなことを……困ったものです」
「……困るのか?」
「え?」
「困るのか、君は」
***
行きつけのスーパーで一週間分の食料品と日用品を買い込んだシャリアとシャアは、それらを山盛りに積んだカートを押しながら、駐車場に停めたシャリアの車に向かっていた。
周囲には似たような家族連れの姿も多くあり、シャアは「私たちは彼らの目にどんな風に映っているのだろうかな」と、声を弾ませる。
「シャア……か?」
戸惑い気味に呼びかけられたのは、その時だった。
シロウズではなくシャアと呼びかけられて、シャリアの身体に緊張が走る。
「……ガルマじゃないか!」
しかしその緊張はシャアが親しげにその声に応じたことで、すぐさま緩められた。
シャアにしてはフランクな呼びかけに、シャリアはなるほど、と眉を跳ね上げる。
シャアが手を振る先に視線をやれば、紫の髪をした貴公子然とした青年と美しい豊かな金髪をなびかせた女性の二人連れが、こちらに向かって歩いてくるところだった。
その顔には見覚えがある。
「久しぶりだな、ガルマ」
「君もな。まさかこんなところで君に会えるなんて思わなかった」
「それはこちらのセリフだよ」
ガルマと呼ばれたその青年は気安くシャアの肩を叩くと、嬉しそうに笑った。
ついでちらりとシャリアを見遣り「こちらは?」と、紹介を求めてくる。
シャリアは一歩前に出て、恭しく頭を下げる。
「シャリア・ブルと申します。お初にお目に掛かります、ガルマ様」
「ああ、君が! シャアから君の話は聞いていたよ。ガルマだ。様は付けなくていい。今はただの民間人だからな」
ガルマはそう言うと、シャリアに対して気軽に利き手で握手を求めてきた。
「は……恐れ入ります」
それを握り返しながら、シャリアはちらりとその顔を覗き見る。
ガルマはかつて士官学校においてシャアと同室だった、ザビ家の末っ子だった。
今は軍を離れて民間人として市井に紛れていると聞いたが、よもやこんなところで会おうとは。
「しかし驚いたな。君も軍を辞めたと聞いてはいたが、本当だったのか」
「まあな。君こそ愛しのイセリナ嬢と地球に根を下ろすのではなかったのかな?」
「もちろんいずれはそうするつもりだ。しかし今の僕はまだ何者でない。彼女を幸せにするためには、僕にはまだ経験が必要だ」
「やれやれ……相変わらず君は真面目だな」
「自分の力量は弁えているつもりだ。君と共に過ごして、それがよく分かった」
淡々と交わされていく会話の内容に、シャリアは驚く。
支配欲の強いザビの一族の中においてガルマの存在は異質だと囁かれていたけれど、まさかこれほどだったとは。
「だからと言って、あのガルマ・ザビが昼日中に買い物袋を下げてお散歩とはな」
「むっ……それを言うなら君だって同じだろう? あの赤い彗星がネギの生えたカートを押して歩いているところなど、兵たちが見たら腰を抜かすどころじゃ済まないぞ?」
「はははっ、違いない!」
明け透けなガルマの物言いに、シャアが心底楽しそうに笑い声を上げる。
親しい仲だとは聞いていたが、シャアの経歴を考えればこれは驚くべきことだった。
「……ん? どうした、シャリア? 先ほどから黙ってばかりで」
二人から一歩離れたところできょとんと立ち尽くしているシャリアに、シャアが声を掛ける。
「は……いえ、その、お話には聞いておりましたが、その……随分お親しいご様子でしたので、正直なところ驚いておりまして」
シャリアの動揺をよそに、シャアが「なんだそんなことか」と笑う。
「ガルマとは士官学校で同室の仲だ。親しいのは当然だろう?」
「その割に、君はまったく連絡を寄越してくれないがな」
「なに、君とイセリナ嬢の生活の邪魔をしたくないだけさ」
シャアはガルマとじゃれ合うように軽口を叩き合うと、ふいにガルマの脇に控えた金髪の女性に目を向けた。
それに気づいたガルマが、こそりとシャアに耳打ちをする。
「そういう君こそどうなんだ? その、シャリア氏とは」
唐突に自分の名前が飛び出して、シャリアは首を傾げた。
「……?」
イセリナというのは、先ほどからガルマの脇に控えている女性のことだろう。
確かガルマは彼女と結ばれるために軍を抜け、ザビの名前を捨てたのだと聞いていた。
「どうもこうもないさ。彼は私の大切なひとだよ。君にとってのイセリナ嬢と同じく……な」
「たっ……シロウズ」
「シロウズ……? ああ、今はそう名乗っているのか。しかし、まさか君の口からそんなセリフが聞けるとはな……思いがけず今日は佳い日になった」
「お、お待ちくださいガルマ様」
なにやら勝手に話が進んでいるようで、シャリアは慌てた。
イセリナはガルマの婚約者だ。
それと自分が同じだと言われて、さすがのシャリアも声が上擦った。
「確かに私は彼のマヴであります。誰よりも近くお傍に控え、御身を護りお支えする立場です。ゆえに畏れながら、ガルマ様とイセリナ嬢のご関係とはいささか……」
そこまで言って、ちくりと肌に何かが突き刺さるのを感じた。
「大佐……?」
それがシャアから放たれた哀しみの思念だと気づいて、シャリアは怯えた。
シャリアはシャアのことを、深く想っている。
この世界の誰よりも。なによりも。
しかしそれが男女の仲の如きものであるかと問われれば、シャリアは答える術を持たなかった。
シャアとの暮らしは、快適だった。
心地良い距離感と、穏やかな日々。仕事も学業も順調だった。
同じベッドで寝起きをし、数えるのも馬鹿らしくなるくらい身体を重ねた。
その体温を腕に抱くと安心した。
その安らかな眠りを護りたいと思った。
そう感じた心に嘘はない。
それなのに。
嗚呼、それなのに。
──どうして今更怖気づく?
***
結局その後もシャリアはうまい言い訳を見つけることが出来ず、微妙な空気となってしまったその場はお開きとなった。
「すまなかったな。僕が余計なことを尋ねたばかりに」
ガルマは別れ際までそう言って頭を下げてくれ、シャアは「私の友人に頭を下げさせるな」と、シャリアを睨んだ。
買い求めた荷物を互いに無言でトランクに詰め込んで、車に乗り込んだ。
こんなときでも帰る家は同じなのだ。
そのことを、シャリアは初めて少しだけ苦々しいと思った。
「君は……」
外を見つめたまま、シャアが口を開く。
「君は、迷惑か? 私にあのように想われることは」
相変わらずシャリアと視線は交わさずに、独白のように呟いた。
おそらく答えは期待していないだろう。
期待をすれば、裏切られる。
シャアの背中がそう予防線を張っていた。
シャリアはハンドルを左に切りながら、シャアからそっと目を背ける。
返事を先送りにしても何一ついいことはないことくらい分かっている。
それでも、シャリアはまだそれに答える言葉を見つけられずにいた。
シャアのことは特別だ。
それは間違いない。
けれども、これから先のこと──たとえば将来の伴侶となるかといったことに想いを馳せると、頭の中が霞がかったように曖昧になって、うまく言葉が出て来なかった。
「……私は、君が好きだ」
ぽつりとシャアが呟く。
シャリアの胸のうちにさざ波が立った。
「マヴとして、同じニュータイプとして、あなたのことを大切に想っている。それだけはどうか、知っていて欲しい」
理解は求めず、ただ事実を情報として伝達する。
それはあまりにも孤独で、寂しいことだった。
しかしそれを強いているのは他ならぬシャリアで、その事実にどうしようもなく心がざわめいた。
「……大佐」
ウィンカーを出し、路肩に車を停める。
シャアは振り向かない。
その背に向かって、シャリアは必死に呼びかけた。
「キャスバル」
シャリアの声で初めて紡がれたその音に、シャアが目をいっぱいに見開いて振り返った。
「……シャリア。今、なんと?」
「キャスバル」
シャリアはもう一度その名前を呼んで、シャアの腕を引いた。
「申し訳ありません……あなたにそんな顔をさせたいわけではないのに」
それでもどうしても言葉が見つからないのだと、シャリアは許しを乞うようにその肩に顔を埋めた。
いつもなら触れてくるシャアの腕は、だらりと垂れ下がったままだった。
けれどもシャアはシャリアを振りほどくことはせず、そのままにすることを許してくれた。
優しいひとだ。
こんな自分にも、このひとは慈悲を与えてくれる。
それほどまでに、想われている。
しかしその事実が胸を満たせば満たすほど、シャリアの中では焦燥感が渦巻いた。
──なんだ、これは。
シャリアは服の上から心臓を掴む。
空っぽであるはずのそこで渦巻くものに、シャリアは心の底から戸惑った。
「大佐……キャスバル……」
ただ名を呼ぶことしかできないシャリアを赦すようにシャアは「うん」と頷く。
「家に帰ろう、シャリア・ブル。我々の家に」
やがてシャアはそう囁いてシャリアの額に唇を落とすと、やんわりとシャリアの身体を押しのけた。
「道中、くれぐれも安全運転で頼むぞ」
シャアはそれだけ言うと、シートのリクライニングを倒して目を閉じた。
腕を組み、シャリアに背を向ける。
対話は終わりだと言わんばかりの態度に言い知れない寂しさを覚えながら、シャリアは努めて静かに車を発進させた。
家に着くまでの間、車内は沈黙に包まれる。
君といるとあっという間だとシャアが笑っていた家までの道が、その日はやけに遠かった。