【アムクワ】酒は飲んでも呑まれるな ──やってしまった、と。
アルコールで酷く痛む頭を抱えて、アムロはベッドで項垂れていた。
ちら、と隣を見れば、隣で眠る誰かさんのシーツからはみ出た白い背中が目に入る。
成り行きでカラバに参加することになり、数年ぶりにモビルスーツに乗って戦闘に出た。
ハヤトら懐かしい顔ぶれとも再会をして、多少なりとも気分が昂っていたことは否めない。
「だからって……これはないだろ……」
すやすやと規則正しく揺れる肩。
その上では艶やかな金色の長い髪が、同じように揺れていた。
前髪の下で伏せられたまぶたは同じく金の長いまつげに縁どられていて、それがいつ開くかと思うとアムロは気が気ではなかった。
──隣に人がいて深く眠れるような性分ではないだろうに。
そう思いながらも隣人が一向に目を覚ます気配がないのは、それだけ昨夜アムロが手酷く抱いたからだった。
酒を飲み、口論をして、掴み合いの喧嘩になったところまでは覚えている。
そのあとどういう経緯だったか二人でベッドに倒れ込み、そのままなし崩しに事に及んでしまった。
かなり酒に酔っていたので、細かいところはよく覚えていない。
ただ、相手の肌の滑らかな感触だとか、意外と感じやすいところだとか、好いところを掠めるたびに上がる切羽詰まった声だとかの記憶だけが妙に鮮明で、アムロの脳にこびりついて離れなかった。
「ン……」
隣人が寝返りを打ち、アムロがびくっと肩を震わせる。
起きたか、とそろりと寝顔を覗き込むが、隣人はまだ夢の中のようだった。
露わになった首筋にはどう考えても自分がつけたとしか考えられないキスマークが無数に散らばっていて、情事の激しさを物語っている。
きっと、シーツに隠れた胸から下にもアムロが残した痕が残っていて、さらにその先──相手が「もう無理だ」と叫んで意識を飛ばすまで深くつながりあっていたところは、アムロがしとどに放った欲で真っ白に染まっているだろう。
これが、頼んでもいないのに軍が差し出してきた商売女や、行きずりの相手であればここまで悩みはしない。
艶やかな金の髪。
うつくしい白い肌。
形のよい唇と、尖った顎。
そこから伸びる太い首と、ゆっくりと上下する──喉仏。
そして極めつきはベッドの下に散らばった、暗い室内でもそうと分かる真っ赤な軍服だ。
「はあああああ……」
アムロは頭を抱え、何度目かのため息を吐く。
──ワタクシ、アムロ・レイは、積年のライバルであるクワトロ・バジーナことシャア・アズナブルを抱きました。
認めがたい事実を前に、アムロはもう一度ため息をついた。
* * *
シャアが目を覚ましたのは、それから三十分ほど後のことだった。
その間アムロは飽きもせずにシャアの寝顔をぼんやりと眺めていた。
ここはアウドムラ内に宛がわれたアムロの部屋なので、どのみち出て行く当てもなかったし、逃げたところで狭い艦内だ。
どうせすぐに顔を合わせることになるのだから、意味がないと思った。
「ン……あむ、ろ……?」
「ようやくお目覚めか? 俺の横でよく呑気に眠っていられるもんだ」
さすがに裸のままでは収まりが悪かったので、Tシャツと下着は身に着けていた。
できればシャアにもなにか着せてやりたかったが、そうするためには肌についた汚れを落としてやらなければならず、さすがにそれをする勇気は持てなかった。
「ふふ……昨夜の君があまりにも素敵だったからな」
寝返りを打ち、枕の上で頬杖をつく。
まるで抱いた側のような顔をしているが、シャアは抱かれた側である。
年上だろうが、背が高かろうが、シャアに組み敷かれるなんてまっぴら御免であった。
「昨夜の君は、マウントを取ろうと必死だったものな?」
「そういうあなたは……随分とあっさり、その……俺に抱かれたように見えたが」
ベッドの上で取っ組み合いになり、シャアに馬乗りになったところまでは覚えている。
体格差を考えれば、シャアがアムロを押し返すことなど訳はないだろう。
シャアは未だ現役の軍人であり、アムロは一年戦争以降まともに表をうろつくことも許されないような軟禁生活を送っていた自堕落な軍人なのだから。
「ほう……そう見えるかね?」
「見えるな」
そうでなければ、あのシャア・アズナブルが女役に甘んじることなど有り得ない。
「ふふっ……君の中の私は随分と立派な人物のようだな?」
「ふざけるな」
「どうかな。そのように聞こえたが」
「ちがう!」
「シィ──……大きな声を出さないでくれ。まだ朝ではないのだろう?」
たしなめるようにそう言われ、アムロはぐっと言葉を呑み込んだ。
確かにシャアの言う通り、夜と呼ぶには遅く、朝と呼ぶには早い時間帯である。
不審番を除いては、まだ艦内は深い眠りに包まれているころだろう。
「……地球に降りてきてまだ間もないのに、そういう感覚はあるんだな」
窓にかかったカーテンは分厚く、外が暗いのか明るいのかを判断することは難しい。
「時間を計るのに、太陽の位置を気にする必要はないさ。時間とは、人間が集団で生活するために便利だというだけの指標に過ぎない」
「つまりは慣れの問題だと?」
「そういう君は、随分と地球に染まってしまったようだな」
嘆かわしい、と遠回しに言われた気がして、アムロの頭に血が上った。
「相変わらず、よく口が回る男だ。クワトロ大尉はそうやって、エゥーゴを垂らし込んだのか?」
吐き捨てるようにそう言えば、シャアがひくりと眉を跳ね上げた。
「失敬だな。君も私のことをそんな目で見ていたのかね?」
「君、も?」
うっそりと目を細めて、シャアが笑う。
「ジオンにいた頃は、私のことをそのように言う口さがない連中が無数にいたものだ」
「……俺が、そいつらと同じだと?」
「そこで怒りを表すのはフェアではないな。君が先に売ってきた喧嘩だろう?」
アムロはつい気配を尖らせるが、シャアの言葉にハッとする。
自分が口にした言葉と、シャアが口にした言葉。
そこにいったいどれほどの差があるというのか。
「……すまない。あなたの言う通りだ。品がないことを言った」
そもそもあなたがそんなことをするはずがないのに、と。
謝罪の言葉は、驚くほど素直に口から滑り出た。
シャアはベッドに寝転がったまましばらくアムロを見つめていたが。
「ふふっ……構わんさ。気にしていない」
しばらくしてそれに偽りがないと分かったのか、こちらも素直に謝罪を受け入れた。
あっさりと許されたことに、アムロは少しばかり拍子抜けしてしまう。
シャアとは長いこと命のやり取りをしてきた間柄なので、そもそもこんな風に言葉を交わしていること自体が不思議でしかたがなかったのだが。
「それは……慣れているからか?」
なんとなくシャアの気配が緩んだような気がして、アムロはおずおずと疑問を口にする。
再び揉める可能性もないではなかったが、シャアはあっさりとそれに言葉を返してくれた。
「それもあるが……君のそういったところを見られたのが興味深かったという方が大きいな」
「そういったところ?」
「ジオンの赤い彗星と顔を合わせて怯えていたあの愛らしい少年兵の君は、もういないのだなと思ってな」
「……からかうなよ」
随分と懐かしい話を持ち出されてしまい、アムロは頬が熱くなるのを感じた。
「俺はもう……赤い彗星の名前に震えているだけの子供じゃない」
「だろうな。君は立派な一人前の男になった。だからこそ……惜しい」
それまで柔らかかったシャアの言葉が、僅かに硬さを帯びる。
「……何度言われても、俺の答えは変わらないぞ」
──私と共に、宇宙に上がれ。
シャアはアムロと顔を合わせるたびに、しきりにそう誘った。
「宇宙の……あの無重力の感覚がこわいんだ」
「それだけが理由ではないだろう?」
「……それ以上を言ったら、この場で貴様を殺す」
枕の下に手を入れながら凄めば、シャアはホールドアップをするように両手を挙げた。
「アウドムラの備品を血で汚すのは気が進まんな」
肩を竦めておどけた調子でそう零すのは、これ以上踏み込むつもりはないというシャアなりのアピールだろう。
「それ以外のものではもうぐちゃぐちゃに汚してるけどな」
ゆっくりと枕の下から空っぽの手を引き出してやれば、シャアが「違いない」と朗らかに笑う。
「……あなたも、笑うんだな」
そのあどけない表情を見て、アムロは無意識にそう呟いていた。
「どういう意味だ?」
「別に……そのままの意味だよ」
そうしていると、どこにでもいる普通の若者にしか見えないと。
そう口にすることは、赤い彗星への侮辱になるだろうか。
ついっと逸らしたアムロの顔を、シャアがじっと見つめている。
「……何だよ」
「なあ、アムロ? 起床までにはまだ時間があるとは思わないか?」
シャアの手が、アムロの太ももを思わせぶりに撫でる。
「冗談だろ。性欲処理なら、他の相手を当たってくれ」
「つれないな。ただ処理するだけならば相手など必要ないことくらい、君も分かっているだろうに」
シャアの太い指先が、むき出しのアムロの太ももをつうっと撫でる。
やはりそれは女のものとは違う。
だというのに、アムロは色めき立った。
「……どういうつもりだ?」
そうあやしみながらも、アムロは引き寄せられるようにシャアの上に覆いかぶさっていく。
身体が勝手に動いてしまう。
「ふふ……それは君のここが一番よく分かっているのではないのかね?」
「チッ……」
色素の薄い瞳がアムロの内心を見透かすようにすがめられ、起き抜けでまだ体温の高い手のひらがアムロの胸にそっと触れた。
その熱さに、昨夜の記憶がよみがえる。
しっとりと汗の浮いた肌は滑らかで、少し触れただけで敏感に反応を返して、好いところ突き上げるたびに背を反らして嬌声を上げるこの年上の男を、アムロは昨夜夢中になって抱いた。
酒に酔ってとろりと溶けた目が、触れ合いたいとアムロに訴えてきた。
アムロはそれを拒むことだってできたはずだ。
けれどその選択肢はどうしてだか頭に浮かんでこなかった。
どうかしていると思っても、その誘惑に抗えなかった。
かつてはモビルスーツを戦わせ合い、銃を突きつけ、剣を交えて、命のやり取りをしてきたこの男に。
触れたいと、思ってしまった。
その奥底まで潜り込んで、そのすべてに触れたいと、そのすべてを暴きたいと思ってしまった。
「なんなんだよ、これは」
どうしようもなく、惹かれ合う。
それはかつて戦場に散ったあの少女との間にあったものによく似ていたけれど、決定的にどこかが違うとも感じていた。
ニュータイプ同士の深い交感。
ただそれだけとは説明できない何かが、この男との間に存在する。
「それを確かめるために……なあ、アムロ?」
シャアの腕が、誘うようにアムロの首に絡みつく。
今度のこれは本当にただの口車だと思ったけれど、それを馬鹿げていると振り払う気は露ほどにも湧かなかった。
代わりに、その白い腕に唇を寄せ、赤い痕を残す。
「んっ……待ってくれ、腕は困る。軍服で隠せないんだ」
「初めて見た時から思ってるんだが、あの軍服どうかと思うぞ……?」
「うん。私もそう思う」
だったら服で隠れる場所ならいいのか、と、問いかけはしなかった。
そんなことは身体に聞けばいいことだ。
そう思いながら、アムロはシャアと共に再びシーツの海に沈んだ。