お題「料理」 降谷と食事に行く約束をした。何度も何度も断られ、ようやく取り付けた約束だった。
約束の日は、金曜日。絶対に食事の時間に間に合うよう仕事を終えなければならない。そう己に誓って、赤井は月曜日を迎えた。
だが、その日、事件は起きた。
組織の残党に動きがあり、公安やFBIをはじめとした、各国の捜査機関が総出で討伐作戦を行うことが決定した。作戦の決行日は木曜日の深夜。つまり金曜日である。
「食事の約束、延期しませんか?」
警察庁で執り行われた会議のあと。降谷はそう提案してきた。
作戦の日、何が起きるかわからない。状況次第では、作戦が翌日以降までもつれこむ可能性もある。降谷はそう説明したが、赤井は首を縦に振ることはできなかった。まるで聞き分けのない子どものようだと思ったが、どうしても、降谷との約束は守りたかったのだ。
約束した日。赤井は降谷に告白しようと心に決めていた。
ここで延期してしまえば、次の機会がいつ訪れるのかわからない。赤井は一刻でも早く、降谷に愛の告白をし、そして、降谷の自分に対する気持ちをきいてみたかった。
「いや……延期の必要はない」
「え?」
「食事の時間までに、終わらせてみせるよ」
そう宣言すると、降谷が目を大きく見開く。赤井はひとつ微笑んで、踵を返した。
金曜日に降谷と食事に行くためには、なんとしてでも時間通りに作戦を成功させなければならない。一分一秒も惜しく、赤井はFBIのメンバーが集う部屋へと急ぎ、作戦に向けての準備を進めた。
作戦の計画は順調に組み上がった。だが、組織の残党が引き起こしたと思われる事件がいくつも並行して発生し、各国の捜査官たちは頭を悩ませた。事件は自分たちの都合の良いようには起きてくれない。役割分担はしてみるものの、複数の事件を掛け持ちしていれば、戦力もそこそこ削がれてしまう。
金曜日の作戦内容が洩れている可能性も十分にあり、作戦の練り直しも幾度も発生した。
金曜日は絶対に時間通りに作戦を終えなければならない。そう己に誓っていた赤井は、食事も睡眠もそっちのけで、事件の解決と作戦の練り直しに没頭した。
頼もしい仲間の協力もあり、事件も解決し、残党討伐の作戦もうまくいった。
赤井がライフルを下ろしたのは、金曜日の早朝だった。朝陽が昇りはじめたおかげで、周囲も自分の様子もよく見える。埃まみれの全身を見渡しながら、食事の時間までにシャワーを浴びなければ、などと考えていると、降谷が目の前に現れた。
「降谷君、これで間に合ったな……」
そう呟くと、降谷が泣きそうな顔で、「無理しすぎですよ、赤井」と言った。
初めて見る降谷の表情に、胸がどきりと鳴る。しかしそこで、ふつりと意識が途絶える感覚が広がった。
意識が戻ったとき、赤井の目の前には見知らぬ天井があった。周囲を見渡せば、どこかのアパートの一室であることがわかる。生活感があるので、ホテルではない。そしてどこからか、美味しそうな匂いが漂ってきていた。
しばらくの間。カロリーを無機質に固めたようなバーを食べていただけで、まともな食事をしていなかった。そんな空腹の腹には、刺激が強すぎる匂いだ。もう長いこと耳にしていなかった自分の腹の音を、赤井は久しぶりに聞いた。
布団の上に寝かされていたようで、居心地はとてもよい。このままもうひと眠りしたいと思ったが、まずは今の状況を把握するべきだろう。赤井は上半身を起こす。すると、ほぼ同時に、自分のいる部屋に向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。
扉が開く。扉の向こうには降谷がいた。
「おはようございます」
「……おはよう」
自分のいる布団の横に、降谷が腰を下ろす。
「あなた、丸一日眠っていたんですよ。そろそろ起こそうかと思っていたところです」
「……ということは、今は土曜日の朝か?」
「ええ」
降谷が頷く。赤井は頭を抱えたくなった。金曜日の食事の約束に間に合わせたというのに、まさかこんなことになってしまうとは。
「……君にはすまないことをした」
そう告げると、降谷は、「そんなことより!」と声を荒げて言った。
「途中で意識を失うからビックリしたんですよ! 作戦中にどこか怪我したんじゃないかって! それなのにあなたときたら……」
降谷の反応からするに、降谷と合流したあと、自分は倒れるように眠ってしまったのだろう。降谷のことだ。怪我や病気の類でないかを確かめた上で、ここに運んできてくれたに違いない。
「……ここは君の家か?」
「ええ。あなたを寝かさなきゃと思って、ここまで運んできたんです。あなたのお仲間に聞きましたよ。月曜日からほとんど寝ていなかったらしいですね」
「……そうだったかな」
「なぜ、そんな無茶をしたんですか……」
「どうしても君との約束を守りたくてね」
君との食事を楽しみにしていたんだよ。そう続ければ、降谷が再び泣きそうな顔をする。
そんな顔をしないでくれ。そう願いをこめて、赤井は降谷の顔に手を伸ばそうとした。だが、空気を読めない自分の腹が、盛大な音を立ててしまう。
降谷にも聞こえたのだろう。降谷は表情を緩ませて笑ったあと、腰を上げながら言った。
「……どうせろくに食事もとっていなかったんでしょう? お腹が空いているだろうと思って、朝ご飯を作っていたんです。食べますか?」
「ああ、もちろん。いただくよ」
降谷の後を追うように、赤井も腰を上げて、寝室をあとにした。
台所にあるテーブルの上には、鮭の塩焼き、ほうれん草のお浸し、納豆、焼き海苔、漬物、等々、日本の朝食の代表ともいえる品々が並んでいる。
降谷は炊き立ての白いご飯を茶碗によそい、自分の目の前に置いた。続いて、湯気の立っている味噌汁がやってくる。豆腐とわかめの味噌汁だ。鮮やかな色をした鮭の塩焼きは、皮の部分が少し焦げている。焼き加減としては最高だ。きらきらと輝く白いご飯にとてもよく合うだろう。ご飯のお供として添えられた品々も、箸休めのように置かれたお浸しも、降谷の気遣いが垣間見える。
これまでの人生で、食事に執着したことはなかった。だが、降谷の作ってくれた料理は別格だ。すべてを自分の腹の中に入れなければ気が済まないだろう。降谷が自分のために作ってくれたと思うだけで、心が躍る。歓喜のあまり声が出なかったが、そんな自分の反応をどう受け取ったのか、降谷が控えめな声で言った。
「苦手な食べ物があったら残してください」
「いや、全部いただくよ」
降谷が安堵したような表情を浮かべる。だが、すぐに、降谷は表情を曇らせながら言った。
「ジョディさんに聞きましたよ。三ツ星レストランを予約していたそうですね。ああ、予約はジョディさんがキャンセルしてくれたそうなので心配はいりません。せっかくの三ツ星レストランの食事が、僕の作った朝ご飯になってしまって申し訳な――」
降谷が言い終えぬうちに、赤井は矢継ぎ早に言った。
「いや、俺は、三ツ星レストランで出される料理よりも、君の作った料理が食べたいよ」
自然と強い口調になる。本気でそう思っているのだということが伝わったのだろう。降谷は、「料理といえるようなものじゃないですけどね……」と呟くように言ったが、表情はやわらかく、どこか照れくさそうにしていた。
二人で手を合わせ、「いただきます」と声を合わせる。
二人きりの朝の食事に、赤井の心は舞い上がっていた。赤井が味噌汁のお椀を手に取ると、降谷は言った。
「赤味噌にするか白味噌にするか迷ったんですけど、赤と白の合わせ味噌にしてみました。お口に合うといいんですが……」
お椀を傾けて、熱々の味噌汁を口に運ぶ。優しい味に、じんわりと身体が熱くなる心地がした。五臓六腑に染み渡る、という表現があるが、まさにこういうときに使う言葉だろう。
味噌汁の味ひとつとっても、降谷の愛情を感じる。頬を赤く染めて、心配そうに自分の表情を窺う降谷を見ていると、自惚れざるを得ない。
美味しく食べてもらいたいと思っているのだろう。そんな彼の優しさに、愛おしさが幾重にも募る。
「……好きだよ、降谷君」
「えっ……あ、ああ、気に入ってもらえてよかったです。これは僕のオススメの味噌で、東都でもなかなか手に入らないんですよ」
降谷の顔がさらに赤くなる。突然の告白に、降谷は混乱しているようだった。赤井は微笑んだ。自分が好きなのは、味噌汁の味だけではない。
「この味噌汁も毎日飲みたいくらい好きだが、俺が好きなのは、それだけじゃない」
「……」
「好きだよ、降谷君」
降谷が大きく目を見開く。さすがの降谷も、何に対して自分が好きと言っているのかを理解したのだろう。
彼の表情と彼の愛情が詰まった料理を見れば、彼のこたえを手に入れたも同然だ。だが、赤井は降谷の口から直接きいてみたかった。「君は俺のことをどう想っている?」そう問いかけると、降谷は味噌汁の入ったお椀に手を添えながら言った。
「毎朝、あなたに味噌汁を作ってあげたいと思ってしまうくらいには、好き、ですよ……」